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15.グリスダインの隠し事 ― 1

 上手くやっていけそうだと判断されたグリスダインは、正式に私兵として召し抱えられることとなった。


 仲介役のスラータルはしつこいくらいにイリファスカの体を気遣う言葉を掛けてから、街へと引き返していった。

 グリスダインは屋敷に残り、並んで歩くイリファスカとカジィーリアの後に続いて執務室に向かった。


 真っ昼間の屋敷内では至る所で作業中の使用人がいて、またグリスダインが大声を出して注目を集めないか心配する女性二名であったが……彼は(こと)のほか大人しくしており、イリファスカの背中を凝視して歩くと、時折すれ違う使用人達をいないもののように扱って、無視して通り過ぎた。



 執務室に着くと、グリスダインは室内をぐるりと見渡してから、作業椅子に腰掛けるイリファスカをまた真っ直ぐに見つめた。


 ペンを取り、慣れた手付きでサラサラと紙に文字を書きつづる姿は、まさに侯爵夫人といった風格を纏っていた。


「グリスダイン、字は読める?」

「ハイッ!!!! 上官が『学のない者は戦地に立つ名誉(めいよ)を得られない』と軍団に所属する全員にご教示くださったのでッ!!!! いけますッ!!!!」

「どこに()()()と言うのですか? まったく……」

「ゔふっ―― !!……そう……素晴らしいわ……っ」


 契約書を作成していたイリファスカは、カジィーリアの合いの手に肩を揺らしながら字を書き進めた。


 ……カジィーリアは茶々を入れたが、元より出自が恵まれない者や、その日暮らしの生活を送っている傭兵などの下層階級者の中には、識字(しきじ)がままならない者が多くいた。

 その辺りの事情を考慮(こうりょ)すると、グリスダインはかなり独特な環境に身を置いていたようだ。


 軍団員全員に読み書きを教えたとされる、“上官”と呼ばれる人物……グリスダインは傭兵というよりも、指導を受けて育てられた“軍人”のように感じられる。

 彼が口にする“上官”の存在が、イリファスカの中で軽く引っ掛かっていた。



 カリカリと文章を整えていると、カジィーリアはまたグリスダインに対して、声に関する駄目出(だめだ)しを始めた。


「あなた、どうしてそんなにも声を抑えられないのですか? 前に街で会った時は静かだったというのに……」

「あの時は深夜でしたのでッ!!!! 夜にうるさくしては近所迷惑となりますのでッ、静かにしておりましたッ!!!!」

「それくらいの常識があるのに、どうして応用が利かないのですか……!? じゃあここでは常に深夜の気分で周囲に接しなさいっ!!」

「承知いたしましたッ!!!! …………このくらいで大丈夫でしょうか?」

「ナッ……!? いっ、いきなり変わりすぎですよぉっ!?」

「ふぐくっ……!! カズっ……いま字を書いているんだから笑わせないでっ……!」


 一瞬にして並の音量まで下がったグリスダインの調子に、カジィーリアは衝撃を受けたように大きく目をまばたかせた。


 まさか、こうもあっさりと改まるとは……スラータルがいた頃に食い下がっていたのは一体何だったのかと、途端に阿呆(あほ)らしくなったカジィーリアは、あからさまにげんなりとした様子でぶつくさと文句をこぼした……。


「まぁ……収まったのならいいのですが……しかしちょっとこう、誤算というか……不安になってきましたね。スラータルさんを疑うわけではありませんが、あなた本当に腕が立つのでしょうね……?」

「その点はご安心ください。ジブンこれでも小さな頃から数多(あまた)の戦場を駆け抜け、敵将の首を斬り落としてきた“首狩り”の異名を持つ身ですから! 地元では()()()()()()()()()()()()こちらの国に渡ってきたのですが、まさかこんなにも大きなお屋敷で雇っていただけるとは! 感無量です!」

「し……“指名手配”―― っ!?」


 カジィーリアが声を裏返らせて言ったと同時に、ペン先に力を込めすぎたイリファスカは、金属の先端部分を“ゴリッ”と押し潰してしまった――。



 絶句する二人の視線が、にこやかな男の顔に集められる……カジィーリアは何か言わねばと思い、恐る恐る真偽を問いただした。


「指名手配ってことはっ……あ、あなた犯罪者なのですかっ!?」

「額面通りに受け取りますと、そうなりますね。ですが……それは故郷が敵国に乗っ取られてしまったせいです。奴らは自国の将を(ほうむ)ったジブン達相手方の兵士を許すまいと、己の蛮行を棚に上げて参戦者に賞金を()けたのです」


