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嘘つきは

 1週間後、私は例の待ち合わせ場所に来ていた。『ホウセンカ』である。お茶会の日とその後1度だけ外出して日時を取り決めた。そして今日、初めての約束の日だ。扉を押し開けるとカラリンとやはり間の抜けた鐘が鳴る。今日は数人の客がいた。


「いらっしゃいませ」

「ごきげんよう」


 明らかに裕福とわかる格好の私の登場に店内にいた客たちが少し意外そうな顔をするが、さほど驚いてはいない。普段から貴族向けの商売もやっているのかもしれない。


「お待ちしておりました。奥へどうぞ」


 エンリに店の奥へ通される。カウンター奥の扉を通り、長くはない廊下の奥、そこは小さな応接間だった。木製のテーブルと椅子が4脚、それに小物を置いた棚があるだけの簡素なものだ。客の目が切れるとエンリは態度を改めた。


「ここで待っててくれ。今服をとってくる」

「はい。すみません、お客様がいる時に……」

「大丈夫だ。みんな常連さんだからな」


 エンリが部屋を出てすぐ、ほとんど入れ違うようにして今度はシャオンが入ってきた。


「よう」

「ごきげんよう」


 会話が止まる。


「…………えーっと、で、どうする?」

「…………どうしましょう」


 彼の今の心境を言うのならば、「ふざけるな」だろう。とりあえず会う約束をしてみたものの、これといった用件があるはずもない。困っているとエンリが戻ってきた。


「お待たせー、はい、ワンピース」

「あっ、ありがとうございます」


 エンリが持ってきたワンピースは薄いピンクの長袖シャツに茶色を基調としたスカートをあわせたものだった。平民向けにしては張り切っているが、貴族の娘が着るものではない。


「んじゃ、とりあえず着替えたら教えてくれ」


 シャオンはそう言うとエンリを引きずるようにして部屋を出て行った。私だけが残される。慌てて服を着替えようとして、はたと気づいた。この服は後ろに留めるところがある。つまり、一人では脱げないのだ。後ろ手に取ろうとするが、うまくいかない。やむなく私は助力を請うことにした。殿方に服を脱ぐのを手伝って、など恥ずかしいにも程があるが、こうなったのも自業自得である。

 果たして、後ろの留め具だけ外してもらい着替えた私は更に渡された動きやすそうな質素な靴に履き替え、つばの広い帽子を被り、ついでにケープも羽織ると、鏡の中にはどこから見てもおしゃれした平民の女性がいた。体を捻り、自分の姿を確かめる。


「うん、似合ってる」


 後ろでシャオンが言った。顔を隠すためか今日はキャップを被っている。エンリは既に店に戻っていていない。


「あ、ありがとうございます……」

「そうだ、その喋り方」

「はい?」

「もう少し平民らしくならないか?」


 なるほど、もっともである。私は少し考えてから慎重に口を開いた。


「……こんな感じで、どうかしら?今日はよろしくね、シャオン」

「うん、いい感じ。じゃあ行こうか」

「うん!どこへ行く?」


 自分で言っていて歯が浮きそうだった。粗雑な言葉遣いをしていることが気恥ずかしく、粗相をしているような気持ち悪さがある。しかし、平民たちにはこれが日常なのだ。つくづく生まれによって差が出るものだと痛感する。


「食べ歩き、とかどうだ?」

「賛成!でも、あんまり食べ過ぎないように気をつけないと」


 突然の平民言葉の要請に対応できる程度には、演じることに慣れ切っている自分に心の中で苦笑する。しかしそれもシャオンには敵わない。彼は言葉遣いだけでなく醸し出す雰囲気ごと別人のようにガラリと変わるのだから。


 裏口から店を出て向かったのは、中央通りからは逸れた道だった。ここまで立ち入るのは初めてである。道路脇には屋台が並び、あちこちから美味しそうな匂いがしている。


「ここはいつもこんな感じなの?」


 隣を歩くシャオンに問いかける。


「いや、今日は食料市の日だからな。特別だ」

「へぇ……」


 知識としては知っている。要は食料品を売る店が集まる日だ。この方が効率良く売れるのだろう。買う側もここでまとめ買いができれば助かりそうだ。


「何か食べたいものあるか?」

「……じゃあ」


 言いかけて私は思い出す。


「そうだわ!今日は私が払いますからね?」


 言い含めるようにはっきりと言う。買い食い自体が初めてのことで失念していたが、先週の肉串は奢られてしまったのだ。


「はは、そっか。じゃあせいぜいたくさん食べるとするかな」

「ぜひともそうしてちょうだい」


 そうすれば少しは罪悪感も薄れるというものだ。


 たまに食べ物を買って食べながら、通りを歩く。あまり行儀が良いことではなく、平民の格好もあって背徳感からか胸がざわつく。初めて見る食材もあり興味深く、屋台の食べ物も美味しかったが、何より意外だったのがその安さだった。自分が普段いかに高級なものしか食べて来なかったかがよくわかる。

 他愛のない話をして、隣で楽しげに笑うシャオンを見ていると少しだけ安心した。拭いきれない一抹の不安と罪悪感と背徳感と、相反するように感じる楽しさを私は処理しきれずにいたが、『楽しい』と感じられることが今だけは素直に嬉しい。

