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「つまり、あなたが殿下の企みを知ったのは今日のことで、もう止める術がなかった、と」


 パーティーから帰る馬車は、ゆっくりと走っていた。わたしと一緒に乗るとき、ローラントはいつも馬車をゆっくり走らせるように命じる。少しでも長い間話していたいとかなんとか言っていたけれど、馬車酔いしやすいわたしへの気遣いだというのは分かっている。

 ちなみにわたしがパーティー会場に遅れて入ったのは、その馬車酔いのせいだったりする。


「そう。率直に言って、あれは完全に俺の失態だ。嫌々でも殿下をもっと見張っておくべきだった。罵ってくれていいよ、エルナ」

「嫌よ。罵って喜ばれても、へこまれても扱いに困るもの。それに、レーナのことは、わたしもちょっと野放しにさせすぎたと反省しているの」

「仕方ないよ。治癒能力者は扱いが難しい。エルナはしっかりカーリン嬢を見張っていたと思うよ。エルナが彼女に何も言わなければ、本当に彼女はレーナをいじめかねなかった」


 カーリンにレーナの有用性を説き、様子を見るべきだと進言したのはわたしだ。カーリンやその周囲の令嬢が、怒りや嫉妬にかられて恥ずべき行動を起こさないようにわたしは目を配っていた。

 それは王太子の側近であるローラントも同様のはずだったが、彼はわたしほど徹底していたわけではないらしい。というか、上に立つフリッツ王太子が、カーリンのように周囲の者に耳を傾けるような人間ではないのが災いしたのだろう。


「それにしても、もっと早くレーナに王太子を落とすのはうま味がないと教えてあげれば良かったんじゃないの? あの子、野心家だから、もしも殿下と上手くいってもカーリン様を排除したら没落への道をひた走ることになるって知ればさっさと手を引いたでしょう?」


 ローラントは首を傾げて、少し考える振りをする。


「どうかな。彼女は、俺が好意を持っていると勘違いしていたから、気を引くための嘘だと思ったかもしれない」

「勘違いしていたんじゃなくて、勘違いさせたんじゃないの? あなたはそういう節があるわ。いつでも女性に優しくて、さりげなく気遣って。わたしにあなたと別れるように言ってきた女は何もレーナが初めてじゃないのよ?」


 わたしの婚約者は何と言うか、愛想が良い。わたしは社交のためだと十分理解しているが、そうでない女性は多い。特に年頃の令嬢なんかは、ローラントの甘い顔にすぐ騙される。


「エルナ、そんなこと言われてたの? いつ、どこで?」

「あなたが知らないときに、あなたが知らない場所で。でもそんなのはどうでもいいのよ。何か危害を加えられたわけでもなし」

「分かった。これからはもっとエルナのそばに居ることにする」

「話、通じてる? あと、狭いんだからあまりこっちに寄ってこないで。窮屈よ」


 馬車は向かい合って座れる造りになっているにもかかわらず、わざわざローラントはわたしの隣を陣取っている。普通に座ればもう少しわたしたちの間には空間が空くはずなのに、ローラントはわたしの手を握ったままぴったりと肩をくっつけてくる。鬱陶しいというか狭苦しいというか。馬車に酔って気持ち悪くなったときは、寄りかかりやすくて助かるけれど。


「ねぇ、エルナ」

「何? ていうか、いい加減に手を放してくれない?」

「――婚約破棄、されると思った?」

「……」


 手を放せ、離れろと言っているにもかかわらず、ローラントはさらに距離を詰めてきた。わたしの頭が、馬車の壁に当たる。

 狭い馬車の中。逃げ場なんてどこにもない。「エルナ」と急かすように声が降ってきて、観念してわたしは口を開く。


「……思ったわよ。だって、あなたは――あなただけは、()()()()()()()んだもの」


 レーナやカーリンに特別な能力があるのと同じように、わたしもまた生まれつきの能力を持っている。それは、右手に触れた相手の心を読む能力。読心能力だ。

 わたしはこの能力を公表していない。知っているのは家族とほんの一握りの信頼できる人間だけだ。そんなほんの一握りのうちの一人がローラントなのだが、彼は昔から、わたしがやめてと言っても手をつないでくる。

