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オタクドラゴン電光石火  作者: 古川ムウ
4/10

〈第四章:雨の訪問者〉

 翌日の昼間。

 信郎は、段手商店街から一キロほど北側の住宅街を歩いていた。

 その辺りは、いわゆる中流家庭が暮らす地域だ。


 信郎は江角会長の家、すなわち実家を訪れた帰りだ。

 彼は洗濯物が溜まると家に持って行き、母親に洗ってもらう。

 そして代わりに、前回の訪問で預けておいた洗濯物を受け取るというのが、いつもの決まり事だ。

 態度の生意気な信郎も、母親への愛情は持っている。

 実家に戻るのも、たまに母親に顔を見せてやろうという意味が大きい。

 しかし素直な性格ではないので、「洗濯物を洗ってもらう」という言い訳を用意しているのだ。


 信郎が実家へ戻った時には曇り空だったが、立ち去る時はシトシトと雨が降り出していた。

 彼は母親に傘を借り、徳民荘への帰路に就いていた。


 普段から昼間は人通りが少ない場所だが、天気が悪いこともあり、人影は全く見られない。

 静寂の中で、雨粒がアスファルトに落ちる音が響く。

 舗装の具合が悪いらしく、窪んで小さな水たまりが出来ている場所もある。

 雨の影響で、気温は昨日より随分と下がっている。

 暑がりの親父も今日は汗をかかずに過ごせるだろうと、信郎は思った。



 情緒ある静けさに包まれて歩いていた信郎だったが、それを破る者が出現した。

 「おーい信郎君、待ってくれ」

 背後から聞こえてきたのは、浅尾の大きな声だった。

 信郎は振り返らず、舌打ちをした。


 「いやあ、いい所にいてくれた」

 浅尾は両手を頭の上に乗せ、信郎の傘に駆け込んできた。

 今日の彼は、“FLASH”と文字が書かれたTシャツにスラックスという、『フラッシュ・ゴードン』風の格好だ。

 「急に雨が降り出したもんだから、参ったよ。いやあ、良かった」

 相手の機嫌などお構い無しで、浅尾はヘラヘラと笑った。

 「急に降り出したわけじゃないだろうが。朝から空模様は怪しかったんだし、傘ぐらい持って出ろよ。天気予報ぐらい家でチェックできるだろ」

 信郎は、自分のことを棚に上げて浅尾を注意した。

 「天気予報なんて、わざわざ気にしていられないよ。そんなものを見る暇があったら、『風雲児たち』の一冊でも読むさ」

 浅尾は悪びれずに言う。


 「それより、どこへ行くんだい?出来れば、このまま段手商店街へ行ってくれないかな。店に戻る途中なんだよ」

 「今日は、店は休みのはずだろ。それに、俺は徳民荘に戻るんだよ」

 「そんなケチなことを言わずに。少し寄り道するだけじゃないか」

 「少しじゃねえよ、方角が全く違うだろ。店に行くなら、傘を取りに家へ戻って、それから行けばいいだろうが」

 「傘を取りに戻るも何も、その家に今から戻るんだよ」

 「アンタ、さっきは店へ行くって行ったじゃないか」

 「だから、店が家でもあるんだよ」

 それを聞いた信郎は、歩みを止めて浅尾を見た。

 「もしかしてオッサン、あの店に住んでるのか?」

 「そうだよ、店舗の二階が住居スペースになっているんだ。狭いけど、住めば都さ。それが何か問題でも?」

 「いや、別に問題は無いけどさ」

 信郎は困惑した顔になった。

 任世館へは一度しか行ったことはないが、どう見ても住居に適した場所だとは思えなかった。


 「とにかく、道が違うんだよ。少しの距離なら、雨に濡れても平気だろ」

 そう言って、信郎は早足で歩き始めた。

 浅尾も濡れないよう、慌てて彼に付いて行く。

