18.混乱する屋敷内
駆け付けた主治医のコートリアス・ケーレンは、荒い息遣いでベッドに潜り込むイリファスカを見て顔を渋めた。
高熱による悪寒から横向きになって身を丸め、ガクガクと体を震わせる彼女の元へと駆け寄る。
発疹の状態や体温の高さを確認すると、ケーレン医師はベッドを取り囲む屋敷の使用人らに指示を出して、介抱に必要な物を準備するよう命じた。
「寒さを感じている間は体を温める必要があります! もっと掛け布団を持ってきてください!」
「はいっ!」
「ゔぅ”っ……お嬢さまっ……しっかりしてぇっ……!」
「カジィーリアっ……お医者様が来たから離れるんだっ……! お邪魔になるっ……!」
カジィーリアは発疹の影響がないイリファスカの左手を取って、ベッド脇ですすり泣いていた。
そんな彼女を診療の邪魔になるからと引き剥がそうとしていた初老の男性が、家令のユタルだ。
イリファスカは発疹からもたらされる刺すような痛みに加え、発熱による関節痛で眠りにつくこともできずに、うめきを上げていた。
別室から掛け布団を運んできた使用人達は、どんな時でも毅然とした態度を崩さないイリファスカの弱りきった姿に、焦りを禁じ得なかった。
ケーレン医師は室内の数名の使用人にあれこれと指示を残すと、嗚咽を漏らして泣き崩れるカジィーリアと、彼女を支えるユタル家令に声を掛けた。
「カジィーリアさん、そしてユタル家令も……お話があります」
二人を廊下に連れ出したケーレン医師は、居ても立っても居られない様子の従者達に、残酷な現実を伝えた……。
「熱というのは奥様の体が病魔に立ち向かっている証拠です……―― が、あまりにも長く高熱が続く場合は、死に至る可能性がございます。奥様はただでさえ、体調が悪い中ご無理をなさっていましたから……自然治癒力も当然衰えていますし、症状の回復も遅れるでしょう。ですので……最悪の状況を覚悟しておいてください」
「そっ、そんなっ……!?」
「……お嬢さまがっ……亡くなるかもしれないっ……!? せっ……先生っ、嘘ですよねっ!? 嘘だとおっしゃって!?」
「……今からでも王都に便りを走らせるのがいいでしょう。向こうとやり取りするだけでも時間を食いますからね……万が一に備えて、侯爵様にもお知らせしておくのがよろしいかと……」
思い思いに声を上げる二人に、ケーレン医師は目を伏せてそう答えるしかなかった。
王都から帰ってきたイリファスカに診察を頼まれてからというもの、ケーレン医師は二日に一回は屋敷を訪れ、容態の確認を行っていたのだが……やはり薬でごまかし続けるのにも限界があった。
無茶な旅をしてきたのだから、せめて帰ってきてからは仕事せずに、ベッドで寝て過ごせばよかったのだ。
なのにイリファスカは我慢に我慢を重ね、自分でも駄目だと感じた時に初めて休息を取った。これでは治る病気も治らない。
ケーレン医師はイリファスカが嫁いできた時分から、彼女が体調不良になった際に前候爵夫妻に呼ばれて、屋敷へ診察に訪れていた。
『この子はつらい時も平気な顔をして振る舞うものだから、なかなか気付けなくて……』と話した夫妻の言葉通り、昔からイリファスカは倒れるまで不調を隠し、逆に周囲を心配させるという悪癖があった。
回復したイリファスカは決まって、『次は迷惑にならないように自分から言い出します』と申し訳なさそうに言った。
しかし、彼女は懲りずに不調を隠した。
ついぞ本人の口から助けを求められたことはなかったなと……ケーレン医師は何とも言えない空虚さに見舞われながらも、呆然と立ち尽くす二人に続けて言った。
「部屋には必要最低限の看護者だけ残ってもらいます。カジィーリアさんは奥様と仲がよろしいみたいなので心配になる気持ちも分かりますが、お世話をしたいのであれば、冷静になられてから入室してください。では、私は先に部屋に戻りますので……」
そう言って、ケーレン医師はカジィーリアとユタル家令を置いて、一人部屋へと帰っていった。
……ユタル家令は力なく虚空を見つめる隣のカジィーリアに目をやり、何と声掛けしてよいか迷った。
「うそ……うそですこんなの……どうしてお嬢様ばっかり……なんであの子だけ……?」
「……カジィーリア、あなたは落ち着いたら奥様のそばに……私は旦那様への知らせを用意してくるので――」
ユタル家令の言葉を聞き、カジィーリアは彼にバッと顔を向けて、かっ開いた目の玉をむき出しにした凄まじい形相で憤怒した。
「どうせ間に合わないでしょあの人はっ!!!! ずっとお嬢様を蔑ろにしておいてっ、最後にひと目会って世間に悲劇の夫ヅラしようというのですかっ!? ―― 馬鹿にしないでよっ!!!! あんな男と一緒になったからあの子は酷い目に遭ってるんでしょうがっ!!?? あんなろくでなしっ、部屋に入れようものならわたくしが殴り倒してやりますからねっ!!??」
子を守る手負いの獣のように……大粒の涙をボロボロとこぼしながら怒声を張るカジィーリアの気迫に押され、ユタル家令は一歩後退してから慌てて謝罪した。
「すまないっ……すまなかった……!! 私がもっと、旦那様に奥様を気に掛けるよう注意しておけばっ……!!」
「それだけじゃないでしょうっ!!?? 堂々とお嬢様の悪口を言ってる愚かな使用人もいるのにっ……あなたはいつも見逃してっ……!! あなたなんかっ……あなたなんかねぇっ―― !!!!」
「―― カジィーリアさん、声を抑えてください。寝室内にまで響き渡っています。奥様のお体に障りますので……」
家令に掴み掛かろうとしていたカジィーリアの肩を後方から引いて止めたのは、いつの間にか部屋の外へと出てきていたグリスダインだった。
煮えたぎる怒りのやり場を失ったカジィーリアは、グリスダインを振り返って彼に血走った眼を向けた。
「グリスダインっ……あなたがわたくしに言えた立場ですかっ!?」
「ジブンは屋敷の内情に詳しくはありませんが、こんな所でいたずらに時間を消費するよりも、一秒でも長く奥様のそばに寄り添って差し上げた方が、あなたにとっても奥様にとってもよろしいかと」
「―― っ!! ……言われなくともっ、分かっていますっ……!!」
ワナワナと拳を震わせたまま、カジィーリアは大股で部屋の中へと向かっていった……。
思わぬ助け舟のお陰で怪我を回避できたユタル家令は、『フウッ……』と安心したようにひと息ついてから、グリスダインに礼を言った。
「すまないな、新参者の君に気を使わせ――」
「無駄口を叩く暇はないはずですが」
グリスダインはユタル家令を冷たく見下ろして吐き捨てると、踵を返して寝室へと戻っていった。
ポツンと立ち尽くしていたユタル家令は、廊下の奥から反響する使用人達の狼狽した声にハッと意識を取り戻すと、セルヴェンに宛てる手紙を用意しに、駆け足で下階に向かった。