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オタクドラゴン電光石火  作者: 古川ムウ
5/10

〈第五章:招かれざる客〉

 翌日。


 雨は昨夜の内に止み、晴れ渡る空とギラギラ輝く太陽が戻ってきた。

 『猫目小僧』のTシャツを来た浅尾は、任世館で丸椅子に座っていた。

 彼はクーラーという文明の利器に感謝しつつ、穏やかな時間を過ごしている。

 店内にはBGMとして、ザ・ワイルドワンズの『青空のある限り』が流れている。

 そんな午後一時頃、意外な訪問者が現われた。


 「こんにちは、浅尾さん」

 その女性客は、軽く会釈して微笑んだ。

 「えっ、どうしてここに?」

 浅尾は驚き、思わず椅子から立ち上がった。

 訪問者は詩出井亜里だった。

 この前とは違い、普段着なのだろう、Tシャツにジーンズというラフな服装だ。

 彼女は一人ではなく、信郎も一緒だった。


 「亜里がこの前の礼を言いたいらしいんで、連れて来たんだよ」

 信郎が不愉快そうに言った。

 「この前って、ミニコンサートの?」

 「ああ、ストーカー男を追い払っただろ。その礼が言いたいんだと。そんなことで、わざわざ会いに行く必要は無いって言ったんだけどな」

 「そんな言い方は失礼よ」

 たしなめるように亜里が言う。

 信郎の方が年上なのだが、中身は亜里の方が大人のようだ。


 「いや、言い方はともかく、僕も信郎君と同じ意見ですよ」

 浅尾が亜里に話し掛けた。

 「礼を言うためだけに、アイドルがこんな店に足を運ぶ必要なんて無いんですよ。今は他にお客さんがいないからいいものの、ファンに見つかったりしたら大変です」

 「でも、あの時はあまりにビックリしてしまって、ちゃんとお礼を言わないままで帰ってしまったので。本当に、ありがとうございました」

 亜里は、丁寧に頭を下げた。

 「いやいや、警護を任された以上、当然のことですよ。それにアイドルオタクとしては、アイドルを守るのが使命ですからね」

 浅尾は恐縮した。

 同時に、ここまで律儀な態度を取る亜里に、ますます好感を抱いた。

 勘違いしては困るが、それは恋愛感情ではなく、ファンとしての好感だ。

 浅尾は、アイドルに対して本気で恋心を抱かないというルールを、自分の中で勝手に定めている。


 「それと、今日はもう一つ用事があって来たんです」

 亜里はニッコリ笑って言った。

 「実は、浅尾さんに会ってみたいという人がいるんです」

 「ちょっと、前置きが長いわよ。外は暑いんだから、早く紹介してくれなきゃ」

 店の外から粘るような声が響き、一人の女性がロングヘアーをなびかせながら入ってきた。

 タイトな紺のミニスカートに、ざっくりと胸元の開いたブラウスという格好だ。

 顔立ちはクッキリとしていて、少しキツめの美人という感じである。

 年は三十代前半といったところだろうか。

 ミニスカートから伸びる生足が、なまめかしい。


 「颯爽と登場するイメージだったのに、亜里の前置きが長いから、なんか調子が狂っちゃったわ」

 その女性は、妖艶な眼差しを向けながら文句を言った。

 厚みのある唇が、官能的に動く。

 「ごめんなさい、エミさん」

 「やだ、こっちは冗談で言ってるんだから、本気で謝らないでよ。まるで悪者みたいじゃない」

 カラカラと笑いながら、エミと呼ばれた女が亜里に歩み寄った。


 「あの、もしかして、室輪エミ(むろわ・えみ)さんですか?」

 浅尾が質問を投げ掛けた。

 ただし、彼は相手が誰なのか既に分かっており、それは確認のための作業に過ぎない。

 「ええ、そうよ」

 エミは芝居じみた動きで髪をかきあげながら、うなずいた。

 「ああ、やっぱり。お会いできて光栄です。グラビアで活躍していた頃から、ずっと見ていました」

 浅尾は、頬を緩ませる。

 彼が言った通り、室輪エミはグラビア系アイドルとして芸能界にデビューしたタレントである。

 現在はグラビアの仕事を卒業し、バラエティー番組を中心に活動している。


 「グラビアで活躍していた頃なんて、随分と昔に思えるわ。私が最も輝いていた時期ね。最近は完全にバラエティー番組のイジられキャラになっちゃったけど」

 エミは、自虐的なことを笑顔で口にした。

 「だけど、ドラマにも出演しているじゃないですか。最近まで放送していた刑事ドラマ『ビバ!港南署』の婦人警官役は良かったですよ。ドラマ自体も『あいつがトラブル』みたいで好きでしたし」