 「置き去りは酷いな。風邪でもひいたら大変じゃないか。僕は体が弱いんだ。こう見えてもデリケートなんだよ」

 「武術をやってるんだから、体は強いはずだろ」

 「そこはほら、『キャプテン翼』の三杉淳みたいなものだと思ってくれれば」

 「意味が分かんねえよ。何を言おうと、俺は商店街には寄らないぞ」


 そんなことを二人が言い合っていると、向こうから長身の男が歩いてきた。

 世羅間だ。

 彼は黒い傘で顔を隠すようにして、ゆっくりと歩いてくる。

 先の細い革靴が、コツコツと同じリズムで地面を叩く。

 信郎は特に気にすることもなかったが、浅尾はすぐに只者ではないと感じ取った。

 攻撃的な気配。

 それを感じ取ったのだ。


 「信郎君、どうやらお喋りはそろそろ終わりになりそうだ」

 「だから言ってるじゃねえか」

 「いや、そういうことじゃないんだ。ちょっと邪魔が入りそうでね」

 浅尾が近付く男を見据えた。

 つられて信郎も、そちらを向いた。

 世羅間は二人の前で立ち止まり、傘の角度を変えて顔を見せた。

 「浅尾丹外と、江角信郎だな」

 威圧感に満ちた第一声が、それだった。


 「誰だよ、アンタ」

 信郎は相手の態度に合わせるように、喧嘩腰で返した。

 「お前ら、どこの犬だ?」

 「犬?何のことだ?」

 「お前らが何かを探っているのは、承知している。どこかの組織にでも、雇われているのか」

 「アンタ、いきなり現れて、何を訳の分からないことを言ってるんだよ」

 信郎は、世羅間に一歩近付いた。

 「お前らが誰に雇われ、何を探っているのか、それを言え」

 「意味不明な質問に答えられるかよ」

 「反抗的な態度だな。力ずくで聞き出してやろうか」

 世羅間は、冷たい表情で信郎を見下ろした。

 身長差が二十センチほどあるので、普通に視線を合わせようとするだけで、見下ろす形になる。


 「信郎君、下がった方がいい」

 そう忠告する浅尾の表情は、先程までと違って真剣だった。

 「なんだよオッサン、もしかしてビビッてんのか」

 信郎は浅尾の方に顔を向け、軽く笑った。

 再び世羅間に向き直った途端、信郎の左のふくらはぎを強烈な痛みが襲った。

 「ううっ!」

 うめき声を上げ、信郎は傘を落とした。

 ケンケンで数歩下がり、尻餅を付いて道に倒れ込む。

 信郎は何が起きたのか理解していなかったが、浅尾は世羅間の下段蹴りが入ったのを目にしていた。

 それは、喧嘩好きの単なる素人による蹴りではない。

 明らかに、武術の心得がある者の蹴りだ。


 「大丈夫か、信郎君」

 浅尾は、信郎に駆け寄った。

 「大丈夫じゃねえよ、すげえ痛いぜ。なんだよ、くそっ」

 「説明は後回しだ」

 浅尾は早口で言った。

 彼の顔面を狙って、世羅間が蹴りを飛ばしてきたのが見えたからだ。

 「うわっと」

 浅尾は左腕を突き上げ、小手の部分で防御した。

 ゴツゴツとした世羅間の脛が、浅尾の腕に衝突する。

 その蹴りの重さに、ビリビリと痺れが走った。


 「ほう、俺の蹴りを防ぐとはな」

 世羅間は言いながら足を戻した。

 そして一歩下がり、傘を閉じて濡れた地面に置いた。

 「いきなり暴力に訴えるとは、オツムの弱い奴だな」

 浅尾は素早く立ち上がった。


 言葉だけでなく、実際に浅尾は相手が利口ではないと察知していた。

 それは、今の蹴りを受けて感じたことだ。

 世羅間が放った蹴りは、活殺の加減をまるで考えない類のものだ。

 何かを聞き出すことが目的ならば、相手を殺しては意味が無い。

 だが、今の蹴りは、

