表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ストレンジ・ラブ  作者: ぜろよん
6/20

ありふれた日常

「おいしそうですわぁ~」

「はぅ…」


迷宮から帰還し、すっかり夜の帳も下りた頃、俺たちは自宅に帰って夕食の準備に取り掛かっていた。冷凍の魔法道具に保管してあった牛肉を、加熱の魔法道具の上に乗せたフライパンで焼いただけのシンプルなステーキなのだが、クレアとカタナは涎を垂らさんばかりに目の前の肉を眺めていた。


この家電製品のような魔法道具はかなり高価なものであり、その上消費魔力が馬鹿にならないので一般的な家庭には普及していない。俺は高レベルの恩恵で莫大な魔力を余らせている上に、使用してもあっという間に自然回復してしまうため、常人では不可能であろう様々な魔法道具の同時運用が可能なのだ。


調理は全てカタナに任せた。俺は異世界に来る前はごく一般的な大学生であり、料理のノウハウも皆無に近く、料理上手な物語の主人公のように異世界で料理の革命を起こしたりなんかはできない。煮たり焼いたりと単純な調理くらいなら可能だが、奴隷を差し置いて主人が料理を作るというのもあれなので、今回ステーキを焼くのは料理経験があるというカタナにやらせてみたのだ。


とはいえ、あまり労働を彼女たちに任せっきりにするのも問題だろう。主人と奴隷の弁証法でもないが、この立場が入れ替わるようなことは避けねばなるまい。


ちなみにカタナの料理の腕は俺とどっこいどっこいといったところであった。要は両者ともに素人である。


さて、横に逸れた思考を修正し、さっそくステーキに舌鼓を打つことにする。少しだけメシマズ属性を警戒したが、たかがステーキでそのようなことが起こり得るはずもなく、塩コショウの効きが気持ち控えめではあるが、この出来ならば俺が焼くいつものステーキと比較しても大同小異といったところだろう。


「お前らも食っていいぞ」


律儀に主人の食事を見守っていた二人に許可を出す。クレアに関してはてっきり許可を出す前に手を付けるのではないかと危惧していたのだが、どうやら俺を主人として認めたという彼女の言葉に偽りはないようで、自らの唾液に溺れそうになりながらもきちんと許可待ちをしている姿に少し驚嘆した。


しかし元貴族令嬢ならばこんな食事は特別豪華なものでもないだろうに、何故そんなにも目を輝かせているのかと聞いたところ、奴隷商館にいたひと月ほどは日に二度のパンとスープくらいしか与えられなかったとのことで、なるほどそんな少量の食事では育ちざかりの子供には厳しいものがあっただろう。


クレアは許可を貰うと一目散にステーキにかぶりついた。それでもしっかりとナイフとフォークを駆使して一見上品に食べているあたりは、さすがの育ちの良さと言うべきか。


「ああ、ウチにいたシェフには及びませんけど、久々のお肉は最高ですわ」


いちいち一言多いのは元からの性格のようだ。


「あの、ご主人様。本当によろしいのですか?奴隷の私たちがご主人様と同席して、しかもこんな高価な食事を…」

「遠慮するな、体は資本だ。いざという時に迷宮の奥で倒れられでもしたらそれこそ迷惑だから、食える時にしっかり食っとけ」

「りょ、了解しました」


クレアは顔を引き締め、まるで死地に赴く騎士の如き険しい表情で目の前のステーキに挑んだのだが、一切れ口にした途端彼女の表情は一瞬にしてとろん、と蕩けた。


「そんなにうまいか」

「!いっ、いえ、その…は、はい。美味しいです」


一瞬否定しようとしたようだが、それは食事を与えた俺への不敬に当たると考えたのか、素直に美味しいと認めてくれた。その後はむんっと気合を入れなおして果敢にステーキ肉を頬張っていたが、一口ごとに頬が緩んでいるのでまるで台無しである。


