『仲間の話』
本文中に「秋田自動車道」「東北自動車道」の表記がありますが、現在使用されている高速道路標示とは別の物と致します。ご了承ください。
夜明け前の片側四車線の高速自動車国道を二台のバイク(自動二輪車を指す。この場合オートマチック型スクーター型バイク)が法定速度ぎりぎりのスピードで走っていた。
頭の上に見えるオレンジ色のライトが遠くの道まで繫がっているように見える。
片側四車線の道路に他の車両の姿はほとんどなく、いま走っている二台のバイクは車線の変更を行いながら、見えては直ぐに消える車たちを追い抜いて走っていく。
運転者の顔は顔全てを覆うタイプのヘルメットをかぶっているために見えない。二人とも全く同じバイクに乗っている。他の車両からすると、この二台だけスピードは群を抜いていて、まるでレースの真っ最中かと思わせるような光景だった。
そして、先がよく見えないカーブを二台は減速もせずに曲がっていき、やがて見えなくなった。
猛スピードで走っていた二人は真夜中のサービスエリアで休憩をしていた。もちろん、真夜中なので、どの店も営業はしていない。
「やっぱり高速だと道がしっかりしてるから走りやすいわねー。ねえ、ショーゴ?」と、一人の運転手が、すがすがしい顔をヘルメットを脱ぎながら見せ『ショーゴ(正午)』と呼ばれたもう一人の運転手に問いかけた。
「そうだね。やっぱり日本の道路はしっかり造られていて走りやすいよ」と、もう一人の男性の運転手が答える。
「でもさ、かおり?」
「うん?」と、『かおり』と呼ばれた運転手が生返事をする。
「道、間違えたでしょ? ××自動車道に来ちゃった。僕たちが向かうのは×××自動車道の先。途中の分岐をよく見ていなかったかおりが先走ったから……」
「だってさ……久しぶりに日本語読んだから、わかんなくなっちゃった」と、楽観的な顔をしてかおりが言う。その横で「日本人でしょ……」と正午がつぶやいた。
「そんなことよりさ! 久々に日本に帰ってきて、まず行くところはどこなの?」
二人は久しぶりに自動販売機で買った缶コーヒーを飲みながら休憩を続けていた。
二人が自動販売機のボタンを押して缶コーヒーが出てくるまでにはえらく時間が掛かった。小銭を入れる場所が見あたらなかったり、何かを反応させる所(カードか何か)があったり、ボタンを押した後のルーレットがなかったり、そもそも日本国通貨が見あたらなかったり……。結果的には変な装置には触れないで普通に購入した。――途中、かおりが痺れを切らし、自動販売機に蹴りを入れた事は言うまでもない。
「うん? 僕の友達がいる街だよ。ついでに言うと、その街は僕の故郷なんだ」と、正午が缶コーヒーを飲みながら横目で答える。
「ショーゴの故郷? ショーゴって都心生まれの都心育ちじゃなかったんだ?」と、かおりが不思議そうな顔で正午に聞く。
「まぁ、都心での生活が長かったからね。でも、故郷に帰る……というよりは友達に会いたいかな」
「じゃあ! その街で友達に会ったら、次はいよいよ……私たちの街だね!」
のんびりとくつろぐ正午の隣でかおりは目を輝かせながら想いふけっている。その様子を見た正午も内心楽しみにしていた。
今回の日本への帰省もそうだが、しばらく国外で旅を続けている正午たちは、地元が今、どうなっているのか、いつも気になっていた。夏の日差しや気温に負けそうになりながらも通った学校や、真冬に雪が大量に積もって毎日まいにち雪かきをしてから入るこたつの中だったり、季節的な感情ももちろんあるが――なんと言っても過去に離ればなれになった友人たちのことが一番早く頭に浮かんだ。「あの友達はいま何をやっているのだろう……」など想い浮かぶことはたくさんある。
やはり、地元に帰るということは、正午にとってもどの街に行くよりも特別な想いがあるのだった。
「ところでショーゴ? その、ショーゴの故郷にいる友達ってどんな人なの?」
空になった缶をゴミ箱に投げたが、的を大きく逸れて外したかおりが聞く。
「その友達の名前はユート。彼はギターをやっていて、僕とは音楽仲間なんだ」と、正午が言いながらかおりが外して今も尚、カラカラと音を立てて転がっている空き缶をしっかりとゴミ箱の中に入れた。
「もしかして、その『ユート』っていう人はプロのミュージシャン?」と、わくわくと胸を弾ませながらかおりが聞いた。
「プロではないかな……」
「なーんだ。がっかり……」と、かおりががっくりと頭を垂らす。
「でも、彼の腕は確かだよ、僕が保証するよ」
「へぇ、ショーゴがそういう事をいうなんて珍しい。――じゃあ、少し話でも聞かせて貰おうかしら?」
かおりがそう言い、正午の隣に座る。「じゃあ、少しだけ」と正午が言う。
まだ初夏も来ていない五月なのに、虫たちの鳴き声が聞こえる。それらの鳴き声はすぐ横にある高速道路を走る車の音でかき消されたが、頑張って鳴いている声はなぜが空高くまで聞こえている気がした。
「――ユートと僕は、当時憧れだったアーティストのライブの時に初めて会ったんだ。そのライブの帰りに僕らは途中まで一緒の帰り道で、お互いがやっている音楽のことや、やりたい音楽、好きな音楽、最後にはお互いの音楽性の話もしたりして、次に会ったときにはすっかり意気投合したんだ」
「ショーゴが直ぐに意気投合? 珍しい。私に慣れる時なんか一ヶ月もかかったのに……」
「それだけ彼とは意見が合ったってことなんだ。そして僕らは、あるイベントを期にユニットを組んだ。ユニットを組む前までは、ユートが演奏者、僕がマネージャーみたいなことをやってた時もあったけど、最終的にはユニットを組んで、彼がギターと歌を、僕がドラムを担当して活動をしていたんだ」
「ショーゴにもバンド時代があったんだねぇ。少し驚き」
「でも、僕が都心に引っ越してからは、なかなか練習もライブもできなかった。たまに地元に帰った時に音合わせをしたり、ライブをやったりしてはいたけれど、僕がこの旅を始めてからは練習もライブも、そもそも連絡も取り合ってはいないんだ。……しょうがないけどね」
「行く当てもない旅だもんね」と、かおりが声だけで、うんうんと同意する。
やがて東の夜空に赤みが帯びてきて、高速道路にも排気量が多い大型トラックが顔を出し始めてきた。
「さて、話はこれくらい。あとは到着したら本人に聞こうか」「そうしましょ」と、かおりも続ける。
正午は立ち上がり、持っていた空き缶を十数メートル先のゴミ箱に投げ、見事に入れた。その横でそれを見ていたかおりは口をぽっかりと開け仰天の顔をした。
