『病気の話』
どこからか香ばしい匂いがする。
「いい匂いだねーショーゴ……」
少し大きめなスクーター型バイクの運転手に問う。
「そうだね……はぁ……」
と、同じく少し大きめなスクーター型バイクを運転している『かおり』と呼ばれる食いしん坊な運転手に正午が答えた。
「お腹が減っ」
「……それ以上言うな」
ゆっくり首を振り、正午がかおりの発言をなかったことにする。
「それ以上言ったらもっと酷くなることになる……」
「そうだねー……」
二人はだらだらと大きな街の車道を横切った。右を見ても左を見てもそこには飲食店ばっかりだった。これだけ美味しそうなレストランがたくさんあるのに二人はなぜかげっそりしていた。
「……」
「…………」
二人はそのまま無言でレストラン街を抜け、市街地へと入った。少し走ったところで正午が、
「腹減った……」
「さっき言うなって言っただろーがー!」
かおりは正午の発言を見逃さなかった。
「お届け物でーす」
正午が一つの民家のドアをノックした。
「早かったわね」
出てきたのはその家の住民、その人は正午が持ってきた荷物を受け取ると紙にサインをして家の中に戻った。
「あと、一件だ」
「次でようやく最後ね。これでいくら入ってくるかしら?」
空腹に負けそうになりながらもかおりが言った。
「少なくとも食料と燃料と宿代くらいは確保できるくらいの収入は入ってくることを期待しよう」
「ご飯はー?」
「まずはこれからの生活に必要な物を買うのが先決。食事は余ったお金でなんとかしよう。それに宿が見つかればそこで食べられる」
「えぇー! 先にご飯が優先だよー!」
“ぐぅ”とお腹と背中がくっつきそうな音がかおりのお腹から聞こえた。
「わかった、わかった。とにかく最後の荷物を届けたら考えよう」
「はーい」
更に元気がなくなったかおりは最後の力を振り絞って自分のバイクにまたがった。
「ぷっはぁー食べた、食べたー!」
少々高級なレストランのフルコースをかおりは見事に平らげた。
「結局食事優先になっちゃったな〜しかも、ここだとそこそこ高いぞ……」
正午のテーブルにはお皿は一つ。しかも見る限りだとそれほど多い量は食べてはいないようだ。一方かおりのテーブルには食べ終えたお皿が一枚二枚……フルコースなので結局何枚食べたかなんてわからない。
「ショーゴももっと食べればいいのにー」
そう言いながらかおりはデザートであろうアイスクリームをパクっと口に入れた。
「合計でいくらになるかわからない状態でそんなにパクパク食べてられないよ」
そういうと正午はまた“はぁ……”と大きなため息をついた。その目の前でかおりがもう一口、こんどはブルーベーリーが乗っているようだ。その光景をみて正午はまた“はぁーあ”と大きなため息をついた。
正午とかおりは全てを平らげたあと、少しの時間ゆっくりしていた。と、いうよりはかおりがまったく動けない状態だからだ。
「やっぱりかおり食べすぎだよ」
「心配いらないってーショーゴー」
「別な意味でも心配なんだけども……」
お会計のことだ。これだけ食べて安くすむはずはないだろう。正午はまたがくりと頭を下げていた時、
「ちょっとよろしいかしら?」
僕たちが座っていたテーブルに人が尋ねてきた。少しうるさかったのだろうか?
