第五十四話 目の前の出口を
階段を恐る恐る降りたボクは、一度後ろを振り返る。
走った距離は数メートルにも満たない……それでも玉置さんは息を切らしていた。
恐怖からだろう。
あの暴動者がいつ出てきてもおかしくないなか、普通に部屋を飛び出してきた。
怖かったこと―――あっただろうか。
小学生の頃、林間学校のようななにか、だったと思うけれど真っ暗な病院に友達と行ったんだ。
おそらく病院のような雰囲気だったけれど。
それが何のための建物なのか、最後までわからなかった。
その壁が真っ白だったことから、医療施設のような雰囲気は確かにあったけれど、小学生らしい思い込みだ。
その時のように、警戒に警戒を重ねている。
玉置さんはすぐ後ろでがちがちと震えていた。
歯ががちがちと小刻みに。
寒そう。
体温が下がりつつあるとでもいいがちな。
部屋には奴らはいない―――それを、息を止めつつ確認して駆ける。
関係者向けの通路よりはひろいはずだ。
複雑ではない。
ライブの開催ポスターがいくつも貼られているため色合いだけはにぎやかだ。
カラオケボックスを通路にしたような雰囲気だった。
窓がない。
むしろ窓があり、外からちゃんとした人たちがのぞき込んでくれればもう少し心強かっただろう
まあ狭いことは狭い。
隙間にねじ込んだように螺旋階段のようなものが設置してある。
ボクが流した音源が鳴っているホールと真弓を見てから、出口に走っていく。
あれが鳴っている間は、ひとまず安心できるはず……!
ドア……開いているかな。
こんな騒ぎだから普通に封鎖されているか、まず暴動者がわらわらいてもおかしくない。
そこが閉まっていたら、これは、どうすればいい―――する―――万事休すだよ
鍵を取りにいかなければいけない。
開ける鍵……どこだ?
何か別室。
ええい、別の事務所のマネージャーがいたな。
もうどこに行ったか分からないけれど、施錠の担当や防犯上の情報をもっと聞いておくべきだった。
後の祭りだけれど。
―――いや、待てよ?
真弓!?
「ま、真弓! こんなところにぃ……い、いたのか!」
ボクと同じくらいの身長のギタリストが一言も発さずに突っ立っている。
彼女は振り返らない、一歩も動かず、俯いていて―――。
髪で顔が見えない。
あれ、何で。
夢呼や……YAM7の面々と、はぐれてしまったのか。
あれ、なんで……四人で、いないの?
今バラバラになっても危険なだけで。
周囲に暴動者はいないけれど、それが次の瞬間に現れてもおかしくない。
それらしき隙間、空間はいくつもあるはずだ。
「何やっているんだ、こんなところ……で」
こんなところにいる、のはおかしくないのか……。
ボクは今までずっとホール内にいたものと思っていたのだが。
ここまで走ってこれたのか。
いや、全然悪くない。
だが出口の目の前で立ちどまり……?
よりにもよって、これは。
何の警戒もしていないような雰囲気のギタリスト。
四人の中では一番、隙のない印象を持っていたんだが。
目の前に出口があるのに、よりにもよってここで立ち尽くすなんて。
脱出できるチャンスを作ったのは僕だぞ!
ちょっと運が良かっただけで、すぐに駄目になるかもしれない状況なんだぞ。
「出口は……出れない」
真弓は、確かに答えた。
「開かないのか?」
「出れないんだ。 開きはする……ドアは開く」
うん……?
どういうことだ。
「丸根マネ……」
真弓は普段、ボクと話すことは少ない。
少なくとも、目を合わせては―――。
まあ、ボーカルがいつでも五月蠅過ぎたというのが、理由ではあるか。
マジで喋りが止まらない。
今はボクの目を見ている、まっすぐと―――。
しかし違和感があった。
何か、目の焦点が合っていない。
黒目が、はっきりとしない―――やや外人の瞳なのか?というような連想はしたが、それとも違う。
あのな、と目を背けつつ―――真弓はいう。
「……まあ、最後になるけれど、ガールズバンドとして大成したいっていうあれ……大賛成だったんだ」
言えなかっただけで。
恥ずかしくて言えなかっただけで。
―――と、ぼそぼそ声が聞こえた。
真弓の声はいつも、決して大きくない―――夢呼と比べれば。
そして夢呼のやり方に不満はあったというような話だった。
……まあ、あの性格だし無理もないか。
アレを正しいと思ってはいけないよ。
「はあ……いや、あの」
だがしかし、ボクは何が何だかわからない。
ま、まあいい……!
「僕はもう行くから、ホラ玉置さん!」
真弓も早く来い。
出て行くっていうか、なんていうか―――。
出口に駆け出したボクは、しかしそのドアを開けるには至らなかった。