 そういえば、シャオンの顔の美しさは目立ちそうだと思っていたが、街に自然と溶け込んでいる。今日はキャップを被り、顔を見えにくくしているというのもあるだろうがそれだけではない。存在感が違うのだ。以前紳士姿の彼と歩いた時はもう少し視線を感じたものだが、今日はまるで感じなかった。雰囲気も存在感も自在なのだとしたら、今見ているこの笑顔も本当なのか怪しいものだ。そんな考えを意識的に頭から追い出しながら何軒目かの店で買った菓子を齧っていた時、不意に声をかけてくる者がいた。


「おーっす、なんだよお前奇遇だなぁこんなところで」


 その男は全身黒い地味な格好をしていた。馴れ馴れしくシャオンの肩を抱く。


「おぉ!偶然だなぁ。こんなとこで会うとは」


 シャオンも相手のことを知っているようで、親しげに笑って言葉を返す。私はその光景に酷く違和感を感じた。側から見れば親しい友人だろう。しかし、長年社交界で培われた私の目は人の嘘を見抜くのが得意だった。


「かわいい子連れてんじゃん。お前の彼女?」

「そ、そんなんじゃねぇよ。お前こそ、今日は一人か?」


 人の本音が最も現れるのは顔である。次いで声色、そして体の動き。さらに人が最も影響を受けるのも顔だ。私がシャオンの笑顔に安心感を覚えたように。だからこそ、日常的に嘘をつく者は表情をつくるのが上手い。彼もその例に漏れず、表情はとても自然だった。しかし、体の動きが違う。なんというか、隙がないのだ。親しい者に対する身のこなしではない。警戒心を隠しきれていない。それに対して、シャオンは本当に親しそうに見えるのだ。久しぶりに友人に会えた嬉しさと女性との関係を聞かれた気恥ずかしさが表情にも態度にも現れている。とても演技とは思えない。この温度差が私の感じた違和感だった。


「シャオン、その方はお友達?」

「ん?あぁ。まぁ、な。腐れ縁ってとこか」

「なんだよ。冷たいなぁ、俺たち親友だろ?」


 やはり男の態度は嘘くさい。シャオンは騙されているのか、それとも役者顔負けの演技力で茶番に付き合っているのか。


「それで?何か用があったんじゃないのか」

「なんだよ、用がなきゃ話しかけんなってか」

「そうは言ってねぇよ。用でもなきゃ、お前が女といるとこに水刺したりしねぇだろ」

「はは、やっぱお前は誤魔化せねぇよな…………俺が用があるのはそっちのお嬢さんの方さ」

「……私、ですか?」


 驚いた顔をしておくが、心中は警戒心でいっぱいである。シャオンは別としてこんな胡散臭い男の知り合いはいない。


「ああ、一言お礼が言いたくてな」

「お礼……?あの……失礼ですが、どこかで……?」

「え?ああ、違う違う。お礼ってのは、こいつのことを受け入れてくれたみたいで良かったってこと」

「おい、何の話を」

「だからさ、お前ずっと女性に対して一歩引いて接してただろ?でもすげぇ仲良さそうだったからさ。お前の過去を受け入れてくれる奴がいて良かったなって。親友として礼を言うぜ」

「…………過去、ですか?」


 気は引けたが、話の流れ上ここで問い返さないのも不自然だ。


「ああ、こいつが人を殺したり体を売ったりしてたってことをさ」


 男はサラリと言った。言うまでもなく初耳である。シャオンも言葉を失っているが、この人の場合どこまで本気かわからない。私も予想外の言葉に返答が一瞬遅れた。その一瞬を逃さず男は言葉を重ねる。


「あれ?もしかして、話してなかった?」


 まずった、と焦った顔をしているが、おそらく狙ったのだろう。シャオンが何も言わないところを見るとあながち真っ赤な嘘でもないのかもしれないが、この場でどちらにつくかなど決まっていた。


「いえ、聞いてますよ。けど、こんな場所でそれを言うことないじゃないですか」


 言葉に非難の響きを込める。


「ああ、見損なったよ……」


 シャオンも傷ついた顔をして、男を責める。その姿は弱く、繊細さすら漂わせていて、思わず母性本能を擽られそうだ。通りがかった人々も男を責めるような目で見ていく。男としてはこの反応は予想外だったらしい。チラリと焦りの色が浮かんだのを見て、やはり狙ったのだと確信する。


「あ、ああ、そうだな……悪かったよ……じゃあ、またな」


 見かけだけは申し訳なさそうにそれだけ言うと男は雑踏に紛れて去っていった。後には私たちと気まずい沈黙だけが残される。シャオンが問いかけるような目を私に向けていた。


「……失礼な人ね!あんな言い掛かりをつけてくるなんて……冗談でも言っていいことと悪いことがあるわ」


 本気にとっていない、というアピールだ。


「……本当にな。悪かったな不愉快な思いさせて、もうアイツとは縁を切るよ」 

「うん、その方がいいと思う。私にヤキモチでも焼いたんじゃないの?」


 冗談めかして付け加える。


「はは、そうだとしても酷いよあれは」


 そうして私たちはまたもとの和やかな雰囲気に戻り、食べ歩きを再開した。この切り替えの早さを見るに先程の態度も茶番だったのだろう。もちろん気にならない、と言えば嘘になる。しかし、知りたくなかった。知ればこの関係が終わりそうな気がした。私のような世間知らずの後悔に付き合ってくれる奇特な人間はそういないだろう。彼に会えたのは運が良かったのだと、私はそう思えるようになっていた。


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