第一話・魔剣拾い
夜闇の冷たさは身にしみる。アントンは粗末な布に包まりながらそう思って、少ししてから懐の寒さよりはマシだと自分に言葉を返した。
アントンは貧しい青年だった。外見的にも特徴は赤毛ぐらいで、中肉中背のごく平凡な男だ。せめて肉体的に恵まれていたなら大工や石工の弟子入りができたかもしれないのに、と時折自分で苛立っていた。
それならここで門限を待つ必要も無いし、弟妹にも良い思いをさせることができたであろう。
生憎アントンのような存在は溢れているため、彼の仕事は“くず鉄拾い”だ。外見どころか字面からして貧しい。これは彼が孤児院育ちであることに起因していた。
「閉めるぞぉー!」
門衛が警告を叫ぶと、真の夜だ。アントンが住むピンカードの街は元々要塞であり、古要塞都市と呼ばれている。その名残か、門が閉じれば朝の決められた時間まで開くことは無い。
「ねむ……」
あくびを噛み殺しながら、街中の一般人とは真逆にアントンは活動を開始した。古要塞というだけあってピンカードはかつて国境近くの街だった。今では違うが、東の古戦場跡を深く掘れば埋もれてボロになった剣や鎧が出てくる。
普通のくず鉄拾いは街中の釘などを探すが、アントンは違う。数少ない長所の夜目が利くことと、亡霊が出ると聞いても気にしない神経がある。火に使う油などの金がかからないため、アントンの独壇場だ。
粗末な木製の踏み鋤を使って、地面をめくり返していく。高価な鉄製のシャベルが欲しいが……。
「そんなの買う金があったら、くず鉄拾いなんてしないよな」
孤独な仕事を行う者特有の独り言を吐き出して、アントンは作業を朝まで続けた。
「開門! 開門!」
翌朝の開門時間。夜についてしまった気の毒な商人や、どこで夜を明かしているのかわからない浮浪者とともに、アントンは街へと帰った。アントンはすでに顔なじみのため、誰何もされず、街の人々からも胡散臭い顔をされなくて済んだ。
布をマントのようにして、今夜の成果物を鍛冶屋に運ぶために歩き続けていると、アントンに同情ではない笑顔を向けてくれる顔と出会った。
古い馴染みで、自分と同じように平々凡々とした人物。髪を覆う尼僧服で身を包んだ女性。尼僧見習いのタニヤだ。
「アントン! またボタンを失くしたの?」
「タニヤ。無くしたんじゃなくて、外したんだ。なくなっても良い布にわざわざしてるのに、ボタンを付けたらいざという時捨てられなくなる」
「いざという時って?」
「にんげ……いや、骨のお化けとかかな」
「スケルトンなんて出ないわよ。古戦場はとっくに浄化されているわ。それにいたとしても、あたしがしゅわーって倒してあげるわよ」
「じゃあ今度から怪物にあったら君の後ろに隠れることにするよ。鍛冶屋に行ってくる。そっちも朝の礼拝の時間じゃないか?」
「いけない! またね、アントン!」
相変わらずそそっかしい様子の幼馴染は、アントンの胸に薬草のように染み渡った。この街はアントンの存在を許してくれるが、それだけだ。彼女のように歓迎はしてくれない。
向かった先の鍛冶屋の老人も渋い顔を崩さなかった。
「これ、今日の分です」
「ふん。もっとマシな鉄はないのか。クズはクズなりか」
「そうは言っても、あそこが戦場だったのは親方が子供の頃でしょう? 無事なのはもう遺族や他のくず鉄拾いが取ってますよ」
武具は高価なものだ。いくら古戦場といっても、地面に落ちているなら回収されている。残っているのは突き立てられた剣の破片や、運悪く埋まった物だけだ。それでも結構な量が残っているのだから、戦争の恐ろしさを感じさせる。
老人はくず鉄一袋に対して、銀貨3枚を投げるとそれきり声も出さなかった。悪い時はこの半値なので、口でいうよりは良いものだったのであろう。
アントンは金額よりも放り投げられたことに苛ついたが、口に出せる立場では無かった。この老鍛冶師はこれで、まだマトモな方の人間であることも、口を噤ませていた。
アントンは投げられた銀を丁寧に懐に収めて、なるべく人目につかないようなルートで自分の“家”へと戻った。常に逃げ隠れしながら、わずかな所持金を奪われないようにする。それはアントンの自尊心を長年削ったが、同時に最低限の忍耐を与えていた。
「おばちゃん! 兄ちゃんが帰ってきた!」
「泥だらけ! 泥だらけ!」
「ただいま、ジミー、サニー。遅くなってゴメンな」
アントンの“家”とは孤児院だった。年長で残っているのはもうアントンだけであり、年少は二人しかいない。だから何とかやっていけている。出ていった年長者達も仕送りなどする余裕は無いのだろう。
「シスター、これが今日の分です」
「いつもすまないね、でもこれもいつまで続けられるか……ヤーバードよご加護を……」
院長は腰が曲がったままのような老女だ。しわだらけの顔から自分も働けたらという悔悟をにじませていた。
「でも、今日は悪くなかったです。パンが3斤買えるでしょう」
