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裏路地の暗殺者

 街中では逸る気持ちを抑えて、貴族の令嬢として不自然でない速度で歩き、裏路地に入ると同時に足を早める。一気に街の喧騒が遠ざかっていく。度重なる開発で入り組んだ路地を進む。路地に入ってすぐに捕まることも考えていたが、ここまでは無事だ。店を出てどれくらい経っただろうか。まだ14時にはなっていないはずだが。

 何度目かの角を曲がり、地図を確認する。もう近い。ゆっくりと歩を進めると、不意に空間が開けた。路地のどん詰まり、ちょっとした小部屋ほどの広さがあるが人の姿はない。


「よく来たな女」


 背後だ。バッと振り返ると、予想通りあの日会った男がいた。ジリジリと後ずさるように距離を取りながら聞く。


「シャオンはどこ」

「嘘に決まってるだろ。あの男が俺ごときに捕まるもんか。ダメ元だったが引っかかってくれて助かった、あの男が来る前に終わらせてもらうぜ」


 良かった。ひとまずはシャオンの無事がわかって安堵する。


「目的は」


 短く問うと答えも簡潔だった。


「お前の命」


 答えるが早いか男が動く。ナイフを抜いて地を蹴った。しかしこちらもそれくらいは見越している。同時に地を蹴って背後へ飛ぶが、そこでバランスを崩した。背中から壁に寄り掛かるように倒れる。元より運動は苦手な上、動きにくいドレスに踵の高い靴だ。ろくに動けるわけもないし逃げ場もない。十中八九死ぬだろうが、一応抵抗は試みておこうと不安定な体勢のまま両腕で咄嗟に首を庇うと左腕に鋭い痛みが走った。


「…………いっ……!」

「お貴族様の割に良い動きだったぜ」


 頭を掴まれ、無理矢理上向かされる。振りかぶられたナイフが狙うのは喉元だ。

 別に生に執着などない。ただでさえこれは2度目の生なのだ。願わくばもう生まれ変わらなければいいと思う。死の危険など初めて一人で路地に踏み入れた時から覚悟の上だ。だが…………これなら、1度目の死よりも悪くない。ナイフが喉元に吸い込まれ…………。


 何かがぶつかる鈍い音がしたと思ったら、髪を掴まれていた感覚が消えた。次いでカキンと金属音がする。予想していた衝撃はない。思わず右手で首をさする。生きている。男は腕を庇っていて、先程まで男の手にあったナイフは地に落ちていた。先程の金属音はナイフが落ちた音だと理解する。

 その時上から人影が飛び降りてきて、男の前に立ち塞がった。


「…………シャオン様」


 男は衝撃から立ち直り既に2本目のナイフを抜いているが、及び腰だ。


「くっそ、来るの早すぎんだろ……お前はこのヤマから手を引いたはずだ!邪魔をするな!」

「ああ、それは悪い」


 まるで悪いと思っていない口調で言いながら、シャオンは落ちたナイフに手を伸ばす。無防備な姿のはずなのに、身のこなしにまるで隙がない。今度は男がジリジリと後ずさる番だった。

 シャオンがナイフを拾い上げると、その場の空気が変わった。ピリリとひりつく、指先ひとつ動かしてはいけないと思わせる緊張感があたりを包む。私が見ているのは背中なのに、まるで猛獣に睨まれているかのような本能的な恐怖を感じる。私の意思とは裏腹に体は強ばり、足がすくみ、この場から逃げ出したいと本能が叫ぶ。『殺気』という言葉が脳裏に閃いた。知識としては知っているが、これがそうなのだろうか。


「……く、くそ…………化け物が……」


 正面からまともに目を合わせている男の恐怖はいかほどのものか。唸るように呟いてナイフを構えてはいるが、腰は引けているし手も震えている。

 次の瞬間、シャオンが動き男がうつ伏せに倒れた。遅れてじわりと男の体のまわりに赤が広がる。シャオンがやったのだと気付いたのは、先程までの獣的な気配を消したシャオンが振り返った時だった。男とは比較にならない、早すぎて見えなかった。

 喉から喘ぐように音が漏れる。一瞬、次は私がやられると思った。目の前で起きた殺人、無表情で立つシャオン。左腕の激しい痛みが辛うじて私にこれが現実だと教える。呼吸を整え、息を吸う。


