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兄登場

 私は泥のように眠り、翌日目覚めた時には昼を過ぎていた。貧血だけではなく、精神的にも体力的にも疲れ果てていたのだろう。寝ている間にリーユエがお見舞いに来たらしく、枕元に見舞いの品と手紙が残されていた。侍女が持ってきてくれたのだろう。


「シュウメイ、気分はどうだ?」


 父が現れてそう声を掛けたのはその日の夕刻だった。


「はい、おかげさまでだいぶ回復いたしました」

「それは何よりだ」

「お母様も先程いらっしゃいました」


 憔悴しきった顔で現れた母は恐る恐る私の腕を見て、ほっとした顔をして抱きしめて来た。正直まだ腕が痛むのでやめて欲しいけれど、母の嬉しそうな顔を見たらとても離してくれとは言えない。


「そうか、良かった。それでだシュウメイ、詳しい話を聞かせてくれ。何があった」


 父は真面目な顔に戻る。誤魔化しは効かないということだ。しかし、正直に話すわけにもいかない。大袈裟に誇張したり逆に何でもないことのように話すのは幾度となくやってきた。けれど、これほどまでに事実と異なる作り話をするのは初めてだ。


「昨日は、街を散策しておりました」


 私が昨日から考え抜いて作り出した話はこうだ。街を散策して、前回の外出時に見つけて気になっていた服飾店に向かったところ、そこで子供から手紙を渡された。


「手紙は、恋文でした」


 あまりにも事実と異なることを話せば、店や路地に入る私を見かけていた人間からバレるかもしれない。そこで、自分とシャオンと男しかいなかった場面を創作することにした。ただエンリは手紙の内容を知っている。そこは彼が余計なことを言わないでくれるよう願うしかないが、シャオンに累が及ぶようなことはしないだろう。


「もちろん叶うはずのない恋です。相手もそれはわかっていたでしょう。その上で諦めたいから一度会って欲しいと言ってきたのです。私に変な噂が立たないよう、人気のない場所で」

「まさかそれで、行ったのか」

「無視しようとも考えましたが、それで思い詰められても困ります。一度会って済むのなら、相手も大事にしたくはないようでしたので…………私が軽率だったのです。まさか、熱くなって切りつけてくるなんて……」


 言いながら顔を覆う。多少大袈裟なくらいでいい、中途半端な態度では父を欺けない。


「……それで、その男は」

「思いの外深く切りつけられてしまい、血がたくさん出たのに驚いたようでそのまま逃げていきました」

「名前は」

「聞いておりません」

「手紙は」

「路地で落としてしまいましたが、軽い紙切れでしたのですでに風に飛ばされているでしょう」


 手紙を落としたのは本当だ。ただアレにも差出人も私の名前も書いていなかった。見つかっても問題ない。父はしばし思案していたが、その瞳には厳しい光が宿っている。無意識に体が居竦んだ。


「何があったのかはわかった。しかし、お前にしては浅慮であったな」

「反省しております」


 酷く久しぶりに見る父の目だった。失望と呆れを色濃く映した瞳。ずっと恐れていた目だ。気持ちの上では命の危機があったあの場よりも辛い。とにかく今は休め、とだけ告げて去っていく父の背中はいつもよりも大きく見えた。


 それからの日々は退屈だった。傷の痛みは数日もすればほとんど気にならなくなったが、過保護な家族によってベッドから出られない日が続いた。習い事も休み、有り余った時間でキョウカから借りた書物に目を通してはルエンに渋い顔をされる。

 そんな生活が終わり、ポートナム公爵家にお礼に伺えたのは11月も終わる頃だった。寒気が漂い、いつ雨が雪に変わるかという時節である。公爵に礼を述べ退室すると、部屋の外でリーユエが待っていた。


