ヤサグレ系ー悪役令嬢(元)
エメラルダ・エメラルディオ公爵令嬢とは、傲慢で、強欲で、鼻持ちならない高飛車女だ。
というのが、市井に流れるホットな噂であった。少なくとも、半年前は。
実際の所、噂には尾ひれがつくので彼女は噂ほど傲慢でもなく、強欲でもなく、鼻持ちならない高飛車女でもなかった。高位の貴族令嬢なら誰もが持っているプライドと物欲を平均的に持っているだけの公爵令嬢であった。歴史を振り返って見れば、一山いくらかで売ってそうなぐらいには普通だった。婚約者の王子とは、ごくごくふつーに付き合い、このまま行けばふつーに結婚して、ふつーに国母となる、ごくごくふつーの公爵令嬢であった。それがぶっ壊れたのが、大体半年前。
崩壊の鐘の音はもっと早くなってはいたが、誰もがその小さすぎる音を聞き逃し、大音声で「ろっくんろーる!!」と叫びだした頃には手遅れになっていた。
市井に現れた聖女、ルビーリア。魔法が使えるため、学校に強制入学されたという奇妙な経歴の平民である。が、その実態は先代王弟のご落胤の孫にあたる。つまりは王族の血をかなり濃く受け継ぐ存在であり、本来ならば目障りきわまわりない不貞の証のはずだった。しかし今現在、王族の数が致命的に減少し、かつ娘という彼女の性別が政治に大きく影響した結果、なんとなく無事に入学することと相成った。裏の政治のゲームのおぞましい様はきっと将来の彼女が感じることとなるだろう。
真っ黒な王宮事情に対して現実の彼女は、光と水の属性のみが使える治癒魔法に特化し、人を引きつける明るい笑顔が似合う素敵な女性だった。その美貌はエメラルダのもつそれとは方向性が真逆で、そのギャップで王子は見事に落とされたのだった。当然、エメラルダは激怒し、思いつく限りの嫌がらせを行った。
そして卒業を待たずしてブチ切れた王子によって学校から追放された。名目は校則違反。自由平等を歌う魔法学校において、家の持つ権力を悪用し、共に学び、励まし合う学友への看過しがたいいじめの数々。
ふつーだった公爵令嬢、エメラルダはその日、ふつーではない公爵令嬢にいろいろな面でランクアップした。
金糸のような美しい髪と死んだ魚のような輝きのない碧眼をした女性、彼女がそのエメラルダであった。ぐだーっと長椅子の上で、その美貌が台無しな格好をして。ノックとともに客人が入ってきたにも関わらず、この体たらく。あまりの姿に客人ーーー茶髪で長身の騎士はため息を付いた。
「エメラルダ様、お願いですから男の前でそのようなお姿をするのはお止めください」
「いや。私はもう頑張らないと決めたのです、だ……きめたんだ」
「いや、染み付いた口調を何とか変えようとする無駄な努力はやめましょうよ」
無理に男のような言葉を使おうとするのは、最近のエスメラルダの『遊び』である。だがこの『遊び』もエスメラルダのその日の気分で簡単に変わる。先月は家庭菜園、先々月は勉学、三ヶ月前は聖女ごっこである。
大体一ヶ月スパンで変わっていくこの遊びだが、大体がこの茶髪の騎士ーーーガーネットによって止められている。しかし、エスメラルダがガーネットの忠言に耳を傾けた結果変わるのではなく、もっと別の理由があり、それが。
「ガーネット。私の遊びに口を出さないで……出すな。そもそも、毎月毎月、顔を出すなと言っているで、だろう。不快な面を晒すんじゃねえぞボケェ、イチモツちぎって鳥の餌にしてやるぞコラァ」
「どこで覚えた最後のそれぇ!!しかも無駄に流暢!?」
「神殿前の焼き鳥屋のおやじから。面白かったからまねてみ、真似たのだ」
「今すぐやめてください!!仮にも公爵令嬢が、なんていう言葉遣いですか!?」
悲鳴にも似たガーネットの呼びかけに、とてもうざったそうに振り向くと。
「私、もう公爵家とは何の関係もありませんー。ただの神殿住まいのおじょーさまーでーす」
それだけ言って、枕にぼふっと顔をうずめた。聞き慣れた返事だ。
頭を抱えそうになりながら、ガーネットは無駄と思いながらも言葉を続ける。
「ただのお嬢様なら国王からの招集に応じてくださいよ………」
「いやよ。神殿は国王からの不当な搾取に抵抗する権利を有するのよ。暴君の治世から民を守るための最後の砦よ。その神殿が権力に屈するわけ無いでしょう。さあ、出口はあちら、さようなら」
布越しに聞こえるくぐもった声は間抜けっぽいが、それに反して出てくる言い訳には、今のガーネットが付き崩せるだけの隙がない。ため息をつき、「今日のところは失礼します」といって部屋を出た。
