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ストレンジ・ラブ  作者: ぜろよん
7/20

浮浪児

初めての迷宮探索を終えた翌朝、俺は微睡みの中で左右から漏れ聞こえてくる幼女の息遣いを感じていた。


朝日はすっかり昇っていたが、それでもこうして惰眠を貪れるのはたった今本日の迷宮探索を自主休業することに決めた為であり、このように働きたい時に働いて休みたいときに休める生活と言うのは、現代日本で暮らしていた頃には考えられないほど心安らかな日々であった。


晴耕雨読とでもいうのだろうか、ともかくこの穏やかな暮らしぶりは、異世界に来て本当に良かったと思える要因の一つである。


俺がそんなことを考えつつ本格的に二度寝の体制に入ったところで、右隣のカタナが目を覚まし寝惚け眼で小さく声を上げた。


「あ…おはようございます、ご主人様。今起きますので…」

「今日は迷宮も行かないし、別に寝ててもいいぞ」

「いえ、私は朝食の準備をしてきます。ご主人様はもう暫くお休みください」


そう言って彼女は静かにベッドから身を起こした。俺はカタナのご厚意に甘えることにして、再び夢の世界へと身を委ねる。


なお、一連のやり取りの間もクレアは一切目を覚ますことなく、俺の左腕を抱き抱えながら小さな寝息を漏らすのみであった。



それからさらに小一時間ほど眠ったのち、それでも寝息を立て続けていたクレアを叩き起こしてから、食堂にてカタナの作った朝食を頂いた。


俺は白パンとベーコンエッグなのだが、他の二人はカタナの意向で唯の目玉焼きにグレードダウンされている。別に同じメニューでも構わないと言ってあったのだが、そこは彼女の意識の表れということだろう。


クレアも白パンを死守できたことで満足し、ベーコン無しの目玉焼きに文句を言うつもりはなさそうだ。


食後、仕事を放棄して惰眠を貪っていたクレアに食器洗いを任せる。その他の掃除洗濯等の家事も順当に二人に割り当て、やることの無くなった俺は自室でのんびり寛いでいた。


そんな折、ノックも無しに開け放たれたドアからクレアが顔を覗かせた。


「お客様でしてよ、下民様」

「クレアさん、ノックをしてください」


背後から付いてきたカタナがクレアの不作法を嗜めている。


はて、来客の予定などあっただろうか。そう訝しげに思いながらも窓から玄関先を覗いてみると、どうやら客と言うのはあのやせ細った浮浪児の幼女のようだった。


「お知り合いですの?」

「まさか」


浮浪児に知り合いなどいないが、彼女が訪ねてきた理由なら分かる。


俺はこうした食い扶持に困った子供たちに食料を提供する慈善活動を行っているのだ。


「さすがはご主人様です」

「ふぅ~ん?貴方がそこまで徳の高い方だとは思いもしませんでしたわ」

「そうでもないさ」


これは謙遜でも何でもない、事実だ。


俺は二人を連れて玄関先へ赴き、そこにいた幼女に声を掛けた。


「何の用だ?」

「あの、ここでごはんがもらえるってきいて…。おねがいします、ほんのすこしだけでもいいので…なにかたべもの、わけてください…」

「よし、合格だ」


俺は幼女の言葉を聞いて、中に入るよう促す。足が汚れていたので背後で控えていたカタナに濡れタオルを用意させ、足を拭かせた後に食堂へ案内するよう指示を出した。食事を貰えると分かった幼女が、俺に深々とお辞儀をしてから嬉しそうにカタナの後を付いていく。


俺も後に続こうとしたところ、その場に残っていたクレアが俺に質問を投げかけてきた。


「何が合格でしたの?」

「態度だ。あそこで傲岸不遜に飯を強請るようなガキにはそれ相応の対応をしている」

「見かけによらず冷血ですこと」

「だから言っただろう。俺は決して人格者ではない。この慈善事業も成り行きと惰性でやってるだけだ」


やはり日本人としては、路肩で息絶える幼い子供たちの骸を定期的に見かけるのは気分が悪いものなのだが、かと言って是が非でもこの世界の貧困問題を解決したいと言うほどでもなく、結局は今のような『目に見える範囲、手の届く範囲のみ助ける』という消極的な方針に落ち着いた。


とはいえ人間と言うものは施しを受け続けるとそれが当然の権利であると誤解してしまう生き物なので、あまり助長させないよう施しを与える相手は俺の一存で取捨選択しているのだ。判断基準はシンプルに『謙虚さ』、ただそれだけである。