「ごきげんよう、シュウメイ。お元気そうで良かったですわ。ナイフで切られたようだとお父様に伺った時は生きた心地がしませんでした」

「リーユエ。ごきげんよう。ごめんなさい、せっかくお見舞いに来てくださったのに対応できなくて……」

「いいえ、仕方ないですわ。私も連絡もせず押しかけてしまいましたし。怪我の具合はもうよろしいんですの?」

「えぇ、もうすっかり。痛みもありませんわ」

「でしたら是非ゆっくりしていってちょうだい。お茶を用意させるわ」


 そう言って案内された先はリーユエの私室だ。床には緑色の絨毯が敷かれ、カーテンはフリルのついた濃いピンク、置いてあるテーブルと椅子も一目で高価な品とわかる精緻な彫刻が施されている。もう何度も来ていて勝手知ったるものだ。リーユエに促されるまでもなく自然と向かい合って椅子に座り、しばらくは他愛のない雑談をした。どこそこの令嬢に縁談が来たらしい、最近街ではこんなことが流行っているらしい、どこの服飾店のドレスが流行の最先端らしい、というような話である。どこで聞いてくるのか、リーユエは貴族社会にも庶民界隈にも詳しい。情報通でマナー違反など些事になるほど人に好かれる才を持っている。彼女に野心と聡明さがあれば、私など足下にも及ばなかっただろう。


「そういえば、シュウメイは恋文をいただいたのですよね」


 話の途中、不意に思いついたようにリーユエが言った。


「あ……え、えぇ。ですが……」

「ああ!ごめんなさい!あまり思い出したくないものでしたわよね」

「いいえ、大丈夫です。ただ…………自分の浅慮が恥ずかしく……」

「そんなことありませんわ!」


 突然リーユエが叫んで少し驚く。


「……リーユエ?」

「あっ、すみません。つい……ですから、その、私が言いたいのは、シュウメイは間違ってなどいないということですわ。シュウメイはお相手の方を思って動かれたのです。今回は……お相手が悪かったかもしれませんが、シュウメイが責められることなどございませんわ!」

「リーユエ…………そう、言っていただけると嬉しいですわ。ありがとうございます」


 内心、この馬鹿は何を言っているのかと思っていた。貴族が庶民に対して与えるのは慈悲であって、思いやりではない。父も言っていた。同情だけでは上に立てないのだ。


「…………ですから、今回のことで恋に臆病にならないでくださいねシュウメイ。誠実な殿方もいらっしゃるのですから」

 

 ここまで言われるとさすがに呆れてしまう。


「…………リーユエったら何を言っているの?臆病も何も、私たちの恋など叶うはずのないものでしょう?」


 私やリーユエほどの大家となれば、その縁談に注目する人間は多い。自然と恋ができるような相手は限られてくる。それくらいのことはリーユエもわかっているはずだ。


「…………そう、ですわね。ですけど、わかりませんよ。恋の力はすごいのですから」


 そう言って笑うリーユエを見て、私は思い出していた。ポートナム家はまもなく没落する。そのことは覚えていたが、今有力貴族であることは変わらないから気にしていなかった。しかしその没落の原因となったのは、他ならぬリーユエだ。ことが起こったのがちょうど私の婚約の直前で忙しく、没落した家に興味もなかったから詳しいことまでは知らない。けれど聞いた話では、リーユエが父親である公爵の不正を暴き混乱の最中自身は姿を眩ませたという。怒った父親に殺されただとか、母親に手引きされて逃げたのだとか、根も葉もない噂の中にあった気がする。彼女は身分差のある恋人と駆け落ちしたのだ、という話が。


「…………リーユエには、どなたか想い人がいらっしゃるのですか?」

「……え?いくらシュウメイでもそれはナイショですわ」


 人差し指を唇に当てて悪戯っぽく笑った彼女の顔は、けれどたしかに恋をしている顔をしていた。頬を淡く染め、見るものすべてが輝いていそうな目をして、幸せそうに笑うのだ。私には一生かけてもできない顔で。


「あらまぁ、そう言われると、気になりますわね」

「シュウメイこそ、いないのですか?」

「……私ですか?そうですねぇ…………リョウン王子はかっこいいですわね」


 少し照れ臭そうに、声を潜めて言う。リョウンはこの国の第一王子。かつて私が添い遂げた人だ。


「それは同感です。私、シュウメイのこと応援していますわ」

「あら、ライバルなのではなくって?」

「何をおっしゃいます。私は王妃の器ではありませんわ、シュウメイこそ相応しいです」

「リーユエにそう言っていただけると心強いですわね」


 リーユエとのささやかなお茶会を終えて帰宅した私は重い足取りで自室へ向かっていた。今回の一件で、改めて実感せざるを得ない。自分はどうしようもなく幸せ者なのだと。家族も友達も心の底から私を想ってくれている。その想いが重かった。私の命が私一人のものではないのだと突きつけられているようで息苦しいだなんて、贅沢な悩みだと怒られてしまうだろうか。