扉を出てすぐ、輝くような金髪の男性ーーー王子のアメジスタと目があった。ガーネットの疲れた顔と目があい、それで全てを悟ったのかアメジスタも共にため息を付いた。
「全く………どうしてこのようなことになるのだ」
「大体あんたらのせいですけどね……オレ、近衛やめていいっすか?」
「王命だ。エメラルダ嬢を何としてでも公爵家に呼び戻せ………それか、エメラルディオ公爵を説得しろ」
「無理ってわかってますよね、最後のそれ」
頭を抱えて、思わずうずくまるガーネットであった。
「王子、責任とって腹切ってきてください。そうしないとオレ、胃に穴が開いて死んじゃいます」
「他に兄弟がいれば考えたが、私は一人っ子でな。そんなことすれば国が滅ぶ」
「大丈夫ですよ。ほっておいても、公爵の反乱で国は滅びますから」
「おい、面倒だからって投げやりになるなよ」
思わず、こぼれた本心に、アメジスタも疲れていたのだろうか、乱れた口調でツッコミが入った。
考えてもどうにもなることではないと知っているが、流石に投げやりにならざるを得ない。
とりあえずの所、「今は日を改めてから訪問する」という解決策にもならない策を採用し、二人は神殿からとぼとぼと学校へと帰っていった。
☆
エメラルダがふつーではなくなった日、彼女の脳内で革命が起きた。
それは今までの価値観の崩壊であり、彼女が全てにおいて「努力」をする理由がなくなった瞬間でもあった。
着の身着のまま神殿へと趣き、光の女神像へと祈りを捧げること一週間。
その場からピクリとも動こうとせず、結界で周囲から隔離していたため、人力でどうこうすることもできず、日々衰弱していくエメラルダをはらはらと見守る神官たち。
きっかり一週間経つとエメラルダはぱたりと倒れ、倒れると同時に巨大な神殿をすっぽり包む形で強力かつ強大な『祝福』がかけられた。
『女神様の、祝福じゃあああああ!聖女様を今すぐ助けよ!』
目の前の現象に理解が及ばず、大神官の一喝でわたわたと救命活動に動き出す神官たち。
その日を境に、エメラルダ・エメラルディオ公爵令嬢は死に、新たに『碧玉の聖女』エメラルダが誕生したのだった。
助けられてすぐ、エメラルダはこう宣言した。
『私、女神の教えに感動しました。持てる魔力と知識で、女神様から賜りしこの『祝福の結界』を維持します。そして俗世との関わりを絶ち、この清らかな神域の中で、静かに暮らしますわ』
これにブチ切れたのがエメラルディア公爵。突然音信不通となった娘が、何故か突然聖女になり、そしていつのまにか出奔していて、神殿住まいのシスターになっていた。
たった一人の愛娘。目に入れても痛くない可愛い我が子。王家と公爵の結び付きをより強める両家の絆の象徴。この国の頂点に立つ令嬢の頭。
それらがまとめて消え去った時の衝撃。公爵は最初の報告で大笑いし、二度目の報告で秘書を減給し、三度目の報告で昇給して事情を精査させ、四度目の報告で完全にブチ切れた。
そしてその日、背後に修羅を浮かべた公爵が王城に乱入。すったもんだの挙句、決まったことは3つ。
1つ、エメラルダの退学及び出奔は認めない
2つ、王子は責任をもってエメラルダを連れ戻す
3つ、婚約は解消
1つ目はただ単純に、学校からの処分が不当であり、かつそれに伴い発生したエメラルダの出奔も親の許可が無いために認めないというだけのこと。
2つ目は、そのような出来事を起こし、それを解決するどころか拡大させた王子に事態の収拾を付けさせるというだけのこと。
3つ目は当たり前である。加えて、王子の婚約はルビーリアの相手で許可が下っており、成人と同時にルビーリアとの結婚も認められた。しかし、それはエメラルダを神殿から連れ戻し、今までの仕打ちを謝罪し賠償しなければならないという条件付きで。
顔を真っ青にした王子は持てる財力と手練手管でエメラルダを連れ戻そうとした。が、神殿が全力で抗議かつ妨害。そして当のエメラルダがアメジスタを名指してこう宣言。
『男という存在を、私はもう信じることができません。私は女神様の教えを守り、心を平穏に保ち、祝福を維持し続けるために、アメジスタ・ジュエリージアとは、顔も、声も、彼を匂わす物全て、近寄りたくありません』
これによって、アメジスタは近寄ることはできなくなり、ガーネットの胃の痛い日々がはじまったのだ。
☆
「本当に苦労をかけてごめんなさい、ガーネットさん」
「いえいえ、ルビーリア様にこうして労ってもらえるだけで、もう、全てが報われた気がしますわ…」
