16.グリスダインの隠し事 ― 2
「ジブン、孤児の出でして……物心つく頃にはすでに“上官”の背を追って走り込みを行っておりました。上官は身寄りのない子供を拾っては、国に忠誠を誓う戦士へと育て上げる退役軍人でした。孤児院ではたくさんの子供と補佐の先生方が暮らしていて、皆上官の命令には絶対服従しておりました。院の人間にとって上官は神の如き御人でありましたが、上官の上にはそのまた偉いご身分の方々がおりまして……開戦前、一度だけそのお偉方が激励のために院を訪れたことがありました。ジブン達が崇拝しておりました屈強な肉体と精神を持つ上官が、でっぷりと肥えた年寄り連中にヘコヘコと頭を下げて涙を流している姿を見て……ジブンはとても悲しくなりました」
……グリスダインは遠い故郷の地に思いを馳せた。
そこはかとなく感じられる哀愁に、カジィーリアは“まずいな”と冷や汗をかいた。
イリファスカはその手の哀れみを誘う話に弱い。
主人のためにと呼び寄せた傭兵が、まさかよその国から追われる身だったとは……カジィーリアはどうやって彼をイリファスカから遠ざけようか思い悩んでいた。
酷なことを言うようだが、所詮グリスダインは今日会ったばかりの赤の他人で、自分はイリファスカの安全を第一に考える侍女……自国の戦士ならまだしも、他国の出身者にそこまで同情をくれてやる義理はない。
一人思い詰めた表情でうつむくカジィーリアを差し置いて、グリスダインの話は進む……。
「“首狩り”のあだ名を付けたのは敵方の兵士でした。ちょこまかと暴れ回る少年兵がよほど憎らしく見えたのでしょう。ジブンは戦果を上げたくて必死でしたから、どれだけ危険な任務でも喜んで参加し、やり遂げました。戦場では敵の首を持ち帰れば持ち帰るだけ評価されます。部下の戦果は上官の戦果です。ジブンは上官に首を捧げて、上官にもっともっと偉くなってほしかったんです。偉くなれば、上官はもう情けなく頭を下げる必要がありませんから……でも、カララマスは降伏しました。上官は捕縛され、多くの戦犯を輩出した元凶として打ち首が決まりました。本来であればジブン達も同じ刑に処されるはずでしたが、生き残った仲間達と協力して上手くバラけて逃亡し、各地で上官を解放する日のために機をうかがって潜伏しておりました。そして処刑前夜―― ……ジブン達は監禁塔へと忍び込みました。……上官は……救出を拒みました。あの方は『これからは平和に生きろ』と告げたのを最後に、口をつぐまれました。何度説得を試みても聞く耳を持ってくださらず、見回りの敵兵もやって来てしまい、結局ジブン達はあの方を置いておめおめと引き下がる他ありませんでした。……院の仲間達の反応はそれぞれでした。身分を隠して他国へ逃げた者……上官の仇を討とうと国に残った者……ジブンは前者でしたが、ほとんどの仲間は後者でした。ジブンは仲間から『恩知らずの裏切り者』扱いされましたが、ジブンからすれば奴らの方が恩知らずの裏切り者でした。奴らは上官の『平和に生きろ』という最後の指示を無視しているのですから……―― といった感じで、ジブンは北大陸を抜けて、平和に暮らせる地を求めてここリスイーハ王国に辿り着きました。国を十はまたいで来たので、腕には自信があるのですが……どうか雇っていただけませんか? 忠誠心の強さも自負してございます」
