第三話・呪いと監禁
最初からこうするべきだったのかもしれない。アントンは尼僧服越しのタニヤの見事な曲線から目をそらしつつ、考えた。アントンにとってタニヤは友人であり、孤児のくず鉄拾いにとっての友人はむしろ崇拝の対象とさえ言えた。
「どうしてあたしに相談しなかったの!」
彼女に協力を頼んだ時あびせられた言葉が未だに耳に残っている。アントンにとって見れば迷惑をかけるようなものだが、タニヤとしてはそうではなかったらしい。
今、タニヤは尼僧院から持ってきた本と格闘しつつ、聖水や捧げ物を慎重に揃えていた。解呪の魔法だ。魔法というと手から火を出したりと至極便利に思えるのだが、大半は素手で作業したほうが早いようなものばかりだとアントンはタニヤから聞いた。確かに手から火を出すよりは、火の付いた松明を投げるほうが楽だろう。
(シシシ……興味深いな、俺達)
魔剣カリディスは意外にも、タニヤの書いている陣の中央で大人しく水桶に沈んでいる。多少離れているのだが、それでも言葉を送ってきてアントンを困惑させた。これが成功すれば、アントンとのつながりを断ち切られるというのに、まるで気にしていない。
(これでお別れといきたいな)
(シシッ! 俺達の関係が呪いかもしれないという発想自体が無かった。なにせ、動きを強くして、相互理解をしたりといい事ばかりだからな)
(高く売れれば、それが一番の関係だ)
(次の日に戻ってくるものを売ってはいられないと、そういうわけか。俺達の考えることは奇妙だ!)
相変わらず常識を理解していないような考え方だが、魔剣は物わかりが良かった。最近、アントンを落ち着かなくさせるのは魔剣がどうも常識はずれながら、アントンの利益になるように発言しているらしいことだった。
俺達という言葉は特に奇怪だった。魔剣は自分自身のことをどう考えているのか、疑いたくなる。他者の生命に頓着しないのは物であるからであろうか?
「魔法って見るの初めてだ」
「細かく分類すると違うみたいだけど……あたしの立場で持ち出せる本だとこれが一番。大昔での実績も多いみたいだし」
(シシシ…楽しみだ)
「じゃあ、行くわよ。アントンも祈って。まず魔剣を、そして次はアントンを浄めるわ」
タニヤが二言三言唱えると、水桶が光りだした。アントンは感嘆の念を禁じえず、祈れと言われるまでもなく、ひざまずいてヤーバード神に祈りを捧げた。正直なところ、奇跡も魔法もカリディスを拾うまでは信じていなかったことを一心に詫びる。
小さな光の柱が水桶に立ち上り……そして、あっけなく消え去った。人が神のみ技を長い時間見ることを許されていないように。
「さぁこれでどうかしら?」
「分からないが……清らかな気分だ」
(シシシ…確かに良い気分だ。鉄の中まで洗われるようだったな。俺達はこれを風呂というんだっけか)
「なに?」
「どうしたの?」
「いや……カリディスの声がまだ聞こえる。俺と同じように神の奇跡に感嘆している」
「ええっ!?」
その後、時間をかけて検討が行われたが、アントンにとって余り良いものにはならなかった。自分も浄化の儀式を受けたアントンは布で体を拭きながら、ため息を付くほかない。
見習いとは言え専門家であるタニヤが推測するに、奇跡を喜んでいるあたり、魔剣は邪悪な物ではないのではないかということだ。やたらに殺害などの方法を勧めてくるのは、あくまでカリディスの学習した範囲で最も適当なことを言っているだけであり、そこに邪念は一切ないというのだ。
男の裸を見ないように、後ろ姿のままタニヤと語る。
「つまり、魔剣が悪く見えるのは俺が潜在的に考えていることと一致するからか。そこまで性格が悪いつもりは無かったんだが……」
「そういうものよ。心底から善人である人間はいない。だからこそ、ヤーバードは我々をみておられるのだから。大事なのはそれに囚われないこと」
「良い説教者になれそうだな、タニヤは。あ、もういいよ」
向き直ったタニヤは凄い速度で再び元通りの後ろ向きになった。
「服着てないじゃない!」
「上半身だけだが……」
「いいから、早く着替え終わって! もう!」
ようやく落ち着いたタニヤだったが、その顔はまだ少し赤かった。こほん、とわざとらしい咳払いをしてからもう一言が始まる。
「要はその魔剣の甘言に惑わされなければいいのよ。あたしに言えるのはそれぐらい。ごめんなさいね、解呪できなくて」
「いや、こっちこそ手を煩わして済まなかった」
「それにしても……なんでこんな剣が近くにあったのかしら?」
疑念を抱きながら、タニヤとアントンは小屋の中を片付けてから分かれた。残念ではあったが、良いものを見られた。タニヤには感謝しか無い。
(シシシ……よく分からんな)
(何がだ)
(俺達が望んでいたことが悪いことだということさ。人を殺すということは悪事なのか? だったら戦争や、それに使う道具を作るのは全部悪事じゃないか)
(それは……)
(まぁいいか。これではっきりとしたな。俺達が出会ったのは呪いじゃなくて運命だったってことが。俺達はきっと何かを成し遂げるんだ)
アントンは魔剣の疑問に答えられなかった上、魔剣と出会うべくして出会った事実に呻いた。この剣の担い手になるのが運命ならば、それこそ自分は悪事の片棒をかつぐことになるから…….。
その日、仕事の前に魔剣を素振りしているアントンがいた。運命がなんであれ、死ぬのが怖くないほど英雄的な精神構造をしているわけではない。
アントンの剣は完全な我流だった。喧嘩や兵士の練習を見て振っているだけだ。結構様になっているように見えなくもないが、攻撃に反して防御が疎かなのは致し方ない。元より我流というのはそういうものだ。
驚くべきは魔剣を握った瞬間溢れる活力だった。何者にも負ける気はしない上に疲れ知らずで、いつまでも振っていられる気がした。それを楽しげに一時間ほどやった後で、アントンはハッとなりやめた。魔剣の誘惑というものを肌で感じた気がして、身震いする。
(怖いな……)
(そんなことはないさ。人の言うところの単なる万能感に過ぎない。だけどそれぐらいの感覚でいた方が良いかもしれないな。俺達の歩む道が楽しくあるように!)
