アルバイト
ごくごく当たり前の聡とsaint・waveの日常・・・
ふらっと入ってきた若者は聡のバーテンとしての姿に憧れを抱いた。
その日は19:00〜ピークがあり、22:00頃にはお客が一人もいないという変則的な入りだった。あとの営業にそなえて仕込みに励む聡だった。
「あのー・・・」
ドアが半分だけ開いた状態で若い男性が覗いている。
「いらっしゃいませ。」
「いいですか?10人いるんすけど・・・」
遠慮がちにそう告げる若者に笑顔でかえす。
「もちろんです!どうぞお入りください。」
「ありがとうございます!!・・・おい!いいって!」
ドアが開き、いかにも体育会的な男性が5人。そしてやはり若い女性が5人。どうやら合コンの二次会の様である。聡はテーブル席の二つに案内して予備の椅子を出し、全員にお絞りを渡す。
メニューは置いてあるが、カクテルに関しては『各種』としか明記してないし、ビール、スコッチなど種類の多いものもすべては書いていない。一旦カウンターに戻り様子を見てみた。
「あの・・・・」
最初に入ってきた若者がこちらにむいて声を上げる。
「はい、メニューですか?」
「はい、カクテルは・・・なんでも出来ますか?」
「定番はだいたい、それともなにか特別なものがよろしいですか?」
「いや、あまり詳しくないものですから、そうか・・・」
「では如何でしょう?皆さんカクテルという事であれば・・・」
「いや、僕らはバーボンでいいんですけど、女性達が美味しいカクテルをと・・・」
「かしこまりました。」
聡はそう言うと、女性客の前まで行き、
「アルコールは高めか低めか、甘いものかフルーティーなものか、もしくは辛めのショートカクテルもございますが。皆様のお好みをお教えいただけますか?」
「あ、私、甘ーいやつ!」
「あたしも!!」
「あたしは・・・フルーティーっていうか、かんきつ系ので、」
「あ、・・・あたしは・・・・マティーニ・・・ううんドライマティーニを。」
「じゃ、あたしもそれを」
一通り注文を聞き終えた聡は男性陣にむきなおり、
「バーボンのお好みはございますか?」
「いつもはIWハーパーを飲んでるんですけど・・・なにかお勧めはありますか?」
「そうですね・・・これといって珍しいものは・・・あ、ありました。じゃあバーボンはお任せでよろしいですね!ロックで?」
「はい!お願いします。」
まずコースターを10枚カウンターに並べて(聡は店のコースターに紙性のトランプを使用している。オープン前に最初のお客様におだしした時にコースターが届いておらず、仕方なく代用したのを、気に入られて、そのままになっている)
カクテルを作り始める。流れるような手さばきを若者達はじっと見ていた。特に最初に来た若者は食い入るように聡の一挙手一投足を見つめていた。
カクテルを運び終え、冷やしておいたグラスの中の氷を一旦捨て、あらたに氷を入れて、棚の上から取り出したボトルから順に注いでいく。5杯注ぎ終えると、チェイサーの用意をしてすべて運んだ。男性陣のグラスの横に一人一杯のチェイサーが用意されると、一人の男性が言った。
「あ、俺チェイサーいらないんだけど・・・」
聡は笑顔で返す。
「一応、置いておかれたほうがよろしいですよ。」
乾杯の合図があり、全員が口をつけると・・・
「うわ!・・・・これ、マスター、これって?」
男性の一人が質問する。
「今お出ししたのは『ブッカーズ』というウイスキーの原酒です。50度以上ありますから、一気に飲み干さないで、チェイサーもお飲みになってください。」
「へ〜・・・そんなのって売ってるんですか?」
「何年に一度ですが、蒸留元から販売される事があります。これは酒屋さんからの貰い物なんですが、忘れておいてあったんです。いかがですか?」
「強いけど、香りがいいですね。気に入りました。」
「それは良かった。」
それから1時間程いた団体はそれぞれ二杯ずつ飲んでチェックした。
次の日、オープン前の18:30。聡がカウンターのふきあげをしていると、ドアが開く。
「いらっしゃいませ。・・・・ああ、昨日の・・・」
「はい。昨日はごちそうさまでした。」
「オープンはもうすぐですけど・・・待たれますか?」
「いえ!・・・あの・・・・この店ってアルバイトは募集していませんか?」