二人は早々と準備を整え、まずは次のインターチェンジで折り返して目的地へ出発した。その後も二人は大型トラックや乗用車を隙を見ては抜いて走った。少し危険な運転ではあるが、普段悪路を走り慣れている二人にとっては楽な方であった。
太陽が徐々に顔を出し始めた頃、二人は目的のインターチェンジで降りた。高速道路を降りてすぐの車道にある信号機に対し、少しいらつきを覚えながらも二人は街へと向かって走る。
正午は、「昔までこんな物なかったのになぁ……」と、思いながらバイクのハンドルを握っていた。
昔はインターチェンジの付近、または駅の周辺にはいろんな店があったのだが、この時代になってから、街は飽くまでひとつの街、ドーム型球場が十個入るか入らないか位の規模でしかない。その中に店があって、駅があって、人が住んでいる。逆を言えば、ドーム型球場十個ほどの広さの街であれば、それ以外の所には人は住んではいない。過去の戦争の飛び火がこっちの地方にもこんなに被害が出ているとは知らなかった。
インターチェンジで降りて、昔まで大きなショッピングセンターがあったであろう場所にも人の姿はなく、そこらに舞っているゴミや新聞らで埋め尽くされているのが目に見える。建物にも人影はなく、大きな垂れ幕の文字が完全に消えかかってるのが見える。近くに見えるガソリンスタンドも壊された跡があり、誰かが油を盗んで行ったことがよくわかる。道路標識も無残にも折られたり、倒れていたり、その直ぐ横にその標識にぶつかったであろうボロボロになった車が投げ出されていた。最初は高価だった車も、ホイールやボンネット、車内の部品などを盗まれていて足回りは錆び、フロントガラスを割られた車内は雨水が溜まり腐敗しきっていた。それは、まるで一つの小さな戦跡で、廃墟の街のようにも思える程のありさまだった。
そんな事を正午は、昔まで自分の遊び場だった場所を運転しながら横目で見ながら過ぎていった。
やがて閑静な空間を抜けて街の前まで二人はやってきた。それまで走ってきた道と街との境界はしっかりしていて、街の前まで来たら急に周りは綺麗に掃除されて、まるで外部からの空気を持ち込まないようにしているようだった。
街の前には警察官に似た制服を着た審査官らしき人がいて、二人の身分を証明する物の提示、及び二人は法的に安全な人間かどうかを審査した。二人はパスポートを見せて、ブラックリストに載っていないことから許可が下りた。この流れは、一般的に機能している街では当たり前の事なのだが、正午にとっては自分の地元に身分を証明しないと入れないというのは苦痛だった。
街の中に入った二人を待ち受けていたのは完全なる『人混み』というものだった。そして、同時に「この街は人工により造られた街」なのだと再認識したのだった。
二人は、三階建ての建物で久しぶりにファーストフードで朝食を取った。容姿や格好を抜けば二人は単なる若者にしか見えない。
「正午、元気出しなさいよ。しょうがないじゃない、こんな世の中なんだから」と、正午に言いながらかおりはハンバーガーをもぐもぐと口に入れる。
「最初は落ち込んだけど……もう大丈夫だよ。でも、本当にココが地元なんてびっくりするよ」
正午はそう言うと、ガラス越しに街の中を見渡した。そこには、いつまで経っても変わらない通勤通学ラッシュの人の姿があった。暑そうにスーツの上着を片手に下げ、携帯電話でどこかに電話しているサラリーマンの姿や、それぞれの制服を着た高校生くらいの男子や女子、中には黄色いぼうしを被ったとても背の小さい小学生の姿もあった。正午とかおりはソレらを見ながら改めて、「ココは日本なんだ」と実感した。正午たちがこれまで見てきた「青い空」とか「澄んでいる風の感触」や「雨上がりの泥の匂い」だとか「果てしなく高い空」だとか、を感じている人はいないだろう。みんな自分の世界を作り込み、他人との接触を断ち切っている。きっと、正午たちが見ている景色と彼らが見ている景色は違うのだろう。下を向いて歩いてしまっている彼らには「青い空」を見ることはできないだろう。そう二人は思った。
朝食を取り終え、二人はある場所へと歩いて向かっていた。通勤通学ラッシュが終わった時間ではあるが、二人は人に流されないように気をつけて歩いた。バイクは、人に当たったら危ないので事前に置いてきていた。
「ねぇ、ショーゴ、私たちは今どちらへ向かっているのかしら?」と、歩きながらかおりが云う。
「どこって……さぁ、どこだろう?」と、正午が首を傾げる。すぐにかおりの「えぇ?」という反応が返ってくる。
「その『ユート』って人に会いに行くんじゃなかったの?」
「ユートが今どこにいるかなんてわからないよ。僕がこの街を去ったのはもう数え切れないほど前だからね。はっきり言って、いまどこで何をしてるのか、定かではないよ」
「じゃあ、どうするのよ? なんの手がかりもなしでその人を探すっていうの?」
かおりが心配そうに聞くが、正午は一旦立ち止まり、落ち着いた面持ちでこう答えた。
「こんな時こそ、『仲間』に聞くんだよ」
「仲間? なにそれ」
「ユートはストリートミュージシャンなんだ。だから実際にストリートに行ってみれば仲間もいる。その仲間からユートがいそうな場所を聞くんだ。もしかしたら本人にも会えるかもしれない」
「それで? そのストリートってどこなのよ?」と、かおりが聞く。
「そこ」と、言って正午が目の前にある駅の地下通路を指さす。
「……近いわね」と、かおり。「近いでしょ」と正午が短く言った。
駅の地下通路は意外と広かった。駅のバスターミナルの中央に扇型の階段があって、そこから下っていく。通路自体は特に目立った改装工事などはしていなく、少し古さがにじみ出ていて小汚かった。足場は古いタイルでできており、そこには人々が残していった靴の足跡がうっすら見える。壁には数枚の広告用の電光ポスターが貼られていて、それ以外の場所は薄い黄色のコンクリートで頑丈に造られていた。照明はそこまで明るくなく両端の天井に等間隔で蛍光灯が付けられて朝にも関わらず(地下だから仕方がない)少し暗い地下をほんの少しだけ明るく照らしていた。その中で不規則に付けられた監視カメラだけは不自然に見えて、その場の空気と合ってはいなかった。
人の数も少しずつ減ってきて、ようやく自由に歩けるほどになった。しかし、人がいなくなった分、目に見えるゴミの数が増えて両端の小さな水路には缶や瓶や煙草の吸い殻などが多く見えた。そのゴミを一つひとつ拾ってはゴミ袋に入れている清掃員の姿が見える。
