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それから十日ほど経った後、わたしとローラントはカーリンに呼び出されて、グラウプナー公爵邸の客間にて、謝罪と共にその後の顛末を拝聴した。
まずフリッツとカーリンの婚約はこのまま継続されるとのこと。
幸いにも学園内で起きた出来事であったし、レーナが立ち去る前の言葉を意外にも多くの人間が信じたらしい。フリッツはカーリンの気持ちを知るためにあんな騒動を起こしたということになっていて、フリッツの処分は重くならなかったのだ。あまり大仰な処分を下せば、せっかく収まりつつある派閥闘争が再燃しかねないという理由もあるのだろう。
でも、全くのお咎めなしかというとそうでもなく、王宮にて数週間の謹慎処分を受けているらしい。改めて王太子という立場を自覚させられるよう、グラウプナー公爵直々に指導を行っているそうなので、さぞ居心地が悪いことだろう。
「わたくしもときどき、様子を見に行くんですの。そうしたらフリッツ様、今までの態度が嘘みたいに喜んで迎えてくださるのよ」
そうだろうとも。グラウプナー公爵と言えば、若い頃に武勇で名を馳せた武人である。屈強な岩のような見た目の御仁で、眼光も鋭く、失礼ながら長時間ご一緒したいとは思えない。
婚約者であるカーリンが来れば、公爵の教育指導は中断となり、お茶の時間となる。きっとカーリンのことが救いの女神のように見えるに違いない。
「それに、あの後二人で話し合ったおかげで、大分わたくしの話にも耳を傾けてくださるようになりましたのよ。遠慮せずにもっと早く話をすべきだったと思いましたわ」
カーリンは話し合ったと言うが、果たしてそれが本当に話し合いであったのか、わたしは知らない。ローラントからの情報によると、あの日のフリッツは青い顔で王宮に戻ったそう。わたしとしては腕の一本や二本折られているんじゃないかと思ったけれど、外傷は特になかったらしい。ただ、二人が話し合ったという部屋には、あちこちに破壊の跡が見られたとか。
おそらくカーリンは今まで怪力能力をフリッツの前で使わないように努めていた。淑女に必要とされるのは教養と品格と社交界を渡っていくコミュニケーション能力であって、決してティーカップを粉砕できる腕力ではない。隠したくなる気持ちも分かる。
だが、今回の一件でカーリンはその力の片鱗をフリッツに見せたに違いない。あんな力を見せつけられたら顔を青くもさせるし、話も従順に聞くようになるだろう。
「それにしても、レーナさんのことは見直しましたわ。話をしてみたら、わたくしが想像していたよりもずっと高潔な心の持ち主でしたわ」
「え? レーナが?」
「ええ。あの時も言っていた通り、レーナさんは善意から殿下に協力していましたのよ。レーナさんは今の平和なこの国が好きなのですって。けれどわたくしたちの関係が上手くいっていないと知って、どうにかならないものかと悩んでいらしたみたい。少し前まで派閥闘争も大変だったでしょう? わたくしたちが上手くいっていないとまた余計な争いごとが起こりかねないと彼女は危惧していましたのよ。立派ですわよね」
……ああ、それはさぞ危機感を抱いただろう。今の平和な状態――様々な異性を手玉に取ることも含むのだろう――が好きというのなら。争いごとが起きれば、治癒能力者はまず間違いなく駆り出される。のんびり男と戯れている暇はなくなるだろう。
まあそれが理由で本当にフリッツに協力していたわけではなくて、適当に逃げただけだろうけれど。フリッツに協力していたというのは、ローラントの話に乗っかっただけの嘘に違いないから。
「レーナさんとは良い友人になれると思いますわ。今度一緒にお茶を飲む約束をしているのですけれど、エルナも――」
「ああ、その日はローラントと約束をしているので、申し訳ありませんが辞退させていただきます」
冗談ではない。レーナと一緒に仲良く茶など飲めるものか。
