第五十六話 身体は丈夫な方かしら
「———よぉ、ギターの女だな?」
聞いたことのない声だった。
それも布を押し当てたようにくぐもった音声。
ボクはホール側を見る。
宇宙服を着た人だ。
まあ音楽に携わる者としては、もう少し派手な出で立ちをしたアーティストを目にしたことはあるけれど。
あるあるである。
それはそれとして、どちら様?
さしあたり、危険性は薄そうだが……。
暴動者とは違うことだけはわかる。
そんな姿で、人に噛みつけるわけがない。
「動かないほうがいいぞ、それとも、動けないか?思うように」
ヘルメットのガラスだけが、その男の表情だった。
大きさが大きさなので、車のフロントガラスを見ているような気分にさせられた。
……いや大げさか、それは。
なんにせよ、日本語が通じる相手らしい。
日本語もほかのどの言語も通じない連中ではない……これがどんなに幸せなことか。
真弓も、警戒しているかと思われたが、ただ無表情に振り返っただけだった。
こんな格好の人間を見ても大したリアクションがないということは、ボクの見ていない間に、ホール内でいろいろとあったのだろう、
つまり真弓と、この……不審者というか。
真弓は進退を封じられた形だ。
ホールから、《《あの状況》》のホールから出てきた男と、外部から入場してきた女と。
女のほうに動きがあった。
手に持っていた銃を、すすっと真上に向ける。
ボクは二度見した。
手で金属を握っている―――ただの金属だけで済んでくれ、と願ったがあの形状は何かを狙う、そして撃ち抜くための装置だ。
弾丸を発射する―――ために、いや……嘘だろう?
「助からない……あなたは助からないはずだった。 けれど運がいいわ」
にやりと言って、銃口を真弓に向ける。
ちょっと待ってくれ。あんまりだ。
何がどう……いいんだ?
玩具か?
だ、だよな?
玩具だよな、それ。
「いや……」
真弓の発言は、差し迫った危険に対する悲鳴とは異なった。
いやいや、意味が解らないのだが、というような。
ボクはボクで状況が読めない。
見知らぬ女性、入口から離れてくれないか。
脱出はまだあきらめていないのだが。
「真弓」
聴き慣れたボーカル。
今ホール内で流れている声と同じだった。
夢呼は無事だった……まあ、そりゃあそうだろうなと思っている自分がいる。
しかしライブハウスの外から入ってきたのは、どういうことだ……?
「避けるな」
絶対に避けるなよ真弓、と。
そう言ったのは、後ろからついてきた夢呼だ。
ボクも真弓も困惑はした。
こんな状況になったライブハウスで、知らない人物に迫られたのは、怖さというか、緊張を感じざるを得ないけれど、身内が言うと話が違う。
あからさまに顔をしかめるYAM7のギタリスト。
また何を言っているんだ、というような……どこまで発言が読めない女なんだ。
銃を、避けるなと?
「避けるな」
「二回も言うなや……いや流石に避けたことないし、こんな銃」
気だるそうに言う真弓。
ちらちらと、やはり銃口が気になるようで釣り目を向けている、そりゃあそうだ。
「お前だったら避けそうなんだよ……やろうとしてるだろ今」
「いやいやいや、そもそもどちら様なんですか? 夢呼のお姉さんで―――とか、そういうこと?」
「その発想はなかったわ……違うけど勿論」
「……」
こいつら……この状況で
謎の女性は咳払いをして、場を引き締めた。
「殺人罪を犯すつもりはないわ。 時間がない―――手っ取り早くいくわよ」
YAM7の事情なんぞは関係ない、と言わんばかりの勢いで、出自不明の女は、撃った。
ぱすん。
真弓の身体が、ぐるんと跳ねた。
床を体勢で、踏みとどまった。
「撃……!」
撃たれた。
信じがたい気持ちで僕はそれを見る。
銃声はしなかったものの、なんてことを!
なんだか間の抜けた音だったが、確かに武器だった。
「いや、いや……」
と、困惑の声を発したのは、驚いたボクでも玉置さんでもない。
たった今銃で撃たれた本人———真弓だった。
「いや……私、これから死ぬトコなんだけど……? それを撃ってな、なにを……!」
死ぬのだから、殺す理由がわからない、という趣旨の説明だった。
ボクは話が見えない。
ていうか撃たれて、それから喋っている……?
痛みに耐えて、というよりはうんざりするような表情が、表情に垂れ落ちた髪の隙間から見える。
なんだこの体調悪そうな声……汗をかいているのか?
どういうことだ、銃を向けられてすぐさま撃たれたこともそうだし……さっぱりわからない。
いや―――まてよ。
今日は人の死を体感したはず。
たくさんの、暴動者―――!
真弓がここに居たまま逃げなかったこと。
彼女の身に起きたこと……ある確信を深めた。
ボクは真弓の身に起こったことを、なんとなくだが理解した。
もっとも、この期に及んで、なんとなく―――という認識だ。
ずっと音響室で立てこもっていたのだから、ボクと玉置さんは。
女は言う。
「発症してもかなり弱まるわ。……そういう薬よ」
巨大なかぶりを小脇に抱えている女は、姿勢を崩した真弓を見下ろして、言った。
「———それと、麻酔薬の混合液ね」
瞼を重そうにしている真弓、唇が震えていた。
「———身体は丈夫な方かしら? 真弓さん。 免疫力次第では助かるわよ」
真弓は何か言いたげにしていたが、そのまま立ち上がることはなく、崩れ落ちた。
動けなくなったはず、運ぶから手伝ってくれ、と夢呼は言った。