 何てことない日常会話を披露するかのように淡々と話すグリスダインのせいで、部屋の空気は一気に冷え切った。


 カジィーリアは数歩駆けてイリファスカが座る作業机と、その正面に立つグリスダインの間に体を割り込ませると、震える両腕を左右に大きく広げ、主人を守るべく己を(ふる)い立たせて叫んだ。


「そっ、それ以上奥様に近寄らないでっ!!!! そんな話を聞かされてはっ、もうあなたを信用することはできませんっ!! 雇い入れは“なし”にしますっ!!!! 即刻屋敷から立ち去りなさいっ!!!!」

「失礼……怖がらせるつもりはなかったのです。ただ素性を隠して、仕えた後に“実はこういう者でした”と伝える方が誠意に欠けていると判断いたしましたので、最初にご説明させていただきました。ここで暮らす方々を(おど)そうだとか、傷付けようなどという意思は全くないことをご理解いただきたく……」

「理解できるはずないでしょうっ!!?? 口では何とでも言えますっ!!!! 早く出ていって!!!!」


 自分が呼び寄せてしまった(わざわ)いの種を追い払おうと、カジィーリアは涙ぐみながら訴えた。

 ここで部屋の外にいる使用人が怪しんで駆け付けてくれればよかったのだが、裏口で『騒ぎ立てないでほしい』と願い求めたのが裏目に出た。

 誰かが屋内の使用人にも広めたようで、閉め切られた執務室の扉を開ける者は現れなかった……。



 グリスダインの雪原を彷彿(ほうふつ)とさせる(こご)える冬の瞳は、こんな時でも近場に立つカジィーリアではなく、奥に座るイリファスカを射抜いていた。


 イリファスカは平静さを失う侍女とは対照的に、取り乱すことなくグリスダインをしっかりと見据えて言った。


「私があなたのことを国に報告して、幽閉するかもしれないとは思わなかったの?」


 犯罪者……それも人殺しを自称する男に挑発的な台詞を投げ掛ける主人に、カジィーリアは『奥様やめてっ……!』と切願するような悲鳴を上げた。


 グリスダインはイリファスカの問い掛けに何の反応も示すことなく、彼女の口から次の言葉が放たれるのをじっと待っているようだった。

 口角は上がっているものの、感情の読めない彼の表情にイリファスカは内心焦りつつ、(つと)めて気丈に振る舞った。


「小さな頃から戦場にいたと言っていたわね? 見たところあなたは二十代ほど……ここ十数年の間に大きな武力衝突があった国と言えば、北大陸にある“カララマス公国”と“ストバック連合国”。敗戦国の将と言うなら、あなたはカララマス側の人間でしょうね。北大陸は今のところ、我がリスイーハ王国とは関わりの薄い地域だけれど……今後連合国との付き合いが始まるとなれば、指名手配犯の引き渡しは良い交渉材料になるわ。国は来たる時まであなたを生かしておこうとするはず。劣悪な牢獄(ろうごく)に閉じ込められ、死ぬことも許されずにその日その日をただ過ごす(しかばね)……そうなる可能性を考えなかったの?」

「……なかなか肝の据わったお方ですね」


 グリスダインは満足げに微笑んだ。

 それはイリファスカの読みの深さを称賛(しょうさん)するような……どこか安堵したような、気の抜けた柔らかさを含んでいた。


「屋敷を去る前に、一度だけ己を売り込んでみてもいいですか? 安い身の上話にはなりますが、それを聞いた後に雇用について決めていただければと思います」

「……いいでしょう。でも私が気に入らなかったら、変な気を起こす前に領地を出ていってね。犯罪者を囲ったと難癖をつけられたくないから」

「奥様っ、何を……!?」

「ええ……温情に感謝いたします」


 イリファスカは驚愕(きょうがく)の面持ちで振り返るカジィーリアを自分の後ろに下がらせ、グリスダインの“売り込み”に耳を傾けた……。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  まあ単なる傭兵じゃないだろうな、とは思ってたので元軍人というのは納得。  声量の使い分けが出来てた時点で‥‥‥。  軍人に必要なのは馬鹿ではない思考力と臨機応変の要領の良さ。 [気になる…
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