銀の守護師と護衛
お立ち寄り下さりありがとうございます。
なるほど。
謎は解けた。
けれど――
僕は天を仰ぎながら、微かに溜息を付いた。
セディの誕生日を、本人の希望を盛大に無視して大勢で存分に祝った後、皆が心地よい気持ちで部屋に引き上げた。
僕も祝いの高揚感がまだ残っているのを感じてはいたが、旅の途中であり、大人しく自分の部屋に戻った。
そして、思わず笑い声をあげてしまった。
僕よりも先に、部屋に置かれているソファにこの世の美を集めた銀の魔法使いが座っていたのだ。
ソファの前にある小さな円卓には、どうやって探し当てたのか、僕が持ち込んだバタタス酒の瓶が立ててある。
どうやら彼との約束の飲みは、今日果たされるようだ。
「約束を覚えてくれていて、うれしいよ。さっき、お酒は口にしていなかったのは、この為だったのかい?」
銀の魔法使いは長い銀の髪をサラリと垂らしながら、横を向いた。
「違う」
ずいぶん簡潔な返事に、僕は戸惑いを覚えながら、グラスを用意した。
栓を抜き、ゆっくりと彼のグラスにお酒を注いだ。少しの量を。
紫の混じった青の瞳が、僕の意図を問いかける。不服を訴えているようにも見える。
僕は急いで意図を説明した。
「君の口に合うか、そもそも君がお酒をどの程度飲めるのか知らないからね」
ハリーとお酒を飲むのは初めてだ。大切な友人に自分のお酒を飲んでもらうことは、この上ない喜びだが、無理強いはしたくない。
ハリーはグラスに注がれた液体を恍惚と眺めている。どうやらお酒が好きなことは確からしい。
「お茶だけでなく、お酒も好きなんだね。知らなかったよ。強い方なのかい?」
「強いかどうかは分からない。誰かと飲むのはこれで2度目だ」
――え?
僕は少し動揺した。彼の許される酒量が分からなかったからだ。
液体に見入っている銀の美貌に、僅かに力を込めてお願いする。
「美味しいと感じるところで、とどめて欲しい」
「美味しい」
僕の心配をよそに彼はあっさりと一口味わって、そう呟いた。彼の顔に珍しく分かりやすい笑みが浮かんでいる。
常々、美しい容姿だと驚嘆していたが、笑顔は一段と衝撃を増す。
何か鼓動が強くなるのを感じて、自分の造ったお酒を褒めてくれているにもかかわらず、僕は急いで話題を振って、彼の意識をお酒から逸らそうとしてしまった。
「そう、そういえば、君なら分かるだろうかと思っていたことがあるんだ」
彼は目論見通りお酒から目を離し、いつもの清らかな美しさに戻ってくれた。
それでも神の末裔と思えるほどに美しいが、何しろこの美貌には見慣れている。この美しさなら鼓動も治まるのだ。
「ウィンデリアで大昔に流行した病気が、どうして今になってフィアスに広がったんだろう」
この疑問は、庭師のマイクも口にしていた。
黄金病は、ウィンデリアでは建国当初に流行した。どれほどの時間がかかったのかマイクも知らないことだが、ともかく植物は抵抗する力を身に着け病は収まったのだ。
そして、その抵抗力のおかげで、この病はウィンデリアでは庭師でもない限り知る者がいない状態になるまで、再び流行することはなかった。
それなのに、今頃、フィアスで流行したのはなぜなのだろう。
ハリーは空になったグラスをじっと見つめ、言葉を選んでいるようだった。
僕はそのグラスに静かにお酒を注ぐ。
静かな部屋に、お酒の注がれる音がゆったりと響いていた。
僕がグラスの半分で注ぐのを止めると、濃い青の瞳は僕を凝視する。
足りない、と言われている気がするが、いや、明らかにその瞳は主張しているが、お酒を飲みなれていない人間には注意しなければいけない。
僕はどことなく気まずい思いを、濃い青の瞳から視線を引きはがして、紛らわそうとした。
