愛ちゃん
聡が出勤してくると、隣の店の前に人影が・・・・
ある日、店の準備にやってきた聡は隣の店の前に人影を見かける、ごそごそといかにも怪しい。
「おい!!何してる!?」
聡に声をかけられてその女の子はビクッと背筋を伸ばした。そろりとこちらを向く。
「・・・愛ちゃん?何してるんだ?」
明らかに挙動不審のその女の子は隣の店のマスターが乗っているプジョーのミニベロ(車輪の小さい自転車)を持っていこうとしていたようだが・・・・
「ご、ごめんなさい!!」
そういうと愛ちゃんと呼ばれたその女の子は脱兎のごとく非常階段を走って逃げていった。
後に残された聡だが、一応注意を促しておこうと思い隣の店『ヴァイオレッド』に入っていった。
「ええ?・・・・愛ちゃんまた来たの?」
そうあきれ顔でマスターの陣内は言う。
「またって・・・・以前にも自転車?」
「そう・・・今までに2回?岩堀さんのところにいる頃からあのミニベロにご執心でね、買ったら?って言ったんだけど、もうあの赤がないらしくてね・・・」
「そうなんですか・・・」
呆れた話だ。あの女の子は桐明愛、昨年まで宝島でバイトしていたが、本格的にバーテンの修行がしたい!との本人の希望を聞いて、岩堀からの紹介で『サボイ』に入った。欲しいからパクろうとする。まるで中学生じゃないか・・・・そう聡は思う。
「もうあげちゃおうかな・・・」
「いいんですか?」
「そんなに欲しいんならね・・・でもタダであげるのもどうかな・・・」
「・・・じゃあ、俺に任せてもらえます?」
「いいけど・・・どうするの?」
「まぁ、任せて下さい。」
本音をいうと、ちょっとお灸をすえるなり、説教の一つでもしないといけないな!と思っていたので、どうすれば愛ちゃんが反省するか・・・・・聡は考え始めていた。
次の店休日、聡は優香を連れてサボイの本店に入った。
「いらっしゃいませ!・・・珍しいね、懐かしくなった?」
チーフの佐竹が言う。
「今日、愛ちゃんは?」
「ああ、今買い物にいってるけど・・・何か用事?」
佐竹は不思議な顔でそう聞いた。
「いや、大した事じゃないんですけど・・・今日、僕の分は愛ちゃんに作らせてみていいですか?」
「・・・いいけど、まだ例の苦手は克服できてないよ?」
「いいです。今日はちょっと絞りますけど・・・・黙って見ててもらえますか?」
そう微笑みながら言う聡に佐竹は訪ねる。
「・・・なにかしたのか?セントウェーブで?」
「いえいえ、うちじゃなくてお隣!」
「・・・・・判った・・・ちゃりだろ?」
「ご存じだったんですか?」
「ああ、一回マスターが知って、今度やったら首って叱られてたからなぁ・・・」
「そうなんですか・・・・なら、尚の事お灸をすえないといけませんね。」
そう言って、二人で顔を見合わせてにやりと笑った。
「なに?二人して笑って・・・感じわるーい。」
優香がそういうが、
「いいのいいの、ちょっと女の子いじめるけど、口出ししないでね!」
「うん。なにか理由があるのね。」
10分もすると愛ちゃんが帰ってきた。カウンターにいる聡をみてギクッとした表情をするが・・・・ひきつり笑いで挨拶した。
「い、いらっしゃいませ・・・」
すぐさま洗い物を始めるが、チーフの佐竹に
「愛ちゃん、洗い物は後でいいよ。聡のとこ任せるから。」
そう言われ、一回まくった袖を元に戻す。
「・・・・お決まりですか?」
恐る恐るそう聞くと・・・・
「うん。彼女はモスコミュール・・・ジンジャービールの方ね!俺は・・・・」
しばらく悩んでから
「神風!”作ってもらおうかな。」
「モスコのジンジャービールと・・・神風ですね・・」
少しうなだれて注文を受ける。神風は4種類のリキュールでグラスに層を作るカクテルで正確な手順と経験がないと、すぐに混ざり合ってしまう。愛ちゃんは宝島の頃から苦手としていた。佐竹に代わってもらおうとそちらに向かうが・・・佐竹は黙って首を振っている。諦めた愛ちゃんはカクテルを作り始めた。
しばらくしてモスコミュールが先に出てきた。
「先に飲んでいて、多分俺のは時間がかかるから」
そう優香に告げる。そして
「愛ちゃん、失敗してもとにかくここに出してね。・・・全部飲むから。」
と・・・残酷な事を命じる。
「え、は、はい・・・」
最初の一杯目は二種類すら層が出来なかった。それを出して二杯目、三種目で失敗。そして三杯目・・・・
結局完成した時には9個のグラスが聡の目の前に並んでいる。
「スミマセン・・・お待たせしてしまって」
「いいよ・・・」
そう言って、ほとんど一気に一杯づつ飲み干していく聡・・・
優香がちょっと心配するが、もともとこのぐらいで酔う聡ではない。あっという間に全部飲みほしてしまった。
「ふ〜・・・さすがにきついな・・・」
そう言いながら、成功したグラスを眺める。
「これはいい出来だね・・・でも、こっちに移ってからどの位練習した?」
そう言われて何も言い返す事ができない愛ちゃん。
黙ってうつむいている。
「ここに来たのは、バーテンの修行でしょ?愛ちゃん・・・」
「はい・・・」
「岩堀さんだって、手放したくなかったのに、わざわざお客さんが多いサボイに紹介したんだよ?解ってる?」
「・・・・はい。ごめんさい・・・・」
「次に俺が来る時までには・・・できるようになってるよね?」
「・・・はい!がんばります。」
「じゃあ・・・ご褒美をあげよう。おいで!」
そう言って、聡は外に愛ちゃんを連れ出した。
そこには、あの赤のプジョーが厳重に鍵をつけて置いてあった。
「あ!?・・・・・これ・・・・」
びっくりして聡と自転車を見比べている。
「陣内さんが譲ってもいいって!・・・でもタダであげても困るしって言ってたから。俺が代わりに新車を買って取り替えてきた。だから、毎月少しずつでいいから、俺に返していく事!できるよね?」
それを聞いてウンウン頷く愛ちゃんだった。
「修行中なんだから・・・あんまり仕事以外の事で夢中になってちゃダメだよ・・・愛ちゃん」
「はい・・・ご迷惑をおかけしました。自転車、大事に乗りますね!」
『ヴァイオレッド』のマスターはというと、聡が買って渡した最新色のやはりプジョーのミニベロに乗って通ってきていたが・・・・
その新色をみて
「そっちも可愛いですね♪」
などと言ってる愛ちゃんを見て、少し不安を感じていた聡だったが・・・・
陣内に聞いてみると・・・やはりというか・・・
たまに愛ちゃんが勝手に取り替えてるときがあるらしい・・・・・こりないなぁと聡は呆れた。
お灸になってなかったのかなあ・・・・