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ストレンジ・ラブ  作者: ぜろよん
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異世界転移

気付いたら異世界にいた。


陳腐な響きだが、そう表現せざるを得ない状況であった。


薄暗い路地裏から顔を覗かせると、そこには中世ヨーロッパのような街並みが広がり、雑踏の中には獣耳を生やした亜人らしき者達の姿が散見される。少なくとも地球上の景色でないことは一目瞭然であった。


呆然と立ち尽くす俺は、着の身着のまま、何の説明もなく、この異世界の地に放り出された事実をじわじわと認識した。先ほどまで大学の講義で使用していたシャープペンシルが右手から零れ落ち、灰色の石畳に叩きつけられる。カランカランと地面を転がる音が、やけに耳に大きく響いた。


異世界転移なんて、あり得ないと切り捨てられるものであろうか。しかし、現にこうして起こってしまったのだから致し方ない。「全くない」ことを証明するのは実質不可能、悪魔の証明なのだから。


いざ自分がこのような状況に陥ってみて初めて分かったが、異世界転移なんてものは物語の中だけで楽しんでおくものなのだ。不安に打ちひしがれそうな今の自分を見れば、異世界に淡い憧れを抱いていたつい先日までの俺の心境も多少は変化するであろうか。


深呼吸をする。


とりあえずは、生き延びねばなるまい。この状況については何一つ分からないことだらけだが、命あっての物種だ。たいして価値のある人生でもないが、こんな路地裏で餓死を待つのだけは御免蒙る。


この世界で生き抜くにあたり、さしあたって色々と情報が必要だろう。


「…言葉は、通じるだろうか」


心臓を抉るような不安をがむしゃらに押し殺し、路地裏から一歩踏み出す。




こうして、唐突に始まった俺の前途多難な異世界生活は───




現時点で一年の月日が経過しようとしていた。





「…にゃるほどねぇ。つまりトオルくんは異世界人というわけ」

「ええ」


騒がしい酒屋の一角で、俺は鷹揚に頷いた。


さほど大きな店ではないが、店内は活気に満ちている。一日の仕事を終えて疲労困憊な労働者達は、大量のアルコールと大して旨くもない肴で英気を養っていた。


俺の対面に座る白髪の神官女も例に漏れず、大量のエールを喉の奥に流し込みながら呂律の回らない様子で俺の話を聞いていたのだが、不意にくすくすと笑い始めた。


「…くくっ……ふ………あはははははっ!」

「どうしました?」


心底おかしそうに笑う神官女の大きな胸が激しく揺れ、弾む。子供のような身長に見合わぬその巨峰のリズミカルな動きは、しばらく俺の目を楽しませた後にようやく収まった。実に眼福であった。


「らって、そんな、勇者でもないのに異世界人だにゃんて…くふ、いくらトオルくんの話でもにわかには信じられないよぉ~」

「でしょうね。だから教えたんですけど」

「はぇ?なんか言ったぁ?」

「何でもありませんよ」


酒に酔ったこの神官女は、どうせ俺が異世界人だなんて話はまともに取り合わないだろうし、酔いが醒めれば今夜話したことなどすっかり忘れているだろう。だからこそ、出自を聞かれてわざわざ正直に答えてやったのだ。


「だいたい、もし本当だとしてもさぁ、言葉とかどうしたのぉ~?」

「…確か勇者様も、日本とか言う異世界から召喚されると聞きましたが、彼らだって言語に関しては何の問題もないじゃないですか」

「そん人たちは確か、超~貴重な魔法道具…『翻訳の指輪』を王様から下賜されるんじゃなかったかなぁ?」

「…実は俺も持ってたんですよ、魔法道具。ほら、これが『翻訳のペン』です」

「……ぶふっ」


神官女がエールを吐き出した。


「ぶはははははは!そ、そんな、本物ならいくらすると思って…てか何それペンじゃなくない~?くふ、くふふふ…ごほっ」


俺の見せたシャーペンを見ると、神官女はげらげらと笑い出し、盛大にむせた。


仕方なく、席を立って彼女の背中をさすってやる。


「大丈夫ですか?」

「うぇひひ…けほっ、だ、大丈夫よぉ…ありがとぉ~…」


シャープペンシル───これは高校の頃から俺が愛用していたもので、異世界に来た時に手にしていたものだ。


これを所持していると、読・書・聞・話の全てにおいて自動的に言語が翻訳されるということに気付いたのは、異世界にきて三日目のことだっただろうか。俺は当初、単純にこの世界の公用語が日本語なのだろうと早合点していたのだが、この翻訳のペンを所持していないと言葉が分からないという事実に気付くまで少し時間を要した。