 でも、ローラントは器用にもほとんど考えていることを読み取らせない。どころか必要なときは、この能力を利用してわたしにだけ言葉を伝えてくる。完全にわたしの能力を使いこなしている。先程の婚約破棄茶番劇のときだって、それを使ってわたしに協力して欲しいと頼んで来た。

 今回のように言葉の外で意思疎通が可能となるので便利ではあるが、でもだからこそ彼とつないだ手から流れて来る言葉は、本心とは言いきれない。心の内を読んでいるのに、わたしには彼の本心は読み取れない。


「わたしとあなたの婚約は双方の両親が決めた政略的なもので、それは何にも代えがたい保証であり(くさび)よ。普通だったら覆すことなんて叶わない。だけど、レーナに心を奪われた殿方にそんなものは関係ないわ。彼らは長年信頼を結んできたはずの相手を、レーナに惑わされるままに切り捨てた。あなたの本心が分からないわたしには、彼らと同じようにわたしを切り捨ててくる可能性が一番高く見えたわ」

「エルナらしい考え方だね。……でも、そうか。俺の気持ちは全く伝わっていなかったというわけか」


 苦く笑ったローラントは、けれどすぐに何か思いついたように悪戯な笑みを浮かべた。


「ねぇ、エルナ」

「何?」

「俺は今までエルナに嘘を吐いたことはないよ。口から出た言葉、心で呟いた言葉、全て本心だ。でも、君は信じないのだろうね。だから、少し意地悪をしようと思う」

「い、意地悪……?」


 身構えたわたしに、ローラントは空いている右の手を伸ばす。さらりと、髪を弄ぶように触れた。


「その前に一つ訊いて良い? 俺がレーナのことを好きかもしれないと思ったとき、少しでも、嫉妬した?」

「……して、ないわ」


 胸のあたりがもやりとしたけれど、馬車酔いが残っていただけだきっと。


「一度、事故で唇が重なったことがあると言っても?」

「なっ――ちょっとこっちを見なさいローラント!」

「え」


 気づけばわたしはローラントの胸ぐらを掴んでいた。そんなことで鍛えているローラントがぐらつくことはなかったけれど、元々至近距離に顔があったのだ。少し顎をあげれば、簡単にその唇を奪えた。


「えっ……と、エルナ?」


 わたしはたぶん、据わった目をしていたと思う。ローラントはあまりの事態に何度も目を瞬かせていた。


「――いつの話よ」

「え、ええと……エルナ、今のは」

「いつの話って訊いてるの! どうしてすぐに言わなかったの?」

「え、エルナ、ちょっと待って、落ち着いて」

「落ち着けるわけないじゃない! レーナが事故でキスなんてするわけもない! 確信犯よ、確実に。ああもう、知っていればさっさと排除していたのに」

「エルナ、ごめん。違うんだ。少し悪戯が過ぎた」

「……いたずら?」


 掴んでいた胸ぐらを揺さぶる手を止める。

 見上げると、そこには困りながらも嬉しそうに唇の端を上げる器用な表情をしたローラントの顔があった。


「うん、事故でキスをしたのは俺じゃない。わざと主語を抜いたんだ」

「どうして、そんなこと……」

「少しでも、エルナに嫉妬してもらえるかなって、欲をかいた。ごめん、まさかその、あんな大胆なことをするとは思っていなくて」

「えっと、じゃあ、レーナとは、キスしていない……?」

「するわけない。たとえ事故だとしてもごめんだ。全力で避ける」

「そっか……良かったぁ」


 ほっと息を吐いて、はたと気づく。


「ちょっと待って。『俺じゃない』ってことは、誰がレーナとキスしたの!?」


 ローラントはしれっと言う。


「殿下」

「殿下って……見てたなら守りなさいよ。仮にも一応、今のところはあなたの主でしょ」

「事故だから、どうしようもないよ。主だからって、忠誠もないし。今回騒動を収めたのも、こっちに火の粉が飛んで来そうだったからに過ぎない。俺の関係ないところで殿下が破滅するんなら、何もしない」