「さすがに、まだいないか……」
「何がよ?」とかおりが訊く。
「路上をやってる人だよ。普段、ストリートミュージシャンは……一概には言えないけど、こういう場所で演奏していることが多いんだ。だから来てみたけど……朝だとさすがに誰もやってないみたいだね」
「よく人がたくさん通る所で演奏なんかできるわね……そもそも、こんなところで演奏していても大丈夫なの? 人の邪魔じゃないの」
かおりが腕を組みながら少し怒った口調で言う。
「まぁまぁ、反論はできないけれど、そうやって人の前で歌えるようになれる訳だし、だからストリートミュージシャンっていう名前が付いているんだよ」
と、正午がかおりの怒りを抑えながら言ったところで、遠くからギターの音が聞こえてきた。 その音は通路に響き渡り、反響して正午たちの元へ聞こえてくる。歌声はまだ聞こえてこなく、アコースティックギターの音だけがいろんな周波数を飛ばしながら正午たちの元へ運んでくる。
「やっぱりいるものだね、ストリートミュージシャン。もういなくなってしまったかと思ったよ」
そう言い、正午はほっと胸をなで下ろした。その横でかおりは興味なさそうな顔で正午の横顔を見ていた。
※
二人は音がする方向へと歩いて、何回か角を曲がった先で立ってギターを奏でている、やや若い男の人に声をかけた。その人はコンビニエンスストアでアルバイトをしていて、日夜夜勤上がりで歌っていると答えた。眠そうと言っては失礼だが、目の下にくまができていて、誰が見ても今にも倒れそうな顔としか見られなかった。続けて正午は、「ユートという人を知っていますか」と訊いたが、「三年くらい前から路上はやっているけれど聞いたことはない」と、その人は言った。結局、その人は少しだけ二人の前で演奏しただけで帰ってしまった。正午とかおりは帰って行くその人を見送った。
――結局、その人からはユートの手がかりを得ることはできなかった。
昼下がり。二人は小さなレストランで昼食を取っていた。小さいと言っても、二人に取って日本のレストランというのは、値段も安く大助かりであった。正午は軽めにサンドウィッチ、かおりは昼食にも関わらずステーキを注文していた。二人はまた外の景色が見える窓際の席を取り、三階に構えるこのレストランから見える景色は今朝のファーストフード店から見えるものとは、また違って見えた。
「それで、これからどうするのよ?」と、かおりが正午にステーキを口に入れながら聞く。
「まだ一人に聞いただけだよ。もっと色んな人に聞いてみよう」と、正午が答えた。
「でも、さっきの人も三年もやってるのに知らないって事は……もう、音楽やっていないのかもしれないじゃない? 正午がこの街に住んでた時から、もう十数年前の話。さすがに無理ないよ……」と、かおりがさすがに心配そうな口調で言う。
「いや、ユートはまだやってるはずさ。音楽を」
力強く言う正午に「何を根拠に?」とかおりが訊く。
「正直、僕もなぜだかわからない。けれども、やっている気がするんだ。きっと、どこかで……」
「ふぅん、ショーゴが確証もなしにそんなこと言うなんて、今回のショーゴは珍しいとこだらけ」
そう言うと、かおりは早々とステーキを食べ終えた。
「かおりは珍しいこともないね」と、正午が云い「大きなお世話よ」と、かおりが不服そうに言った。
結局、あてもなくユートを探すことになった。夕方になって、また駅の地下通路に行ってみたが、今度は誰もいなかった。正午が行き着けだった楽器店にも顔を出そうと思っていたが、その楽器店は既に、もぬけの殻だった。駄目もとで正午とユートとの思い出の地、初めて出会ったコンサート会場にも足を運んでみたが、もちろん彼の姿は見えなかった。
正午とかおりはすっかり暗くなった夜道をとぼとぼと歩いていた。
「さて、どうしますか? ショーゴさん?」と、かおりがいたずらっぽく云う。
さすがにもう行くところがない。すっかり困ってしまった正午は返す言葉もない。
「行く所がないのであれば、どこが高価なホテルにでも泊まってゆっくりしようよ。私はもう疲れ果てました」と、かおりが満天の夜空を見上げながら言うが、正午は「…………」と黙り込んでしまった。
かおり以上に落ち込んでしまう正午にかおりも掛ける言葉が見あたらない。そのままお互い言葉を発しないで夜の道を歩き続ける。辺りには仕事帰りであろうサラリーマンが頬を薄く染めながらふらふらと歩いているのが見える。正面からはイヤホンを耳に付け、音楽でも聞いているのだろう若者が下を向きながら歩いてくる。
ふと、その若者と正午がぶつかりそうになる。「ごめんなさい」「失礼」とお互いにお詫びをしてすれ違う。
すると正午が何かに気づき、もう後ろに行ってしまった若者の元へ走っていった。
「ちょ、ちょっと! ショーゴー?」
かおりの注意も無視して正午はその若者の肩をつかみ、
「今、君が聴いている音楽。僕にも聞かせてくれないか?」
と、若者に向かって言った。
その場に急いでかおりも駆け寄る。すると、正午は若者から許可を取ったのか片方のイヤホンを耳に当てて、流れてくる音楽に耳を澄ませた。若者とかおりはとても不思議そうに正午の行動を見ていた。そして正午がとても小さい声で、
「…………Yホール……」と、つぶやいた。かおりは「ワイホール?」とすぐに正午に問う。正午は若者にイヤホンを返し「ありがとう」と、お礼を言った。若者は最後まで正午を不思議そうな顔で見て、自分が向かうべき方向へ歩いていった。
「そうか……Yホールか」と、正午は嬉しそうに何度もつぶやく。それを見てかおりも、
「だから、ワイホールって何よ?」と、早く教えろと言わんばかりに正午に訴えかける。
「かおり?」と、正午が言い「何よ?」とかおりが返す。
「行くぞ」「どこに?」と、お互い短く会話した後、正午が顔を上げてこう言った。
「Yホールだ」
高速道路を二人はまたしてももの凄いスピードで走っていた。見える車両は全て追い抜いて、急なカーブも減速せずに身体をぎりぎりまで倒して曲がっていく。オレンジ色のやや明るい街灯がチカチカと光が目に入ってきては直ぐに消えていき、また次の光が見えた頃には消えていくという連続だった。