「……ありがとう、ございます」


 口にすると、ようやく少し落ち着いた。ドレスの裾を直して立ち上がる。まだ足が震えているが、大丈夫だ。


「ちょっと失礼」

「えっ?」


 言うとシャオンは私の前に屈み込み、ドレスのスカートに手を差し入れた。状況が分からないうちに手早くスカートの内布が引き裂かれる。


「なにを……!」

「腕」


 左手首を掴まれて、私にもようやく状況が飲み込めた。止血するのに布が必要だったのだ。服は汚れているし、たしかにこの場ではスカートの内布が1番マシだ。左腕は肘から手首にかけてザックリと切られていた。自分の腕から流れる鮮血を直視してしまいクラリとくる。シャオンは手慣れていた。引き裂いた布端を器用に腕に巻いていく。


「……この腕、大丈夫でしょうか……」


 傷の具合はよく分からないが、少なくとも浅くはないことは見た目からも痛みからもわかる。


「たぶん縫うことになるし、後も残るだろうな」

「……なら、使い物にはなるのですね」


 王妃だった折、負傷兵を見舞うこともあった。彼らの中には深く抉られた傷がもとで、手足ごと切り落とすしかない者もいたのだ。


「………………痛くないのか?」


 布をグイグイと巻きながらシャオンが聞く。


「え、痛いですよ?」


 問われた意味がわからなかった。じっと耐えてはいるが、今まで感じた中でも最上級の激痛だ。


「随分と余裕だな」


 どうやら私が泣きも叫びもしないことを言っているらしい。余裕そうに見えるのだとしたら私の痩せ我慢も捨てたものではないと思う。


「それは……まぁ、痛いだけ、ですから……」


 物理的な痛みなら歯を食いしばって耐えればいい。明確な痛みを伴わない漠然とした息苦しさに比べれば、こちらの方がいくらかわかりやすい。物理的な傷ならば治療すれば癒えるのだから。


「…………そうか」


 キツく巻いた布には早くも血が滲んできている。


「……あの」

「早めに診てもらった方がいい。歩けるか?」

「は、はい!」

「こっちだ」


 私は倒れた男の死体から目を逸らしつつその脇を通ると歩き出したシャオンの後を追った。

 自分の歩いた距離から察しはついていたが、相当に路地の奥まで入ってきてしまっている。曲がりくねった道を歩いていると先を歩くシャオンが話しかけてきた。


「死ぬかもしれないと思わなかったのか」

「正直、死ぬつもりでした」

「……死にたかったのか?」

「…………そうかも、しれませんね」


 生まれてきて良かったことなど一つもない。早く楽になりたいと何度思ったことだろう。ただ惰性と義務感で生きているところに、都合よく死ぬ言い訳が転がり込んだ、案外そういうことなのかもしれない。自分の感情が死ぬ言い訳のために自分の中で勝手に創作されたものなのだとしたら、そう考えると何が本当なのかわからなかった。


「君は、よくわからないな」 


 そう言ったシャオンの声は笑っていて、私もつられるように笑って答えた。


「貴方には言われたくありませんわ」


 シャオンが現れたことは意外だった。私たちは互いに他人だ。冷静に考えて危険を冒してまで助けるような相手ではない。あれだけ躊躇なく人を殺せる人間が、私一人を見捨てて寝覚めが悪いなどということも考えにくい。


「俺のことは言わないでくれるか。倒れてるのを見つけて、応急手当てだけしたってくらいにしといてくれ」


 表通りが視界に入った時、シャオンが突然そんなことを言った。


「……貴方がそう言うなら構いませんが、よろしいのですか?」

「うん。頼む」


 公爵に恩を売る絶好の機会だ。普通ならどれだけ高く売るかを考えるところである。

 表通りに出ると、街の喧騒が戻ってきて少しだけ安心した。どこかで休ませてもらいながら、家に連絡して迎えを待つ、というのが現実的だろうか。この辺りで休めそうな場所は、と思案していると、ちょうどよく馬車が通りかかった。方向も同じ、装飾からして貴族の馬車である。


