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 男に絡まれた以降は特に何事もなく、『ホウセンカ』に戻った。服を着替え、シャオンに背中の留め具を留めてくれるよう頼む。


「どうして何も聞かないんだ?」


 留め具をとめながらシャオンがぽつりと聞いた。その声からは感情が読み取れない。


「何か伺うことがありましたでしょうか?」


 シャオンの返答に一瞬間があった。留め具はまだとまらない。手こずっているようだ。外すときは一瞬だったのに。


「俺が……何者なのか、とか……」

「……聞いた方が良いですか?」


 シャオンはそれには答えなかった。留め具がカチリととまる。


「じゃあな」


 私が振り返るよりシャオンが部屋を出て行く方が先だった。辛うじて見えたのは扉の向こうへ消えるシャオンの後ろ姿だけだ。聞いた方が良かったのだろうか。しかし、私は聞きたくない。そこまで親しくなる気はなかった。何も知らないからこそ成り立つ関係というものもあるのだ。

 エンリに礼を言い、正面から店を出る。また会おうか、会ってもいいのだろうか、と迷いながら掲示板を見ると、今朝はなかった落書きがあった。シャオンからのメッセージである。あの日2人で決めた単純な暗号は、私たち以外にはただの落書きにしか見えないだろう。向こうから日時指定をしてきた、つまり『会いたい』と。

 口元が緩むのを抑えるのにこんなに苦労したのは初めてだ。私は嬉々として承諾のメッセージを書き加えると、弾みそうになる足を抑えて、努めて冷静に帰路についたのだった。


 2日後、私はキョウカの家に来ていた。下級貴族であるキョウカの家はやはり自宅と比べると小さい。とはいえ、立派な庭もある充分に豪邸と言える屋敷だ。私の家が規格外に大きいだけで。


「ようこそいらっしゃいましたシュウメイ様」


 同じ貴族とはいえ、私とキョウカの家柄にはそれこそ雲泥の差がある。丁重に出迎えられた私はまず応接間に通された。キョウカも今日だけはお洒落に気合が入っている。おそらく侍女たちが大慌てで準備したのだろう。


「ごきげんよう、キョウカ様」

「ごきげんよう。あ、あの、私の部屋に案内いたしますわ」

「はい、ありがとうございます」


 まずは軽く世間話から、というのがセオリーだが彼女に世間話ができるとも思えない。私も話が早い方が助かった。

 キョウカの部屋は、一言で言えば可愛らしかった。家具はすべて淡いピンク色で統一されているが、かといって主張が激しいわけでもない。センスの良さを感じたが。


「そ、その、書物を!準備しておきましたので」


 言われる前から見えていたテーブルの上に山と積まれた書物を示す。可愛らしい部屋の中では大いに浮いていた。


「まぁ、ありがとうございます!」


 一冊を手に取って見れば、古代語の教本である。この書物を用意しておくあたりさすがだと感心する。彼女は古代語が読めるのだろう。


「あ、あの、それは一応用意したもので、こちらが現代語訳されておりましてとても読みやすいのでおすすめです。それから、これは古代語ではあるのですが、私はこれが大好きでして、あっもちろんシュウメイ様が読まれたいものを読んでいただければと思うのですが。あと……」


 突然饒舌になったキョウカは捲し立てるように書物の説明をしていく。適切に相槌を打ちながら聞いていると、色々なことがわかってきた。まず古代魔術に関する現代の書物はあまり数がないらしい。古代当時での創作物という見方が強く、注目度も低いのだ。そもそも未だ印刷技術が普及しておらず書物自体が高級品ということも関係しているだろう。そんな中でこれだけ集められる彼女の環境は非常に恵まれているのだが、彼女としては不満らしい。


「私はもうここにあるものは読んでしまったので持って行っていただいて構わないのですが、残念ながら魔術について真剣に書かれている古書は数冊しかないのです」


 と悲しそうな顔をする。


「そうなのですか。やはりそれだけ希少なのですね……」

「それもありますが、こういった古書は高価でして……こういったものは個人蔵書であったり、書物というより骨董品のように扱われていますので図書館にもほとんど置いておらず……」

