第18話 何か凄いもんが俺の中に宿ってるらしい(語彙力)
玄関のチャイムがピンポーンと鳴った。
昔ながらのその音にはどこか郷愁さえ感じられる。
俺はもぞもぞとソファの上で上半身を起こすと時計を確認する。
時刻は午前10時を回ったところであった。
今日は休日だが、休出はしない。
そのため、少し遅くまで寝ていたのである。
そうなんだよ。普通、休日は休む日なんだよなぁ……。
……って思わず遠い目になってしまったわ。
ルージュはどうやら既に起きていたようで、玄関に向かって歩いて行くのが見える。鍵を開けてドアが開かれる音が聞えてくる。ついでにルージュの話し声も。
「なッ、来たわね、この天使!」
「その呼び方なんとかならないの? 魔神のルージュさん?」
「え? 天使に天使と言って何が悪いの?」
「あなたは人間を呼ぶ時、人間って言うのかしら?」
「え……? 言うけど?」
セピアの声はそこで途切れた。どうやら絶句したようだ。
「ま、まぁ、とにかく、私は先輩に用事があるから呼んできてもらえる?」
「嫌よ。うちのお兄ちゃんはアンタになんか用はないから」
「じゃあ、お邪魔しますね」
「なッ!? 聞いてたの? ここを通りたくば、あたしを倒していくことねッ!」
その声を合図に、玄関の方で霊的エネルギーが増したのが分かる。
神人になってから分かるようになったのだ。
ってそんなことはいい。人んちの玄関で何する気だよ。
「はい。ヤメヤメ。朝っぱらから喧嘩は止めてね~」
俺がドタドタと玄関にやってくると、執行官形態になったセピアと漆黒の翼を生やしたルージュがいがみ合っている姿が見て取れた。
険悪な表情の2人だったが、俺の姿を確認したセピアが相好を崩す。
「先輩、おはようございます。今日は天使のヴィオレさんに会いに行きますよ」
「何しに行くんだ?」
そのヴィオレさんとやらもまさかヤンキーみたいな感じじゃないよな。
俺の脳裏には金髪黒ジャージのセピアの上司の姿が蘇っていた。
確か、バーミリオンと言ったか。
「神器について調べてもらうつもりです」
「ちょいちょいちょい! あたしを無視して進めないでもらえる?」
「何を言っているのかしら? そもそもあなたには関係ないことじゃない」
相変わらず、2人の掛け合いは続いていた。
実は仲良しさんだろ。お前ら。
が、俺の思考は既に神器のことに移っていた。
それにしても神器か。
神器を取り出せる天使が来たってことか?
思ったより早いな。
それに神器と言えば、確か神格が高いかもってルージュが言ってたな。
ん? ってか、どうやって使うんだろうな?
「ここはお兄ちゃんの家、つまり従妹である、あたしの家と言っても過言ではないわ」
「まだあったのか、その設定……」
俺が疲れた声を出しながら、ジト目でルージュを見る。
「な、なによ、設定って? 従妹は公式設定なのよ」
設定って言ってんじゃねぇか。
尚も言い訳を続けるルージュのことは……ま、スルーだな。
「とにかく先輩、準備してください」
「ああ、わかった」
俺はそう言うと、奥に引っ込んでクローゼットを漁り始めた。
会社以外の場所に行く機会などないので、普段着はあまり持っていないのである。
俺は適当に見つくろうと、ズボンを変えてジャケットを羽織った。
朝食を食べていないが、まぁいいだろう。
長くなるようならコンビニででも買えばいい。
俺は冷蔵庫からお茶を出して飲んだ後、顔を洗って鏡を確認する。
髭が少し伸びているが休みの日だしいいだろう。
そう考えて玄関に行くと、セピアとルージュがまだ何やら言い争っていた。
「まだやってんのか」
「先輩、この子早く追い出した方がいいですよ?」
「そうだな。検討してみるわ」
「なッ!? お兄ちゃんひどい!」
批難の声を上げるルージュをまたまた華麗にスルーしてスニーカーを履くと、俺は外へと足を踏み出した。
「んじゃ、ルージュ。行ってくる」
「はいはい。行ってらっしゃい」
ルージュはどこか投げやりな感じで俺を送り出す。
そんなやり取りを見て、セピアはぷくっと頬を膨らませている。
セピア、マジ天使。ってガチで天使だったわ。
「どこに行くんだ?」
「駅の近くのカフェで待ち合わせです」
カフェに入ると、セピアがキョロキョロと辺りを見渡す。
本当に大丈夫なんだろうか?