「んふふ…まあ、それでも奇特であることには変わりませんことよ」


微妙に褒めてるのか貶しているのか分からない言葉を吐くクレアと共に、カタナたちの後を追って食堂へ向かう。


幼女を席に座らせ、保存食として常備してある干し肉や黒パンを出してやると、幼女は目を見開いて輝くような笑顔を見せた。


「こんなに、いいんですか」

「ああ」

「ありがとうございます」


再び頭を下げる幼女に感心する。クレアと同じかそれより幼いくらいに見えるのだが、なかなかどうして折り目正しい幼女のようだ。


気を良くして干し肉を一枚サービスしてやると、黒パンに齧り付いていた幼女が嬉しそうに目を細めた。


彼女の枝木のような細い腕を見るに、きっとろくなものを口にしていなかったのだろう。しばらく一心不乱に食べ勧めていたが、あまり噛まずに飲み込んでいたせいか不意にのどに詰まらせて堰き込んだ。苦しそうな幼女の背中をさすってやり、水の入ったコップを手渡すと、こくこくと喉を鳴らしてコップの水を一気に流し込んだ幼女が感謝の言葉を述べてきた。


「ありがとうございます。きれいなおみずも、おいしいです」


そう言って笑う幼女に水のおかわりを差し出す。普段は用水路の水を飲んでいるようだし、あの汚れきった水を思うと浮浪児たちにとってはこの一杯の綺麗な水もよっぽど貴重なものなのだろう。幼女は遠慮していたが、家には井戸もあるし給水の魔法道具もあるので気にせず飲んでくれて構わない。


誰も取らないからゆっくり食べるよう言い含めると、幼女も落ち着きを取り戻したのか、それ以降はのどに詰まらせることも無く美味しそうに食事を続けていた。それでもペースは早かったが。


「おなか、いっぱいです。ありがとうございました」


食事をあっという間に平らげた幼女は、幸せそうに腹をさすり食後の余韻に浸りつつも、俺への感謝の言葉は忘れなかった。クレアも見習ってほしいものだ。


何はともあれ、最後まで慎ましやかな態度を貫いた彼女を気に入って、俺は少しお節介を焼いてやることにした。



「何をしているんですか?」


紅茶を手に俺の部屋にやってきたカタナが、肩を並べて本を覗き込む俺と幼女を見て不思議そうに首を傾げた。


「文字を教えてるんだ」


何故かと問われれば、この子の将来の為である。教育制度が十分ではなく識字率の低いこの世界では、文字の読み書きが出来るというだけでも強みになり、就職において非常に有利になるのだ。


俺は家を訪れた浮浪児に、時折こうやって文字を教えて手に職を付けさせている。出来ればもう二度と俺の家に訪れないで済むように。


「ご主人様は慈悲深いのでありますね」

「やさしい、です」


幼女二人に褒められる。彼女たちの夢を壊すようで悪いが、面倒だったり時間が無い時はやらないし、浮浪児の態度が気に入らなければそのまま帰すだけであって、だからそんなキラキラした目で俺を見るのはやめてほしい。


「じゃあ、この単語は何て読む?」

「えーっと…やま、です」

「そうだ、よく覚えたな」

「えへへ」


順調にフロイア語の文字を覚える幼女を撫でてやっていると、カタナが羨ましそうに眺めているのに気が付いた。


そういえば生まれの良いクレアとは違って、彼女はまだ文字の読み書きが出来ないと言っていたので、今後時間を見つけて教えてやるのもいいかもしれない。労働意欲の高い彼女なら進んで取り組んでくれるだろうし、覚えも良いだろう。


それからしばらく、お茶を飲みつつフロイア語の授業を続け、幼女に疲労の色が見えてきたところでお開きにすることにした。


玄関での見送りの際に用心金として銅貨を数枚握らせ、また来てもいいかと問う幼女に肯定しつつも、釘を刺す。


「次に来るときは、仕事を見つけて立派に成長した時か、本当にお腹が減って辛い時だ。ギリギリまで自分の力で生き抜くことを忘れないように」

「わかりました、です」

「それでもダメだった時は、また飯くらいなら食わせてやる」


最後まで自分の力で努力をしてもらいたいが、死なれるよりは頼ってくれた方が気も楽だ。


付け加えて、もう一つ忠告をしておく。


「この家のことは、基本的には誰にも言わないように。言っていいのは、他の浮浪児…子供たちの中で、本当に生活に困っていて、そのままだと死んでしまいそうな子だけだ」


こう言い含めておくことで、危機的状況にある浮浪児以外の訪問を制限しているのである。


「外でお腹を空かせて倒れている子がいたら、その子にだけこの家のことをこっそり教えてやれ」


こくりと頷く幼女の頭をぽんぽんと撫でる。来た時より血色の良くなった幼女を見送ってから、玄関の扉を閉めた。


ああは言ったが、これを最後に姿を見せなくなるのも寂しいというか行き倒れたのではないかと心配になるので、また飯を食いに来てくれることを密かに期待していたりもする。


まだ教えてない単語も山ほどあるのだ。次はもう少し、難しい単語に挑戦してもらおう。



さて、では不合格の例も見ていきたい。


都合の良い事に、今しがた我が家を訪れた男児が不遜な態度で飯を寄越せと叫んでいるので、乞食根性が染みつく前に矯正してやることにする。普段は浮浪児の訪問も一週間に二、三人程度なのだが、なんだか今日は来客の多い日のようだ。