「乳兄弟なんだから、関係ないところっていうのは難しいでしょう。それに、あんな王子でも、第二王子よりマシだし……」


 第二王子はフリッツの一つ下の王子で、フリッツがマシと思える程度の自惚れ無能王子だ。フリッツは話を聞かないことも多いが、あれでも一応それなりに自分の考えや意思を持っている。一方で第二王子は、甘言に弱く努力を嫌い、そのくせ何事においても自分が秀でていると勘違いしている。実際は勉学剣術芸術その他、あの根性無しのフリッツにさえ及ばない技量しか持っていない。まあフリッツもローラントやカーリンが居なかったら似たようなものだったかもしれないけれど。彼らに尻を叩かれてなんとかそこそこの実力を身に付けてはいる。


「分かってる。火の粉が降りかからないようにするなら俺がしっかり手綱を握っていれば良かったんだって。でも、最近の殿下に口を出すのは難しかったんだ」

「あなたが今さら? 何かあったの?」

「恋は盲目という言葉を俺自身がよく理解しているから。愛した人の言葉を全て信じたい気持ちはよく分かるんだ」

「……そうなの? 恋とか、愛とか、わたしにはよく分からないわ」


 幼い頃から婚約していて、ローラントと結婚するものだと思っていたから考えたこともなかった。自分の能力のことで手一杯だったのもあるだろうけど。


「……よく分からないのに、俺にキスしたの?」

「……きす? ――あ」


 思い出して、顔がカッと熱くなった。


「ねぇ、エルナ。あれは、どういう意味?」

「あ、あれは……っ! その、ローラントはわたしのなのにって、気づいたら、衝動的、に……――って、違っ、そうじゃなくて、もう……っ! わ、忘れて! あれは間違い! 勘違い!」

「無理。今の言葉も含めて嬉しすぎて、忘れられない」


 顔を覆い隠したわたしの体を、ローラントが抱きしめた。


「エルナ。何も間違いじゃないよ。俺はずっと君のものだし、君もずっと俺のものだ。俺の言葉は嘘くさいかもしれないけど、俺はずっとエルナが好きだよ」

「……口では、何とでも言えるわ」


 心が読めてしまうということは、嘘を見抜くことも簡単にできてしまうということ。表面に出て来る言葉と心に秘めた言葉が、全く反対であったことなんて数え切れない。

 だから、本心が読み切れないローラントの言葉を、わたしはどれだけ信用して良いのか分からない。


「そうだね、口では何とでも言える。でもそれは、エルナにも当てはまるって、気づいてる?」


 抱きしめる力を緩めたローラントは、わたしの顔を覗き込んだ。

 悪戯っぽくて、それでいて甘やかな笑みを浮かべた端正な顔が迫る。


「エルナは俺がどれだけ近づいても拒まない。そのせいで、俺が調子に乗っているって気づいてる?」


 ローラントの大きな手が頬にかかる。


「エルナが嫉妬してくれて、キスまでしてくれて、俺がこれ以上なく舞い上がってるって気づいてる?」


 熱っぽい視線でわたしを射貫き、ゆっくりとその顔を寄せてくる。

 唇が重なり合う――その直前。わたしは限界を迎えた。


「…………ごめん、ローラント。きもちわるい」

「え、エルナっ!? 大丈夫?」


 青い顔で口元を押さえたわたしは、馬車の背もたれにぐったりともたれかかる。ここまで我慢していたけれど、もう駄目だ。酔った。気持ち悪い。吐きそう。


「もたれていいよ、エルナ。何なら膝に寝ても」

「……ありがと」


 膝枕はさすがに、と思って、肩にもたれて目を瞑る。

 ローラントは馬車が屋敷に着くまで労るように優しく肩や背を撫でてくれた。ほんの少し気持ち悪さが和らいだような気がした。

 途中でわたしが眠っていると思ったのか、


「あと少しだったのに……」


 と残念そうな呟きが降ってきたが、聞かなかったことにした。



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