「ちょっと止まってくれ!」


 私が何か言うよりも早くシャオンが車道に乗り出して馬車を止めた。意図を察して私は精一杯調子が悪そうに項垂れる。実際、左腕の布は既に血でじっとりと濡れ、意識も危うい。脂汗もかいていて調子は最悪だった。


「なんだ!危ないじゃないか!」


 驚いた御者が馬を止める。


「怪我人なんだ!こちらのお嬢様が」

「セレストラ家の……シュウメイと、申します……」


 息も絶え絶えに名乗る。


「なんですと!?」


 さすがに御者は私の名前を知っていたらしい。転がるように馬車の中の主人にお伺いを立てようと身を翻した時、その主人が馬車から顔を出した。


「何ごとだ」


 出てきたのは知った顔だった。ポートナム公爵、リーユエの父親である。その顔を私と同時に見とめたであろうシャオンの体が一瞬強ばった気がした。


「あ、あ、あ、あの、セレストラ家のご息女がお怪我だそうで」


 御者が焦りに吃りながらも説明する。


「なんだと!これは……!」


 公爵が私の腕の怪我を見て血相を変える。そこからは一気にことが進んだ。いよいよ朦朧としていく意識の中、音もなくシャオンが消えていることに気づくが誰もそれどころではない。当の私より余程慌てふためく公爵と御者に馬車に押し込められ、馬車が走り出し、そこで私の意識は途切れた。


 目を覚ますと見慣れた天井が視界に飛び込んだ。自室だ。痛みに眉を顰めつつ腕を見ると既に清潔な包帯が巻かれている。どれくらい眠っていたのか、部屋の暗さからして既に夜だ。


「お嬢様!?お目覚めになられたのですか!?」


 声のした方に顔を向ければ、泣き腫らしたように真っ赤な目をしたルエンが立っていた。


「ルエン……ごめんなさいね、心配かけて」

「とんでもございません!ご無事で……良かったです。お嬢様に何かあれば、私は……」


 言いながらまた泣きそうになっている。


「腕を怪我したくらいで大袈裟よルエン」

「何が大袈裟なものですか!20針も縫ったのですよ!?」

「そうなのね、ところでお父様たちは……?」

「あっ!す、すぐに呼んで参ります!」


 ルエンが踵を返すのとほとんど同時に扉が開いて父が入ってきた。ルエンの叫び声が聞こえたのだろう。


「シュウメイ、無事で本当に良かった……」

「申し訳ございません。ご心配をおかけいたしました」

「いや……あぁ、とにかく今は休みなさい。起きあがろうとしなくていい。詳しい話は明日聞く」

「はい、お心遣いありがとうございます」


 起こしかけていた体をベッドに横たえると、衝撃でまた腕が痛んだ。


「まったく……お前を助けてくれた御仁はどこへ行ってしまったのか。応急処置が的確だったおかげで助かったというのに……名前だけでも聞いていないのか?」

「はい……私も意識を保っているのがやっとの有り様でして……申し訳ございません」

「いやいや。仕方がない。お礼ができないのは本当に残念だが……」

「ところで、お母様は……?」

「ああ、お前の怪我を見て卒倒してしまってな。今は伏せっているが、お前の無事を聞けばすぐ気を持ち直すと思うぞ」

「そうですか……」


 ゆっくり休むように、と言い置いて父は部屋を出て行った。「寝ずに看病します!」と言い張るルエンも説得して部屋から追い出す。一人になって、ようやく体の力を抜いた。柔らかいマットに沈み込む体が心地良い。

 どうやら思っていた以上に危なかったらしい。シャオンには返しきれない借りができてしまった。今後のことを思うと気が重い。できるだけ早くポートナム公爵にはお礼に伺わなければならない。両親には路地に行ったことも含めてなんと説明しようか。外に出ることも叶わなくなるだろう。そうなればもう彼らと会うこともない。何より、これから見舞いに来るであろう令嬢たちに同情と憐れみの視線を向けられることを思うと屈辱で悶えたくなる。

 ふうっと溜息をついて、思考を切り替えた。今だけは左腕の痛みもありがたい。痛みに意識を集中させていれば沈鬱なことを考えずに済む。いっそのこと、あのまま死んでしまえば良かったのにとさえ思う。生きていく上での後悔はあれど、死ぬ上での悔いなどない。

 温かい布団の中にいながら、私の心は変わらず冷え切っていた。

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