 「あら、それは嬉しい言葉だわ」

 「おい、オッサン、どうして普通に会話を進めてるんだよ」

 信郎が呆れたように言った。

 「どうしてって、何のことだい?」

 浅尾には、信郎の言葉の意味が理解できなかった。

 「何の目的でエミさんがここに来たのか、不思議に思わないのか」

 「ああ、そうか。そういえば」


 「実は、エミさんとは前から親しくさせてもらっていて、私にとっては芸能界のお姉さんみたいな存在なんです。何でも話せるっていうか」

 亜里が説明を始めた。

 「それで、この前の事件のことも、エミさんに話したんです。そうしたら、エミさんが浅尾さんにすごく興味を持って、会ってみたいって言い出したんです」

 「わざわざ会うほどの男でもないって言ったんだけどな」

 信郎が、馬鹿にするような目を浅尾に向けた。

 「ということは、信郎君も室輪さんと知り合いなのかい」

 「ああ、亜里に紹介してもらって、ちょっとだけな」

 「だけど室輪さん、興味と言われても、これといって特に何も無いですよ。僕は単なるオタクです」

 浅尾が言う。


 「そんなことないでしょう」

 エミがアヒル口を開き、意味ありげな視線を送った。

 「聞いたわよ。あなた、タチの悪いファンを、ジャッキー・チェンみたいに退治したんでしょ」

 「ジャッキー・チェンですか」

 浅尾は戸惑いの表情を浮かべる。

 「亜里ちゃんが、そんな風に言っていまししたか」

 「ええ、見た目は全く強そうに見えないのに、すごく強くてビックリしたって。それで是非とも会いたいと思って、彼女に連れてきてもらったの」

 「そうか、室輪さんは確か、格闘技をやってらっしゃるんですよね」

 浅尾は思い出して言った。

 「へえ、そんなことまで知ってるの」

 「もちろんですよ。確かキックボクシングですよね」

 「エミさんはすごく強いんですよ。痴漢を撃退したこともあるんです」

 亜里が言う。

 「物騒な時代だから、自分の身は自分で守らないとね」

 エミが言う。


 「亜里も何か格闘技を始めたら?また変なファンにでも襲われたら困るでしょう。いつも浅尾さんに守ってもらうわけにはいかないんだし」

 「でもアタシ、運動神経が鈍いから」

 「簡単な護身術なら、何とかなるんじゃないの。そうだ、浅尾さん、そういうのって何か無い?」

 エミが、何気無く浅尾の腕を触りながら尋ねた。

 「そういうのって、護身術ですか」

 ボディータッチに緊張しながら、浅尾が問い返した。

 「ええ、亜里みたいに弱い子でも、簡単に出来るようなやつが」

 「僕のやっている拳法は、あまり一般向けではないので」

 「どういう流派なの?少林拳とか、酔拳とか、色々あるでしょ」

 「言っても分からないと思いますけど、大進拳というマイナーな拳法です」

 「へえ。それって、いつ頃から始めたの?わざわざ中国まで言って学んだの?どういう特徴がある武術なの?」

 エミは悩ましげな眼差しで浅尾を見つめ、矢継ぎ早に質問した。


 「エミさん、本当に興味津々なのね」

 亜里が、軽く驚いた様子で言った。

 「そりゃそうよ。私、強い男が好きだもの。それも未知の格闘技となれば、なおさらよ。ねえ浅尾さん、良かったら携帯の番号とメールアドレスを交換しない?」

 「えっ?」

 浅尾は狼狽する。

 「色々と、詳しい話も聞きたいし。それぐらい、別に構わないでしょ」

 まるで誘惑するように、エミは浅尾を見つめたまま唇を舐めた。

 「エミさん、やめた方がいいですって。こんなオタクにそんなことを教えたら、ロクなことになりませんよ」

 信郎が顔をしかめて言った。

 「おいおい、それは心外だな。僕は紳士的なオタクなんだぞ」