二人の行動は早かった。正午が言った「Yホール」へ向かうために、二人はまず近くのスーパーで弁当を買ってその場で食べた。その時かおりが「本当は、豪華ディナーの予定だったのに……」と、しょんぼりとした言葉を発したことに正午は気づいてはいなかった。そのスーパーで必要な食料を買い、止めてあったバイクにも燃料を入れた。そして、あっけなく正午は自らの故郷を後にして走り出した。向かう先は四十キロ先の、この街よりは小さな街、すなわち「Yホール」がある街へと向かうことになった。この間、かおりはずっと不機嫌だったことに正午はもちろん気づいてはいなかった。
途中、二人は休憩を入れるために再び無人と化したパーキングエリアへ入った。正午とかおりはヘルメットを脱ぎ、再び自動販売機で缶コーヒーを購入した。今度は迷わず買うことができた。二人とも缶コーヒーのふたを開けた時にかおりが云った。
「さぁ、そろそろ話してもらおうかしら? 『ワイホール』って一体なんなのかを」
早く答えろと言わんばかりのかおりに対して正午はひとくちコーヒーを口に入れて少し、間を置いて答えた。
「Yホールっていうのは、ユートの練習スタジオ兼ライヴハウスなんだ」
「じゃあ、「Y」ってなんなのよ」と、かおりが再び訊く。
「Yホールの「Y」っていうのは「ユート」の「Y」のこと。ユートのホールだから、『Yホール』。なっとくした?」と、誇らしげに正午が言う。
「……なんとなく名前の由良はわかったわ。だけど、なんでそこにその人がいるのよ?」
「Yホールはユートの家の直ぐ隣にあるんだ。だから本人がそこにいなくても家の人に話を聞けるかもしれない」
「じゃあ、なんで最初からこっちに来なかったの? Yホールのこと知ってたんでしょ?」
「忘れてたんだよ。もうしばらく前のことだからね。でも、夜にすれ違った人のイヤホンから聞こえてきたんだ」
「すれ違った人って、正午がその人のイヤホンを勝手に取って聞いてたその人のこと?」
「そう、少し人聞きが悪い気がするけど……」と、正午がかおりを軽く睨む。かおりは両手を合わせてゴメンと小さく言う。
「それで? そのイヤホンから聞こえてきた音楽がユートっていう人の曲だったって訳?」
「いや、曲も歌もユートの曲じゃなかったよ。でも、感じたんだ」、「何をよ?」とかおりが訊く。
「Yホール独特の音の響き、空気による反響が―― だからイヤホンから流れてきた曲を聴いて、この曲はYホールでレコーディングした曲だ、って思ったんだ」
「へぇ、相変わらずショーゴの耳は地獄耳ですねぇ」と、かおりが云う。すぐに正午が「それはかおりの方……」と小さく声を潜めてつぶやいたが、直ぐに「誰が?」とかおりが妖気が漂う顔で正午をのぞき込むのであった。正午は軽く笑いながら飲み終わって空になった缶コーヒーの空き缶を十メートル先のゴミ箱に投げ入れた。後に続きかおりも空き缶を投げたが外した。
それからしばらく二人は走り、小さなインターチェンジで降りた。そこにはまだまだ緑が残っていて、戦争の被害とは皆無とも言える場所だった。正午は両端に林が茂る道路を必死に過去の記憶を頼りに進んでいった。正午の地元より道は複雑で正午とかおりは何度も道を間違えては折り返して、目印となる看板を目指して走った。
それから三十分位探した時に、遠くの道を探していたかおりが正午に向かって叫んだ。
「ショーゴー! もしかしてコレじゃないー?」
正午が声を上げるかおりの元へバイクを走らせる。そこには、まさにソレらしき看板が立っていた。その看板にはこう書いてある。
「Yホール、この先二キロメートル左折 by.ユート」
これを見た正午は「間違いないな」と言い、二人は直ぐにそれぞれのバイクにまたがり看板に書いてある方角へと発進させた。移動の間、正午は「ようやくユートに会える」と、とても楽しみな感情を胸に秘めヘルメットの下で笑顔を作っていた。
Yホールに到着した正午たちを待っていたのはたくさんの人だかりであった。Yホール前にある掲示板には「ウェルカム!」と書かれた他、ライブ情報が書いてあった。今日の日付と照合してみると、まさしく今日はライブが行われる日であった。今日と明日の二日続けてのライブ。出演者の中にはもちろん「ユート」の名前も書いてあった。
Yホールは、一見遠くからはとてもホールとは言い難い建物であった。大きな三階建ての納屋を改造して作ったのだと正午は言う。外には大きな掲示板があり、ホールと外は敷居ひとつで繋がれていた。この構造によってステージは広くなり、お客さんが多すぎてステージを見ることができない人はいないのだという。しかも、Yホール近辺には民家は立っておらず、近隣の迷惑になることはない。だから時によって野外ライブなども行える環境にある。基本的にホール自体はライブハウスという使い方ではなく、ユート本人の練習場、またはレコーディング場として使用されている。と、ここまで正午が丁寧にかおりに説明した。
「へぇ、ユートって人も頑張るのねぇ」と、かおりが関心した表情で云う。
二人でYホールについて話をしていると、たくさんのお客さんたちがYホールに入り始めた。一瞬にしてYホールの入り口は朝の駅のホームへと化す。
「このライブを楽しみにしてたんだ」
「私もずっと前から楽しみにしてたわ」
「俺なんか明日のライブも見にくる予定だぜ!」
など、お客さん同士の会話も聞こえてきて、各々の熱気が高まっていることがわかる。正午たちも後れを取らずにホール内に入る。
ホールの中には既にたくさんのお客さんで埋め尽くされていた。ステージ横には大きめなスピーカーがいくつも並んでいて、袖の方にはPA機器(Public Addressの略。この場合は音響調整卓)や、それを調整しているスタッフの姿も見える。ちょうど正午たちの真後ろには照明スタッフが綿密にライトの調整をしている。ホールこそは木造の造りだが、設備としては一般のライブハウスに引けを取らない。
やがて、袖からミュージシャンが登場する。ユートではないが、その光景を見た観客は大喜びをして周りが急に慌ただしくなる。ミュージシャンがステージ上で挨拶をして曲を始める。アコースティックギター一本のミュージシャンなので、ロックバンドほどの迫力はないがお客さんたちはそれぞれの楽しみ方をしている。正午の後ろにいる照明スタッフもアングルを変えてはライトを反射させながら光らせている。そのまぶしいにも思えるライトの光でかおりは目が回りそうになる。やがて、三十分ほどで五曲ほど歌ったそのミュージシャンは出番が終わり袖の中へと消えていった。
