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名切り同盟  作者: 秋長 豊
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母のために

 もやもやした時間が過ぎた。次男はまだ名切り同盟に入れてくれると約束してくれたわけじゃないし、屋敷に来いと言った理由も定かではなかった。


 早朝、有之助は店を出て屋敷に向かった。


「使有之助さんですね?」


 聞きなれない声がしたので振り返ると、黒い着物を着た老人がほうきを持って立っていた。初めて見る顔だ。見上げるほどに身長が高く、背筋は常にピンと伸びている。すっかり白くなった髪を一つに束ね、顎ひげをひょろりと長く伸ばし、顔にはほほ笑みが浮かんでいる。


「はい、そうです。次男さんに石庭まで来るよう言われたんですが」


「坊ちゃんはちょうど鍛錬中で、中庭におられます」


「えぇと、坊ちゃんってまさか次男さんのことですか?」


「えぇ、そうですよ。さぁ、ご案内しますからついてきてください」


 老人はニッコリ人よさそうに笑むと長細い縁側を歩き始めた。ここから石庭と池が望める。


「申し遅れました、私は名をゆたかと申します。ここしばらく坊ちゃんの使いで屋敷を離れていたのですが、昨夜戻ってきたんです。私は仕事の事務的補助や屋敷の管理を総合的に任されております」


「この広いお屋敷をたった1人で管理しているんですか?」


「もちろんです」


 豊はニッコリ笑った。


 感心して歩いていると目の前を灰色の猫が横切った。黄色の鈴を首につけた、ふっくら

とした猫だ。今まで屋敷で寝泊まりしていたにもかかわらず、初めて見る猫だった。


「あの猫は葉牡丹と言います。坊ちゃんがお付けになった名前です」


 縁側の角を曲がると、奥の石庭で上半身裸で黒い刀を握る人影が見えた。この真冬に、上着も着ないで外にいるなんて、と思った矢先、彼の手から宙にまきが放り投げられた。


 宙に浮かんだまきは重力によってぐんぐん落ちていく。ぼんやりしているうちに、目も離せない光景が飛び込んできた。次男が刀を斜めに数回振ったのだ。あまりにも速すぎて目で追えなかったが、宙にあったまきは地面に落ちるまえに粉々になって風に舞った。


 彼の足元には山のような木くずが落ちていた。あの量から推察するに、もう何十個も粉々にしたことになるだろう。


「次男さん!」


 そう叫ぶやいなや、次男は刀を鞘に収めて縁側に近寄って腰掛けた。猫の葉牡丹がすぐさますり寄ってきて、次男はポンポンと頭をなでてやった。


 近くで見ると、なんて無駄のない体なのだろうか。鍛え上げられている。次男はそばにあったタオルで汗を拭うと、着物をサッと雑に羽織った。


「名切り同盟に入りたければ自分の首を守れるくらいになれ」


 これまた曖昧な答えである。自分の首を守れるくらいに強くなれば、同盟に入れてもらえるということだろうか。有之助はあまり深読みせずにそう捉えた。


「飾りではないのだろう? お前の刀は」


「はい」有之助は真剣に答えた。


「鍛錬に励め。じいやに勝ったらお前を同盟にいれてやる」


「本当ですか!」


 さっき案内してくれた老人を恐る恐る見返すと屈託のない笑顔を返された。


「どうぞお手柔らかに」豊は言った。


 てっきり相手は次男なのかと思っていただけに、思わず拍子抜けした。


「よろしくお願いします、豊さん」


 この日から屋敷に通い詰める日々が始まった。鍛錬のメニューは次男がリストにまとめてくれたが、見ただけでげっそりするほど強烈な並びだった。


 金の盾で働いた後は、夕方以降から鍛錬を始める。休みの日は朝から晩まで、店の事務所に帰る頃には疲れて爆睡した。次男は仕事で屋敷にいないことの方が多く、ほとんど豊と一対一で鍛錬に取り組んだ。


「さぁ、あともう100回頑張ってみましょう」



 やっと腹筋100回を終えたばかりなのに。有之助は自分の足を押さえて悪魔のようにほほ笑む豊にゾワッと身震いした。


「これ以上は! もう! 無理です!」


 200回目の腹筋を終えるころには腹がピクピクけいれんしていた。


「そういえば有之助さん、あなたは自分の真剣をお持ちでしたね。私に刃を見せていただけませんか?」


「いいですよ」


 有之助は鞘から刀を抜き取った。銀色に鈍く輝く刃が陽光を受けてきらめいた。


「珍しい刃をしていますね」


 芸術品でも鑑賞するように豊はじっくりと有之助の刀を見て言った。あまりにもじーっと見るので有之助は刀を彼に渡した。


「これは軽い。真剣とは思えないほど重みが感じられません。このような刀は初めて見ます」


「そんなに珍しいですか? 普通の真剣だと思っていたんですが」


「刃が若干透けて見えるでしょう? これは鉄ではありません。具体的に何でできているかは分かりませんが、なにか珍しい素材でできています。今度、刀に詳しい方にでも聞いてみたらいいでしょう」


 きつい鍛錬を終えてから病院に行く日もあった。眠る母に近づいて息をしているのか確認するのが癖になっていた。来る日も来る日も、母がちゃんと生きていることを確かめたかった。


 どんなに厳しい鍛錬を積もうが、どんなに強くなろうが、母の目を覚ますことはできなかった。もう一度、あの笑顔を見られるだろうか。


 有之助は母の手を握り、包帯を巻いた頰にそっと近づけた。


「僕は、強くなりたい。守られるだけじゃ駄目なんだ。それだけじゃ、なに一つ守れない」


 仕事、鍛錬、見舞い、そんな日々も日常となったが、有之助にはもう一つやるべきことがあった。母の病気を治すためにできることを見つけようと、医学に関する本に読みふけることだった。


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