建国記念日
数日後、私は自宅でキョウカと会っていた。一度お見舞いに伺いたいという便りは届いていたのだが、見舞いに来たがる令嬢は多い。身分の低い彼女は自然と後回しになっていた。落ち着いてからゆっくり会いたかったというのもある。
「ごきげんよう、シュウメイ様」
応接間ではキョウカが遠慮するだろうと思い、直接部屋へ案内したのだが、逆に恐縮させてしまったらしく、落ち着かない様子で部屋を見回している。
「ごきげんよう、キョウカ様」
「はっ、はい!あの、ひ、人に、襲われたとか……ご無事で何よりです」
口にするだけでも恐ろしいと言わんばかりだ。
「心配してくださってありがとう。ですがもう大丈夫ですので。さ、お掛けになって」
キョウカを促し、向かい合ってソファに座る。テーブルの上にはキョウカから借りた本が3冊置いてある。
「もうお読みになられたのですか?」
「えぇ、怪我でベッドから出られない間退屈で……一気に読んでしまいましたわ」
3冊を読んだ感想としては、これは創作上のものと思われても仕方ないということだった。知らずに読めば鼻で笑い飛ばしていただろう。しかし、突拍子もない内容とはいえあくまで大真面目に語られているし、筋も通っていた。
「それはきちんとお休みになった方がよろしいかと思いますが……それで、その、いかがでしたでしょうか?」
恐る恐るといった風にキョウカが尋ねる。
「はい。現実離れした話だと思いました」
「そう、ですか。では……」
「しかし、難解な内容がきちんと整理して語られております。すべて事実であったとしてもおかしくはないかと」
落胆しかけていたキョウカの顔がパァッと明るくなる。
「そうですわよね!私もそう思うのです!何より古代の時代ともなると紙自体が貴重なものであったはず。ここまで話を作り込み、敢えて記録として残すとは考えにくい……であれば、残すべき記録として事実を記したと考える方が……」
矢継ぎ早に話すキョウカに控えているルエンとキョウカの連れてきた侍女が若干引いているのを視界の端に捉えながら、私はしばし相槌に集中したのだった。
キョウカの話を要約すると、これらを空想の産物と考えるのは無理があるため調べがいがあるものだ、ということだ。
「キョウカのおっしゃることはもっともだと思いますわ。私も他の書物も読んでみたいと思いました」
「良かったですわ。私、本日も書物を持参いたしましたの。より詳しい内容に言及されているものでして……」
「まぁ!ありがとうございます!……それでキョウカ様、以前お約束したことを覚えていらして?」
「は、はい…………私の読みたいものを、というお話ですよね……一応こちらにリストアップして参りましたが……その、あくまでご参考になれば……」
キョウカの侍女がスッと紙を差し出す。ザッと目を通しただけでも、それなりの数があった。すべて集めるとなると大変そうである。その大半は国の管理下にあるものだ。そうでなければ、まず書物の存在を知ることも難しいためだろう。しかし個人所蔵のものもある。所有者は有名な研究者や蒐集家だ。キョウカは随分と頑張って調べたらしい。
「……これは、難しいですわね」
「……はい」
「……ですが、入手できなくはないかもしれません。私も心当たりをあたってみますわ」
「ほ、本当ですか?」
「えぇ、この方やこちらの方などとは面識がございます。頼めば貸していただけるかもしれませんわ」
リストにある数名の名前を示す。キョウカのような下級貴族、しかも滅多に公の場に出てこない彼女では出席できないパーティ、接点を持てない人々とも私は縁を持っている。近いうちに会える機会を貰えるよう父にお願いしてみよう。
「まぁ……!これらは特に読みたかったのです!夢のようですわ!」
「手に入りましたら、ご連絡差し上げますわね」
「はい!楽しみにしております!」
その後は書物の詳しい内容についてキョウカと談笑した。表現の端々から考察するキョウカはとても楽しそうだったが、その内容は頷けるものから飛躍しすぎと思われるものまで様々だ。しかし、発想力には目を見張るものがある。ルエンの顔に疲れが見え始めたあたりで私は一度休憩を提案した。
「ルエン、お茶の用意を」
「かしこまりました」
ただ立って控えているのは退屈だったに違いない。嬉々として部屋を出ていく彼女を見送って、テーブルの上に散乱した書物やメモを片付ける。
「すみませんシュウメイ様、私ばかりお話ししてしまって……」
「いいえ。とても楽しかったわ。そういえば、キョウカは今……18歳だったかしら?」
「はい、シュウメイ様より1つ上でございます」
「ではそろそろ、縁談など来ているのですか?」
貴族の娘は通常20歳までには結婚する。21だった私は例外的に遅い方であったが、それでも婚約は20歳の時だ。しかし、キョウカが側室に入ったのは更に遅い。
「あ……いえ、私は……縁談はすべてお断りしておりまして……」
「あら、どなたか意中の方でも?」
私がそう聞くと、キョウカは頬を赤らめた。
「えぇ。そんなところですわ……もちろん選り好みできる立場でないことはわかっているのです。ただ、他の方と添い遂げる気にはなれませんので…………家を継ごうかと思っておりますの」
そういえばキョウカには男兄弟がいなかった。順当にいけば女当主となるか、婿に継がせるか、養子を取るかだ。珍しくはあるが、女当主であれば晩婚となってもおかしくはないし、外聞は良くないが未婚のまま養子を取るという選択もできる。
「…………そう。色々と考えていらっしゃるのね」
「シュウメイ様はもう決まったお方がおられるのですか?」
「いればキョウカの耳にも入っていますわ」
