名にしばられし者たち
「もう40年も前の話になるが、この協会で使用人大解放事件が起こった。虐げられた使用人たちを解放するために、六助という男が先陣切って謀反を起こした。
しかし犠牲は大きかった。大勢の使用人たちが自由を求めて逃亡し、六助以外の仲間は全滅した。協会関係者も大勢死んだ。六助はな、100人斬りの鬼人と呼ばれたほどの剣豪だった。今も協会はそいつを指名手配している。この巨大な石碑は、共同墓地だ」
40年も前に起こった事件とは思えないほど身近に感じる話だ。同時に、なぜこの男は自分にそんな話をするのだろうと思った。
「まだ生きているのかは分からないが、昔そういうことがあった。つまり――協会に逆らえば、皆処刑されるということだ」
「ここにいれば安全だって、兄は言ったんです」
このむごたらしい話を聞いてもなお、有之助は自分に言い聞かせるように言った。
「うそなど言っていない。少年よ」
心の中では、そう、全てうそであってほしいのだと有之助は思っていた。だから、裏切りに似た今の感情は行き場を失った。男のせいでも、あの医者のせいでもない。
「だが、もちろんなんの罪もない使用人は殺されない。なぜ医者は君にそのようなことを言った?」
「母さんが病気になったから」
「そうか」
有之助は男を見上げた。
「早くこの町から逃げた方がいい。母親を救いたければな」
「母さんが殺されるとでも?」
「いずれそうなる」
絶句した。
「母さんは、罪人じゃありません」
有之助は、力を込め、涙をこらえ、やりきれない目で訴えた。目の前の男に言っても、八つ当たりというものだ。
「朝、起きると突然脚が動かせなくなっていたんです。声も出なくなった。体が思うように動かせなくなるのは、自分の意思ではどうしようもないことなんです。殺すなんてもっての他。それに、違う仕事をしたって罪になるとは思いません。そんなのがまかり通るのは――」
男は重い瞼の奥にある、情け深い目で有之助を見ると笑んだ。
「あぁ、分かるよ」
深く、悲しみに満ちた声だった。
「生き方は一つではない。皆、本当は分かっている。でも、法律によって自由が奪われている。あぁ、この国はひどい所だとも」
「僕には分かりません。今の生き方以外で、どう生きていったらいいのか。僕は使用人だから、人に頼って生きる道しかない」
「頼っていいんだよ」
有之助は驚いて男の顔を見た。
「今だって、頼ってくれているじゃないか、君は。偉いぞ。ただし忘れるな。大事なのは正しい人に頼ることだ」
「どうして、親切にしてくれるんです? 見ず知らずの僕に」
また強い風が吹いた。
「君を見ていると助けたくなる。でも、君とは違って、私はここから離れることはできない。協会にしばりつけられている」
「それは僕だって同じです」
「私のことはいいんだよ。それより、君たちをなんとか助けてあげたい。隣町にある名切り同盟を頼るといい」
「名切り同盟?」
「そこなら君と母親を受け入れてくれるかもしれない。協会よりは頼りになる。君の名はなんという」
「使有之助」
「君も、私も、使用人以外では生きられない。そう、この国は、生まれたときから名字によって仕事が決められている。氏が国民の足かせとなり、自由を奪っているのだ。国王が定めた名前による世襲制度を断ち切る。名切り同盟はそういった志を持った者の集まりだ。金の盾という店に行けばいい。とにかく助けてほしいと頼め。断られても絶対に諦めるな。同盟は必ず味方になってくれる」
有之助はわけも分からずうなずいた。助かりたい一心だった。
「そこに商屋次男という青年がいる。有名なやつだから、誰かに聞けばすぐ分かる。彼を信じろ。少年よ、うまくやるのだぞ。信頼できる者以外には手の職業刻印と名前を語るな。同盟にたどりつくまでの辛抱と思え。そして振り返るな」
有之助は歯をくいしばった。
「早ければ、早いほどいい。母親を救いたければな」
有之助は力強い目でうなずいた。
「有之助」男は言った。「名というのは本来素晴らしいものなんだ。生まれたときに授かる。君の名は誰がつけてくれた」
「母さんです」
「そうか、いい名だな。名前には種類がある。姓、名、あともう一つはなんだ?」
「分かりません」
「心名だ」
「こころな?」
「人は生まれたときに精から本当の名を授かる。心名を知ることができた人間は強い力に恵まれる。だから有之助、君もいつか心名を知る日がくるといいな」
「久々に、いい話を聞きました。ありがとう。えぇと、あなたのお名前をお聞きしても?」
「私の名は、使善三郎」
「善三郎さんですね、この恩はいつか必ずお返しします」
「有之助」
「はい?」
「人生は時に思いがけないことが起こる。それを偶然か必然か、受け取る気持ち次第で見方は変わっていく。私もその一人だ」
男は有之助の背中を押した。
「もう行って。ここで会えたのは良かった」
「はい、僕もそう思います。また、お会いしましょう」
有之助はさっそくこのことを知らせようと思い信之助を探した。けれど、いつも母のそばにいるのに夕方になっても現れなかった。いつの間にか夜になって、有之助は母のすぐそばで不安になりながら彼が戻ってくるのを祈るように待った。