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名切り同盟  作者: 秋長 豊
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逃避

 なんでもできる、兄の背中を見るのが好きだった。守られるのが心地よくて、時々振り返っては兄らしい笑みを浮かべてくれた。

 

”立ち向かっても、救われる保証がないのが人生ってもんだ。でも、決して”心なし”にだけはなるな。正しい道から目をそらすな。人を人とも思わなくなったら、それこそ”人でなし”になってしまう”

 昔、信はそんなふうに教えてくれた。


 でも、どんなにつらいことがあっても、信は決して耐えろとは言わなかった。そのくせ、自分はいつも無茶して手に負えなくなる。


 有之助は叫び、歯をくいしばり、母を抱えて走り出した。駄目だ、ここで立ち止まったら、殺される。


 信之助が守ってくれたのに。


 ここで死ぬのか?


 有之助はばかになって走った。母の心臓の鼓動が聞こえる。母を任された。だから、逃げなくてはならない。


 客待ちの馬車を見つけた。協会から血まみれで母を抱えて出てきた有之助を見た御者は腰を抜かした。


 有之助はぼうぜんとする御者にあり金全てを放り投げた。馬車から馬を切り離すと母を自分の体にくくりつけまたがった。いななきとともに走り出す。体の痛みも、心の痛みも、すべてがとりとめのない涙となり頰を伝った。


 逃げろ。


 逃げ続けるんだ。

 今は、生きることだけを考えろ!


 馬を走らせて、どれほどの時間がたっただろうか。頭上には雲の隙間から月が顔をのぞかせていた。


 気が遠くなるほど真っすぐの道を進んだ先に、街灯がポツポツ現れた。石橋を渡った所に隣町の明かりが見える。こんな時間だというのに町の裏路地には自分とたいして変わらない子どもたちがボロボロの服を着てたむろしている。治安がいいようには見えなかったが、大通りにはたくさんの店が並んでにぎわっていた。


 有之助は目立たない場所に馬をおくと、母を抱えて夜の街にとけ込んだ。母を路地の壁に寄り掛からせ自分も座った。2人とも信之助の血に染まり真っ赤になっていた。


 寒空から降りだした雪が赤く染まった着物に積もっていく。早く金の盾を探さなければいけないのに、体が鉛のように重たかった。有之助は熱にうかされたように母に寄り掛かった。きっと悲しい顔をしているのだろうと思い、母の顔は見れなかった。


 耐え難い現実、そしてどっしりと横たわる絶望。大切な人を置き去りにしてきたという後悔が呪いのようにまとわりつく。今は生身の傷より心の傷の方が深かった。例え心臓が張り裂け、100等分に切り刻まれたとしても、その比較にはならないだろう。肉体的な痛みと精神的な痛みは別物なのだ。


「僕たち――生きてるよ、母さん」


 有之助は母にそう呼び掛けた。当然返事はなかった。


 そばに落ちていたごみの中からしみついた布を引っ張り出し、寒さをしのごうと母と自分の肩に回しかけた。


「もう、協会には戻らない。あんなことが起こってしまった以上、僕らも命を狙われる。でも大丈夫だよ、母さん。僕らは生きてる。生きていれば、なんだってできるよ。今はとにかく、それだけで十分頑張ってる。それに、頼れる場所も教えてもらえた」


 しばらくこうしていると、外套を羽織った1人の細身な男が来て湯気の立ったコップを差し出してくれた。いい香りがする。


「いいの?」


「体が芯から温まる生姜茶だ。飲むといい」


 有之助はお茶を受け取ると母に飲ませ、次に自分が飲んだ。


「ありがとうございます。本当に」


 緊張がほぐれたのか、今度はどっと眠気が襲った。


 すごく、眠い。あれ? 僕は今なにかしなければならないのに、忘れている。なんだっけ? あぁ、駄目だ……眠気に逆らえない。



 次に目が覚めたのは木目から陽光が差し込む薄暗い場所だった。人々の雑踏、潮のにおい。有之助は徐々に記憶を取り戻していき、そばに母がいないことに気が付いた。口元と両手足がなわで完全に固定されていた。それに、狭いたるのようなところに閉じ込められている。すぐに思い浮かんだのは、意識を失う前に知らない男から渡された生姜茶だった。親切心で恵んでくれたと思い込んでいたが、どうやら中になにか入れられたらしい。


 有之助はたるの中でできる限り物音をたてた。すると、たるのふたが開いて昨日の男がぬっと顔をのぞかせた。


「やっと目が覚めたか。そう怖い目で見るなよ、少し眠ってもらっただけだ。それにしても夜遅く、あんなみすぼらしい格好で歩いてるってことは家なし子だろ、君。俺はこの町でそういった子たちの面倒を見てやってるんだ。ちゃんといい仕事も紹介してやるからさ」


 違う男が3人も現れて有之助をのぞき込んだ。この状態ではかなうわけもなく、有之助はたるのまま男たちに担がれて港らしい倉庫まで運ばれた。もう一度ふたが開いた。さっきの細い男は品定めでもするように有之助を見下ろしてこう言った。


「お前ら、もうすぐ出航だ。ほかの荷に隠して積めよ」


「いくらで売れますかね」


「子どもだから高いだろうよ。なにせ、あの大商人と取引できるんだ。明日はぜいたくざんまいできるさ」


 荷だって? 有之助は自分が荷物同然のように話されていることに焦りが生まれ、どうにかこの状況を抜け出さなければならないと必死になってもがいた。捕まって売り飛ばされれば戻ってくることもできない。ドサッと積み込まれる音とともに視界はまた暗くなった。

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