はっきり言って、レーナの根性は腐っている。他の女たちと同じようにローラントと別れろと言ってきたレーナに、はずみで触れてしまったことがある。
そこから流れ込んできた心の声は――思い切り、わたしを見下すものだった。いや、それだけならば他の女たちとそう大差ない。彼女のもっと悪いところは、ローラントすらも貶し、好意の欠片も見えなかったことだ。
たとえ天地がひっくり返ろうとも、わたしはレーナに友好的な目は向けないだろう。カーリンがレーナと仲良くすると決めたのなら、必然、お茶の席に同席する展開もあるかもしれないが、できるかぎりは回避させてもらう。
カーリンがレーナに若干騙されつつ友好関係を結ぼうとしているのは放っておく。国にとっては、次期王妃と治癒能力者が友好的であることは決して悪いことでは無いから。
「そう。相変わらずお二人は仲が良いみたいで羨ましいですわ。やはり学園を卒業したらすぐに結婚なさるの?」
「……へ? まあ、そのうち何事もなく時期が来たらするでしょうけれど。すぐというほどのことは」
隣に座るローラントを見上げるが、彼もまた心当たりがないようで少し首を傾げていた。
「あらじゃあ、ただの噂だったのですわね」
「えっと……そんな噂が流れているんですか?」
「ええ。だってあの場で婚約破棄ではなく求婚をしたんですもの。あちこちで美しく語られていますわよ」
頭を抱えたくなった。恨みがましげにローラントを見上げれば、淡く微笑まれたので頭を抱えた。
「ああ、もう社交界の噂の登場人物になるなんて最悪よ……しばらく質問攻めにあうんだから」
それで最近お茶会や夜会への招待状が増えていたのか。てっきり、あの婚約破棄騒動の場に居たからそれについて話を聞きたがっているのかと思っていたが、全て不参加にしておいて正解だった。迂闊に参加していたら退屈を持て余したご婦人方の餌食になるところだった……。
「ふふ。挙式の日取りが決まったら教えてちょうだいね」
「それはもちろんお教えしますけれども……すぐはないですよ。いくら何でも。それなりに準備がありますので」
「ええ、分かっていますわ」
カーリンは楽しそうに笑った。どこか微笑ましいものを見るような、そんな目をして。
「ねぇ、ローラント。少し時間をもらってもいい?」
グラウプナー公爵邸からの帰り道。例によってゆっくりと走る馬車の中で、わたしはローラントに話しかけた。
「もちろん。少しと言わず、いくらでも」
ローラントが甘く笑んで快諾したので、馬車を人目につかない通りで止めてもらう。話しながら馬車に乗って以前のように途中でダウンするのはなるべく避けたいから。
「ローラント。あなた、わたしに嘘を吐いたことはないって言ったわよね。でも、それは嘘よね?」
「何のこと? エルナ」
「別に嘘を吐くなとは言わないわ。でも、今回のことは少し綱渡りが過ぎたんじゃないかしら」
「……」
ローラントは無言で、曖昧な笑みを返した。その表情は、わたしが見透かしていると気づいてなお、まだ誤魔化す方法を探しているように見える。
「率直に聞くわ。レーナ・ギーセンは、あなたの協力者ね?」
この十日間、わたしは考えていた。
創立記念パーティーで起きた婚約破棄珍事件の後処理のために学園がしばし休暇になったので、時間があったのだ。暇だったので、あの事件について考えていたらいくつか疑問に思う点が出て来た。その疑問点を解消していく内に、ある仮説が立った。それこそが、レーナとローラントが協力者であり、ローラントが事件の裏で糸を引いていたのではないか、ということ。
「……どうしてそう思うの?」
「レーナが欠片もあなたに好意を持っていなかったからよ」
レーナと言葉を交わした回数はほんの数回で、彼女の心の声が聞こえてしまったのは一度きりだけど、彼女の行動に違和感を持つにはその一回で充分だった。
「あなたレーナの弱みか何かを握って脅したでしょう。彼女、あなたのことぼろくそに言っていたわよ。まあわたしのこともローラントに騙されている哀れな女みたいに見下してたけれど」
