第十二話・心のヒビ
先日の攻撃でテレシクアの街は占領こそ免れたものの、軍団兵の半壊によって堅牢な都市から凡百の都市にまで落ちた。
キスゴルが退いていったのは騎兵を主体とするキスゴルの部隊では、攻城戦が不得手なだけである。むしろ勝ち戦の中で引ける冷静さを示した騎兵隊はその恐ろしさを見せつけたとさえ言えた。
軍団を再編し、防御態勢を整える作業に誰も彼もが大忙しだ。街の住人達もキスゴルが準備を終えたら、数十年ぶりに国境の後退が起こるかもとささやきあった。迷信深い田舎村のように古老達の経験談に耳を傾けている。
そんな様子を何故かアントンは他人事のように見ていた。確かに傭兵である身では他人事ではあるが、自分がそんな薄情な人間であると不思議な感慨を持って受け入れていた。
「魔剣第一小隊は活躍したのにねっと」
「堅焼きパン……」
「よくわからんが、飯は食える時に食っておけ。籠城戦に巻き込まれたら辛いぞ」
「ロベルトの旦那は経験したことあるのかい。というか経験したことのないことってあるの?」
「さぁな。見た目より歳を食っているんだ。どうもそういう生まれらしいが、行くところ聞くところで様々な出来事に出くわした。そこから言えるのはいつも良く見て、良く聞くこと……ということだけだがな」
人は見た目によらないが、長命の家系というものだろうか。そうした家が稀にあることは、逆に短命の一族があることと同じくらいには知られていた。
見張塔の一階で三人は味気ない食事を取りながらとりとめのない話をした。
「思ってたよりずっと腐れ縁になりそうですね、魔剣第一小隊」
「そだね。魔剣第二小隊とかもいずれできるのかなぁ。それにしてもこんな美人を捕まえて腐れ縁とは言ってくれるねアントン君。そういうやつはこうだー!」
腹を締め付けられてアントンは盛大にむせそうになった。そんな二人をロベルトはいつものことのように見ながら、パンを齧っていた。
「そうなったらそいつらが第一になるんじゃないか? 傭兵にそこまで居座らせることなど、誰にもできんだろう」
「ああ、あの噂ね。私も聞いた聞いた」
「ごほっ……噂?」
「キスゴルが魔獣の研究をしていたように、エルドヘルスでは魔剣の研究をしているという話だ。以前なら一笑に付すところだが、ホアキンの件があったからな。今では信じられる」
すり替えられていた魔剣は曲がりなりにも炎を出していた。となれば、アレが量産型の魔剣の一部だったと見える。少なくとも三人はそう思っていた。
「魔剣使い国家対魔獣使い国家ですか。我々は何を売りにすればいいのやら」
「私は美人傭兵ってだけで充分だけどねー」
「その割には夜這いに来る奴を見たことが無いが……ゲフっ」
腹に蹴りをいれられるロベルト。親しくなるにつれ、全員の駄目な部分が明らかになっていくようだった。
「なんでかアントン君と違ってロベルト君には容赦する気が起きないのよね」
「俺はそういう話題には口出ししないからじゃないですかね」
「覚えてろよ、お前ら……」
「……ら?」
そんな他愛のない時間が過ぎていくが、扉が開く音で中断された。はちみつ色の騎士、ホアキンだった。ホアキンは子供のような目に邪悪を宿らせながら見渡した。
「探したぞ。誰も彼もが忙しい中で、随分と良い身分じゃないか」
「げっ」
「隊長、その良い身分の我々になんの御用で?」
珍しくアントンから毒がもれた。三人と折り合って共に戦おうとは考えなかったのがホアキンだ。騎士団の命令だったとは言え、嫌われるぐらい覚悟の上だろう。
「今、ヤーバード教団のさるお方が神殿にお越しになっている。魔剣第一小隊をお呼びだ」
最高神として君臨するヤーバード。大抵の人がその信者だ。その偉いお方とやらがどんな意図で、傭兵の実験部隊など呼び出すのか……分かるわけもないが、ホアキンは人脈ができると興奮していた。
無礼を働かないように何度も念押しして。街の中央へと向かった。
ヤーバード神殿も大抵の街で中心的存在だ。平穏な時は祈りを捧げる敬虔の場として、緊急時は難民の受け入れまでやっている。
アントンは神殿が近づくにつれ、故郷ピンカードのタニヤのことを思い出していた。やや型破りで元気なあの幼なじみは息災だろうか? 地位の高い人物に会うより、そちらのほうが気にかかる。
そう感慨深くなるのは神殿というよりは砦に似た外観だろう。アントンの故郷ピンカードもかつて最前線の土地だったから似たような作りになったように思われた。
重々しい扉を開けると、老齢の尼僧が一同を待っていた。ホアキンが完璧な礼儀作法で挨拶するので、後ろの三人は微妙な気分で真似をした。
「騎士団配下、魔剣第一小隊参りました」
「礼拝堂で聖女様がお待ちです、さ、こちらへ……」
耳慣れない言葉が出てきた。こういった方面で無知なアントンは素直に聞いてみる。
「聖女様?」