「そ、そうですよね!すみません私ったら……」
「お茶のご用意ができました」
そこでルエンがワゴンを押して戻ってきて、話はまた古代と魔術のことに戻った。話は思いの外白熱し、日が暮れるまでキョウカは思いの丈を語って帰っていったのだった。
父と話ができる機会ができたのはそれから1週間後のことだった。何かと多忙な父は家を留守にしていることも多い。こればかりは運である。たった1週間のうちに季節はすっかり冬になった。今日も外ではしんしんと雪が降っている。あれからシャオンとは会っていないし街にも出ていない。実際に死にかけたのだ、まるで気にせず一人で街へ繰り出すのはさすがに奇妙に思われる。
「シュウメイでございます。今、よろしいでしょうか?」
父の部屋の扉をノックするとしばしの間の後、「入れ」と応えがあった。
「失礼いたします」
「ああ、何の用だ」
「……実はお会いしたい方が何名かございまして、機会をいただけないかとお願いに参りました」
「……ん、誰だ?」
「以前何度かお会いしたことがあるだけなのですが。その方がお持ちの書物を拝見いたしたく……」
私が数人の名を上げるのを父は黙って聞いていたが、聞き終わるとふっと笑った。
「ちょうど良い。皆今度の祝宴の出席者だ。貸していただけるかはわからないが、頼んでみなさい」
「祝宴、でございますか?」
「あぁ、建国記念日のな」
そういえばそうだったな、と思い出す。ここ最近、といっても死ぬ前だが、王が息子に代替わりしてからは公の行事にあまり顔を出さなくなっていて忘れていた。
「建国記念日が近づくと、今年も終わりが近いと感じますわ」
「うむ。それでだな」
「はい」
「その最中に、王子に時間を取っていただくようお願いしている。そのつもりで備えておきなさい」
父の言葉に私は表情を引き締めた。
「はい。承知いたしました」
王族も参加する行事で何度か顔は見ていたはずだが、彼らはたいてい壇上におり高位の貴族であっても容易には会話できない相手だ。にも関わらず知り合ったキョウカは相当な強運の持ち主であると言えるだろう。
ドレスの準備に流行の把握、話題の用意と忙しく過ごして迎えた当日、会場の手前まで厳重なほどに騎士に守られながら到着した会場には既に大勢の参加者たちがいた。建国記念の祝宴は盛大に行われる。下級貴族から大きな商家の平民まで招待され、この日だけは王城内に観覧エリアが設けられ一般人が立ち入ることもできる。
さすがにここまでは一般人は入れないが、国の最重要施設だけあり警備は厳重だ。
会場は大きな建物の2階にある。1階は控え室や準備室を兼ねた小部屋が多く用意されており、2階は一階層をまるまる使った広々としたホールだ。バルコニーもいくつか付いており、今は全て解放されている。天井には豪奢なシャンデリアが吊るされ、床はピカピカに磨かれた大理石。正面の一段高くなったステージには豪華な椅子が3脚置いてある。王族の席だ。多数の食事が供され、ウェイターたちは盆を持って機敏に歩く。慣れ親しんだパーティの様子に早くも気疲れを覚えた。
立場上人の顔を覚えるのは得意にならざるを得ない。チラホラと見える知った顔は当然記憶よりも大幅に若いが、果たしてこの時点で既に知り合っていたかは気をつけなければいけないと気を引き締めると、早速一人の令嬢が話しかけてきた。
「ごきげんよう、皆さま」
リーユエだ。今日も薄いピンク色をした派手めの夜会服を着ているが、よく似合っている。いつもどこのブランドのものかわからないが、ポートナム家御用達の店でもあるのだろうか。
娘の友人が来たのを見とめて両親は簡単に挨拶だけ返して先に行く。兄であるコウメイは今日も不在だ。聞いたところでは私の見舞いに抜け出してきたのが響いて仕事が立て込んだらしい。
「ごきげんよう、リーユエ様」
「変わらずお元気そうで何よりですわ」
「その節はご心配をおかけしました」
私が会釈で謝意を示すと、リーユエはそっと声を落とした。
「何やらお噂が流布しておりましたので、心配していたのですがその様子では大丈夫そうですわね」
「噂……ですか?」
私の耳には何も入ってきていない。噂というものは当人の耳にはなかなか入らないものだ。
「えぇ…….この場では言いにくいのですが……後ほどお話できますかしら?」
「もちろんですわ。教えてくださり感謝いたします」
リーユエと一度別れ、顔見知りの令嬢たちに挨拶に行こうと思ったところで、壇上に王族が入場してきた。国王が祝辞を述べる。その後ろには王妃が控えるように座しているが、王子の席は空だ。祝辞が終わるとゆったりと楽団の演奏が始まった。それを合図に皆もゆるゆると動き出す。私も早速手近なところから交流を始める。
ひと通りの方々と交流を終え、更に父の口利きもあって書物を貸して貰えるよう頼み終えた頃にはぐったりと疲れきっていた。全員から快諾を貰えたのは良かったが、まだ今日の用はこれでようやく半分である。王子との約束の時間まではまだ時間があるからそれまでにリーユエと話しておきたい。姿を探せば、リーユエは談笑中のようだった。相手は話が長いことに定評のある婦人である。リーユエもこちらに気付いてチラリと苦笑を浮かべてみせる。笑い返しておいてバルコニーへ向かった。話が終わったら来てくれるだろう。
バルコニーに出ると途端に喧騒が背後へ遠ざかる。冷たい夜気が気持ち良い。白い手摺りに手を置いて月を見上げれば、シャオンと初めて会った日のことを思い出した。きっともう会うことはないだろう。エンリには仕事を頼んだばかりだというのに、申し訳ないことをした。
「お一人で月見ですか?よろしければ、ご一緒させてください」