指名依頼 前編
目が覚めると、俺の左右にはクレアとカタナが、そして腹の上にはロリエラが覆いかぶさるようにして寝息を立てていた。何がとは言わないが、押しつぶされ変形した『それ』が非常に苦しそうだ。
そういえば昨夜はロリエラと飲み明かし、帰りたくないと駄々を捏ねる彼女に手を焼いているうちに結局そのまま眠ってしまったのだった。べったりと張り付いて離れず、俺の胸元に涎を垂らしていたロリエラの頬を軽くたたいて、強制的に覚醒させる。
「起きてください、ロリエラさん」
「う、うーん…」
中々起きようとしないロリエラを無理やり引っぺがし、ベッドから這い出る。
全く、この程度の重さで音を上げるほどヤワな体ではないが、見てくれはともかく妙齢の女性を抱いて眠るというのも、子供たちの手前あまり宜しくないだろう。それに彼女の吐く息はどことなく酒臭いし、昨日風呂に入らず寝たせいか体はどうにも汗臭い。
俺も似たようなものだろうが、正直あまり長く同衾したくない感じだ。
ベッドに突っ伏すロリエラを放置した俺は、風呂桶に湯をためて朝風呂と洒落込むことにする。皆が起きたら、それぞれ準繰りに入浴してもらうことにしよう。
湯に浸かりつつ嘆息すると、なるほどやはり俺の息も酒臭かった。
◇
「トオル様に指名依頼が届いております」
「お断りします」
装備諸々の身支度を整えに一度自宅へ戻るというロリエラを送り出した後、クレアとカタナを引き連れてギルドへ訪れた俺は、受付で放たれた職員の言葉にかぶりを振った。即断された彼女の笑顔が苦々しい。
指名依頼とは、探索者個人またはパーティーに対し、名指しで魔物素材の納品依頼等を発行する制度である。
掲示板へ掲載する訳ではないので広告料が不要であり、信頼できる相手を選別して依頼できるのが利点だが、当然ながら受注者が依頼を達成できなければ納品は成されず依頼料は丸損、また不特定多数への依頼でない為効率が悪いという欠点もある。
探索者側としては他の誰かに先を越されて報酬を取りっぱぐれる心配が無いので、指名依頼を中心に活動する者も少なくない。
俺のように青以上の探索者になると指名も増えるのだが、探索者側にも拒否権がある。俺は基本的に魔核のみでの利潤追求に徹しているため、そういった類の依頼は受けないようにしているのだが…
「そういうわけにもいかないんです」
「というと…」
「私からの依頼だからよ」
背後から掛けられた涼やかな声に振り向くと、そこには齢十三程の少女がツインテールに結んだ髪を揺らしながら傲然たる様子で屹立していた。その髪はライラックの花のような淡いバイオレット色をしている。
「ボルドール子爵令嬢」
「あら、そんな他人行儀な呼び方では寂しいわ。トオル?」
「これは失礼いたしました…エミリア様」
「まあ、今はそれで勘弁してあげる」
そう言って髪色によく似た薄紫色の瞳を糸のように細める少女に、クレアが怯むことなく声を掛けた。
「貴女は…エミリア・ボルドール子爵令嬢でしたわね」
「あら、誰かと思ったら元準男爵の末っ子さん。奴隷落ちしたとは聞いていたけれど…まさかトオルに拾われていたとはね」
クレアの首元に光る隷従の首輪を目にとめたエミリアが、どこか不機嫌そうに吐き捨てる。そんなやり取りを眺めていたカタナが、困惑した様子で俺に説明を求めてきた。
「あの、ご主人様。この方は…」
「この人はボルドール子爵のご令嬢、エミリア様だ。そして俺の後援者でもある」
後援者というのは、いわばスポンサーだ。貴族が探索者に資金援助を行う代わりに、探索者は貴族の指名依頼を無下にすることができなくなる。
また、探索者が活躍し名声を轟かせれば、その後援者である貴族にも箔がつくというものらしい。どれだけ名高い探索者を抱え込んでいるかどうかで、日夜貴族たちがマウントを取り合っているとかいないとか…
探索者と言うのは装備や物資等それなりのイニシャルコストが必要であり、また消耗品等に費やされるランニングコストも軽視できるものではなく、仕事が軌道に乗って安定した収入が得られるようになるまでは金がいくらあっても足りないものだ。
フリーの有名探索者に多額の契約金を支払ってスポンサーになる貴族もいるが、多くの場合は上記のような資金難の新人探索者の中からポテンシャルの高そうな人材を発掘し、契約を交わして支援を行い名のある探索者になるまで育成する。無名であれば契約金も安い為、高騰する前に唾を付けておこうと無作為に青田買いして若手を抱え込む貴族も多い。