「そうでしょうね。ですが、ここにあるものは保存状態が素晴らしいですわ。このような高価なものをお借りしてしまってもよろしいのでしょうか……」

「それは全然!大丈夫です!私はもう何十回と読み返していますので」

「まぁ、そんなに。キョウカも魔術にご興味がおありなのですか?」

「えぇ!もちろんですわ!ですが、あまりご理解いただけず、お父様にもよく呆れられてしまいますの。なので、本日シュウメイ様がいらしてくださって本当に嬉しいです」


 そう語るキョウカの瞳は爛々と輝いていた。ここまで夢中になれるものがあるのも羨ましい。私には書物も刺繍もせいぜい暇潰しでしかない。


「でしたら、お礼に私も魔術に関する書物を共有できればと思いますわ。何かご興味のある書物などありましたら、是非教えてくださいませ。私が購入いたしますわ」


 キョウカが王妃となるためには、まず第一に私が王子と婚約するより先にあの研究発表会を行うことが重要である。研究にあそこまで時間がかかっていたのであればどうしようかと思っていたが、この分では時間がかかったのは古書集めのようだ。それならば、金銭的に大いに余裕がある私の家で買ってしまうのが早い。


「で、ですが……さすがにそれは遠慮いたします。私にはお返しできるものが何も……」

「キョウカ、遠慮なさらないでください。キョウカは何もわからない私にこうして教えてくださったじゃないですか。これはそのお礼です」

「そ、そのような大したことでは……」


 こうなるとキョウカは頑固だ。貰えるものは貰っておけばいい、と思う私とは大違いだ。「ありがとう」「嬉しいわ」と両手をあげて喜んでみせれば大抵の人間は満足するというのに。


「……わかりましたわ」

「シュウメイ様……」


 キョウカがあからさまにホッとした顔をする。


「ですが、私も他の書物も是非見てみたいのです。何かございましたら、教えてくださいませ。教えてくださらないのでしたらこちらで探してみますが……」


 チラリとキョウカを見る。少し意地悪だっただろうか。


「い、いえ、私などの意見でよろしければお伝えすることはもちろん……喜んで……」

「まぁ、ありがとうございます。キョウカはとてもお優しいのね。高価なものはやはり気が引けますので、キョウカが勧めてくださった3冊だけお借りいたしますわ。今度遊びに来た時には是非もっと詳しいお話をしましょうね」

「は、はい!」


 魔術などというマイナーな話題で話し相手ができたことはやはり嬉しいのだろう。キョウカは今日1番の笑顔で微笑むと「是非とも早く読んでくださいませ」と私を送り出してくれた。無駄に長く引き止めようとする人もいるので、これだけでもとても好感が持てる。

 その日から私は部屋で刺繍をせず、ひたすら書物を読むようになった。これらを読めばキョウカに会いに行き、具体的に必要な書物が何かを聞くことができる。しかし、なかなかに難解な書物たちは理解するのに時間がかかりそうだった。


 およそ1週間後。有り余った時間を使い、ようやく1冊目を読み終えた。今日はシャオンとの約束の日である。私は早めに家を出ると『ホウセンカ』へ向かった。とはいえ毎度同じ店へ行っていれば噂になるだろう、言及された時の言い訳も考えておかなければいけない。

 間の抜けた鐘の音と共に扉を開けると、今日はお客さんはいなかった。繁盛しているのか少し心配になる。


「ごきげんよう」

「いらっしゃい、メイ。今日は早いね」


 エンリが気さくに出迎えてくれる。


「えぇ、少しエンリにお願いしたいことがありまして」

「え?なに?言っとくけど、あいつに関することなら俺は何も話せないぜ」

「違いますわ。そうではなくて、服を頼みたいんですの。貴族向けの商品も扱っていらっしゃるのでしょう?もちろん言い値を出しますから」

「あ、ああ……まぁ一応は。けど、オーダーメイドしかやってない。デザインの擦り合わせからやるから……」

「問題ございませんわ。実は私の服はすべて侍女に任せておりまして……趣味が偏っていると言いますか……もう少し落ち着いたものが欲しいのです」


 言いながら、自分の格好を見下ろす。今日はブルーのフリルがついた細身のドレスである。もちろんセンスは素晴らしいし、自分に似合っているとは思う。しかし、街中に出掛けるには少し嵩張るのも確かだ。外出自体が稀であったから今まで問題はなかったのだが、1人で出歩くにはもう少し気楽なものが欲しかった。