「はいー? なんでしょうかー?」
上機嫌なかおりが答えた。少しお金持ちな婦人だろうか、全身きれいなワンピースを着ており上手にメイクもしている。
「あなたたちって旅人さん?」
「そうですよー。あっ、ここどうぞ」
そうかおりが言って余ったイスを一つ持ってきた。婦人は“ありがとう”と言って腰をかけた。
「改めましてはじめまして。私はセリーヌ」
「はじめまして、僕は正午、こちらはかおりです」
“どーも”とかおりがにっこり笑う。
「正午さんとかおりさんですね。お二人とも仲が良さそうに見えましたよ」
そう言ってセリーヌと名乗った女性はくすくすと笑いながら言った。
「いやぁーそんなことないですよー」
かおりが手をぶんぶん振り回しながら物凄い拒否反応をおこしている。ここまでやられるとお世辞でもちょっと悲しい……
「それで、僕たちに何か御用ですか?」
しばらく三人で談笑したあと、正午は本題に移った。セリーヌさんは少し言おうかどうか考えてからゆっくりと口をあけた。
「……実は、会って欲しい人がいるの」
「僕たちにですか?」
正午は尋ねた。その横でかおりは目を丸くして様子を見ている。
「そう。見えるかしら? あの大きなビルが」
そう言ってセリーヌと名乗った婦人は窓の外を指さした。正午とかおりはすぐに婦人のさす方向を見た。そこには大きなビルが、多少大きすぎるであろうビルが立っていた。
「あのビルは実は病院なの」
「病院ですか? そこに会わせたい方が?」
「そう、会わせたいのは私の娘でセーラといいます。今年で十歳になります」
「年頃ですねー」
「…………」
一瞬かなり冷たい空気になったが、続けて婦人が言う。
「あの娘は二歳の時からある病気で入院をしているんです」
「二歳からですか…えらく長いですね」
「それだけ重い病気ってことなの。それで、旅人のあなたたちにお願いです。あの娘に旅のお話をしてあげられないでしょうか?」
ここまで言って婦人はお願いするように頭を下げた。
「ショーゴ、いいじゃん。行ってあげよう?」
そうかおりが言うと、正午は少し考えこう言った。
「そうですね。僕たちでよければ娘さんのお話し相手になりましょう」
そう言うと婦人は“本当?”と喜んで、正午が“はい”と答えた。
「それじゃあ紹介状を書くわね。正午さん、かおりさん、本日の宿泊先はもうお決まりですか?」
二人は顔を見合わせ“いいえ”と答えた。
「そう……それじゃああのビルの隣に私の知り合いが経営しているホテルにお泊りになってください。もちろんお代は結構です」
二人はまたしても顔を見合わせ“いいんですか?”と聞き、婦人は“もちろん”と笑顔で答えた。
その日の夜が深くなってきた頃、二人は超がつくほどのスイートルームに入室しておもいっきりびっくりしていた。
「ショーゴ! 見て、さっきのレストラン! ここからでもよーく見えるよ!」
「そうだねー」
「ここって、最上階だよね?」
「そうだねー」
「普通泊まったらいくらくらいになるんだろう?」
「普通は泊まれないと思うよー」
ぶっきらぼうに答える正午。
「何よ、何よ! ショーゴはこんなにいい部屋準備してもらって嬉しくないの!?」
「嬉しいよー」
「じゃあなんでそんなに嬉しそうじゃないのよ?」
「眠い。今日は疲れた……」
「えぇー! もっと話しよーよー!」
かおりがだだをこねるが正午はふかふかのベッドを目の当たりにしたせいか“バタっ”という音をたてふかふかのベッドに倒れこんだ。
「かおり」
「何よ?」
窓の外の夜景をのんびり見ていたかおりが答える。
「かおりも知ってると思うけど、昨日今日と僕は何も食わずに配達の仕事をしたんだ」
「何も食べなかったのは私も同じだけれど?」
「だから……おやすみ……」
「ちょっ、ショーゴ!? 」
かおりが懸命に正午の身体をゆさゆさと揺らすが彼は目覚めることはなかった。
「……まったく、こんなにいい部屋なんだからたまにはゆっくり話でもしてくれたらいいのに……」
かおりは外が見える位置にあるソファに腰を下ろし“ふぁあ”っと一回あくびをしたと思うと、すやすやと眠ってしまった。せっかく大きなベッドが二つもあるというのに……つかの間の贅沢とはこのことだろうか……
翌日、二人は巨大なビルの前に立ちつくして。
「ショーゴ……これって病院なの? ビルなの? 企業なの?」
「どちらかというと、ビルだよね……」
そこは病院というよりはかおりが言ったように巨大な企業ビルのような建物だった。昨日、セリーヌさんから頂いた紹介状によると病室はこの建物の二十四階にあるようだった。
「さて、行こうか。このままだと日が暮れるまでここに立ってそうだ」
「うん、そうだね……」
二人は恐る恐るビルの中に足を踏み入れた。
巨大ビル二十四階のある病室。
「こんにちはー」