「でも、トオルは本当に期待以上だわ。まさかこんなに早く青になるなんて…おかげでお茶会でも鼻が高いのよ?」
「恐縮です」
まだ俺が探索者になったばかりのころ、階級も白だった俺を、エミリアは一目見ただけで将来有望と見定め後援者に名乗りを上げた。俺が渋ったせいで金額は吊り上げられ、最終的に無名の新人探索者としては破格の契約金になってしまった。
令嬢の独断でそれが成されたと知った親戚一同は声を揃えて反対したらしいが、俺が青に昇格したことで非難していた連中も今ではエミリアに右へ倣えの有様だというのだから、この女がいかに狡猾かが理解できるであろう。
現にエミリアの他に三人ほどいた兄姉は既に『謎の』死を遂げており、彼女に人心を掌握された当主は発言権を失い傀儡と化して、今やボルドール家における実質的な統括者はエミリアその人となっているのである。
日本で言えばまだ中学一年生ほどの年齢だというのに、この女の腹黒さは計り知れない。
「エミリア様のご依頼ともなれば固辞するわけにもいきますまい。どういった内容でしょう」
俺はできればやりたくないと言外に訴えるが、当の彼女はそんな俺の内心を知ってか知らずか、否おそらく分かっていながらそれを無視して淡々と依頼の説明を始めた。俺は職員に聞いたつもりだったのだが、まあ依頼者本人が直々に説明してくれると言うのであればそれで構わない。
「依頼は簡単。『宝石蜥蜴の額紅玉』の納品よ」
「…宝石蜥蜴は三十二階層の魔物だったと記憶しているのですが?」
「そうよ?トオルなら日帰りで余裕でしょう?」
通常なら熟練パーティーが数日かけて望む距離である。
「お戯れを」
距離だけではなく依頼品もやっかいだ。宝石蜥蜴の額で赤く美しい輝きを放つ額紅玉は、その位置故に討伐後でないと採取が難しい。尚且つ宝石蜥蜴の外皮は非常に堅牢で、逃走される前に倒しきるのが非常に困難とされているのだ。
そういった経緯から宝石蜥蜴の額紅玉が市場に流通することは滅多に無く貴族の間では幻の宝石として高い人気を集めている。
きっと他の貴族に自慢したいのだろう。エミリアは欲しいものは何でも手に入れたい性格で、俺はこうして彼女の我が儘に度々付き合わされているのである。
「信頼してるから、依頼するの。トオルならできるわ」
「…ご期待に沿えるよう全力を尽くしましょう。必ずや日暮れまでには紅玉を手に帰還して見せます」
依頼要綱には達成期限が明記されていない為、今日中と言うのは半分冗談ではあると思うが、折角なのでここで無理難題を難なくクリアしてスポンサー様に媚を打っておくことにしよう。金なら腐るほどあるが、貴族とのコネクションは大事にしたい。
それに俺なら蹴り一つでカタが付くだろうから何ら問題は無いだろう。
「くすくす。楽しみに待ってるからね、私のトオル」
エミリアは俺の頬につうっと指先を滑らすと、にっこりと微笑んでから踵を返した。
その年齢にそぐわぬ妖艶な仕草も、息遣いから指先の僅かな動きまで、一つ一つが計算尽くなのだから全く末恐ろしい女である。
俺は軽やかな足取りでギルドの外へ歩いていくエミリアの背中を見送り、しばらくして姿が見えなくなったところで深くため息をついた。
「…良かったのですか?かなり難易度の高い依頼になっておりますが…」
「構いません。どちらにしろ拒むことは許されませんし、受注しておいてください」
俺は職員に承諾の意を表明する。彼女は俺を心配してくれているのか、何度も繰り返し注意事項を説明してきた。
「俊足のトオル様なら運が良ければ日帰りも不可能ではありませんが、相手があの宝石蜥蜴であることをくれぐれもお忘れなく」
「ご忠告感謝します。でも大丈夫ですよ、この子たちのお陰でかなり火力が増しましたから」
俺は新しく仲間に加わった奴隷の二人を職員に紹介する。俺がパーティーを組んだというのはギルドでもそこそこ話題になっていたようで、彼女は興味深げにクレアとカタナの顔を眺めていた。
「あら、お二人はそんなにお強いんですか?」
「ええ、即戦力を雇いましたから。これで探索の効率も上がりそうです」
全くの嘘偽りなのであるが、カタナは否定することなく目を伏せて、クレアは当然と言った様子で胸を張っていた。これは別に彼女たちが自信過剰というわけではなく、前回の探索で俺の実力を垣間見せた際に、その隠れ蓑として奴隷を購入したという本来の目的を説明していた為である。