「シュウメイ!」


 考えながら自然と視線が下がっていた私は突然話しかけられて驚いて顔を上げて、そこにいた人物にまた驚いた。


「……お兄様!?」


 4つ上の兄であるコウメイは普段は領地の方へ行っていて家にはいない。私よりも濃い、燃えるような赤毛で性格も見た目通りの情熱的な人だ。


「腕を切られたと聞いたぞ!もう動いて大丈夫なのか!?」

「は、はい……ご心配をおかけいたしました。いつお戻りになられたのですか?」

「つい今しがただ。まだ父上にも会っていない。シュウメイが怪我をしたと聞いてな……もっと早く来たかったのだが、遅くなってすまない」

「いいえ!わざわざ戻ってきてくださらなくても大丈夫でしたのに……お仕事の方は問題ないのですか?」

「ああ、いい加減に嫌になって抜け出してきた。だが、愛しい妹の大事だぞ!妹を優先するのは当然だろう!」


 17歳に戻ってからは、初めて話すが懐かしさが募った。鬱陶しいほどの熱量。兄がいくらか落ち着いたのはいつのことだったか。私は既に王宮に入っていた気がするが。


「仕事の方が大事ですわ!お兄様、早くお戻りにならないとまたお父様に叱られますわよ」

「父上が怖くて妹に会いに来れるか!」

「そうか、コウメイ。よくわかったぞ」


 割り込んできた声に2人で硬直する。声のした方を恐る恐る振り返れば父がいる。厳格な顔をした父の迫力は並大抵ではない。ほとんど条件反射で体が竦んだ。兄も居住まいを正すとキリリとした顔をする。


「父上、ただいま戻りました」

「うむ。それで、仕事を放り出してきた言い訳はあるか」

「私は間違っていません」


 以前より思っていたことだが、改めて見てもやはりすごい。少しも怯むことなく父の顔を見返し、自信たっぷりに自分の正しさを主張する。次の瞬間、パァン!と鋭い音が空気を裂いた。父の平手打ちである。自分がされたことはないが、兄が打たれるところは何度も見てきた。


「シュウメイが心配なのはわかる。私も同じ気持ちだ。しかし、だからといって領地を放り出してくるとは何事か。シュウメイの無事は怪我の知らせと共に伝えたはずだ。領民の命を背負っていることを自覚しているのか」


 お前は間違っている、と自分が言われたわけではない。しかし父のこの目が、この言葉が、いつ自分に向くかわからない。なのに兄はなおも毅然と胸を張る。


「お言葉ですが、妹一人大切にできずに領民が守れるとは思えません」

「領地すら満足に治められずに妹が守れると思っているのか?」


 バチバチと火花が散るのを仲裁するのは昔から私の役目だった。母は婦人としてはそれで正しいのだが、あまりにも繊細で役に立たない。部屋に戻れと言われないということは今もそれを求められているのだろうが、ここに声をかけるのはいつも緊張する。


「お、お父様。お兄様も私を思って来てくださったのです。私からもお願いいたします。許してくださいませんか?」

「フン、許すも何も俺は悪いことはしていないがな」


 頼むから減らず口を叩かないで欲しい。父は特大のため息を吐く。


「…………まったく。今回は許すが、次はないからな。さっさと領地に戻れ。シュウメイも部屋に戻りなさい」

「はい、お父様。ご迷惑おかけして申し訳ございません」


 踵を返して去っていく父の後ろ姿に頭を下げる。なぜ兄のために自分が頭を下げているのだろうか、と思わなくもないが考えても仕方がないことだ。隣ではまだ兄がぶつぶつ言っていた。


「言われずともすぐに帰るさ。シュウメイの元気な顔も見れたことだしな。じゃあな、シュウメイ。知らない人についてっちゃダメだぞ」

「お兄様……私をいくつだと思っているのですか……」


 呆れたように返すが、実際シャオンにのこのこ付いていった前科はある。


「17歳だろう。自分の歳は忘れても妹の歳は忘れないぞ!いつもシュウメイの年齢から自分の歳を計算しているからな!」


 はっはっはっ、と快活に笑いながら嵐のように去っていく兄を見送った私は小さくため息をついたのだった。


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