 浅尾は静かに抗議し、それからエミに視線を戻した。

 「とは言え室輪さん、僕みたいな人間と携帯番号やメールアドレスを交換するのは、やはり行き過ぎではないかと思いますが」

 「あら、どうして?嫌なの?」

 「いえ、滅相も無い。やぶさかではありませんが」

 浅尾は、あまりに積極的なエミの態度に、困った表情を見せた。

 そういった女性からのアプローチに、全く慣れていないのだ。

 彼は多くのオタクと同じく、自他共に認める「モテない君」なのだ。


 「だけど本当に、亜里が言ったように、あまり強そうには見えないわよね」

 エミは、浅尾の全身を見回した。

 「見えないだけじゃなくて、実際、僕はそんなに強くないんですよ」

 「またまた、謙遜しちゃって」

 「いや、そんな奴、強くないぞ!」

 店の入り口から、大きな声が響いてきた。

 反射的に、浅尾達が視線を向ける。

 すると、そこには見覚えのある男が立っていた。

 「お前、あの時の」

 信郎が指差したその男は、ミニコンサートの日に現れた自称・亜里の恋人だ。


 パンチパーマの男は仁王立ちになり、強気な態度で言った。

 「あの時は油断していたから、やられただけだ。そんな奴に、俺が負けるはずは無い。亜里の愛のパワーを持つ、この俺がな」

 「何を言ってやがる、この馬鹿が」

 信郎は冷めた口調で言った。

 「そんなことよりも」

 浅尾が口を開いた。

 「ここが良く分かりましたね。と言うか、なぜ来たんです。私に何か用ですか?あの時の仕返しをしたいとか?」

 「俺は亜里を追い掛けてきたんだよ。お前なんかに用は無い。店から出てくるのを待っていたが、なかなか出て来ないから入ってきただけだ」

 「浅尾のオッサンにビビって、亜里が外に出てくるまで待とうとしたんだろ」

 信郎が挑発的な物言いをした。

 「違う。余計な奴に、俺と亜里の邪魔をされたくなかっただけだ」


 「邪魔者ですみませんね、帆足さん」

 浅尾が淡々と言った。

 「ど、どうして俺の名前を?」

 途端に、男が焦った様子を見せた。

 「オタクは無駄に知識が豊富なんですよ、帆足さん」

 「くそっ、ふざけやがって。だからって何なんだよ。俺の名前が分かったからって、どうだって言うんだ」

 帆足が平静を取り繕おうとするが、瞬きの多さに慌てぶりが出ている。

 「いえ、名前を知ったからといって、どうということはありませんよ」

 対照的に、浅尾は落ち着き払って言葉を告げる。


 「ところで、御用は何ですか」

 「ええい、今日はこれを亜里に渡しに来ただけなんだよ」

 帆足はヤケクソ気味に言って、ズボンのポケットから木製の箱を取り出した。

 掌サイズの立方体で、ピンクのリボンで蓋が封じられている。

 「亜里、俺からのプレゼントだ。受け取ってくれ。俺の愛の深さが、これで分かるはずだ」

 「えっ……」

 たじろぐ亜里に帆足は近付き、強引に箱を押し付けた。

 「何やってんだよ」

 信郎は眉を釣り上げ、亜里と帆足の間に割って入った。

 「まだ懲りてないのか。亜里は迷惑してるんだよ」

 「これは俺と亜里の問題だ。部外者がとやかく言うな」

 帆足は、ファイティングポーズを取ろうとした。

 だが、浅尾が一歩前に出たのを目の端に捉えた瞬間、逃げ腰になった。


 「い、いいか。今日はプレゼントを渡しに来ただけだ。お前とケンカしに来たわけじゃねえぞ」

 帆足は浅尾を見ながら、そう言った。

 「僕だってケンカする気は無いですよ。ただ、幾つか聞きたいことはありますけど」

 「お前に話すことなんて、何も無いぞ。もう行くからな。だけど、俺はビビってるわけじゃねえぞ。今度会ったら、ただじゃおかないからな」

