ルナシスーー冒険者の誕生
帰宅するとルーズィが、せかせかと翌日に向けての準備を進めていた。
忙しそうだったので、「ただいま」と挨拶だけ交わして自室へ戻る。
横になりながら天井を仰いていたヒズルは昼間の出来事を思い出していた。
笑みが止まらない。ああ、自分はなんて幸せ者なんだ。
元の世界では絶対にありえなかったことだ。
この世界も悪くないかも知れない。ヒズルは本気でそう考えた。
明日も会いに行こう。そして卒業するんだ、童貞を。
物思いに耽ていると、ふと満腔がむず痒くなる。な、なんだ。この感じ。
すると、ボンッ! という音と共に身体が元の姿に戻ったのだ。
忘れてた。俺、オークになっちまってたんだ。
暗澹たる気持ちが押し寄せるが、しかし払いのける。
大丈夫だ。もう少しフィーレアとの関係が親密になったら全てを話そう。
きっとフィーレアなら受け入れてくれるはず。だってあの子は俺が大好きなんだから。
幸福感に包まれたヒズルは、もじもじと男らしからぬようにゴロゴロと転がった。
その姿は実に小気味悪い。
よし、今日は寝て、明日朝一でフィーレアの家に行こう。
そしてヒズルはそのまま瞼を閉じた。
よし、朝か。
柔らかく粉のように白っぽい朝日が天窓に降り注ぐ。
わくわくが止まらず、朝日が昇る数時間前に起床していたヒズルは、
変身の首飾りをかけ身支度を済ました。
いまヒズルは不気味なほどニヤついていた。しかしそれも仕方のないことだった。
誰かと交際することはもちろん、異性から行為を寄せられる事すらなかったヒズルにとって、
フィーレアという超絶美少女に好意を向けられ、あまつさえ結婚しましょう、などと告げられては、そりゃもう恋は盲目だ状態に陥るのも致し方ないのである。
一階に降りると、昨日ルーズィが色々と準備をしたようで、
棚などに紫色のポーションや指輪などが陳列していた。
入口を出て、街の東にあるフィーレアの家へと向かった。
不慣れな街であるため、何回か迷ったりしたが無事に辿り着くことができた。
玄関をノックをするーーしかし、応答はない。
寝てるのかなと思い、強めに扉を叩くが返事はなかった。
仕方ないので小屋の周囲を調べ、小窓から中を覗く。しかしフィーレアの姿が見当たらない。
どうやら留守のようだ。こんな朝方からどこに出掛けているんだろう。
やむを得ず、少しだけ街をぶらぶらして家に戻った。
家の前に着く。
すると店頭で誰かが揉めているようで声が響いたのだ。
「知らないって言ってんじゃない。
朝起きたらいなかったのよ」
ルーズィの声だ。俺のことをいってんのか?
ヒズルは中に入った。
「おーい。ルーズィ。何かあったのか」
「あっ! ちょっとあんたどこ行ってたのよ!」
ルーズィはカウンターの奥に居た。
その向かい側には、メラメラと燃えさかるような真っ赤な髪の女性が立っている。
髪はポニーテールである。顔は可愛いというより美人よりのお姉さんだ。
その女性がヒズルを見ると、藪から棒に、「お前が九条ヒズルか?」と訊ねてきた。
「そ、そうだけど。ど、どちらさんで?」
ヒズルが答えると、その女性はヒズルの至近距離に来る。
「私の名はイザベル。冒険者だ。では、さっそく向かうぞ」
イザベルはヒズルの腕を掴む。
「待ってくれ! 話がまったくみえないんだが!」
どうゆうことだよ。一体何の話だよ。
冒険者ってなんだよ! そんな奴と何処に行くんだよ!
「とぼけるな。お前にはギルドから前金が既に支払われているだろう。
この通り契約書にサインまでしてある」
イザベルが取り出したのは、昨日ヒズルがサインしたフィーレアとの婚姻届けだった。
「それ婚姻届けじゃねえか! な、なんでお前が!?」
狼狽するヒズル。なんでコイツがそれを? もはや軽くパニック。
「婚姻届け? 何を云っているんだ?
これはギルドでクエストを受注する際に記入する契約書だ」
ん? え? なんだって?
それまで黙っていたルーズィが、「どれどれ」とその紙をイザベルから受け取り読み始めた。
「私は下記のクエストを受けることを承諾しますーー
--クエストの報酬分は前金としてお渡しします。
もしキャンセルされる用でしたら全額返済をお願いします、だって。
で、実際いくらもらったのよ」
「もらっていない......」
「え? どうゆうことよ」
そして昨日の出来事を全て吐露した。
「呆れた。典型的な詐欺のやり口じゃないの。てかちょっとくらい規約に目を通しなさいよね」
「おっしゃる通りです」
ルーズィは心底呆れた様子で、正座しているヒズルを見下ろす。
二人のやり取りを聞いていたイザベルが口を開いた。
「状況は概ね理解した。しかし困ったな。
私にはどうすることも出来ない」
イザベルは困ったように腕を組む。
「因みに支払われたお金ってどれくらいなの?」
ルーズィの問いにヒズルも耳を傾ける。
「確か金貨千枚と聞いている」
「千枚!?」
ルーズィはひっくり返りそうな声を上げた。
はて? どの程度なのかピンと来ないな。
「それってどのくらいなの?」
「大きな家が五つは建てられるわね」
ヒズルは項垂れた。
「くそ! あの女見つけ出してとっちめてやる!」
「無理よ。今ごろは、金だけ持って遠くに逃げてるでしょうし。
諦めて冒険者として働いてきなさい。自業自得よ」
ヒズルはタメ息を吐く。
どうして自分がこんな目に。
こうしてヒズルは冒険者になった。




