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5.旦那様の想い人 ― 2

 この娘が、セルヴェンの意中の相手――。



「どうも……初めまして、マレイ様」


 イリファスカはちゃんと笑えているか不安だった。

 ミフェルナの印象は……とにかく“真面目そう”という他なかった。


 正直、容姿に関しては平凡な子だ。大勢の女子の中に紛れていたら、見落としてしまいそうなほどに平凡な子。

 ()いて特徴を挙げるならば、そのレンズ越しに見える大きめの二重まぶたくらい……あとは特別まつ毛が長いというわけでもないし、元々主張のない顔面にさらに化粧っ気のなさが加わり、野暮(やぼ)ったい要素がこれでもかというほど詰まっていた。


 全体的に幼さの残る彼女は、色恋沙汰(ざた)とは無縁の純朴(じゅんぼく)そうな子供にしか見えなかった。

 童顔なだけで実年齢は自分と大差ないのかもしれないが、四十を間近に迎えた男が手を出すには、いささか犯罪臭のする外見にイリファスカは何とも言えない気持ちになった。



 しかし、“マレイ”と言えば、古くから王国で薬学の歴史を築き上げた名門“マレイ家”だ。

 マレイ家は公爵位……つまり、侯爵であるアトラスカ家よりも格上の存在にあたる。


 ミフェルナはセルヴェンを『所長』と呼び、イリファスカに対してもへりくだった態度を取っているが、本来であれば向こうの方が家格は上なのだ。

 したがって、いくら夫の部下と言えどイリファスカがミフェルナを呼び捨てにすることは、はばかられた。



 名家の生まれで、本人も王立研究所の新薬開発班に配属されるほどの確かな実力を持つとなると、セルヴェンが彼女に惹かれるのも納得できた。


 イリファスカがミフェルナを見つめたまま悶々(もんもん)と考えていると、セルヴェンは何を思ったか、当て付けのように()()()()()を紹介してみせた。


「ミフェルナは十四歳で入所した天才だ。私の功績などすぐに過去のものにされてしまうだろうな。いずれは所長の座をも奪ってゆくかもしれない」

「ちょっと、やめてくださいよ所長!? 奥様が本気で将来を(うれ)いてしまったらどうするのですか!? 奥様っ、わたし所長の座など狙っておりませんのでっ!! どうか誤解なきようお願いしますっ!!」

「ははは!」


 身長の低いミフェルナにバシッ! バシッ! と背中を叩かれながら、セルヴェンは大口を開けて笑い声を(とどろ)かせた。


 イリファスカは驚きのあまり、指先がピクリと無意識に震えた。

 セルヴェンの笑顔など、自分は出会ってこの方目にしたことがない。それどころか姿自体まともに捉えた回数が少なかったので、夫と愛人がじゃれ合っているというより、知らない人間同士の仲睦(なかむつ)まじい様を見せられている気分だった。


 二人のやり取りを眺めていた他の職員達もつられて笑いだし、室内には和気あいあいとした空気が流れ始めた。


 複数の明るい声が頭の中で反響し、イリファスカだけが声を出さずに口角を上げて押し黙っていた。


 自分という存在が、誤って紛れ込んでしまった“異物”のように感じられた。

 研究所ではいつもこんな風に軽口を叩き合い、笑い合っているのだろう。だとすれば、勝敗は完全に決している。

 自分にはセルヴェンの仕事内容を理解する頭脳も、彼を笑顔にする愛嬌(あいきょう)もない。この子に勝てる要素は何一つないのだ。貴族学校や実家で持てはやされたこの容姿も、セルヴェンには効かないのだから足掻きようもない。


 ここまで完敗だと悔しさも湧いてこなかった。

 ただただ、早く控え室で待つカジィーリアに、この光景に対する愚痴をこぼしたかった。

 自分に代わり憤慨(ふんがい)してくれる彼女の姿を見れば、少しは気が楽になるのに―― ……。



 イリファスカが意識を遠い所へ飛ばしている間に、セルヴェンはミフェルナに何やら耳打ちをした。

 するとミフェルナは恐る恐るといった様子で、自分よりも顔一つ分身長の高いイリファスカに赤ら顔で話し掛けた。


「奥様は、所長に代わって領地運営をなされているのですよね……? ―― すごいです! わたし薬学以外はからっきしなのですがっ、それでもいつか兄様達と共に領地のあれこれを務めてみたいと思っておりましてっ!! だからそのっ、男社会で活躍する奥様にわたしずっと憧れていましたっ―― !!」


 キラキラと星屑(ほしくず)を散らせたかのような真っ直ぐな瞳に当てられたイリファスカは、目を見開いて小さなミフェルナを見下ろした。



 ―― “憧れ”。



 彼女の言葉が耳を通り抜けて宙に消えた。

 誰に憧れているって? 夫に仕事を投げられているだけの、こんなつまらない女に?