その後も数組のミュージシャンが登場しては演奏し、お客さんたちのボルテージも上がっていった。そして、いよいよ真打ち、Yホール館長こと『ユート』がステージ上に姿を現す。
最後のミュージシャンの登場ともなれば観客は誰が出てくるのかも当然分かっていた。ステージ上にはキーボード、ドラム、ベース、そしてユートが使うであろうアコースティックギターが本人たちより先に壇上に上がっていた。一瞬にして照明のライトがステージを明るく染めた瞬間に観客たちは一斉に盛り上がる。そして、袖から本人たちが姿を現し始めた。
まずはドラムを叩く人が配置に付き、スタッフと何か短い会話を交わした後、リズムの良いテンポで叩き始める。続いてキーボードとベースを弾く人が出てきてドラムの人が叩いたシンバルの音と同時に弾き始めた。一瞬にして前後にあるスピーカーから大きな音が響き始めた。観客たちはみんな小刻みにジャンプをし始め、ややそろっていない不規則なジャンプで更にホール内に別の音が響きわたる。
三分くらいだろうか、もっと長く感じたが、ドラムを叩く人が素早いテクニックを見せた時にメインボーカリストが袖から駆け上がってきた。ユートだ。
不規則な照明のライトにあおられユート本人の顔がよく見えない。そして、ユートがギターを持ち、ドラム、ベース、キーボードの人たちと一緒のリズムでアコースティック特有の生弦の音がスピーカーから、ステージ上から聞こえ始めた。そして、一斉に演奏が止んだかと思ったその瞬間に、
「こんばんは! 今日も来てくれてありがとう!」
と、ユート本人が言った瞬間、曲が始まった。
ユートのライブが始まってから二曲目、正午はそれまでじっとその場に立っていたが、みんな席を離れて座れるようになった席にゆっくりと腰を下ろした。その横にかおりもやってきて座った。
「カッコイイじゃん。ユートさん」と、かおりが周りの音に負けないようにやや大きめな声で正午に言った。
「そうだね。あんな風にステージに立って演奏している姿が一番輝いて見えるよ」と、正午も同意する。
「違う違う。正午よりもずっとルックスが良くてカッコイイってこと!」
「あっ……そっちか」と、正午が先ほどのかおりが言った発言の解釈に迷った。
そのまま二人はユートのライブをじっと見ていた。正午はユートの顔を見ながら小さく「久しぶり」とつぶやいた。
やがて、ライブも終盤になり最後はユートひとりでギターを奏でた。その優しい音色に観客はもちろんのこと、かおりも、その隣にいた正午も静かに耳を傾けた。そして、全ての曲が終わり舞台袖に帰って行くユートとバンドメンバーを観客たちは拍手と声で見送った。ユートは最後まで観客のみんなに笑顔で手を振って答えていた。
ライブ終了後もお客さんは帰る様子はなく、ホール内でお酒やジュースを飲み、ライブで熱くなった身体を冷やしていた。正午とかおりもドリンクを飲みライブ後の余韻に浸っていた。かおりはお酒を飲みたいと言っていたが、今日は二人とも運転手なので正午が飲ませはしなかった。
「ところで、ショーゴ?」
「……あっ、うん」と、かおりの問いかけに正午が気づく。
「ユートさんには会いに行かないの?」
「ユートさんって……。そうだな、ユートはきっと今ごろ、打ち上げでもしているんじゃないかな? 新しい仲間たちと楽しくやってるはずさ」
そう言い、正午が飲んでいるグラスの中の氷に目を移す。かおりは正午のその表情が少し寂しそうに見えた。
「俺がどうしたって? 正午」
突然、正午とかおりの真後ろから誰かが声を掛けた。かおりは驚いて振り返ったが、正午はうつむいたまま口元だけで、
「気づいてたのか、ユート」
と、正午が笑った。
ライブが終わって少し暗いホールの照明がその本人に当たり、その人物は先ほどまでステージの上で演奏していた正真正銘のユート本人であることがわかった。ユートはステージに立っていた時の服とは違いラフな格好をしていた。
「気づいてたさ。と言っても、表に止めてあったバイクを見て、もしや……と思ったんだ。それで演奏中に目をあちこちに動かして探していたら、珍しく座って見ているお客さんがいるな、って思った訳」
「へぇ、凄いんですね!」と、かおりがユートに向かって云う。ユートがかおりに向かって「ありがとう」と言ったあと、正午の耳元で「彼女かい?」とにやにやしながら言った。それに対し正午は軽く笑いながら首を横に振った。それをみたユートは不思議そうな顔をしていた。
その後、ユートを含めた三人は車内にいた。少し荒い道をユートの車がそこそこ速いスピードで走る。
「悪いね、ユート」と正午が云う。
「いや、いいんだよ。正午は車の免許持ってないんだろ?」と、云うユートの問いかけに正午が首を縦にふる。
「でも、いいんですか? 打ち上げをしてたんじゃないんですか?」
かおりが後部座席から身を乗り出してユートに訊く。
「いや、今日は打ち上げはないんだ。他のメンバーは家に帰らせたよ。それに、今日は特別なお客さんがいるしね、ココに」
かおりの質問にユートが開いている窓に手をあてながら答える。
「ところでユート、この車はどこに向かってるの?」助手席に座っている正午が訊いた。
あの後、ユートと正午たちは少しの間テーブルを囲んでいたが、BGMの音が予想より大きくまともな会話ができなかった。それで、ユートが自分の車でドライブをしよう、ということになり、ユートを含めた三人は街の方へと向かっていた。
「――まぁ、正午にとっては懐かしい場所かな」と、ユートが少し正午の方を向いて云う。その発言に正午が少し謎めく。
「行けばわかるよ。かおりさんだっけ? 少し待っててね」と、後部座席に座っているかおりにユートがバックミラー越しに云う。
「かおりでいいですよー。同い年なんですし」と、かおりが嬉しそうに云う。
「じゃあ……かおり? なんで俺に敬語なの?」
ユートが不思議そうにかおりに訊くが、正午が「初めて会う人には敬語なんだ。少し経てば本性も出るものだよ」と正午。「なんか言った?」と正午の真後ろからかおりが言葉だけで正午を睨んだ。
到着した先は一件のレストランだった。かおりは車を降りて「美味しそうな店だね」と正午に言ったが「レストランは食べ物じゃないよ」と、ユートに言われた。かおりは「似たことショーゴにも言われたことありますよ……」とがっくりと落ち込んだ。
その間、正午はレストランをじっと見つめていた。そして、ゆっくりと口を開きユートに言った。
「この店……まだ残ってたんだね」