正午がノックをして少し大きめな声をかける。
「どうぞ」
と、インターホンから聞こえてきた。ノックまでした正午が馬鹿らしく見えたのか、かおりは必死で笑いをこらえている。
「失礼します」「失礼しまーす」
二人そろって病室に入室した。
そこにはまだまだ幼い容姿の女の子がベットの上で分厚い本を読んでいた。そして正午たちを見て
「はじめまして、旅人さん。私はセーラと言います」
そういってセーラはベッドから起き上がり二人にお嬢様らしい挨拶をした。
「こんにちは、僕は正午。こっちはかおり。よろしくね」
「しょーごさんとかおりさんですね。よろしくお願いします」
セーラはまだまだ子供で瞳の色は青よりの緑色をしていて。フリルのついたパジャマを着ていた。
「セーラちゃんかわいいパジャマだね」
「ありがとうございます。かおりさん」
かおりが近づいて素直にかわいいと思ったパジャマをほめると、正午に向かって“しっしっ”というジェスチャーをした。どうやら近づくなと言っているようだった。それを見た正午は素直に病室の窓がある方の椅子に腰掛けた。正午が“ふう”と一息いれて、かおりとセーラに聞こえない声で「子供の相手は苦手だ……」と呟いた。
その後、正午を除く二人は旅の話や女同士の話で盛り上がっていた。
「じゃあ、かおりさんは悪の組織をやっつけたんですね!? 」
「そうよー! 私がこうやってパンチして……」
「悪の組織ってなんだよ……」
誰にも聞こえない声で正午が呟いた。
………………
「じゃあ、かおりさんはバイクで旅をしてるんですか!? 」
「そうよ! これでもバイクの運転はあそこに座ってるショーゴより上手なんだから!」
「言えた口か……」
誰にも聞こえない声で正午がツッコんだ。
※
やがて時が過ぎ、面会時間の終了が迫っていた。
「かおり、そろそろ」
「うん! そうだね。それじゃあセーラちゃん、お姉ちゃんもう行くね!」
かおりがセーラにバイバイと手を振った。
「あっ……かおりさん、しょーごさん……」
「ん? どうしたのセーラちゃん?」
病室を出ようとした正午もセーラが何か言おうとためらっているいるのを見て足を止めた。
「……今日は本当にありがとうございました」
丁寧にセーラがお礼を言って頭を下げた。しかし、表情は浮かない顔をしている。
「いいよ、いいよ、お礼なんて!」
かおりが手をぶんぶん振りながら笑って答える。
「……何か聞きたいことでもあるのか?」
久しぶりに正午が口を開いた。
「……」
「とんとん、ちょっとショーゴ、困らせるようなこと言わないの!」
小声でかおりが正午に耳打ちした。そして、セーラが口を開いた。
「……かおりさん、しょーごさん、私の話を聞いてくれますか? 今度はしょーごさんにも……」
さっきとは声のトーンや表情が違って見えて正午とかおりは顔を合わせて再びセーラを囲むように椅子に座った。正午は窓際から椅子を持ってきて座った。
「……私はここに入院してもう八年になります。そして、私の命がもう長くないのもだんだんわかってきました」
「それはどういうこと?」
正午の代わりにかおりが言った。
「お医者さんは『すぐに治るから安心しなさい』って言ってるけど、そんなことをもう八年も言われ続けてきてるんです。それに、最近は体調もあまり優れないし……すぐに気分が悪くなったりして……」
「……そう……でも、まだ決まったことじゃないんだしさ!」
かおりが急いでフォローに入るがまだセーラの表情は優れない。その様子を正午はじっと見ていた。
「私もわかるんです。お父様もこんな風に入退院を繰り返して若くして亡くなってしまったように、私もこの病気を受け継いで、そして私も大きくならないまま死んでいくんだって……」
「そんなことないわよ! だって…まだまだセーラちゃん元気だし! ほら、元気になってやりたいこともいっぱいあるんだしさ!」
多少強引なフォローをかおりが焦りながらするが効果はないようだった。
「だから……私、嬉しいんです。今日、こうしてかおりさんとしょーごさんとお話できて…多分、外部の人とお話する機会なんて……もう、来ないから……」
そう言って、セーラはうつむいてしまう。かおりはどうしたらいいかわからず軽くパニックになっている。
「治るさ、きっと」
「えっ?」
正午が口を開く。
「治るさ。ここ最近の体調不良は成長期に投薬で発生している副作用なもの。一時的なものだよ。それに、君はお父さんの病気のことを最近知ってしまった。だから自分もお父さんと同じようになってしまうのではないかと自分で暗示をかけてしまっているんだ。それに……」
「それに……?」
セーラの代わりにかおりが聞く。