……平坦な声で続けられたグリスダインの話も終わりを迎え、カジィーリアはハラハラとした様子で、斜め前の席に座るイリファスカの横顔を見つめた。
深く考え込む真剣な顔付き……長い付き合いだから分かる。彼女が何と返事するのかを。
イリファスカは真っ直ぐな人間が好きだ。夫の代わりに矢面に立ってきた分、悪意の有無に敏感になってしまった。
グリスダインが他国でお尋ね者扱いされているということは勿論大きな問題であるが、それよりもイリファスカが重視するのは、彼がどれだけ“忠義”に重きを置いているかだった。
「……事情は分かったわ。でもいいの? 私兵となると、時に剣を握って人に立ち向かわねばならないこともあるでしょう。それは『平和に』という、あなたの大切な人の令に背く行為ではないの?」
「ジブンにとっての“平和”とは、何も非暴力を表す言葉ではありません。リスイーハは魔物が多く出没する国だと聞いています。では、魔物から民を守ろうと戦っている王国の兵士達は、“平和”を乱していますか?」
イリファスカが押し黙ると、グリスダインは物悲しげに呟いた。
「ジブンは命令が欲しいのです……『平和に生きる』というのは、いつかこうなればいいなと漠然と思い描く夢みたいなものです。そしてそれは、長きにわたって充実した日々を送ることにより得られるものだと考えております。今のジブンはそれこそ“生ける屍”です……主人に評価されてこそ人生の歓びだというのに、慢性的に欠けている……」
「では戦力を募集している人であれば、あなたは誰にでも仕えるということ?」
「まさかっ!! 心からお仕えしたいと思ったあなただからこそ、過去を告白したのです! あなたをひと目見た時に全身に衝撃が走りましたっ……あなたは亡き上官と同じ輝きを放っています!! これは天啓ですっ!! ずっと各地でジブンの上に立ってくださる方を探しておりましたがっ、やっと見つけました!! あなただったのです!! あなたに拾い上げられなければっ、ジブンは一生の後悔にさいなまれながら死に果てるでしょうっ……!! お願いですっ、ジブンを見捨てないでくださいっ!! ぜひともこの身をあなたに捧げさせてくださいっ……!!」
グリスダインはその場にひざまずいて、大仰にイリファスカを見上げた。
大きな体を縮こませ、捨てられた犬のように哀れみを乞うてくる男に、イリファスカは困惑気味に尋ねた。
「どうして……会ったばかりの私をそこまで信用できるの……? 私は侯爵夫人よ……国に仕える公人なの……雇用後に自己保身のために執政に連絡して、あなたを売り渡してしまうかも分からないのに……」
「それがあなたの地位を向上させる選択ならば、喜んで犠牲になりましょう。付き合いの長さなど、さして重要なことではないのです。幽閉されるとしても、檻に入れられる前にあなた様から『生きろ』と一言いただければ、ジブンは泥水や虫を馳走としてむさぼり、石床を羽毛の寝具に見立てて監獄生活を楽しめるでしょう。何よりもつらいのは、今の従属関係のない状態です……とにかく本気なのです……ジブンは……」
ミフェルナもそうだったが……何故この者達は会って間もない名ばかりの侯爵夫人を高く買っているのだろうか?