魔剣に人生を説かれるなど間違いなく自分だけだろう。そう思ったアントンだが、同時に一理あるとも思った。ここ数日は喋る剣というものに振り回されすぎていた。
おかしいだけでなく、自分と運命共同体であると言う魔剣。それならそれで楽しむべきなのかもしれない。
おかしな考えを弄びながら、地面に這いつくばり鉄くずを集める。穴を掘り、土にまみれての重労働だ。そこに魔剣があってもなくても変わらない。
その日課は後頭部に衝撃を感じるまで続いた。
目を覚ます。いつものように夜の土の上ということもなく、孤児院の安っぽい天井でもない。椅子に座ったまま、アントンは目覚めた。手は後ろ手に、足は椅子の足に縛り付けられている。アントンは妙に冷静に状況を考えた。
どうやら誰かにさらわれたらしい。だが、きっかけが思いつかない。そう思っていると、答えが向こうからやってきた。
「ようやく目を覚ましたか、クソガキ」
「よう。お前の良い剣は俺が貰ったぜ」
「くず鉄拾いにはもったいないからな」
三人の男達。いかにも真っ当そうでない上に、アントンをくず鉄拾いだと知っている……そこで分かった。初めて魔剣と出会った日の冒険者三人組だ。
「……とりあえず解放してくれると嬉しいんだが」
「そう急ぐなよ。それはお前にたっぷりと礼をしてからだ!」
拳が頬に叩き込まれる。少し唇を切って、アントンは椅子の上でバランス人形のように左右に揺れた。その後は他の二人も加わって、殴られ蹴られた。椅子に縛られたまま、横転した姿は痛ましいが、アントンとしてはああまたかといったところだ。
これはアントンに限った話ではなく、貧しい生まれの者なら大体がそう思うだろう。どうでもいいことや、単なる気晴らしに暴力を振るわれるなどいつものことだ。
問題はどこまでされるか読めないことにある。貧民同士なら弁えて、後々問題にならない程度に狙って痛めつける。しかし、目の前の三人にそんな配慮があるかどうかとなると、保証は全く無い。
骨折がいいところで、最悪殺されるだろうか……現実的な計算で痛みから目をそらしていたアントンは息を荒げて加虐に酔う三人を見据えた。
「はぁーっ、はぁー! 強情なやつだ!」
「なぁに、痛くて目を回しているのさ」
「また来てやるから安心して、命乞いの準備をしておくんだな。そうじゃないとただじゃおかねぇ」
どうやら彼らはアントンの無様な姿が見たくて仕方がないらしい。そうなると、裏町の流儀で対応したのはまずかったかもしれない。部屋から出ていく三人をぼうっと見つめる。
さて、ここはどこなのか? 木造りの家で、部屋の隅には木枠箱や樽が見える。時折、頭上から笑い声や足音が聞こえることからして、酒場のような作りの建物。その地下倉庫かなにかだろう。
抜け出る方法は後にして、建物から抜け出る際には一気に出るしかない。そう考えながら、アントンは眠りについた。体内時計の通りに動くことが必要だ。そうでなくては今が夜か昼かも分からなくなる……そうして、夜中に目覚めた。一般人とは違うくず鉄拾いの時間だ。まず間違いない。
同時に足音が近づいてくるのを感じる。部屋に入ってきたのは、三人の男達のうち、小狡い顔つきの人物だった。
「シシシ、迎えに来るのが遅くなった。悪いな俺達」
「お前……そんなことまで出来るのか」
特徴的な笑い声を聞いて、アントンの緊張は霧散した。