「この国は医療が進んでいる先進国だ。昔ならともかく、今の時代、この国では君のような病気の治療法はもうとっくに見つかっているはずさ。今じゃ国内外を問わず医療チームが世界を飛び回っている。だから世界最高のこの地で世界最高の治療が受けられる君が治らないはずはないんだ」
これにびっくりしたのはセーラではなくかおりの方だった。
「じゃあ、セーラちゃんの病気は治るんだね!? 」
「すぐにとは言えないけど、こうして外部の人間と面会も出来てるってことは完治は近いだろう」
「そっかぁ! よかったね、セーラちゃん! ショーゴが言うことは間違ってないよ、ショーゴはこれでも医者の卵だったんだから!」
「はい……ぐすっありがとう…ございます……」
セーラはさっきまで下を向いていたが、今は嬉しそうに涙ぐんでいる。
「あとは、君が自分は生きたい、お父さんの分も生きてこれから楽しいことをいっぱいして、大人になるんだ、っていう強い気持ちを持つことが大切だよ。わかった?」
そういって、正午は涙があふれているセーラの頭をそっと撫でた。セーラは嬉しそうに「はいっ」と元気よく答えて笑った。
「早く治るといいね、セーラちゃん」
巨大ビルを後にした正午とかおりは買い物を済ませ出発の準備をしていた。
「……治らないよ。むしろ、彼女はもう長くない」
どさっと、かおりが荷物を落とした。
「ショーゴ……今……なんて……?」
そのとき、後ろからクラクションが鳴らされ、出てきたのは昨日会った婦人、セーラの母親のセリーヌさんだった。
セリーヌさんを含んだ三人は昨日とは違うカフェでそれぞれの飲み物をすすっていた。
「ショーゴ、さっきの話の続き!」
「まぁ、慌てるな。セリーヌさん、セーラちゃんはもう長くありませんね?」
「ちょっと、ショーゴ! 失礼だよ!」
飲みかけの紅茶を置いてセリーヌが答える。
「正午さんの言うとおり、セーラはもう長くはありません」
横でかおりが“うそっ”と小さく言った。
「嘘じゃないですよ、かおりさん。セーラは長く慢性の病気を患っていて、あの娘の父親と同じ病気なのです。彼女の父親、私の夫もこの病気でした。そして、この病気はどうやっても治ることのない病気なのです。手術をしても、どこから手をつけて良いかわからない状態なんですよ。心臓から何まで病原が侵食していて、完治するなんて夢のまた夢の話なのです」
続いて正午が話す。
「だから、あえて無理に治そうともしなかった。おそらく彼女が小さい頃に受けられたものと思われる治療の跡があちこちに、隠していたようですが、うっすら見えましたから。……このまま恐れながら治療を受け続けるより、彼女の最後をじっと待つおつもりですね?」
正午のその言葉をセリーヌは手を動かすこともなくじっと聞いていた。そしてゆっくり口を開いた。
「……正午さんはよく頭がまわりますね。そうです。セーラには……彼女にはこのことは話してはいません。どうせ死んでしまうなら本人には伝えずにゆっくり彼女のペースで死んでいって欲しいのです」
「違う……違うよ‼」
かおりが周りに聞こえるくらい大きな声で叫んだ。
「そんなの違うよ! そりゃあ、どうせ死んじゃうなら知らないまま死んじゃった方が幸せかもしれないよ!? でも、世の中には自分が死ぬのをわかっていても、精一杯がんばって治そう、一分一秒でも長く生きようって努力してる人だっているんだよ!? これじゃあ……これじゃあ! セーラちゃんの周りの人だけが自己満足の幸せを考えてるだけで、セーラちゃん本人は……本人は……かわいそうだよ……」
かおりはそう言うと、涙ぐんで頭を抱え込んでわんわんと泣き始めた。正午とセリーヌもかおりの声を聞いて少し苦い顔をした。
「かおり……こればかりはしょうがないんだ。病気のことを話すか、今後の治療に関しては親が決定権を持っているんだ。だから、しょうがないんだ。セリーヌさんだって辛くないはずはないんだ。これだけの覚悟があるってことは、それだけセリーヌさんも悩んで、これ以上ないくらい悩んで決めたことなんだ」
かおりはまだ、涙をこぼして泣いていた。
「だから、これ以上セリーヌさんを責めるのは……あれっ?」
正午が気づいた時には彼女はもういなかった。
その場には、泣き止まないかおりと、複雑な心境の正午だけが残された。
暗い部屋にパソコンのキーボードを叩く音が聞こえる。そして、画面に数行打ち込まれたあと、パソコンは閉じられた。
“今日、しょーごさんと、かおりさんにがんばって生きていくんだよって言われました。
私も早く元気になってお母さんと一緒にどこか遠くにお出かけしたいです。
私も、しょーごさんとかおりさんのように……。
大きくなったら……旅をしてみたくなりました“
END
注意、この作品はフィクションであり人物及び国名などは架空の物とします。尚、この作品は別作「忘れ咲き」と若干関係性がございます。尚、この作品は順不同でお送りしております。