生贄に選ばれた子
今度は司が有之助に詰め寄り、まじまじと右手をとって焼き付くような視線をぶつけた。
「針の痕? これはただの傷です」
有之助は一生懸命説明したが、司は興奮のあまり半分以上聞こえていないようだ。
「この右手首に痕がありながら、なぜこれまで生きてこられたのですか? あなたは。これは針の痕といって、精が生贄に選んだ子どもの手首にのみ現れる痕なんです」
「ちょ、ちょっと待ってください。精が生贄に? どういう意味ですか?」
「この精社において言えば、半年に1度、生贄が差し出されています。これがなにを意味するかお分かりですか? 守り主というのは、人の命を食べるのです。もちろん、人間のような食い方はしません。エネルギー源として命をうばう、といった方が分かりやすいですね」
不安になって次男の顔をのぞくと、彼もまた、冷静な目の中に隠しきれない嫌悪感を浮かべていた。守は司から目をそらし、穂海は困惑して眉をひそめている。
「生贄は大抵子ども。小さな棺桶に入れられて本殿に奉納されます。すると一晩立たないうちに、中にいた子どもは消えてしまう。まるで、神隠しにでもあったように、忽然と姿を消すんです。それなのに、あなたは子どもの頃命を奪われることなく、こうして生き延びている。それは、奇跡のようなことなのです。少なくとも、私が知る前例で助かった生贄の子どもはいません。ただの1人も」
ここに来て初めて聞いた生贄という存在。油の本に書かれていた”血には肉を”という言葉が頭の中でグルグル回った。油を手に入れるための交換条件だとばかり思い込んできたものが、実際は想像を絶するほどの生々しいものであったと知り、怖気づかないわけがない。
「これまで、何人も助けようと試みてきました。棺桶からこっそり出したり、生贄を人形に入れ替えたり、ありとあらゆる手を尽くしてきました。でも、結局は子どもが犠牲になったのです」
司の口から放たれる言葉には重みがあった。手を尽くしたとしても、救われることのなかった命たち。どうしようもない無念と、後悔だけが今の彼を追いつめている。
「生贄なんてものは、結局人間の自己都合なんです。実際はなにもしなくても、定期的に子どもはいなくなる。それが掟。変えられないこと。私はなにもできませんでした。ですが、そうやって代々この土地は潤ってきたというのが一つの考え方でもあるのです。精は人を食らうことで、その土地を潤す。それが、古代から続けられてきた人と精のつながりなんです」
「なぜ子どもばかり狙う」
次男は司を真っすぐ見て言った。
「土地によって異なるとは思います。ですが、この地はほとんどが子ども。生贄に選ばれた子どもの右手には、赤いみみずばれのような痕ができます。さっきも言ったように、私たちはそれを、針の痕と呼んでいるのです。一度ついたら二度と死からは逃れることができない”呪いの印”と」
有之助は身震いした。これまで右手の痕なんて気にしないで、当然のように生きてきた。意味なんてあるわけがない。母や信之助だってこの傷に関しては一切言及しなかった。生まれつきある、奇妙な傷跡くらいに考えていた。それなのに……
なぜ生きている?
まるで、死ぬことが宿命だったと言わんばかりではないか。頭を鈍器で思いきり殴りつけられたような衝撃。それに、自分と同じように針の痕があった子どもが、半年に1度姿を消しているという。悪い夢をみているようだ。
「本当に、あなたは不思議な方ですね」
今、自分が、なぜ不思議だと言われなければいけないのか、冷静に考える自分がいた。ただ、人には見えない色が見えた、普通なら助からない生贄に選ばれ、それでも生きていた。普通じゃない? 普通でいたいのに。なぜ、そんなことを言われなくてはならないのだろうか? でも――
あぁ……僕は、変なのか。
そう認める自分もいた。でも、それで心が楽になったわけじゃない。なにもかも、他人に納得ができるような説明ができないことに、多少なりともいら立ちを感じていた。
「あなたがもし、本当に油が見えるのなら、精と接触するチャンスはあるかもしれません」
「でも、神隠しみたいに消えるって……接触するにもどうしたらいいのか」
及び腰になりながら有之助が言葉を吐くと、司は喉を鳴らして小声で話し始めた。
「これはあくまで私の思い付きですが、生贄に選ばれた子のそばにいて、消える瞬間をあなたの目で確認するのはどうでしょうか。お互いの体をひもでつなぎ、物理的には離れられないようつないで。そうすれば、炎ノ獅子と接触することができるかもしれない。あくまで一つの方法ですが」
単純明快な方法ではあったが、誰も他に良策を挙げることはできなかった。
「一番いいかもしれないね」穂海はうなずきながら言った。「人が消えるってことは、消える瞬間が必ずあるってことでしょ? だったら、見えない精と人の間にも接点はあるはず。そこを突けば、うまくいくかもしれないってことだね」
「人が、一瞬で消える。考えただけでも精っていうのは面倒な相手だな。どんな書術を使えばいいんだ」守は考え込んだ。
「それを考えるのがお前の仕事だ」
プレッシャーをかけるような言い方で次男は守に言った。
「司さん、教えてください。次の生贄が差し出されるのはいつなんですか?」
有之助はパッと顔を上げて言った。
「ちょうど半年後です」
「分かりました。その日、僕が生贄に選ばれた子とひもで体をつなぎます」
「私も立ち合いましょう。精社の管理人として」
そう言って司はやっと笑顔を取り戻した。