元々このシャーペンが魔法道具だったのか、それとも異世界に来てからこうなったのかは定かではないが、もし前者なのだとしたら俺は外国語の講義で単位を落とすことは無かったはずで、少なくとも前の世界においてはその効力が発揮されていなかったことだけは確かだ。


百円均一で購入したありふれた安物のシャーペンだったはずなのだが、今では国宝級のレアアイテムと化してしまった。


そんなものを場末の酒場でひけらかすのはどうかと思うが、周囲の人間はこちらの様子なんて我関せず楽しそうに酒を呷っているし、目の前の神官女に関しては前述の理由から問題ない。


現に、彼女はシャーペンのことも忘れてにこにことしている。


俺は自分の席に戻り、余っていたエールを一気に飲み干した。



「うぇっぷ…きもぢわりゅ…」

「ロリエラさん、行きますよ。ほら歩いて」


神官女…ロリエラの小さな体を支えてやりながら、酒場を後にする。火照った体に涼やかな夜風が心地いい。


ロリエラは先ほどからふらふらと目を回している。彼女は酒好きの癖してアルコールに弱いので、一緒に飲んだ日はこうして肩を貸してやるのが日課となっていた。


「うぇひひ…このままお持ち帰りしちゃう~?」

「いい歳してみっともないですよ」

「うっ…失礼にゃ…」


ロリエラは童顔をぷぅと膨らませ、こちらを上目遣いに睨みつけてきた。まったく、百四十数センチほどしかない身長も相まって、とても『二十八歳』とは思えない。


「その酒癖の悪さを直さないと、さらに行き遅れますよ」

「ぐっ…じゃ、じゃあ、トオルくんが、貰ってくれないかにゃあ~?」


ロリエラが大きな瞳を潤ませ、豊かな胸を俺の腕に押し付けてきた。まったく、ここだけは馬鹿でかく成熟しているのだからたちが悪い。


「…いいですよ、ロリエラさん。貰ってあげますよ」

「ふぇっ?」


俺が冗談でそう言うと、元から紅潮していたロリエラの顔がさらに赤く色づき、耳までもが一気に真っ赤になった。


「え、えふ…しょんな、トオルくん、大胆…!えへ、えへへ、ほんとぉ?貰ってくれる?トオルくん、わらしのこと、貰ってくれりゅの~?にゅふふふ」


しまった、勘違いさせてしまったようだ。ロリエラは花が咲いたような笑顔を見せ、酒臭い口から気持ち悪い笑い声を漏らしている。


酔っぱらいとはいえ、ここまで純粋に喜ばれると今更冗談だとは言いにくい。どうしたものかと唸っていると、先ほどまで騒いでいたロリエラが俺の腕の中で静かになっていることに気付いた。