 そう言うが早いか、帆足は脱兎の如く店から走り去った。

 「おい、待て」

 すぐに信郎が後を追って店を出た。

 しかし店先でキョロキョロと辺りを見回した彼は、首をかしげながら、すぐに戻ってきた。

 「どこにもいないぞ、あいつ。逃げ足だけは異常に速いな」

 「サイボーグ009みたいに、加速装置でも内蔵されているんですかね」

 浅尾は、すました顔で冗談を飛ばした。

 「ビビってるわけじゃないと言っておきながら、さっさと逃げ出しやがって。あの野郎、明らかに浅尾のオッサンにビビってるじゃねえか」

 「そんなに怖がらなくてもいいのに。こう見えても僕は、初代メフィラス星人に匹敵するほどの紳士なのになあ」

 浅尾は残念そうに言う。


 「ねえ、あの男は何者?」

 エミが浅尾に尋ねた。

 「あれは、亜里ちゃんのファンの成れの果てですよ。自分が亜里ちゃんの恋人だと思い込んでいるんです」

 浅尾が説明した。

 「ああ、あれがそうなの。いわゆる痛いファンって奴ね。というより、ストーカーかしら」

 「どっちでもいいさ、とにかくクソ野郎には違いない」

 信郎は顔を紅潮させた。


 「あの、このプレゼント……」

 亜里がおずおずと、浅尾達に箱を見せた。

 「どうしましょうか、これ」

 「開けてみれば?」

 エミは、悪戯っぽく口にした。

 「でも、ちょっと怖いし、それに気持ち悪いし」

 「そりゃそうだな。何が入ってるか分かりゃしないぜ。どっかに捨てちまえよ」

 信郎が言う。


 「いや、そんなに嫌悪するような物は入っていないんじゃないかな」

 じっと箱を見つめていた浅尾は、信郎とは異なる意見を口にした。

 「なぜだよ、オッサン?」

 「彼は確かに真っ当な人物とは言えないが、少なくとも亜里ちゃんに対する気持ちは真剣のようだからね。亜里ちゃんを傷付けるつもりは全く無いだろうし、妙な物を渡すとは思えない」

 「それは、どうだろうな」

 信郎は同意しない。

 「箱のサイズからして、僕は宝飾品のような物ではないかと推理しているんだが」

 「ほら、開けちゃいなさいって」

 エミがそそのかす。

 「でも、中身が何であれ、やっぱり気持ち悪いし」

 「だったら、俺が預かっておく」

 信郎は、無造作に箱を掴んだ。

 「あの野郎、どうせまた近い内に、亜里に会いに来るだろう。その時に、突き返してやるよ」

 「そうですか、それも一つの案ですね。では、信郎君に任せましょう」


 「それにしても、この店まで追い掛けて来るとは思わなかったぜ」

 「こんな場所まで来るぐらいですから、亜里ちゃんの住まいの方にも現れているんじゃないですか?確か、実家を離れて、こっちで一人暮らしをしているんですよね。大丈夫ですか」

 浅尾は亜里に問い掛けた。

 「もしかすると、来ているのかもしれません」

 「来ているのかも、というと?」

 質問を重ねる浅尾。

 「あの人が押し掛けて来るんじゃないかと思うと怖くて、しばらくマンションには戻っていないんです」

 「だけど、それじゃあ住まいはどうしているんです?実家は宮城県のはずですから、そこから通うわけにもいかないでしょう。ホテル暮らしだと、お金も大変でしょうし」

 「ええ、まあ。でも大丈夫です」

 亜里は明確に答えず、伏し目がちに信郎を見た。

 すると、それに気付いた信郎は、不自然に視線を反らした。

 だが、そういうことに鈍感な浅尾は、その態度の意味するところに全く気付いていないのであった。


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