「・・・・いえ。この業界はアルバイト出来るほどやさしくありませんから。」
「・・・・そうなんですか・・・・」
「お金を稼ぎたいなら、他にいろいろありますよ。」
「お金じゃあないんです。前からバーテンダーって興味があったんですけど、昨夜、この店にきて、マスターにお会いして、ああ、働くならこの店だって・・・」
ひどくまじめに考えてきたようだ。冷やかしなら追い返す事もできるが・・・・しばらく考えて、聡は思いついた。
「判りました。バイトは募集していませんが、うちに修行に来たいとおっしゃるんなら、考えてみます。あ、もちろん安いですが時給もお支払しましょう。」
それを聞いた若者は落胆から一気に笑顔になった。
「ただし、まずは体験です。今日は幸い週末です。忙しさを体験してそれでもやりたいか?そして僕のほうも使えるか否かを判断しましょうか。」
「判りました。よろしくお願いします。」
「名前は?」
「後藤、後藤圭吾です。」
「じゃあ・・・・圭吾で!俺の事はマスターって呼んでね。」
「はい判りました。」
「じゃあまずはトイレ掃除から!」
「はい。」
なにも教えずにしばらくようすを見ていたが、ブラシでゴシゴシこすってトイレットペーパーを三角おりして
「終わりました。」
満足げに報告する圭吾を見て、
「終わり?」
「え、他になにをすればいいんですか?」
「まず便器は見えない所まで、外側や裏側まで噴き上げる。それから水周り!蛇口や水道、シンクの中は全部光ってて当たり前。それから便座は裏までみて・・・もう一回!」
「はい。」
それからの圭吾は頑張っていた。イスの拭きあげ、グラス磨き、お客様が入ってきた時も気持ちよく挨拶していた。
しかし慣れない仕事を5時間以上すれば気も緩んでくる。荒いものをしながら圭吾は欠伸をしてしまった。その瞬間、小さな声で
『お客様がいる時にあくびもため息もつくな!』
そう聡に叱られてしまった。一つミスをするともう一つ、また一つ・・・・・
結局後半は細かい注意を受けながらの仕事になっていた。
しかも8時間以上立ちっぱなしでの作業は慣れたものでもつらいものである。圭吾は休みたいのだが、肝心のマスター聡は一度も休憩を取らずけろっしてお客様と会話している。
『こりゃ・・・大変だ・・・』
早朝5時。やっと客足が途絶えた。聡に命じられた訳ではないが、店じまいをする雰囲気を察して掃除を始める圭吾をみて。
「おつかれさん!」
「あ、お疲れ様でした。」
「どうだった?」
「・・・・甘かったです。俺・・・こんなに大変な仕事だなんて思ってませんでした。」
正直に告白する圭吾である。それを聞いて聡はうんうんと頷き。
「どうする?うちで続けてみるかい?」
「え?・・・いや、でも自分でつくづく根性ないなって思いました。今日うちに帰って考えてみます。」
「そっか・・・判った。・・・・これ、今日のバイト代。」
聡は財布から1万円だして手渡す。
「こんなに・・・いいんですか?俺、あんまり役にたちませんでした。」
「ははは・・・初日から役にたたれちゃ、たまらない。いいから取っときなさい。」
「ありがとうございます。今日は勉強になりました。」
それから2日して。圭吾はsaint・waveに再びやってきた。
「お、修行する気になったのかい?」
「・・・・それが、やっぱりバイトはしたいんですけど・・・まだバーテンダーになるかどうか?悩んでるんです。」
「そっか・・・じゃあバイト先を紹介してやろうか?」
「え?ここじゃなくてですか?」
「ああ、こないだ圭吾の働きぶりをみて、これなら紹介できるなって思ってたから。・・・実は絶対くるだろうと思って、もう話通してある。下の宝島ってバーなんだけど・・・」
「ああ、あの大きなバーですか?やりたいです!!紹介して下さい。」
「俺以上に厳しいマスターだけど?」
「望むところです。」
「判った。じゃあ一緒にいくか。」
こうして圭吾は岩堀の店「宝島」にアルバイトとして働く事になった。ちょうど愛ちゃんが抜けた後、捜していたところだった岩堀は、聡の紹介ならと、その場で了解した。
彼は今カクテルを猛勉強中らしい。
いつか聡に旨いカクテルを飲ませるんだ!と息巻いていた。それを微笑ましく見ている聡なのである。
結局宝島にバイトしに行くようになった圭吾、機会があればまた登場させたいと思っています。