「………」
王城にて、奇妙な茶会が開催されていた。
シンプルながら、高貴な雰囲気を漂わせるドレスを纏い、柔和な笑みを浮かべた女性ーーールビーリアと、ガーネットと、不機嫌そうなアメジスタが、テーブルを囲んでお茶を飲んでいた。
茶会の話題は、もちろんエメラルダであり、彼女の説得に毎月神殿に通っているガーネットであった。この話題になるとルビーリアは常に申し訳無さそうに、目を伏せがちになる。自分がアメジスタとエメラルダの婚約を破棄させ、そしてエメラルダをひどく傷つけたことを悔やんでいるのだ。
「ルビーリア様、気にしてもしょうがないですよ。王家の婚約は成人後に取りまとめられるんですから。知りようがないルビーリア様が悔やんでも同しようもないですよ。どっかのだれかさんが一番悪いんで」
「ぐっ、だが」
「そうね……」
「ルビーリア!?」
手を取ろうとして、ぺしっとはたき落とされる王子。
怒りをたたえた紅玉の瞳で、王子を見つめるルビーリア。
「本当に、本当に、婚約者というものがありながら、何を考えているんですか……?」
「だが、それは」
「非公式だろうが婚約は婚約!あなたがエメラルダ様に許されるまで、わたしには指一本触ることは許しませんからね!」
「ルビーリア…」
「そ、そんな眼をしてもダメです!!わんこみたいな眼をしてもダメです!!」
「………その犬なみに緩い下半身何とかしてくださいよ」
「おい、お前今なんて」
「話を逸らさない!!」
彼氏が実は既婚者(仮)で、ある日突然奥さんと別れてやってきた。
こんな現代であれば即・破局間違いなしな事案も、権力関係のあれこれによって無事収束。代償はアメジスタの株価。プライスレス。
必死になろうにも近づけない。ならば手足を使うしか無い。そういう理論で抜擢されたのが、アメジスタ達より4つほど上のエリート騎士、ガーネットであった。卒業年に生徒会長まで任されるほどの実力なので、きっと大丈夫と判断されたのだ。という名目で実際は出世の早い若造への嫌がらせである。
「……正直、このまま4、5年ほど時間置いたほうがいいと思うんですよね。人間、強い感情を維持するのは思いの外結構エネルギーが必要ですから。放っておいたら神殿から戻っては来るかもしれませんよ」
「ああ、そうだな。婚期を大幅に逃したエスメラルダが戻ってくるな。その後の公爵との交渉はおま”」
「あなた……」
「る、ルビー、その、ヒールが、足を」
にこやかな王妃(予定)の御御足が、王子の足の甲を打ち抜かんばかりに踏み抜いていた。
そのまま踵をグリグリとねじり、追撃を加えていくあたり、きっとこの柔らかな笑みの優しい女性は、魔物犇めく王宮でも生きていけるだろうと、ガーネットは他人事のように考えた。
そうした茶番をあと少し、入れた紅茶を冷まさずに味わえるほどになったころ。
三人が示し合わせたように、カップにそっと口をつけ、バラの香りにわずかな現実逃避をしたあとだろうか。
「………まあ、正直なところ、今回の公爵のあの態度は、まあルビーリア可愛さもあるだろうが、それよりも王家への抗議と賠償という面が大きいだろうからな。このままルビーリアが帰ってこなくても問題はたいしてないんだよ」
「じゃあさっさと蹴りつけてきてくださいよ」
「そうもいかんだろ。国の頂が、公爵とはいえ、たかだか一貴族の言い分をそのままに受け入れるわけにはいかんだろ」
あ”あ”ーと面倒くさそうに、(何方かと言えばおっさんくさく)ため息をついた。
「教会の言い分も、あれほとんど建前だし。こっちの寄付金が減れば露骨にすり寄ってくるし」
「うっわ」
「うるさい。経営なんてそんなもんだ。だから、ルビーリアを連れてくるのもたいして苦労しないんだが……」
そう言いかけていたアメジスタの言葉を遮るかのように、三人のテーブルに影が落ちた。
影の主を辿れば、王宮で二番目に高く、立派な装飾を施された白亜の塔が目に映る。
その塔を見ているだけで、三人にはえも言えぬ圧迫感がもたらされるのだ。
まあ、理由はだいたい一つであり、ちょうどアメジスタが言い淀んだことにもつながる。
『王妃様、ブチ切れてんだよな……』
言葉には出さず、ただ心の中だけで浮かべた言葉には、口に出してもいないにも関わらず、災いを引き寄せかねない「厄」を感じさせるものだった。
「そういうわけだから、今後も誠実に、かつ、誠心誠意謝罪しながらガーネットが頑張ってもらうしかないんだな……」
「勘弁してくださいよ……」