「どう? 懐かしいでしょ、正午?」と、にこにこしながらユートが言った。
「懐かしいも何もまず、びっくりだよ。ここ近辺ってほとんど焼かれたって聞いたから」
正午が訴えかけるようにユートに云った。ユートは一瞬びっくりしたが落ち着いてレストランを見ながら言った。
「この店も一回焼かれてしまったんだ。でも、この店の作りってあまり凝っている感じじゃないじゃん? だからコストもあまり掛からずに半年前に営業再開できたって訳なんだ」
ユートと正午が見上げるお店の外観はほとんどが木の角材であえてボロボロのような雰囲気を出すように作られている。店のてっぺんはあえて存在感を大きくしようとしているのかとても高く、黒ずんだ木がいくつも重なり合って、まるで全焼してしまった家のように見える。そのおかげで店全体がいまにも崩れそうに見える。
「さて、そろそろ入ろうぜ。歌った後だからお腹減ったよ」
「そうだね。僕も久々に肉料理が食べたい」
そう言って二人はかおりを残してそそくさと店内に入っていった。残されたかおりは「ちょ、ちょっと待ってー」と言いながら駆け足で二人の後を追った。
結局、正午はステーキの上に二つも目玉焼きが乗っているエッグステーキを、ユートはハンバーグとサラダのセットを、かおりは正午と一緒のエッグステーキ、ポテトサラダ、小さなイチゴが乗ったケーキを平らげた。その食べっぷりを見てユートはびっくりしていたが正午が「いつものこと」と横でささやきながら言った。
食後、三人は飲み物を飲みながら談笑していた。かおりだけはパフェだった。
「さて、せっかく正午たちが尋ねてきてくれた訳だけど……まずは、俺が聞きたかった事を聞いていいかな?」と、ユートが改まって正午に顔を向けて訊いた。正午は「もちろん」と言う。
「簡単なことさ、連絡が取れなくなったから、どこで何してたんだい? 何度もそっちに行ったのに、いる気配もなかったし」と、ユートが当たり前のことをずばっと訊いた。正午は向き直り少し言葉を考えたがそのまま話すことにした。
「旅をしてたんだ。家を離れて、バイク一つだけで。この世界がなんでこんなことになってしまったのか、その発端を理解するために、その影響でこの世界が今現在どのような事になっているのかを、いろいろ見てきたんだ。このかおりと」同時にかおりが「そうそう」と笑顔で言う。
「バイクひとつでそんな旅をねぇ……正午らしいっていったら失礼かもしれないけど……正午らしいかな。正午は昔から凝るからねぇ」
「だから、ユートに連絡もなしに出てしまって申し訳ない限りだよ」と言って、正午が頭を下げる。
「いやいや、いいんだよ。こうしてまた会えることができたんだからさ」
そう言ってユートはあわてて正午の頭を上げさせる。「すまない」と言う正午。ユートはだんだん話が変な方向に行ってると思って頭がこんがらがる。
「うーん……それじゃあさ、実際に見てきてどうだったのさ? その世界っていうのは」
その質問にゆっくりと正午が答える。
「世界というよりは、人々……かな。率直な感想、壊れてしまっている街はたくさんあった。でも、そこに人間の姿があれば街は直せるんだ」
ふむふむ、とユートが言う。
「でも、街が壊れた影響で、人間までも壊れてしまった街も多い。「街が崩壊したのは奴らのせいだ」などと言いながら他の街を壊しに行く。その繰り返しさ。だけど、街が完全になくなって復旧のしようがない街なんかでは人々は協力し合い住人みんなで力を出し合い生活していく。だから、本当に問題なのは世界でも、権力者でもなく、この六十億人の人間なんだ、って思う」
ここまで正午の話をじっと聞いていたユートが小さい声で「なるほどね」と言った。
「じゃあさ、久しぶりに日本に帰ってきて……日本に関してはどう思う? 今度はかおりに聞いてみようかな」
そう言われたかおりは何個目になるかわからないケーキのフォークを置き、自信満々に、少し表情を引き締めて答えた。
「正午の言うとおり、人間が何もかもを壊してるんだと思う。だけど、それは武力を持つ街、元を言えば国の話。日本の場合は、全てがおかしいと思う。少し攻撃された位でなぜ街を隔離しないといけないのか、元は人が住んでいた場所にも帰ることも許されない。日本は、お金を持ちすぎておかしくなった国なんだよ」
その発言を聞いてユートは少し驚いてから
「……まいったな、ただ正午が好きなだけでついて行った女の子かと思えば……ちゃんとしっかり自分の意見を持って帰ってくるんだもんな」と言った。ユートがそう言った瞬間にかおりが「違う、違う!」と訂正を要したがユートが「照れるな照れるな」と笑ってごまかした。正午は横目でみながら、どーでもいい、とコーヒーをすすっていた。
間もなくして、ユートの誤解がようやく解けた頃、
「ユート、僕はちょっと席を外すね。かおりのことよろしく」と、言って正午がゆっくり席を立つ。ユートは「オーケー、正午どこいくの?」と返したが正午は「ちょっと昔、果たせなかった約束を……ね」と言い残して店の外へ出てしまった。ユートは不思議そうな顔で正午を見ていた。
「ところでユートさん」
かおりが訊いて、ユートが「なんだい?」と答える。
「ユートさんは……その……プロなんですか? それとも、アマチュアなんですか?」
とかおりが言葉に悩みながら聞きにくそうに云った。それを聞いたユートは少し真剣な顔になり、こう答えた。
「俺はアマチュアだよ。でも、趣味として音楽をやっているんじゃなくて、みんなを楽しませる、この病んだ時代に笑顔を取り戻す為に音楽という仕事をやっているんだ」
へぇ、とかおりがとても関心した表情を見せた。
「じゃあ、ユートさんはこれからプロになっていくんですね?」と、かおりが目を輝かせながらユートに訊く。
しかし、ユートは軽くほほえみながら首を横に振った。そして答えた。
「俺はまだまだアマチュアでやっていくつもりだよ」
「なんでですか?」とかおりが驚きながら訊く。
「俺はこれまでいろいろな経験をしてきて思ったんだ。確かにプロになれば全国の人にも自分の歌を聴いてもらえる。だけどその分、地方のライブがおろそかになってしまう。だから、今ココにいるお客さんを大事にしながら、少しずつお客さんが増えていけばいい、そう思うんだ。だからレコード会社からのお誘いも今のところ全部断ったよ。「また機会があればー」って言ってね」
ユートはそう言って、笑顔になる。そのユートを見て、かおりも笑顔になる。