微かな溜息が聞こえた後、染み入る声が僕の耳に入り込んだ。
「病の元が消え去ったわけではない。植物が病に打ち勝つ力を身に着けただけだ。病の元は土に眠っていた」
向き直ると、ハリーはグラスに口をつけていた。伏し目がちなその顔は、何か――、そう、色香というものを漂わせている。
自分が知りたいと思っていた大事な話だというのに、彼の色香にまた鼓動が大きくなる。僕は意志の力をかき集めて、ハリーの話に耳を傾けなければいけなかった。
「先の戦で、フィアスの兵のかなりの者がウィンデリアの畑に入り、作物を略奪していった」
瞬間、霧が晴れたように僕にもようやく理解が追いついた。
「作物には病の元が付いていたのか!」
彼はグラス越しに補足した。
「略奪した兵の靴にも」
ああ、だからべインズ領には作物の病が来なかったのか――
僕の中で腑に落ちるものがあった。
べインズ領の騎士たちは、略奪などしなかった。それは高潔な志もあったかもしれないが、領内の潤沢な食物事情を理由に、そもそも略奪をする必要がなかったのだ。
僕は、「農業侯爵」と揶揄された祖父と父の開墾の努力に胸が熱くなった。
彼らがいなければ、べインズも略奪に加わり病が持ち込まれ、領内の植物は全滅したかもしれない。
けれど、靴について病が広がるなら、いずれはべインズにも病は到達したはずだ。
他の地域に手を差し伸べることができなくなる日が迫っていたはずだったのだ。
僕は背筋の凍る思いだった。
フィアスが滅びるまで、紙一重だったのかもしれない。
僕はもう一度、病に対処する方法を教えてくれたマイクに感謝を捧げた。
耽っていた感慨から抜け出ると、目の前で、ハリーが手酌でグラスにお酒を注いでいた。
慌てて瓶を取ろうとしたときには、彼のグラスは満たされ、どことなく得意気な表情をして彼はこちらを見た。
その可愛らしい表情に、また鼓動が波立ち、僕は上擦った声で新たな話題を振った。
「そう――、」
今日の僕は「そう」が多い。どう見ても冷静さが消え失せている。
それでも、話題には困らなかった。まだ、疑問があったのだ。
「どうして誰かとお酒を飲むのは2度目なのだい?」
この様子では、相当なお酒好きなはずだ。それならば、誰かと飲まないことは不思議に思えた。お茶は僕とあれほど飲んでいたのだから。
――え?
ハリーからすっと表情が消えた。
何か触れてはいけない事情があったのだろうか。
「魔法使いは飲酒ができる歳になると、まず長と二人でお酒を飲む決まりだ」
成人のお祝いなのだろうか?しかしなぜ二人?
お祝いなら大勢で飲んで祝った方がいいだろうに。
「体質によっては、お酒で魔力の抑制ができなくなる者もいる。長が体質と適切な酒量を見極めるための意味合いがあるのだ」
僕は自分の血の気が引くのをはっきりと感じた。
2度目ということは、長から禁止されたということだ。
ハリーはウィンデリア史上最強と言われる魔法使いだ。彼の魔力が少しでも抑制できなければ、被害は甚大なものになる――
シルヴィア嬢とシャーリーに、あのダニエルという若者にも――、
応援を頼もうと腰を浮かしたとき、ハリーが眉間にしわを寄せ言い切った。
「体質は問題なかった。禁じられたのは誰かとともに飲むことだけだ」
僕は安堵のあまり椅子の背もたれに倒れこんだ。
よかった。自分の造ったお酒で彼を暴発させたら、一生後悔するところだった。
生き延びていたらの話だが。
強い安堵で疲れすら覚えている間に、ハリーはグラスを空にして、にっこりとほほ笑んで瓶に手を伸ばす。
背もたれに寄りかかっていた僕は動きが遅れてしまった。
不覚にも間に合わず、ハリーは子どものように喜びを素直に顔に浮かべて、なみなみとグラスにお酒を注いでいる。