故に彼女たちは俺に話を合わせてくれてるだけ…のはずだが、クレアあたりは本当に自信を持っていそうで不安である。
なお、今日は俺の予備の短剣を二人に装備させている。奴隷に武器を貸し与えることは稀であるが、これで少しは俺の作り話にも説得力が出るだろう。
「さあ、行こうか」
「ご主人様。今朝、ロリエラさんが迷宮探索にご同行したいと仰っていたと思うのですが…」
「構わん。何せ時間がもったいないからな。すぐ出よう」
「不憫ですわね」
クレアがかわいそうに、と肩を竦める。だが彼女もここで待つという選択肢は無いようだ。
そうして俺たちは、ロリエラが装備を整えてギルドに来るより早く、逃げるように出発した。
決してあまり関わりたくないわけではなく、実力が露呈することを恐れてのことである。他意は無い。
◇
結局のところ、俺がクレアとカタナをを抱えて走ればこの程度の依頼、半日もあれば余裕で達成できるのである。
とはいえ、そこまで早く帰還するのは、いくら二人が強いという設定でも言い訳しきれない。そこで俺たちは急がず焦らず、時折休憩を挟みつつのんびり下層を目指していた。
というのも、俺の運搬方法が荒いせいか二人を長時間を抱えて走っていると負担が大きいようで、主にクレアから移動速度の低下と小休憩の導入を要求された為である。カタナからの不満意見は無かったが、大筋の上ではクレアに同意見のようだったので、彼女もきっと平気ではなかったのだろう。
そうして何度目かの小休憩の際、およそ二十五階層に差し掛かったあたりだろうか、俺たちのいた小部屋に何人かの探索者が入って来た。おそらくパーティーだろうが、これほどの低層で他の探索者に遭遇するのはなかなか珍しい。
「青のスミスだ。悪いが一緒にこの部屋を使っても良いかい?けが人がいるんだ」
青の探索者らしいスミスと名乗る青年が律儀に同室許可を求めてきた。面識は無いが、そこそこ有名な探索者だったはずだ。
「青のトオルです。どうぞご利用ください」
「おお、君があの…」
どのトオルなのだろうか。彼に俺の話がどのようにして伝わっているのか少し不安だが、後から続いて入って来た探索者に気を取られて確認する機を逸してしまった。
何人かに担がれて部屋に入って来たのは、腹部から多量の血を流した壮年の男であった。詳しく見るまでもなくその傷は重傷であり、彼の顔は苦痛に歪められ、運んでいる者の手は赤くべっとりと血に染められていた。
良く見ればスミスのパーティーは彼も含め皆手負いの状態であった。何か強敵と対峙した後なのだろうが、まさか青の探索者が魔法薬を常備していないなんてことは無いと思うのだが…
「実は、戦闘中に鞄がやられて中身が駄目になってしまって…」
「予備は無かったのですか?」
「他に重傷者がいたんだ」
スミスの後ろにいた女性が申し訳なさそうに俯く。聞けば彼女がもう一人の負傷者で、最後の魔法薬をどちらに使うかと二者択一を迫られていた際に、男が自ら辞退し女性に譲ったのだという。なかなか男気のあるおっさんだ。
しかしそのおっさんも既に虫の息。ここで応急処置をしたとしても地上まで持つかはわからない。
「ここまで深刻ですと、上級の魔法薬が必要ですね。急いで使ってあげてください」
「そ、それは…!」
俺が鞄から上級の魔法薬を取り出すと、スミスが驚きの声を上げた。期待していなかったわけではないと思うが、それでも上級は高額なだけでなく入手そのものが困難な代物なので、簡単に譲渡してくれるとは思わなかったのだろう。
「す、すまない。金はあるが、やはり現物で返済した方が良いだろうか。一両日中に何とか上級を手に入れるから…」
「いえ、金銭で構いませんよ。手持ちがなければ後日ギルドでお会いした際にでもお声掛けください」
ここで見返りを求めないのがかっこいいのだろうが、彼らはそこそこの実力者で返済能力も十分にありそうだし、貸しと取られて不快に思われても面倒なので素直に受け取っておくことにした。これが圧倒的弱者相手なら無条件の施しも吝かではないのだが、それは同格の相手に対してはプライドを傷つける行為になりかねない。
まあ実力で言ったら俺の方が格上だが、身分的には同じ青だし、相手から見たら同格に違いないのでそういう対応に終始したのである。
「俺たちは急ぎの依頼があるのでこれで」
「あ、ありがとう!恩に着る!」
俺はスミスやその仲間たちの感謝の言葉を背中に受けつつ、部屋を去った。