俺はまたしてもあのヤンキー上司の姿を幻視していた。
以前に会ったセピアの上司は金髪ピアスの黒ジャージ姿だったのでインパクトがあったが、今回の天使はどんなヤツなんだろうか。
まぁ、まさか天使が皆、あんなのじゃないだろ。
セピアが歩き出したので俺も後についていく。
辿り着いた先の席に座っていたのは、ゆるふわの茶髪を右手でいじりながらコーヒーを飲んでいる女性であった。さすがにジャージ姿などではなく、ロングスカートに淡い桜色のカーディガンを羽織っている。
俺はちょっぴり安心した。
「ヴィオレさん、こんにちは」
セピアの言葉にようやくこちらに気づいたようで、視線を向けてくる。
「お、来たね。こんにちは、セピアちゃん。そちらの方が例の?」
「そうです。神器を見て頂きたいんです」
「どうも、初めまして。阿久と申します」
「はい。こちらこそ初めまして。私はヴィオレです。よろしくね」
どうしても慇懃過ぎる態度になってしまうな。
まぁ、これが社会人の生き方ってもんだろ。
思わず名刺出しそうになったわ。
取り敢えず簡単な挨拶を交わすと、俺とセピアはドリンクを注文しにカウンターに戻った。しばらくメニュー表と睨めっこしていたセピアだったが、意を決したように店員さんに注文を告げた。
今日は、カフェラテを頼むようだ。
いつもはメロンソーダなのに飲めんのか?
ドリンクを持ってヴィオレさんの席に戻ると、俺は彼女の正面に、セピアは俺の隣に腰かけた。
彼女はコホンと咳払いを一つすると、「では早速……」と言って結界を展開する。空間がセピア色に染まり、カフェにいる人達の気配が薄くなった。
こんな時にも使えるんだな。結界。
「確かに神器があるね。取り出してみるよ」
彼女はそう言って、俺の心臓辺りに手をやると、まるで心臓を掴みだそうとするかのような動作をする。彼女の右手と俺の胸の間では強烈な静電気を可視化したような現象が起こっている。放電している感じでバチバチとやかましい。
彼女の手が魔法陣のようなものを描き出す。
するとぽっかりと俺の胸に穴が開いた。
ヴィオレさんが、慎重に俺の胸の中に手を差し入れていく。
いよいよ心臓に手が触れるかといったところで彼女の手が何かに弾かれた。
バチッと言う一際大きい静電気のような音がしたかと思うと、彼女は慌てて手を引っ込める。
「かなり強い封印シールドが展開されてるね」
難しい顔をしたかと思うと、やおら天使の翼を顕現し人間モードから天使モードへと移行する。
《神眼万視》
ヴィオレさんは、何か必殺技のような言葉をつぶやくと、彼女の目がオーラのようなものに覆われる。
自分で言っておいてなんだが、なんだよ必殺技って。
彼女はしばらく俺の胸辺りを凝視していたが、うーんと唸り声を上げると、ため息をついた。
「……これ取り出せないわ。神器が魂と癒着しちゃってるみたいね」
「ええッそんなことがあるんですか?」
セピアが素っ頓狂な声を上げた。
俺には訳が解ろうはずもないのでじっと成り行きを見守るだけだ。
「うん。たまにあるらしいんだけどね。私も初めて見たよ」
「取り出せないなら回収は不可能と言うことですよね?」
「だね。死んで魂が天界の門を通らない限り、神器は行方知れずになっちゃうから」
「それってその天界の門?を通らない可能性もあるってことですよね? その場合はどうなるんですか?」
俺はふと思いついたことを尋ねてみた。
「へぇ……鋭いね。人には宿命があってね。どんな事故にしろ、病気にしろ、普通に寿命で死ねば、その魂は天界の門を通るんだけど、地獄の亡者共――魔神や悪魔、魔人に殺されると地獄の門を通るし、鬼共に喰われれば、ヤツらの力に取り込まれて虚界を彷徨うことになるんだ」
ヴィオレさんはそこで言葉を区切ると、脇に避けていたコーヒーを手元に引き寄せて口をつけた。そして一息入れると、先を続けた。
「あ、そうは言ってもそれは魂の話であって、神器は天界の門を通らないと散逸してしまうってことね」
「ってことは先輩とは長い付き合いになりそうですね」
セピアは俺の方を見てフフッと笑う。
心なしかセピアが何だか嬉しそうに見える。
俺はと言うと、何故かその笑みを見て心臓の鼓動が跳ね上がっていた。
何なんだろうな一体。
「ああ、死ぬまで一緒ってヤツな」
「残念でしたね。先輩」
「そうだな。残念だ」
そう言って、俺もニヤリと笑った。
「ちなみに私の神器ってなんて名前なんですか?」
「まぁ、気になるよね。《不惜身命》って名前だよ」
「どんな性能か分かるんですか?」
「分かるよ。君の神器は自分の黒子力や魂そのものなんかを代償に敵を殺すものだよ」
魂を代償にしたら自分死ぬやん。
ん? でも黒子力ならいいのか。
俺の黒子力は凄いって言ってたしな。
そんなことを考えながら俺が首をひねっていると、ヴィオレは俺が説明を理解していないとでも思ったのが言葉を続けた。
「この神器があれば神さえ滅ぼせるだろうね」
「!?」
ヴィオレさんの言葉にセピアが絶句する。
えぇ……ちょっと待ってくれんか?