もちろん心の中で。
口ではローラントと別れろ、わたしみたいな女にローラントはもったいないみたいなことを言っていたから、かなり奇妙な言動に映った。そのときは、伯爵家の嫡男であり、王家とも縁が深いローラントの地位や権力目当てだろうからと自分を納得させたが、今回一連の騒動を通してもしやと思ったのだ。
レーナ・ギーセンは、あのとき、すぐにローラントの芝居に乗っかった。凄まじい判断力だと思っていたが、あとから思うとその判断力があって何故王太子フリッツを籠絡しようと思ったのか疑問が生まれる。治癒能力者と王族が婚姻不可能なこと、フリッツが王太子となった背後にグラウプナー公爵の力があったこと。その二つの材料だけでも、レーナほど狡猾な女ならば、あんな愚行に及ばないのではないだろうか。
「加えて、あなたの行動もおかしかったわ、ローラント。生まれた時から一緒にいるあなたが殿下の企みをその日に知ったなんて、あり得ない。たとえ当日に知ったとしても、行動を起こす前に止められなかったなんてこと、もっとあり得ない」
フリッツが婚約破棄だと言ったとき、ローラントはレーナをずっと見ていた。あのときのわたしは彼女に目を奪われているのかと勘違いしていたけれど、何のことはない。ローラントは見張っていたのだ。レーナがきちんと役割を果たすかどうか。
ローラントは緩く首を振る。
「あり得ない、なんてことはないよ。エルナは俺を買い被りすぎだ」
「買い被りすぎなぐらいでちょうどいいのよ、あなたは。今回のこと、全部あなたが仕組んだんでしょう?」
ローラントがまた曖昧な笑みを浮かべるので、わたしは厳しい視線を向ける。
「ローラント。わたし、少し怒ってるの。今回のことは、必要なことだった?」
結果から言えば、フリッツには良い薬になったのかもしれない。カーリンにはフリッツと話をする良い機会になったのかもしれない。ついでにレーナとカーリンの関係が良好な方に倒れてもいる。国にとっては有益なこともあったかもしれない。
でも、一歩間違えればフリッツは廃嫡され、彼の愚行を止められなかったと火の粉はローラントに及んでいた可能性もある。もちろんフリッツを王太子として支持していたわたしの家やローラントの家も権勢を弱めることになるだろう。
「もちろん、必要なことだったよ」
ローラントは乾いた笑みを見せた。降参した顔なのだろうか。
「殿下に変化を促すためにも。レーナへの恋心を捨ててもらうためにも。それから、グラウプナー公爵令嬢に殿下の手綱を握ってもらうためにも、ね」
一度話し出せば、ローラントの口は観念したように軽くなった。
「エルナ、気づいてる? 学園に入学してから俺たちほとんど会えてなかったってことに。エルナは友人となったグラウプナー公爵令嬢のそばに居て、俺は側近として殿下のそばに居た。あの二人はあまり仲が良くなかったから、必然的に俺たちは約束がなければほとんど顔を合わせることもなかった。俺は学園でエルナと毎日のように顔を合わせることを夢見ていたのに、酷い仕打ちだと思わない? 挙句、俺たちの仲まで冷えきっていると誤解されて、エルナに言い寄る男まで……!」
「待って。確かにわたしたちの仲についてはそんなふうに誤解されていたけれど、だからといってわたし言い寄られた記憶なんてないわよ?」
むしろ、ローラントの方が言い寄られていたような。
「うん、エルナに気取られる前に、脅――じゃない、話をしておいたから鈍いエルナは気づかないだろうね」
「脅すって言いかけたわね。そんなことで人を脅すんじゃないわよ」
「大丈夫、恨みを買うようなヘマはしないから。それに、横恋慕する方が悪いよね」
実に爽やかな笑みを浮かべるローラント。胡散臭い表情だ。
「このままだと俺の精神衛生上良くないから、都合良くレーナに惚れた殿下の恋心を利用して、グラウプナー公爵令嬢に手綱を預けようと画策したんだ。二人の仲が少しでも良くなれば、学園でエルナと会える機会も増えるだろうし、エルナがついてるグラウプナー公爵令嬢が殿下を見張ってくれるなら、俺も少し余裕ができるし。あと、図らずもあの舞台で俺がいかにエルナを想っているか見せつけることもできたのは良かったかな」