「なあ、ここで飯が貰えるんだろ?俺にもくれよな!」


先ほどのような情報統制を行っても、やはり人の口に戸は立てられぬということか、こうしてどこからか噂を耳にした浮浪児が興味本位でやってくることもある。見たところまだ元気は有り余っているようだし、緊急性は低いと判断できるので、ここは素っ気なく対応させてもらおう。


「今あるのはこれだけだ」

「ええー!ソクの実かよ!」


ソクの実とは、十個で銭貨一枚という、非常に安価で売られている食用の木の実である。ドングリのような見た目のソクの実は、栄養価はそこそこだが独特のえぐみが酷く、非常食として常備する家庭は多いがあまり常食されるようなものではない。


それでも食うに困った浮浪児たちにとっては貴重な食料なのか、男児は文句を言いつつもソクの実が三十個ほど入った袋をひったくるように受け取った。


「これだけかよー」

「もっと欲しいならくれてやるぞ?家の中で辛く苦しい労働をしてくれればだがな。先ほどの幼女も散々こき使ってやったわ。お前もどうだ?」

「い、いやだよ!そんなの!」


俺が悪い笑みを浮かべて高笑いしていると、男児は焦って脱兎のごとく逃げ出した。


「なるほど、そうやって厳選しているのですわね」

「ああ」


いつの間にか背後で事の成り行きを見守っていたクレアが、納得したように頷いていた。


先ほどのような対応をすることで、タダ飯狙いの怠け者に対し、俺が『大した食い物も寄越さずに労働を強要する偽善者』であると周知徹底させ、本当に助けが必要な者以外を振るい落とすことが出来る。


「ですけど、どうしてもああいった輩は出てくるのですわね」

「噂には尾びれがつくものだし、口止めをしてもつい漏らしてしまう子も少なくない。まあ、さっきみたいな奴はここ最近減って来たし、この情報操作も無駄ではないだろう」


俺は走り去っていった男児を目で追いつつ、静かに玄関のドアを閉ざした。



その日三人目の客がやって来たのは、それから数刻の後、黄昏時と言うべき時間に差し掛かった頃合いであった。


「来ちゃったっ」

「貴女ですか…」


今日は本当に来客が多い。玄関先に佇むロリエラは、薄暗くなってきた周囲を明るく染め上げるかのような満面の笑みをたたえていた。


「何の用です?」

「トオルくん、今日はギルドに来てないみたいだったからぁ、顔を見たくて」

「明日は行きますから、その時にでもじっくり見てください」

「一日でも見ないと元気が出ないのよ~」


ロリエラがくねくねと気持ち悪い動きをする。今日は休日のはずが結局あまり休めなかったので、一緒にいると生気を吸い取られそうな彼女には早急に帰ってもらいたいのだが。


「まあまあ、そんな顔しないで。今日はお夕飯作ってあげるからぁ、一緒に楽しみましょ?」

「おお」


彼女が後ろ手に隠していたワインボトルをちらつかせる。かなりの人気銘柄で名酒と話題の赤ワインだ。


「では、お言葉に甘えましょう」

「やったぁ、えへへ」


ロリエラが嬉しそうに飛び跳ねて、相当な質量を持った彼女の双丘が慣性に従って上下に揺れた。


正直、ロリエラの料理の腕はプロ並みと言っても過言ではない。これまでも何度か俺の家に押しかけて腕を振るってくれたことがあるが、当初はその美味さに愕然としたものだ。本当に、酒癖の悪さと身長の低さ以外は完璧なのだが、いかんせんその二つ…特に前者が、このロリエラと言う人間において致命的な短所であった。


「トオルくんちは魔法道具が完備されててお料理が楽ちんなんだぁ~」


そう言って笑いながら勝手知ったる様子で家の中に入っていくロリエラに嘆息する。


自由奔放で手に負えない曲者だが、きっと赤ワインに合う極上の料理を提供してくれるだろう。俺は今晩の食事に期待を膨らませつつ、騒がしいロリエラの声を追いかけて家の中へ入っていった。



なお、その晩振舞われたロリエラの料理はやはり絶品で、赤ワインとの最高のマリアージュを楽しむことが出来たと、ここに追記しておく。

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