「でも、このことは正午には言わないでおいてね」と、ユートが人差し指を立て、しー、と言う。その行動にかおりが不思議そうに「なんでですか?」と訊く。
「昔から正午は「やるべきことは今やるべきだ」って言う人なんだ。だから、きっといま俺がこうやって活動しているって聞いたら反対しに来るんじゃないかな」
と、ユートが両手をお手上げするような仕草を見せた。
「まぁ、確かに正午は変な所だけ常識ぶる癖がありますからね。……私がこう言ったっていうのも内緒にしてくださいね」
と、かおりも笑いながらユートに言った。「もちろん」とユートは答えた。
その時、正午は店から離れて近くの林道の中にいた。手にはメモ帳を持っている。
正午は少し空を仰いでは、何かをメモ帳に書き留める。そして、また空を見上げる。その行動をしばらく続けたあと
「………………よし」と、言って立ち上がって店に向かって歩き出した。
正午が戻った時に二人はまだ会話を続けていた。他の席より一際賑やかに見える。
正午が戻ったのを見てユートは「おかえり正午。どこ行ってたの?」と訊く。正午は「ちょっとね」と云って席に戻る。
正午が席に戻ったのを見たユートは、
「さて、そろそろ戻ろうか? 実は明日もライブなんだ」と、云って眠そうなそぶりを見せる。現在開催中のライブが実は二日続けてのツーデイだったことを正午とかおりは知らされ、急いで帰り支度をする。
「悪いね、ユート。こんな遅くまで」「知らなかったの……ゴメンなさい」と二人は謝る。
「でも、しかし、そんなに急いでどこに行くんだい? どうせ明日のライブも見にくるんでしょ、正午?」と、ユートが正午の顔を見ながら云う。
「そうさせて貰おうかな。でも、さすがにバイクだからさ。宿もないようだし、キャンプの準備をしないと……」と、正午は云うが、ユートが
「宿だったら、もう準備してあるよ」と云う。それを聴いた正午とかおりは「本当?」と驚き、正午が「でも、そんな宿なんて……どこに準備してくれたの?」と聴く。
「もちろん、家だよ――Yホールの隣」
かおりが嬉しそうに「ありがとう!」と云う。正午は聞こえないように「近っ」と笑いながら云った。
ユートに案内されて家の中に入る。ユートの家はホールと同じく木造の建物だったが中はとても奇麗に掃除されていた。そして、二人は部屋に通される。
「…………」
「……………………」
「いやぁ、だって、最初は正午の彼女だと思ったからさ」
と、云いユートは笑っているが、正午たちの前にはセミダブルベッドが一つ。正午とかおりは無表情でソレを見ている。
「あはは、じゃあ……ごゆっくりー」と、ユートが逃げるように部屋から出て行こうとする。その手を正午が掴み部屋の外まで二人は出る。
「いやぁ、もしかして気に入らなかった? もし、そうなら先に言ってくれないとぉ」と、ユートは全力否定をしているが、正午はポケットに入っていた紙をユートにそっと渡した。その紙を受け取ったユートは不思議そうに「これは?」と正午に聞いたが、正午は
「果たせなかった約束だよ」と、言って部屋に戻って行った。そして、部屋に戻った正午は部屋から顔だけを出して「部屋、ありがとね」とユートに向かって言った。
結局、正午とかおりはいつも通り、一つのベッドに二人で寝た。途中で正午がかおりに蹴飛ばされてベッドから落ちた事は言うまでもない。
翌朝、かおりは隣に正午がいないことに気がついた。不思議に思ったかおりはユート家の外に出た。すると、Yホールの中からドラムの音とギターの音が聞こえてきた。気になったかおりはYホールをのぞき込む。
Yホールの中ではユートがギターを座って弾いていた。客席とは反対方向を向いて弾くユートの前で、正午がドラムを叩きながらリズムを取っていた。
「うーん……。ユート、やっぱり『LIKE』のテンポが落ちてるよ」
「そっかぁ……やっぱり自分でも知らないうちに曲のテンポって落ちるものなんだね」
と、二人は演奏しながら会話をしている。かおりはもちろん正午がドラムを叩いている所を初めて見たし、昨日のライブで完璧に演奏しているユートの曲について意見を言い合っている二人はとても、十数年ぶりに会った人たちのようには見えなかった。
二人は楽譜を指さしながらお互いに説明しあっている。ユートが指さしたところを正午がドラムを叩きながらリズムを刻む。それに対しユートもギターを弾きながらリズムを合わせる。そして、お互いに少しでも違うところがあれば演奏を止めて指摘しあった。
かおりはその光景を見て「これが仲間……なんだね」と納得したように、くすっ、と笑い、その場を離れて自分と正午のバイクの整備へと向かった。
「ところで正午……アレを今日のライブでやろうと思う」と、ユートがやや真剣な顔で正午に話しかける。
「いくらなんでも――早くないか?」
正午が少しびっくりしたような顔で言う。
「だって、今日やらないと……意味ないだろ?」
ユートが何かを企んだような顔で正午に詰め寄る。正午は「じゃあ……頑張って」とユートの背中を押すように言葉を返した。ユートはにっこりと笑顔だけを浮かべた。
少し開いた天井から夏を知らせるような、やや暑いようにも感じる日差しが舞い込んでくる。その日差しは、暗いホールの中の一部分を縦に一本、太い切れ目のように飛び込んできて、照明の機材と、転がっているマイクケーブルと、ユートのギターとユート本人に当たって、薄く、光った。
「それと、もう一つ」
その飛び込んできた光の方向に目線を合わせてユートが云う。
「どうしたの? まだ何か不安な所でもある?」
正午がそう訊いた。もちろん、そんな事の話ではないことを、正午だってわかっていた。
ユートは差してくる光に背を半分向け、正午の方を向いて云った。
「――また、こうやって二人でステージに上がって、一緒に演奏したいね……まだ、若かりし俺たちみたいに――」
ユートは少し寂しそうに云う。いや、正午の位置からでは、ちょうど逆光になっていて、上手い具合にユートの顔を見ることができなかった。薄く、半分に光るユートの顔だから、寂しそうに見えたのかもしれない。正午にも軽く光が当たってまぶしそうな素振りを見せながら、少し、小さく笑い、
「……できるさ。きっと。いつになるかは、まだ、わからないけど。――初めて二人でやったライブみたいに、成功するとか失敗するとか関係なく――また、できるさ」
と、正午はあさっての方向を見ながら云った。