なお、ステーキ一枚を早々に完食したクレアが図々しくおかわりを要求してきたのだが、当然却下した。どうやら俺を主人と認めたのは事実のようだが、自分が奴隷であるという自覚はまだまだ足りないと見える。


クレアは俺の皿に乗る『二枚』のステーキを羨まし気に眺めているが、あくまで主人として当然の権利なので、そんな顔をしないで貰いたい。



食事のあと、俺は風呂に入ろうと提案したのだが、二人に困惑の表情を向けられてしまった。


「この家にはお風呂があるのですか?」

「ああ」


そもそも俺が独り身にも関わらず大枚はたいてこんな邸宅を購入したのは、風呂があるというのが主な理由である。


「わたくしの屋敷にもありましたが、やかんを手に厨房と浴室を何度も往復してお湯を注ぐあのお仕事は使用人から忌み嫌われておりましたわ」

「問題ない。給湯の魔法道具がある」

「貴方、まさかまだ魔力に余裕がありますの?」


クレアが驚きと呆れの入り混じったような表情で俺を見やる。まあ、一般的な人間であれば冷蔵庫や冷凍庫の維持も難しいのだから、彼女の複雑な表情も理解出来なくは無い。


魔法使いでもなければ通常魔力量というのはレベルに応じて増えていくものであり、レベル四百九十八の俺はすなわち無限にも近い魔力量を誇るのだ。


ちなみに冷蔵の魔法道具に限界まで魔力を充填した際の連続運用期間はおよそ一か月である。普通は魔法道具一台につき凡庸な魔法使いを数人か優秀な魔法使いを一人雇って、一日に数度魔力を充填してもらうか、もしくは魔力充填の専門業者に依頼するのだが、俺はこの屋敷の魔法道具を全て一人で賄っているので、その非常識さたるや押して知るべしと言ったところだろう。まあ、便利なことには変わりないので些事には拘泥せず高レベルの恩恵に与ることにする。


俺は二人を風呂場に連れていき、給湯の様子を見せてやった。


「ほら、この球体に手を当てて魔力を注げば、こっちの蛇口からお湯が出てくる」


蛇口から出たお湯は、巨大な木桶にみるみる注がれていった。試しにカタナに注がせてみたところ、一リットル程で魔力が枯渇してしまった。


「すごいです」

「…貴方、もしかして名のある魔法使いだったりしますの?」

「ただの探索者だよ」


俺はクレアにそう言って、肩をすくめる。


ちなみにこの世界では一応下水道が整備されているようだが、汚水を清浄する下水処理法が開発されていないのか、下水は住宅地より下流の川に直接垂れ流されるそうだ。魔法で何でも出来ると思っていたが、そう単純な話でもないのだろう。


水質汚染も甚だしいが、俺にどうこうできる問題でもない。微生物に詳しい日本人が早急にこの世界に転生なり転移なりしてくれることを願うばかりである。


その後、全員で一緒に入浴しようと提案した俺の言葉は、それぞれ別の理由から難色を示された。


「奴隷に入浴など過分です!水浴びでも十分すぎます」

「殿方と混浴だなんて…はしたないですわ!」


カタナは恥じらいもあるようだが、それよりも風呂は贅沢だと考え遠慮しているようであった。クレアに関しては単に混浴が嫌なだけだろう。


だが、水浴びで風邪を引かれても迷惑だし、しっかり石鹸で洗ってもらわないと日本人としてはやはり不潔に思える。布で体を拭うだけなんて論外であり、そのパサついた髪質の改善の為にも、奴隷商館暮らしで溜まった汚れをしっかりとお湯で洗い流してやる必要があるだろう。