「んー……なるほど。わかった。今度来るまでにデザインを何枚か描いとくよ」

「エンリがですか?」


 ここは売っているだけで、物は外注していると思っていた。


「ああ。もちろん」

「それは……大変ではございませんか?見たところ従業員の方も雇っていないようですし、この店を一人で回しているのでしょう?」

「それほどでもないよ。置いてる服は仕入れたものだし。オーダーメイドも特に宣伝してるわけでもないから一部のお得意様だけだし」

「それでよく店がまわりますわね」

「まぁこれでもいろんなツテがあるんでね」


 どうやら大口の顧客がいるらしい。その時、カラリンと鐘が鳴った。お客さんが来たかと思って振り返ると戸口に立っていたのは小汚い少年だった。ここは貴族御用達というほどではないが、それなりの暮らしぶりをしている人向けの店である。どう間違っても孤児のような身なりをした子供が一人で来る店ではない。


「いらっしゃい……?」

「迷子……でしょうか?」

「お姉さんがシュウメイ様?」


 子供の方を向いていてエンリの顔は見えないが、バレたと見て間違い無いだろう。公爵の娘であり、王妃候補筆頭である私の名前もそれなりに知れている。


「その通りだけれど、何の御用かしら?」


 答えながら視線を合わせるように屈むと、少年は私の鼻先に紙切れを突きつけた。手紙のようだ。反射的に手にとるような真似はせず、まずは聞いてみる。


「これは何かしら?」

「知らない」

「……誰に言われて持ってきたの?」

「言わない」

「いくら貰ったの?」

「……………………銀貨、3枚」


 吹っ掛けてきたな、と直感する。


「本当は?」

「………………」


 引かない。貧しい子供はこうして強かに生きていく。手紙を持っていくお使いで貰える小遣いなど、銀貨1枚も貰えば間違いなく裏がある。3枚も渡されるはずがない。


「お話してくれたらコレを上げるわ」


 懐から取り出したのは大銀貨だ。これ1枚で銀貨5枚分の価値がある。少年は目を輝かせると途端に饒舌になった。


「黒い兄ちゃんがここにいるお姉さんに持ってけって。たまに見る顔だから、ここらがナワバリなんじゃないかな。いっつも黒いカッコしてるよくわかんない奴」


 黒い格好、先日のあの男だろうか。何が狙いなのかよくわからなかったが、やはり目当ては初めから私だったのだろう。シャオンと知り合いらしかったのが気になるところだが。手紙を受け取り少年に大銀貨を渡すと、少年は嬉しそうにスキップして帰っていった。今夜はご馳走だろう。

 気を取り直して手紙を開くと、それは脅迫文だった。


『シャオンの身柄はこちらで預かっている。14時までに指定の場所に来なければ命はない』


 簡潔極まりない。シャオンの名前を出しているところ先日の男で間違いないだろう。困ったことになった。私はシャオンのことをよく知らない。これが他の人であれば迷わず人に助けを求めるところだが、彼では関係性が説明できない。


「罠だな」


 振り向くとエンリがいつの間にかカウンターを出て後ろから手紙を覗き込んでいた。


「罠でしょうね」

「ああ、無視すべきだ」


 言いながらエンリも不安そうだ。彼は只者ではないだろうが、絶対に大丈夫と言えるのかわからない。シャオンもグルという可能性も考えられるが、だとすると随分とまわりくどい。実際のところ真偽がわからない以上は見捨てるか見捨てないかだ。


「エンリはあの方とは長いのですか?」

「そうだな、幼馴染ってやつだよ」

「大丈夫だと思いますか?」

「それは……けど、こんなあからさまな。罠だよ、たぶん……」


 14時はシャオンとの約束の時間だ。シャオンが来るのを待つことはできない。素性も知らない男性1人、その上先日の会話から察するに彼は殺人者である可能性もある。仮に本当に死の危機にあるとしても、見捨てるのが正しい選択だが。


「エンリ、シャオンが来たら貴方のせいではないと伝えてください」


 私が目的だとしたら、彼は巻き込まれたことになる。過去がどうであろうと、私は少なからず彼に恩がある。


「まさか行く気か?」

「これで本当に捕まっていたら寝覚めが悪いですから」


 いや、仮に捕まっていなかったとしても私が見捨てた事実は消えない。


「……2人とも殺されるかもしれない」


 エンリは恐る恐る口にしたが、そんなことはわかっている。


「こんな形で後悔するのは嫌です」


 私は足早に『ホウセンカ』を出て、手紙に書かれていた地図を見ながらまっすぐ裏路地へ向かった。エンリが追ってくる気配はない。

 シャオンも彼もこういうところに好感が持てた。彼らにとって私は他人だ。私にとっても彼らは他人だ。どちらかが消えても数日で忘れる、その程度の関係が心地良かった。


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