グリスダインが上官と呼ばれる人物と同じ“輝き”を己に見いだしているのは、きっとこの肩書きのせいだ。
彼は立場に惹かれているだけ……そう、うぬぼれないように自分に言い聞かせてみるが、誰かから熱烈に求められた経験のなかったイリファスカは、懇願するグリスダインを突き放すことができなかった――。
イリファスカはフッと笑みをこぼして言った。
「狂信的なところはちょっと怖いけれど……いいわ。あなたを雇いましょう。指にインクを付けて、契約書に拇印してね。こういうのは一応作っておかないと後々揉めるから……」
「お嬢様っ……!!」
「あぁっ、ありがとうございます!! やっと新たな主人を得られるのですねっ!? 今日はなんと佳き日でありましょうっ!!」
グリスダインは満面の笑みで作業机に歩み寄り、文章の最後に指紋の跡を付けると、契約書を手に取って確認するイリファスカに向かって、恍惚の熱い眼差しを送った――。
「この御恩は一生忘れません……どうか末永くおそばに置いてください」
……まるで愛の告白のような小恥ずかしい台詞に、イリファスカは何となくそっぽを向いた。
「逃亡先での暮らしが安定してきたら、契約はおしまいにするつもりなのだけれど……」
「いえ、末永くッ!!!! お仕えいたしますッ!!!! ジブンの生き甲斐のためにもッ!!!!」
「わ、分かったわっ……そこはおいおい考えるとして……あなた演技じゃなくても、声が大きいのね……?」
目を見開いて苦笑いするイリファスカにグリスダインは“ハッ!”として、緩んだ表情を引き締めて背筋を伸ばした。
「……失礼いたしました。お仕えできることが嬉しすぎて、つい……というか、先程までのジブンの派手な振る舞いが演技だと気付いておられたのですね? 流石奥様は観察眼が鋭い……」
「気付いたって言っても、あなたが過去を話し始めたくらいからだけどね。二面性が強すぎるもの……誰だって気付くわ」
「そうですか……奥様はスラータルさんやカジィーリアさんのようなにぎやかな方々を好んでおられるようなので、せめて最初は明るい人間として見られた方がよいかと思いまして……幾分、張り切りすぎてしまったようですね。引き際を見失っていたところに、カジィーリアさんが折よく流れを変えてくださってよかったです」
「ふっ……! “少し”、ね……ふっ、ふふっ……!」
暗にスラータルやカジィーリアのことを『うるさい人間』と言い表しているような気もしなくはないが……首を傾げてばつが悪そうに語るグリスダインに、イリファスカは裏口で見せていた朗らかな笑みをもう一度咲かせていた。
しかし一人……未だ納得のいっていないカジィーリアは、警戒心をむき出しにしてグリスダインに注意を呼び掛けた。
「……指名手配のことは決して他言してはいけませんよ。屋敷の誰にも漏らしてはなりません……」
「ははっ。信用ならない人間にこんな大事なことを教えるほど間抜けではありませんよ。これから長い付き合いとなる、あなた方だからこそお伝えしたのです。……とはいえ、先程のカジィーリアさんの叫び声で、小耳に挟んだ者はいるかもしれません。何か尋ねられた際は、適当に濁しておいてください。ジブンもとぼけておきますから」
「そっ、それはあなたが突拍子もないことを言い出したから―― !? ……いえ、言い訳はよしましょう……ハァァァァ~~……! わたくしとしたことが、何から何までお嬢様の足を引っ張っているなんて……!」
悔しそうにうなだれるカジィーリアに向かって、イリファスカは困ったように声を掛けた。
「カズ……さっきまであなたと一緒になって彼を疑っていた私が言うのもなんだけど、あまり重く考えなくてもいいんじゃない? 連合国はとても遠い場所に位置しているのよ? 世界中からたった一人を探し出すなんて……私が国を指揮する立場なら、労力に見合わない成果のために人員を割こうとは思わないわ。それに言語の違う国を十個も越えてリスイーハに辿り着くなんて、すごいことよ? 彼は運と実力を兼ね備えている……きっと私達を助けてくれるわ。だから安心して……ね?」
「そうですカジィーリアさん。カララマスの追っ手よりも、ここリスイーハに巣食う脅威の方が問題です。……―― ですがっ! ジブンがいるからには安心してください! 道中ならず者に襲われようが魔物の群れに襲われようが、奥様とあなたに傷一つ負わせることはないと約束いたしましょう! むしろ向かい来る命知らず共の首を刈り取って、天高らかに掲げてやりますとも!」
「ヒェッ―― !? あっ……あなたがこそが不安の種なのですがっ!? シャレにならないので、例え話に“首”を持ってくるのはやめてくださいましっ……!!」
せっかくの主人の擁護を台無しにするグリスダインの物騒な宣言に、カジィーリアは若干恐ろしさに震えながらも怒気を飛ばし、イリファスカは早速軽快なやり取りを始める二人を苦笑いを浮かべて見守っていた。