やや強い風がホールの中を駆け抜けて行き、二人の髪を揺らす。二人はまるで大自然の中にたった二人だけでいるかのように、お互いにしか聞こえない、やや反響した声で、少し歳を取ってしまった自分たちの道を振り返るように――――この広いひろい世界の、たった一つの屋根の下で、短くも固い絆で結ばれた『約束』を交わした。
――その日の夜。二日目のライブにも大勢の観客がYホールに詰めかけていた。昨日よりも観客の数は多く、その分、観客の熱気も伝わりステージ近辺では波に飲まれるかのような盛り上がりを見せていた。アーティストたちも昨日も来てくれた客さんに対して違う曲を演奏したり、曲順を変えていたりして観客を盛り上げていた。正午とかおりは昨日と同じくテーブルが置いてある、やや後ろの席に座って楽しそうにライブを見ていた。
そして、ユートのバンドのライブが始まった時には、お客さんも一層の盛り上がりを見せ、バンドの演奏自体も昨日よりも輝いて見えた。ユートは昨日と変わらない笑顔で歌い、時よりピックを投げるパフォーマンスなどを見せて、会場をさらに盛り上げていた。
ユートのバンドが終わった後、昨日は見せなかったユートのソロライブが始まった。アコースティックギター一本で、輝く照明を背に華麗なストロークと歌声を披露して、観客たちはその歌声に耳を傾けた。
やがて、数曲が終わり、観客たちから大きな拍手が起こったあとに、ユートがマイクを握ってその場にいる全員に話しかけた。
「次に、歌う曲は……僕の友達――いま、世界を旅して回っている友達が書いてくれた詩で作った曲です」
かおりはそのMCを聴いて、すぐに正午のことだと気がついた。昨日の夜にユートに渡していた紙は、『この事』だったのだと。正午は表情を変えずにソレを見ていた。
「彼と僕は、若いときにバンドを組んでいた仲間です。それで昔に、ホント昔に、彼に「詩を書いてくれないか」と頼んだことがあったんです。だから、時間は掛かりましたが、あの時の約束を彼が覚えていてくれたのが、すっごく嬉しいです」
そう言って、ユートはゆっくりとマイクから手を離し、ピックを握った。
「この世界のどこかで見ている彼と作った曲です。聴いてください――」
その声を聴いて観客は大喜びする。そして、その声が止んだ瞬間にユートは『その曲』を弾き始めた。
その曲は、とても優しいメロディーで、ホール中にその歌は広く、響き渡った。まるで、何か、別世界に包まれるような響きと歌詞で、その場にいる人々を優しく包み込んだ。
かおりもその曲に、目を閉じて耳を傾けていた。すると正午が、
「そろそろ、いくよ」と、云って音を立てないように席を立った。かおりは小声で必死に訴えかけようとしていたが、正午の目から細く光る物が一瞬見え、何も言わずに、少し、小さくなった正午の背中の後を追った。
ユートは、そのまま、笑顔で歌い続けた――
演奏が終わり、ユートは舞台袖に戻ってきた。
ユートはスタッフからタオルを受け取り、汗を拭いた。
「ユートさん」と、スタッフがユートに話しかける。ステージ上からは「アンコール! アンコール!」という声が聞こえる。
「ユートさんのお友達の二人らしい方々が、先ほどバイクに乗って帰って行ったと、外にいるスタッフから――」
「そうか」と、そのスタッフが言い終わる前に、無表情でユートが云った。
「そうか、って! 追わないんですか? 車だったらまだ間に合いますよ!」
しかし、ユートはタオルをそのスタッフに返しながら小さく笑い、
「……もし、俺も正午と同じ立場だったら――別れの言葉なんて……言いたくないよ」
と、言い、袖から光り輝くステージへと、背を向けて、歩き始めた。
そしてまた、大きな歓声がステージを包み込む――――
二人は高速道路のサービスエリアでひとときの休憩を取っていた。二人はいつも通り、運転に適した格好をしている。
「それにしても、いい人だったねぇ。ユートさん」
「それはそうさ、ユートだからね」
と、二人は缶コーヒーを口にしながら云う。
「ところで、ユートさんの最後の曲――聴きながら何、考えてたの? 正午」
「うん? あぁ、少し昔の事を思い出してね。ユートと僕がユニットを組んだ、あの日の事を――」
「ふぅん、それで……泣いちゃったんだ? どうしてかなぁ? 寂しくなるからかなーそれとも置いていかれるって思ったのかなぁ?」
かおりが正午をかわいい子供を見るような目で見つめながらいじめる。正午は顔を赤く染めて、
「バカ! そんなんじゃねぇよ。寂しくなるとか、そういう問題じゃない。ユートは、いつまで経っても、僕の大切な仲間なんだよ。それ以上でも、それ以下にもならない」
「へぇ。なんだ、ちゃんとわかってるんじゃないの。私、てっきり正午が落ち込んでるのかと思った」
「……なぜ、落ち込む必要がある? ユートは『大切な仲間』だぞ」
「ふーん……『大切な仲間』ねぇ……。じゃあ、私は?」
かおりがなにやら期待しながら笑みを浮かべている。正午は、そのかおりの笑みを見ずに二つ目の缶コーヒーに手を伸ばして、まったく表情を変えることなく云った。
「うん? ただの空き缶投げるのが下手な女」
「何よそれ!」
と、烈火のごとく怒ったかおりが、空になった缶を十数メートル先のゴミ箱に向かって投げ――――外した。
「やっぱり」
その発言に対し、かおりはさらに怒って、
「次は外さないわよー!」と言い、また自動販売機へと走って新しい缶コーヒーを買いに行く。
正午は大声で叫んで走っていくかおりを、手を振りながら笑顔で見送って、天を仰いだ。
心地よい風が吹き花や草木を揺らす、虫たちも小さな音楽を奏で始め、いよいよ本当の夏が到来しようとしている。
夜空に満天の星空が輝く空の下で、正午が『その人』に聴こえるように、空を見上げながら云った。
「頑張れよ――ユート」
とある綺麗な一室のスタジオの中で、正午がドラムを叩いている。正確なリズムを刻みながら、時より叩くシンバルの音が部屋中に響き渡る。
誰かがスタジオの中に入ってきて、こう言った。
「――俺の後ろで、ドラムを叩いてくれないか?」
その言葉をしっかり耳で聞いた正午は、
「もちろん」
と、笑顔で答えた。
END
この物語はフィクションであり、人物、団体名などは架空の物です。
この作品は、久々に実家へ帰省した時に友人に頼まれて書いた物を修正した物です。ですので、執筆作業が遅れてしまったことを、毎回楽しみにお読み頂いていらっしゃる皆さんにご迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。