「んーなんていうかな。教会の術師で一番偉い人」
「正確には政治的側面の最高権力者が教皇。神秘的な方面の最高権力者が聖女だ。呼び方は色々あるが、おおまかにはそうなっている」
「お前達、静かにしろ」
ホアキンによって講義は中断されてしまったが、どうやら“偉い人”どころではなく“最高に偉い人”だとアントンは認識した。もっともこの時点ではさして差がない。平民としてひたすら頭を下げていようというのがアントンの考えだ。
アントンが良い例だが、貧民生まれというのは時々虚無的な者や向上心の無い者を生み出す。そうした人物にとって、生まれが違う者の好意も侮蔑も等しくいい迷惑にしかならない。
礼拝堂の中に入ると郷愁の念が湧いてくるが、そこには異物があった。金色のカーテンのような長髪。
顔立ちも、肢体も、雰囲気さえ別世界の住人のようだった。総じて荘厳で美しい。ミレイアもロベルトも感嘆しているようだが、ホアキンの顔は紅潮し、アントンは無表情のままだった。
「聖女様、お連れしました」
「ありがとう。下がってください。わたしはこの方達に話があります。よくいらして下さいました、敬虔なる神の子達よ」
「ハハッ! 恐悦です!」
返事と同時に片膝を着くホアキン。場の勢いに流されて、結局全員がそうした。
アントンはここで疑念を抱いていた。何だってこんな人物が魔剣第一小隊に会いたいと願う? 答えは簡単、面倒事だ。とりあえずロベルトの教えどおり注意しておくしかないが、嫌な予感が止まらない。そして……
「貴方ですね。神に選ばれし者。魂の共鳴者を持つ、魂の捕縛者。貴方達が誕生するのを我々は待ち望んでいました」
訳の分からない呼び方でアントンに話しかけてきた。最悪だ、やはりカリディス絡みかと内心で納得とともに毒づくしかない。
(シシッ! さぁ運命のご指名だ! 立ち上がれ!)
カリディスの言う通り、仕方なく立ち上がる。面と向き合う聖女の顔は天使のようだったが、あいにくアントンは天使と顔を合わせたいと願ったことはない。
「わたくしはレオノール。ヤーバードの信徒です」
「……アントンです、聖女様。あのぅ、俺……じゃなかった私に何か御用でしょうか」
「ふふっ用といえば用です。もっともそれはわたくしからではなく、神聖なるヤーバードからの使命なのです。わたくし達皆がそう生きているように、貴方もまた生きる道があるのです」
「私は誓ってただの傭兵です! カリディスに用があるなら喜んで献上します!」
「いいえ、あなた達は二つで一つ。受け入れなさい善良なるアントン。歩むべき道から逸れようとしても、結局は元の道へと戻るだけと、思い知っているはずです」
なぜ、カリディスを捨てようとしたことを知っているのか。あるいは、孤児院のために生きようとしていることをも。聖女は優しい存在ではないのか。
「知っての通り、キスゴルは闇の力を手に入れました。しかし、闇の力そのものをどうにかせよということではありません。重要なのは悠久の時を渡って人に闇の力を与えて来た憑依者の存在にあるのです」
そんなおとぎ話は知らない。子供に聞かせたい話では絶対ない、超常の存在が邪魔だと言うならあんた方凄い人だけでやってくれ!
「かの者は死が近づく度に別の肉体へと移り、再び行動を開始する……ゆえに我々は対処療法しか対抗手段を持ちませんでした。しかし、魂を捕らえる能力を持った貴方がいれば話は変わる」
封じられる逃げ道。持って生まれた体質が、意地でも運命の鎖を首にかけようとしてくる。アントンの呼吸は荒かった。もうコレ以上はゴメンだ。
「魔剣使いアントン。貴方には長年に渡る教団と憑依者の戦いに終止符を打って欲しいのです」
「いい加減にしてくれ! もうまっぴらだ! 故郷で暮らしていれば、故郷にいられなくなる! おまけに妙な剣がくっついてきて、傭兵になるしかない! 挙げ句に化け物と戦う羽目になって、今度は化け物の親玉と戦えと!? ふざけるなよ、最初から最後まで俺には得が一つもないじゃないか!」
限界だった。飄々とした無垢な青年の姿はどこにもない。
特別な生まれだと聞かされて、特別な使命を与えられても今更だ。貧民であった頃と何も変わらない。孤児院に守るべき弟妹や育ての親がいたから、“善良な”アントンは耐えられていただけだ。戦いだって魔剣の効力が無ければ、こうも順応できなかっただろう。
「魔剣使い、アントン――落ち着きなさい。これは使命なのです。偉大なるヤーバードが貴方を選んだ……」
「生贄に選んだだけだろう! 英雄になりたい奴がやるべきことで、俺がやりたいことじゃない!」
そう。運命とやらはアントンに次々と労苦を載せているだけだ。どれだけ名誉でも、特別でも欲しくない者にとってはただの拷問だ。過程に波がなかっただけで、アントンの精神は順当に限界を迎えた。
その後のことはホアキンに殴られた後、記憶にない。