「ロリエラさん?」

「…ヤバい、酔いが。うっぷ」


見ると、ロリエラの顔面は真っ青を通り過ぎて蒼白になっていた。よくもまあそんなに顔色をコロコロと変えられるものだ。なんて言っている場合ではない。


「ロリエラさん、ちょっと待っ」

「おええええええええええええ」

「あ」


間に合わなかったようだ。ロリエラの口から吐瀉物がまき散らされ、その一部が俺の外套の袖に浴びせられる。生暖かい。


「ぅえぁ…」


ドバドバと俺の外套を汚していくロリエラだが突き放すわけにもいかず、仕方なく身体を支えてやりながら落ち着くまでゆっくりと背中をさすってやる。


「…ふぅ……」

「吐き終わったなら、どいてください」

「え…?あ、ご、ごめんねぇ、トオルくん!」


ゲロ塗れになった俺の袖を見て、ロリエラが即座に飛びのき謝罪した。彼女なりに悪いことをしたと思っているようで、いつになく真剣な様子だ。


謝っているのだし、故意のはずもないので、厳しく非難するつもりはない。


「構いませんよ。それより、体調の方は大丈夫ですか?」

「う、うん…吐いたおかげか、酔いも醒めてスッキリだよぉ」


晴れやかな顔が少しイラつく。やはりもう少し苦言を呈してやった方が良かったかもしれない。


「じゃあ、送らなくても大丈夫そうですね。俺は服を洗わなくちゃならないんで、今日は失礼します」

「分かったわぁ。ほんとにごめんねぇ?トオルくん」

「お気になさらず。それじゃ、また」

「うん、ばいば~い」


小さな手をぶんぶんと降るロリエラに手を上げて答えつつ、そそくさとその場を立ち去る。角を曲がり、姿が見えなくなったところで、大きく溜息をついた。


「よし、何とか有耶無耶にできたな」


いくら酔っているとはいえ、結婚を安請け合いするのは冗談が過ぎたようだ。正直、あそこまで喜ばれるとは思いもしなかった。


ロリエラの嬉しそうな笑顔を思い出す。


「まったく、アル中でもなければ引く手数多だろうに」


俺は、ロリエラが巷で残念美幼女と囁かれる所以を再確認しつつ、帰路に就いた。


ひとまず、風呂に入りたいな。



「や、やめて…」


月明りを頼りに街灯もない真っ暗な夜道を歩いていると、何やら路地裏から女性の声が聞こえてきた。


暗くて分かりにくいが、女性は数人のガラの悪い男たちに囲まれているようだ。揉め事だろうか。


どちらにせよ、俺はその諍いに関わるつもりは無かった。当人同士で起こった争いに、不用意に他人が踏み入るべきではない。当人同士で解決が出来ぬようであれば手を貸すが…どうやら今回はその類らしい。


「てめぇがぶつかって来たんだろうが、ああ!?」

「ち、ちが…」


男の一人が、女性の髪をわしづかみにする。


「うわ、生で初めて見た」


こんなありきたりなシチュエーション、現実に起こり得るものなんだな。異世界に来て一年目にして初めての経験だ。


「だ、誰か…っ」


女性が救いを求める声を漏らす。


俺には、この揉め事の原因が本当に女性にあるのか、はたまたチンピラ達が単にいちゃもんをつけているだけなのか、そんなことは分からないし興味も無いが、何があろうと暴力は良くないだろう。発端や過程がどうあれ、手を出したら負けだ。


吐瀉物に塗れた外套を脱ぎ捨てつつ、騒ぎに介入する。


「あの、すみません」

「あ?」


なるたけ紳士的に声を掛けた俺に、怒気を含んだ数人分の視線が一挙に集まる。恐ろしいことこの上ない。


唯一女性だけは、すがるような目でこちらを見ていた。


「…」


そんな中で、一人の線の細い男が俺の前に歩み出てきた。先ほどまで後ろの方で事の成り行きを傍観していたようだったが、雰囲気からして彼らのリーダー的な立ち位置と見て取れる。


「何か文句があるかい?これは僕たちの問題なんだ。部外者には引っ込んでいて欲しいんだけどな」

「確かにその通りですが、さすがに暴力を見過ごすわけには…」

「ふむ、そうかい…仕方ない、やれ」


リーダーらしき男が周囲の取り巻きにそう命じると、各々が下衆な笑みを浮かべながら一斉に襲い掛かって来た。


ただのゴロツキにしちゃ好戦的に過ぎる。そういえば最近、犯罪ギルドの構成員が都市内で数々の問題を起こしていると話題になっていた。おおよそこいつらが騒動の一端を担っているのであろう。


なるほど犯罪ギルドの連中なら、構うまい。


俺は襲い掛かって来た数人の男たちの顔面を目にも止まらぬ速さで殴り飛ばした。


次々と弾き飛ばされ、崩れ落ちる男たち。時間が止まったかの如き沈黙がしばらくその場を支配していたが、はっと我に返ったリーダーが目を剥きながら冷汗を滴らせた。残るは彼一人だけである。


「──待った。降参だ。僕が悪かったよ」


男は一瞬の動揺ののち、すぐさま平静を取り戻して両手を上げた。


「この通りだ。頼むから僕まで壁とお友達にするのはやめてくれ」

「…そうですか、わかりました」


そう言われては仕方がない。向こうから仕掛けてこない以上、こちらから手を出してしまっては正当防衛が成り立たないからな。


「やあ、本当に、吃驚したよ。それなりに練度の高い部下たちだったんだがね」

「自分はレベル四百九十八なんで」

「それはもしかして冗談で言っているのかい?ふふ、それなりに面白いよ、それ」


俺は困ったように笑う男を睥睨しつつ嘆息する。何も嘘や出まかせではなく、紛れもない真実だというのに…


この世界に来た時には既にレベル四百九十八だったのだが、その理由は正直なところ分からない。ただ、そのおかげで俺は探索者としてそこそこ裕福な生活を送れているのであり、そうでもなければ今頃ひっそりと息絶えているか、良くて路上生活者の仲間入りをしていただろう。