純粋な彼の喜びが彼の美貌に彩を添え、僕は呆然とその様子を見つめてしまった。
彼が目を伏せ香りを味わい、その様に再び色香を感じて、ようやく我に返った。
「ハリー。2度目になった理由を教えてほしい」
僕はやっと瓶をつかんで、彼の手から届かない位置に瓶を置いた。
濃い青の瞳が、じっと瓶を見つめている。
いや、だめなものはだめだ。そんな瞳をしても、だめだ。
僕の意志の強さを感じ取ったのか、ハリーは嘆息し、やっと僕に答えをくれた。
「さぁ、長ははっきりと教えてはくれなかった。ただ、生涯を共にする相手を見つけるまでは、お酒は一人で飲むことを強く勧められた」
よく分からない条件だが、魔法使いには意味があるのだろう。
印の交換のように、お酒を飲み交わすことも儀式なのだろうか。
僕は分からないまま、それでも気持ちを言葉にした。
「それなら、教えてくれればよかったのに。無理な約束をさせて悪かった」
生涯を共にする相手との大事な儀式を邪魔してしまったかもしない。
申し訳ない気持ちで、瓶に栓をしようとすると、濃い青の瞳が僕に視線を絡めてきた。
彼はどうもお酒が回ってきたようだ。薄っすらと頬が染まり、――そう、何かドキリとさせられる艶がある。
僕の動揺を無視して、銀の魔法使いは目元を緩めて囁いた。
「いや、お前なら構わないだろう。誰かと飲むのは楽しいものだな」
その笑顔と囁きは僕の鼓動を再び怪しくした。
僕は今度こそ、瓶に栓をしっかりと入れ込み、立ち上がった。
「そうは言っても、長の注意は大切にした方がいいだろう。この飲みの続きは、生涯の相手が見つかってからにしよう」
僕の声は掠れていた。何か、今すぐここから逃げ出したい気がする。ここは僕の部屋なのだが。
「つれないことを言うではないか。お酒に付き合ってくれないのか?」
ハリーは椅子に坐したまま、ひたと僕に視線を向けた。
いつもは何も隠すことを許さないような強い力を感じる瞳は、ゆるりと強さを緩め、ただ僕の瞳を絡めとろうとしている。
その眼差しは、妖艶そのものだった。
部屋の空気が艶めいて重さを感じるほどだ。
その重さから逃れるべく息を吸い込み、僕は悟った。
僕ほど長の言葉の意味を分かった人間はいないと確信することができた。
そして、まだ見ぬ魔法使いの長に対して、敬意を抱いた。
素晴らしい慧眼だ。確かにハリーに必要な忠告だ。
ハリーは誰かとお酒を飲むべきではない。
お酒を飲むことで魔力の抑制に問題はなくとも、ハリーが普段纏っている厳しさを感じさせる神々しさが、酩酊のために妖艶さを感じさせる神々しさにとって代わるのなら、絶対に必要な忠告だ。
絶世の美貌が妖艶さを纏ってしまったら、男女を問わず魂を抜かれ、目くるめく妖しい心境に、溺れてしまいそうな心地に囚われてしまう。
ハリーを見慣れた僕でも、恐ろしいことにこの色香に酔ってしまいそうだ。
ハリーの咎ではないが、この妖艶さに靡いて構わない人間だけが、彼と共にお酒を楽しむべきだろう。
僕が心も体も奪われそうな目の前の妖しい色香から逃れようと、あれこれ考えを巡らせていたというのに、ハリーは艶を帯びた声を僕に染み込ませ、とどめを刺した。
「お前は私の友だろう?生涯続く付き合いではないのか?」
思わず天を仰いだ。
友と、その上、生涯の付き合いを明言されて、喜ぶべきところだった。
しかし、今の僕の率直な思いは、この瞬間には言わないでほしかったという贅沢なものだった。
天井を見ているのに、ハリーの艶めいた視線をひしひしと感じる。
さて、僕はどうしたらいい?
僕は瞳を閉じて、敬愛する慧眼の魔法使いの長に、ぜひ答えを教えてほしいものだと溜息を零した。
お読み下さりありがとうございました。