 家柄も知能も最上級のものを備えている少女が―― ?



 イリファスカはドロドロとした黒い感情が胸の中で渦巻くのを止められなかった。

 しかし、若き頃から『至らない侯爵代理』として周りから()()されてきたイリファスカだ。表情を(つくろ)うなどお手のものだった。


「……やり方を教われば誰でもできることですよ。マレイ様なら、ひと月もせずに完璧に執務をこなせるかと」

「エッ!? むっ……無理です無理ですっ!! うちはもう母がそりゃあ出不精(でぶしょう)でグータラな人でしてっ!! わたしが父と一緒に薬草の採取に出掛けるだけでも『外仕事は男の仕事なのに』ってうるさくてうるさくてっ!! だから奥様みたいに領地視察とか色々一人でこなせる女性はとてもかっこいいと思って憧れているんですけれどっ、じゃあ自分がこなせるかって言われるとっ、なりたいなとは思うんですけどそういう未来が想像できないと言いますかっ――」


 手と口をせわしなく動かしながら暑苦しく語り出すミフェルナに、イリファスカは少々面食らいながらも静かに聞いていた。


 如何(いか)にも優等生といった第一印象とは打って変わっての落ち着きのない態度……ハッと我に返ったミフェルナは、これまたせわしない早口で弁解した。


「すっ、すみませんっ……いきなり自分語りが激しかったですよねっ……!? わたし研究以外は本当にダメでっ、一度話を始めると止まらなくなっちゃうしっ、大声だしっ、早口だしっ、大勢の前で発表する時なんかは全然平気なんですけどっ、こうしてちょっと緊張するようなお方と一対一でお話しするとなるとっ、どうにも興奮してしまって!! ……あっ、奥様への緊張というのは“良い緊張”ですのでっ!! 決して“嫌な緊張”ではないのですっ!! “憧れ”っ!! “憧れ”ですのでっ!!」

「フッ……“良い緊張”って、どんな緊張だよ?」

「うるさいですよ所長っ!! 今頭がいっぱいいっぱいなんですからお静かにっ!!」


 セルヴェンから小馬鹿にされたミフェルナは、彼の背をバシンッ! と叩いて反発した。

 やはりこの二人の方がよっぽど夫婦らしいと思ったイリファスカは、これ以上考えることをやめ、早く取材が終わるよう祈りを捧げた。


「お気になさらないでください、ミフェルナ様。私は反対に言葉があまり出てこない者なので、間を埋めてくださってるみたいで助かりますわ」

「そ、そうですかっ……!? そう言っていただけるのなら安心いたしましたっ!! わたし、所長が奥様のことを常々『よく出来た女性(ひと)だ』と自慢なさるものですから、ああやっぱり活躍されている方はご家庭でも優れた方なのだなと思いっ、一度でいいから直接貴方様(あなたさま)にお話をうかがってみたいと願っていたところでございましてっ!! そこにきて今回の取材の件が舞い込んできましてっ……!! ……あのっ……そのっ……あっ、ありがとうございますっ!! わたしいつもこの状態を外部の大人に見られては、『もっと落ち着け』と注意されてばかりなのでっ……!! 初対面の方は特にっ……!!」

「私も昔はあがり症でしたから分かります。旦那様と出会った頃などは、本当に酷くって――」


 ―― と、ほとんど口に出してしまってから、もしかしてこれは意図せず『あなたの知らない昔の旦那様を私は知っているんですよ』という正妻自慢になっているのでは? と気が付いたイリファスカは、焦って言葉を打ち止めた。


 それにしても、ろくに顔も合わせていない自分の話を職場でしているとは……愛妻家気取りのセルヴェンに苛立ちが募ってしまう。

 正直な気持ちをぶつけてくるミフェルナに気を緩めすぎた。当のミフェルナは生暖かい目を向ける仲間に見守られながら、『そうなのですねぇ〜!』と意外そうに、そしてどこか嬉しそうにしているのだが……イリファスカは“やってしまった”という後悔の念に襲われた。



 ―― そこへ、“パシャリッ”というシャッター音と共に、まばゆいフラッシュがたかれた。



「いやぁ〜〜っ、皆様っ、いい表情してますねェ〜〜っ!!」



 いやらしい含みを帯びた声が研究室に響き渡る。

 一同が一斉に入口の扉へと目を向ければ、そこにはカメラを構えてニヤリと品のない笑みを浮かべる男の姿があった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] こんにちは。 とてもこの奥様が健気で、真面目で、 好き勝手していいのに、それもせず。 こんな旦那捨てしまって、他で幸せになって欲しいです。 この勝手な侯爵様とは、関わらないで きっと他に良…
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