第五十五話 入室者
ボクは出口に向かい駆けだす―――そのまま、助かろうとしていた。
ボクだけじゃなく、音響室で共に絶望に耐えた玉置さんが助かるためだ。
人の命を、優先する……迷うわけにはいかない。
せまい通路をここまで走ってきて、まだ危険地帯をうろつく意味はない。
ボクだけならともかくとして、彼女を連れだす。
そのあと、真弓のことを考えられるはずだ。
だが今に関しては。
真弓のことは考えないほうが良いらしい。
彼女が、先に行くようにと目で促してくる。
真弓がここにいる。
何らかの事情で真弓がここにいることは、まあ理解できた。
ふざけるのが上手なタイプでもない。
だから、明確な理由はある……例えば夢呼がまだホール内にいて……だからそれを待っているのが今の真弓……という可能性……愛花も七海も?
そんな風に、仮説を立てていた。
出口直前の通路で何がどうしたのか知らないが、何かあるのだろう。
ステージ側の様子を、ボクは碌に見れていない。
あと、夢呼ならやりかねん、との経験からあたりを付けていたんだよ、ボクはね。
夢呼が何もやっていない、ということはない―――不自然。
ボクは走る速度を緩める―――。
二度とない可能性もあった、外の空気を吸う機会―――最後のドアの取っ手を見つめた時、それは開いた。
ボクは開けることが出来なかった。
予想外の変化。
赤い光を受けた何者かが入ってきた。
大柄な男、か―――?
そう思ったのは一瞬で、それは外装でしかない。
宇宙服を着た何者かの登場に、ボクは面食らい、革靴で地団駄。
つんのめってしまう。
ここから出るにはこの大柄の横を通らないといけない……が。
待て、何をそんな―――今、助かろうとしている時に。
この瞬間じゃなくてもいいじゃないか!
「ちょ……っと!? あんた」
ボクが何とか、荒くなった息を落ち着かせてそう言うと、《《彼女》》はすぐにかぶりを取った―――女性だ。
日本人として、決して珍しくない顔立ちではあったはずだ―――照明がわずかに霞み、明度は最良ではなかったが。
だが知らない。
彼女を知らない。
この仕事に関わってから色んな付き合いが出来たけれど、知らない女性だ。
音楽とも業界とも関係ないというか、別だということが一発でわかった。
この状況、ライブハウス内で起こっていることを知らないのか?と思わせる……、歩幅は大きかった。
確固たる意志を持って入室してきたらしい。
ボクは振り返る。
真弓は今の今まで虚ろな表情でぼーっとしていたが、怪訝そうに見ているだけだ。
何かに気づいた風でもない。
真弓の知り合いでもないらしい。
宇宙服———いや、消防服か?
何らかの公的機関に所属する人間だということはわかる。
この非常事態が起きて、だからこそ、その対処のために乗り込んできたんだ。
でなければ、そんな、迷いのない足取りで入ってこれるわけがない。
この騒ぎはもう、建物の周囲には伝わっているはずだ。
ボクは女の前進が止まる様子がないことに困惑し、後ずさる。
く……、ま、まずい。
この空間に暴動者はいないとはいえ……。
ホール側には戻りたくない。
心理的に……すごく。
「あなたが、『真弓さん』ね」
その女性は本人を見て言う。
やはり知らない声だ。
そしてその爛々と輝く瞳は何なのだ。
今までとはベクトルの違う恐怖を感じたボクだった。
しかし、正体不明の女の次に、入ってきた人物に目を奪われた。
「おおおぉ!? 丸根マネかよ―――なーんだここまで来てたのか」
YAM7の軽薄なボーカルが、宇宙服のすぐ後ろで眼を見開いていた。
無事でよかった、生きていたのか。
とも思ったし、まあそうだろうな、と納得もした。
……ちゃんと説明してくれるんだろうな?