『実質的に階段を登る思想』
『実質的に階段を登る思想』
㈠
人間は誰もが、高い場所へ行こうとするのだ。神が居る場所へと生き急ぐのだ。
しかし、それが死後の世界だとしたらどうだろう、実質的には、人間は生き神になろうとする。
㈡
困難を乗り越えて、地平線の先にある、高くない場所へと行くと、本来の幸せはある。
高い場所へと行き急いだものは、生きながらにして地獄へと行くだろう。
㈢
また、一人だけ勝とうとする、エゴイズムもまた、神の怒りに触れるのだ。
周囲を見渡して、周囲の人々と一緒に、遠方へと急ぐ人々は、神に守られている。
㈣
人間の本来の姿とは別に、不可視の世界に於いて、どの様にすれば幸せに辿り着くだろうか。
それは、急速なエゴイズムではなく、実質的な意味あいとして、空へと階段を登ることだ。
㈤
走ってはいけない、ただ、一歩ずつ、片手に水などを持って踏み締めるように階段を登るのだ。
神はそれを見て、敬虔な精神を感じ取り、その見えない姿で、その人を天井で待つ。
㈥
実質的に階段を登る思想とは、こういった、地道な努力のことを言うのである。
ただ、手を取り合って、少しずつ、階段を登っていく姿に、神さえも、打ちのめされるであろう。