「ああ、だけど余裕が生まれないねぇ……すまないねぇ、寝ないで働くお前さんに言う事じゃなかったね。許しておくれ」
「いえ、お陰で浮浪者にならずに済んでいますから」
大体、銀貨1枚でパンが買える。ジミーとサニーの量としては充分だが、明日は分からない。結果としてシスターとアントンが切り詰めていく形になっていた。それで不測の事態や、衣と住に備えるのだ。
厳しい暮らしだ。アントンはこれから夕方までに孤児院の仕事をできるだけこなしていく。家事の腕はそこらの女房顔負けだろう。ジミーやサニーも手伝ってはくれるが、子供の手の域を出ない。
それでもアントンは幸福だった。人として、善良に生きているという実感が得られるのだから……。
次の日もアントンは城壁外にいた。昨日と同じ粗末な格好で、真夜中を待っている。本来なら続けて仕事に出るのは自制しなければならない。孤児院の収入源は雀の涙以下の援助金と、アントンの稼業で成り立っているのだから風邪などでも致命的になりかねない。
それでも少しは余裕が欲しい。パンだけでは腹がふくれても、子供の成長に良いはずがない。もう少しだけ彩りを添えてやりたかった。
まさか、この日を境に全てが変わってしまうなどアントンは思ってもいなかった。
全ては迂闊から来ていた。鉄くずを麻の袋に入れてる最中、突如オレンジ色が増えた。アントンは灯りを使わないので、それが良い訪問者であるはずがなかったのだ。
逃げなければと思った次の瞬間には、それは不可能になっていた。3人の男たちが黄色い歯を火の色と重ねながら、にやにやと笑っていた。
「くず鉄拾いか。これは俺たちがもらっておくぜ」
「なぜだ! ショバ代はちゃんと払っている!」
「そんなの俺たちには関係ねぇんだなぁ」
会話で気付いた。この男たちは街のちんぴらやヤクザ者でも無ければ、浮浪者でもない。腰に剣を佩いていても、それ以外はてんでばらばらの防具だ。
最近増えてきている冒険者とかいうならず者の集まりと出くわしてしまったのだ。
要は街のルールや暗黙の了解などを一切理解していない異分子だ。先に挙げた胡乱な者達でも組織的にバランスを取っている。アントン自身も他のくず鉄拾いの領分を侵さないように。
彼らにはそれがない――そう思った瞬間、殴られて地を転がった。アントンの口の中に土と鉄の味が混ざりあった。
最悪の展開だ。相手は3人であり、アントンが勝てるとは思えない。現状で唯一有利な点はアントンが正式なピンカードの住人であるという点だけだ。殺さないでこの場を切り抜ければ、衛兵に訴えでることもできる。
「くそっ」
逃げる姿勢を取ったアントンの前に一人が後ろに回り込んでいた。
「おい、さっさとこいつやっちゃって酒場でも行こうぜ」
「は。ピンカードの街は朝まで開かないさ」
「俺たちが冒険者様でもか?」
「例外はない。かつては国王でも従った……まさか、本当に知らないのか?」
呆然と言った言葉を煽られたと勘違いした男が、アントンの顔を強かに殴りつけた。手加減がないことにアントンは心底驚いていた。まさか、住人を殺しても罪に問われないとでも思っているのか? 人殺しは裏社会でさえ面倒なことになるのに、それも知らないのか?
「ああっくそっ。景気づけにこいつを殺してから、寝ようぜ」
「クソみたいな街だな」
後半は同意するが、アントンにとってはたまったものではない。どうにかして逃げなければ。しかし、囲まれている上に、2度の打撃でアントンの意気も大分落ち込んでいた。視界すら霞んで見える。
もっと強ければ、もっと金があれば、こんなことにはならなかったのだろう。男たちがクソと呼んだ街の外でクソのように殺されようとしている。
なにかないか。踏み鋤で反撃を試みるしかない。しかし、相手はもう剣を抜いている。ここで見たどんな剣よりマシそうだ。
相手が剣を振りかぶった瞬間、こつんと手に当たった物に賭けて、アントンは思いっきり相手にそれを振り抜いた。
「え?」
「はぁ?」
互いに間抜けな声が漏れる。アントンは踏み鋤のつもりだった。相手も棒か何かだと思っただろう。だがそうではなかった。
アントンの手に握られていたのはしっかりとした剣で、相手の剣を叩き切っていた。幅広のブロードソードは星を散りばめたように美しい。明らかにこんな場所にあるはずもない物に見えた。
「……おおっ!」
訳は分からないが、力強い援軍が来たようにアントンの体は軽くなった。慌てて残る二人が剣を抜くが、それも容易く断てそうな気を起こさせた。
(いいや、殺しちまおうぜ)
何かが聞こえた気がしたが、アントンが拾った剣は残る二人の剣を葦でも切るように破壊した。遠慮が無ければプライドも無いのか。3人の男たちは柄を捨てて足早に逃げてしまった。
「なんだ、この剣……」
(剣? いいや、違うよ。俺達さ)
仕事で身についた独り言に返事を返す者が現れた。それがまさか剣だとは、朝が来てもアントンには信じられなかった。