「……図らずも? 絶対折り込み済みでしょう」
なんて白々しいのだろうか。そしてまた白々しいのがよく似合う男だ。
それにしてもローラントの口ぶりでは、わたしと会う時間を作りたいがためにあんなことを画策したということになる。もちろんローラントのことだからそれが全てではないのだろうけれど、言葉にしたことがまるきり嘘というわけでもないだろう。それがローラントの厄介なところだ。嘘だけを吐いてくれれば分かりやすいものを。
わたしは深々とため息を吐く。
「ローラント……あなた、頭は良いけど馬鹿ね」
ローラントはわたしが何を言いたいのか分からなかったらしく、小さく首を傾げた。
「あのね、会いたかったのならそう言えば良かったのよ。わたしもあなたも四六時中カーリン様や殿下に貼り付いているわけじゃないでしょ。互いに時間を合わせて会う、ぐらいのことしてあげるわよ。それでも、今回のことは必要だったと思う?」
ローラントは目を瞬いて、
「そっか」
と半ば呆然と呟いた。
「そういう方法も、あるんだね」
目から鱗が落ちたように言うローラントにわたしは呆れ返る。
「言ってくれれば、わたしからでも会いに行くわよ。わたしはあなたの婚約者なんだから、協力もするし、多少の我儘だって聞いてあげるし、間違っていると思えば袖も引いてあげるわ」
今回のことだってたっぷりと反省してもらおう。
一歩間違えれば、わたしもローラントも国すらも危ないところだったのだ。というか、フリッツについては、もともと高かったわけではない評判が「婚約者の気を引くために騒ぎを起こした情けない王子」と少し落ち込んだので、実はそれなりに悪影響も及ぼしている。その辺りはまあ、ローラントやカーリンが尻を叩いてフリッツ自身に取り戻してもらう他ないだろう。
ローラントの呆然とした顔が、言葉が染みこむに従って、徐々に崩れていく。いつもとは違う、どこか泣き出しそうにも見える、子供っぽい笑みの形に。
「……ごめん、ありがとう」
ローラントは頭が良い。そして意外にも責任感がある。自分に害が及ばなければ主でも見捨てると言っていたが、彼はきっと見捨てないだろう。
この人の言葉や心はたくさんの嘘で覆い隠されていて、そのまま受け取ると簡単に騙されてしまう。だから、わたしは本心が見抜けない。見抜けないから、いつもローラントが何を考えているのか、考えてしまう。少しでも、彼の本心を知りたくて。
「エルナ」
柔らかな声が、名前を呼んだ。
何、と見上げれば、大きな手がわたしの頬を包み込んだ。
「君が、俺の婚約者で良かった」
残念ながらわたしも、とは答えられない。果たしてローラントが婚約者で良かったと言えるのか。すぐに令嬢たちをたぶらかす彼のおかげで、学園に入学してカーリンに出会うまでわたしには友達ができなかった。そのことをわたしはこっそり根に持っていたりする。だからローラントが婚約者で良かったかと言われると微妙だ。まあ今さら婚約破棄だなんだと言われるのもごめんだけど。
「エルナ、大好きだ」
ローラントはゆっくりとその端正な顔を寄せた。まるで十日前の再現だが、今回馬車は動いていない。
止まった馬車ではさすがのわたしも酔うことはなく。
たくさんの令嬢たちを騙してきたどの表情よりも甘く蕩ける笑みを湛えたローラントを、わたしは目を閉じて受け入れた。
恋や愛というものは、まだよく分からないけれど、一つだけはっきり分かることがある。
それは、この先何があっても、わたしは誰にも彼の隣を譲らないだろう、ということだ。
だって――
「エルナ、大丈夫? 顔真っ青だよ」
「……きもちわるい。はきそう」
「吐いて良いよ。馬車止めようか?」
だって、馬車に乗る度に酔うわたしに呆れず付き合ってくれるのなんて、きっとこの人だけだろうから。