ちなみにこの世界の歴史上、記録に残っている最高到達レベルは初代勇者の百十四レベルであり、現役最高が今代勇者の八十三、この世界の人々の平均が十前後というのだから、レベル四百九十八というのがいかに出鱈目な数字なのかが窺い知れる。


「や、ほんとに悪かったよ、僕の部下が。彼らは強いが少し愚昧でね。そこの彼女がぶつかってきたと言って聞かないものだから」

「その自慢の部下の方々ですが、こちらで対処しても?」

「構わないよ。代わりと言ってはなんだが、僕のことは見逃してほしい」


まあ、こいつ自身には何もされていないから衛兵に突き出す理由もないか。攻撃の支持を出していたような気もするが…


それは去り際に握らされたずっしりと重い硬貨入れに免じて、聞かなかったことにしてくれということだろう。


「あ、あの…」


男が姿を消してしばらくすると、事の成り行きを大人しく見守っていた女性が恐る恐るといった様子でこちらに声を掛けてきた。


俺は脱ぎ捨てた外套を拾いつつ返事をする。酸っぱい匂いが鼻をついた。


「はい?」

「あ、ありがとうございました…助けていただいて」

「構いませんよ」

「お強いんですね…で、でも、先ほどのレベルの話って、その…」

「ああ」


感謝と不安、恐れを混ぜ合わせたかのような複雑な表情を見せる女性に、努めて何でもないように微笑みかけた。


レベル四百九十八。


自分自身のレベルの高さを知った時、俺は言い知れぬ全能感に酔いしれた。その気になれば世界すら支配できるであろうこの力。豪勇無双の圧倒的な力を前に、この世の全ては平伏を余儀なくされる。


この力を誇示すれば、地位も名誉も、栄達など思うがままであろう。人にそこまで思わせる、最強の力。


しかし、俺は……


「───もちろん、冗談ですよ」


俺は、爪を隠すことにした。


探索者としてそこそこ名を馳せ、そこそこの地位を築き、そこそこ裕福に暮らす。それが俺の今の方針である。


前の世界での生活を思えば、それでも十分すぎるほどの幸せではあったが。


「自分は探索者なので、戦闘に慣れているだけですよ」

「な、なんだ、そうだったのね。びっくりしちゃったわ」


女性はほっと胸を撫で下ろす。


本当に俺が四百九十八レベルなのか疑っていたというよりは、そんな頭の悪そうなことをドヤ顔で語る異常者である可能性を心配していたようだ。俺だって、「実は五十メートル走一秒台なんだ」と大真面目に語ってる人間がいたらまず頭の心配をするだろう。まあ、今の俺なら一秒を切るだろうが。


「…さて、こいつらは恐らく最近噂の犯罪ギルドの連中でしょう。俺が見張っておくので、衛兵を呼んできてもらってもいいですか?」

「あ、は、はいっ」


女性は慌てて立ち上がると、詰所の方へ走っていった。


静まり返った路地裏に、俺の溜息が響き渡る。


正直、自己顕示欲に負けそうな時もある。実力を隠し、自分を弱く見せるというのは、なかなかストレスの溜まる行為だ。


歴代勇者は、皆日本人らしい。召喚と同時に貴族と同等の社会的地位が保証され、望むものは全て与えられるそうだ。同郷の人間が左団扇で暮らしているのかと思うと、どうにもルサンチマンが刺激される。


とはいえ、現実はそう楽なものじゃないだろう。


勇者一行は魔王討伐の為に厳しい修行を積み、世界中を旅している。休む間もない彼らの姿を見ると、多少は同情の念も沸いてくるというものだ。


そして、仮に俺のレベルを公開したとすれば、舞い込んでくる厄介事はその比ではない。



俺は勇者になりたいわけじゃないのだ。



実力を開示するということは、今までのような平穏な日常が終わりを告げるということを意味していた。


「…ん?」


よく見ると、この路地裏には見覚えがある。確かあの日、初めて異世界に来たあの日に、俺は右も左も分からぬままこの路地裏に放り出されたのだった。


灰色の石畳が、当時の記憶を蘇らせる。


「そうか、もう一年になるのか」


そう。


俺の平和な異世界生活は、まだ始まったばかりである。

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