「汚い奴隷を連れて歩くのは勘弁願いたいんだ。理解したか?」

「分かりました。それではお言葉に甘えさせていただきます。お背中をお流し致しましょう」


俺の言葉を聞いたカタナは、即座に考えを改めたようだ。彼女は言って聞かせれば素直に従うので非常にやりやすい。だが、クレアはそう簡単にはいかないようだ。


「私は納得していませんわよ!」

「お前、侍女に頭を洗ってもらっていたんだろう?自分で洗えるのか?」

「そ、それは…」


クレアが言いよどむ。


「奴隷商館では満足に洗えなかっただろう。正直少し臭うぞ」

「うう…」

「自分でしっかり洗えないのなら、俺が洗ってやる。それともカタナが良いか?」


俺の言葉にクレアが嫌そうにカタナに目を向けるが、対するカタナも負けず劣らず敵意の籠った目でクレアを睨みつけていた。本当に仲が悪いな。


「背に腹は代えられませんわね…」


どうやら彼女の中では同性のクレアに洗われるより俺に洗われる方がマシだという結論に至ったらしい。クレアを嫌っているとはいえ当初の彼女では想像もできない選択だが、これも迷宮での一件のお陰だろうか。その調子で順調にデレてくれると助かる。


「ご主人様にお手数をお掛けするくらいなら、不本意ながら私が努めますが」

「いや、構わんよ」


不本意ながらという一言が刺々しい。年端もいかぬ幼女のはずなのだが、すでに女の怖さの片鱗を覗かせる彼女たちに内心物怖じしつつ、あまり楽しくない入浴タイムを迎えた。


クレアの申し立てにより湯浴み着の導入が検討されたが、そんなものが家にあるはずもなく即刻却下。代替案としてバスタオルの着用が採用された。ちんちくりんの癖に羞恥心だけは一丁前のようだ。


俺は別に巻かなくても良かったのだが、全裸でいるとクレアは半狂乱になってうるさいし、カタナに至っては沸騰しそうな顔で硬直してしまったので、現在は腰巻タオルを着用している。相手が子供だと思って、少しデリカシーに欠けたかもしれない。


そもそも中世くらいなら混浴も当たり前のはずなのだが、この世界は割と倫理観がしっかりしているのだろうか。


その後、クレアの頭を洗い、カタナに背中を流され、皆で木桶の浴槽に浸かり身体を温めてから上がった。


大きな木桶とは言え流石に三人も入ると少々手狭であったが、二人の体が小さかったおかげで事なきを得た。


まあ、そもそも二人が子供でなければ一緒に入ったりはしないのだが。



風呂上がりに歯を磨く。材料不明の歯磨き粉を指に付けてそのまま磨くというのが、異世界に来て一年たった今でもなかなか慣れない。


歯磨き粉を使ったことが無く、これまで布で拭く程度しかしたことがなかったカタナが上手く磨けずにいたので、俺が磨いてやることにした。幼いころ母親にしてもらったように、カタナを仰向けにして頭を膝に乗せ、あんぐりと口を開けさせる。


その小さな口内に、歯磨き粉を付けた指を突っ込んだ。


「あうぅ…は、はぁぅ……」

「こら、口を閉じるな」


カタナは慣れない様子で、事あるごとに口を噤もうとしたり、俺と目が合うたびに視線を彷徨わせたりしていた。涙目になりながら顔を赤らめるカタナを見て、クレアが何故か憤っている。


「下民様ったら、こういう趣味がありましたの?破廉恥ですわね」

「歯を磨いているだけだ」


カタナの口の端から垂れる白く濁った唾液を布で拭き取ってやりながら、俺はクレアを嗜める。


既に記憶もおぼろげだが、はるか昔に母に磨いてもらった懐かしい記憶が脳裏を過ぎった。そういえばこちらに来てもう一年も経つが、家族は元気にしているだろうか。


取り立てて仲が良いわけでもないが、息子が行方不明になって平気でいられるような薄情な人間ではない。出来れば俺のことなど忘れて元気に過ごしていて欲しいが、もし心配しているのであればひどく心が痛む。