これって結構ヤバいもんなんじゃないんか!?
「なんか嫌な予感が……」
「そうだね。色々と巻き込まれそうだよね~」
ヴィオレさんは、こともなげに、そしてまるで他人事のような口調でそう言った。
まぁ、実際他人事だけどさ。
「ともかく、君の神器が判明した以上、それを報告する義務が私にはあるわ」
「天界は大騒ぎになりますね」
セピアが隣でうんうんと頷いている。
大騒ぎねぇ。
今以上に警戒体制が厳しくなんのか?
「何しろ、散逸していた重要な神器のうちの1つが見つかった訳だしね。これで阿久くんは天界のVIPね」
俺はVIPと言う言葉に嫌そうな顔をする。
「そんな露骨に嫌そうな顔をしないでもいいじゃない?」
「あー私の扱いが変わったりするんでしょうか? 命を狙われたり……」
「命を狙われるというより、魔神陣営からお誘いが増えるかも知れないわね」
「……? 勧誘ですか?」
「ええ。神器が取り出せない以上、それだけを入手することはできない。殺してしまえば散逸してしまう。しかも黒の心臓持ちで黒子力が高いとくれば、味方に引き込みたいと考える魔神がでてきてもおかしくないでしょう」
「なるほど」
俺の脳裏に浮かぶのは、もちろん、ルージュの顔である。
ルージュは俺の神器の力は把握しているのだろうか?
いや、把握していたらもっと騒いでいるだろうし知らないんだろう。
恐らく知っているのは神器が俺の魂に宿っていると言う事実のみだろう。
まぁ俺が漏らしたんだけどな。
「どうしたんですか、先輩」
ルージュのことを考えていた俺は、セピアに胸中を見透かされたような気がしてドキッとする。
「いや、また面倒なことになりそうだと思ってさ」
「確かにそうですね。あの魔神に知れたらどうなることやら……」
「あの魔神?」
ヴィオレさんがセピアの言葉を聞いて疑問に思ったようだ。
彼女の頭は?で埋め尽くされていることだろう。
「今、先輩……この阿久さんの家に魔神が居座っているんですよ」
「なにそれウケる。もう魔神に籠絡されてるんじゃーん」
「されてないです」
間髪入れずに否定する俺。
「もう戦いになったの?」
ヴィオレさんはセピアに質問する。
「いえ、先輩の従妹だそうなので……それに先輩に止められますし」
セピアは俺の方にチラリと目線をやりながら言った。
「魔神が人間の身内なの?」
ヴィオレさんはおかしそうに吹き出した。
「あ、何やらそう言う設定らしいです」
「設定って……ぷぷぷ……」
この人、いや、この天使もいいキャラしてんな。
天使も魔神もまともなヤツはおらんのか?
俺がセピアと話すヴィオレさんを少し呆れた目で眺めていると、不意にスマホの着信音が響いた。
俺は思わず自分のスマホを確認する。
ふぅ……違ったぜ。会社からだと思っちゃったぜ。
休日に休んだのが久しぶりなもんで焦っちゃったぜ。
スマホをポケットから取り出したのは、ヴィオレさんであった。
ああ、天使も魔神もスマホを使う時代か……。
席を外していたヴィオレさんが通話を終えて戻ってくる。
「熾天使のお偉いさんがいらっしゃるみたい」
熾天使?
それって天使の一番上の階級じゃないんか?
「どうやら君に会いたいみたいよ?」
え? 俺なん?