いっそのこと最初から俺という存在が無かったことになっていてくれた方が気が楽だ。


「…もういいぞ。口をゆすいで来い」

「…わはりまひた」


まあ、過ぎたことに頭を悩ませても仕方がない。


俺は自分がこの世界にとってのバグのようなものだと考えている。


ある日突然、座標バグのようなものによって異世界に転移してしまったと考えると、そういえばこの出鱈目なレベルも典型的なバグの症状に見えなくもない。


量子力学の世界では、人間が壁をすり抜ける可能性もゼロではないらしい。トンネル効果と言うらしいが、そんな突拍子もないことが物理的にあり得るのであれば、それは紛れもなく世界の『バグ』であり、俺はその天文学的な確率の末に引き起こされたバグの被害者と言えるのではないだろうか。


まあ、異世界と言う時点でほとんどファンタジーの領域なのだが。魔法と言われたほうがよっぽど腑に落ちる。


いずれにせよ、元の世界の元の時間軸の元の座標に戻れる可能性はそれこそゼロに近いだろう。家族のことは、割り切るしかなさそうだ。


唯一の希望として勇者召喚と言うものがある。彼らは魔王討伐の為に日本からこの異世界に召喚されるというのだが、王宮の召喚陣の上に転移した彼らと路地裏に転移した俺とではまた話が違うだろう。


歴代勇者の中にも元の世界へ戻った例は無いそうだし、こちらもあまり期待は出来なさそうだ。


まあ、異世界での生活に不満があるわけではないし、むしろ充足感すら抱いている次第なので、帰還方法についてはあまり本腰を入れて調査するつもりは無い。


一年という月日を経て、俺はようやく自分の気持ちを整理することが出来たのだった。



歯磨きを終え、少し早いが二人に寝支度を済まさせた。


そういえば二人の部屋にはベッドが無く、どうしたものかと悩んでいたのだが、一時的に俺のベッドを全員で使用するということで解決した。クイーンサイズのため、子供二人が増えたところで狭すぎるということは無い。クレアが嫌がるかとも思ったが、存外激しく反対することも無く、むしろカタナが自分は床で寝るなどと言い出した。


とはいえ日本人の俺からしたらいくら奴隷と言えども幼い女の子を床で寝させるのは流石に気分が悪いので、半ば強引に同衾を認めさせた。


俺は寝間着に着替えた二人をベッドに押しやると、少し出かけてくると言って外套を羽織った。


「どちらへ?」

「少しやり残したことがあってな。お前たちはそのまま寝ていてくれ」

「は、早く帰って来てくださいましね?」

「わかってるよ」


部屋の電灯を消すと、クレアが不安そうに声を震わせた。彼女が同衾に寛容だったのは、ひょっとすると一人で寝るのが怖かったのかもしれない。


せっかく二人いるのだからくっついて寝れば良いと思うのだが、二人はベッドの端と端を陣取って真ん中の空間を開けてくれていた。律儀な子達だ。決して仲が悪いとかそういうわけでは…ないと思う。


俺はすぐに帰ってくると告げ、夜の街に繰り出した。


「まだいるかな?」


今の今まで忘れていたが、そういえばロリエラのフォローが済んでなかったと思い出したのだ。


早足で行きつけの酒場に顔を出すと、やはりというかそこには既に酔いつぶれた様子の酒好き神官の姿があり、彼女は俺を視界に捉えるや否や物凄い勢いで抱き着いてきて、そのまま腕の中で寝息を立て始めてしまった。


「おう、トオル。その酒乱の嫁さんをさっさと連れて行ってやってくれ」

「嫁じゃありませんよ」


俺はマスターに代金を渡しつつ反論する。不届きな噂はギルド外までも蔓延っているようだが、断じて固辞したい。


とはいえ放置するわけにもいかず、いつも通り彼女の家まで送ることとなった。



背中に酒臭い吐息を感じながら、俺は早足で夜道を歩く。


見上げれば鮮やかな星々が、水面が映す夜景の如く、キラキラと音もなく瞬いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