 「もし死んでも仕方が無い」

 という風な蹴りだった。


 「あんな説明で、何を答えればいいか分かると思うのか。蹴りを練習する前に、お喋りを学んだ方がいいぞ」

 浅尾は言いながら戦闘態勢を取った。

 両膝を軽く曲げて左足を少し前に出し、手を広げて両腕を肩幅で構える。

 掌構えだ。


 「ほう、貴様、素人じゃなさそうだな」

 世羅間は、嬉しそうに舌なめずりをした。

 根っからの格闘好きなのだ。

 もっと正確に言うならば、戦って誰かを叩きのめすことが好きなのだ。


 「せっかく涼しくなったのに、こんなに暑苦しい奴と遭遇するとは、ついてないな。信郎君、悪いが、しばらくそこで待っていてくれるか」

 浅尾は視線を世羅間から離さず、信郎に呼び掛けた。

 「お、おう」

 信郎は、気圧されたように答えた。

 「さあて、やろうか」

 浅尾が世羅間に告げた。


 「では、どこまでの腕前か、お手並み拝見と行こう」

 そう言うや否や、世羅間は右の正拳突きを放ってきた。

 ブンッと唸る音がする。

 速い突きが風を切る音だ。

 浅尾は左手で外に捌き、素早く右の掌底を相手の顎に向かって突き上げた。

 いい具合に当たれば、相手の脳が激しく揺れて即座に卒倒する。


 だが、世羅間は左肘で確実にガードした。

 彼は防御に使った左手で、浅尾の掌底を叩き落とした。

 そして、すかさず右の中段蹴りを浅尾の脇腹に放ってくる。

 しなやかにして鋭敏な蹴り。

 浅尾は、その攻撃を左腕で受けた。

 受け流しが不可能な場合、咄嗟の場合などは、受け止めざるを得ない。

 つまり、それだけ世羅間の動きは速かったのだ。

 だが、予想以上の蹴りの強さに、浅尾は体の重心を後方へ持って行かれた。


 「むっ」

 浅尾は、一歩下がって体勢を整え直した。

 踏ん張った足が、地面の窪みに溜まった雨を四方に散らした。

 「なかなかやるじゃないか」

 世羅間は右足を下ろしながら、フッと小さく笑った。

 「そっちもな。アンタの流派は、羅観流空手術かな」

 浅尾は鋭い眼光を向けながら、言葉を返した。

 「ほう、そこまで分かるとは。よほど武術に精通しているらしいな」

 世羅間は、感心したようにうなずいた。


 「そういう貴様は、どこの流派だ?」

 「僕のは大進拳だよ」

 「聞いたことが無いな」

 「そりゃそうだろう、何しろ田舎拳法だからね。まあ、八極拳のバッタモンみたいなものだよ」

 「バッタモンにしては、腕が立つな」

 言い終わると同時に、世羅間は右の正拳を放ってきた。

 浅尾は右手で受け流し、左弧拳を鼻柱に当てようとする。

 弧拳とは、拳を完全に握るのでもなく、開き切るのでもなく、軽くまげて弓なりの形にして使用する手法だ。


 鞭のようにしなった腕が、落ちる雨粒を切った。

 しかし世羅間は顔を横にずらして浅尾の孤拳をかわし、左の上段蹴りを放った。

 浅尾は腰を落としてかわした。

 その頭上で、フウォンと空気を切る音がする。

 すかさず一歩踏み込んだ浅尾は、左の掌底を世羅間の下腹部、丹田に突き上げた。

 丹田とは、ヘソの下の辺りにある急所だ。

 世羅間は両手をクロスさせて防いだが、勢いでタタタと三歩後退した。

 浅尾はさらに前へ踏み込み、攻撃を加えようとする。

 だが、世羅間はタイミング良く前蹴りを放ってきた。


 「ぐおっ」

 浅尾は防御できず、蹴りをまともに受けて弾き飛ばされた。

 しかし後方回転してダメージを抑え、すぐに立ち上がる。

 次の攻撃が来る前に、雨に濡れた眼鏡をサッと拭く。

 世羅間は前進し、さらなる攻撃を仕掛けようとした。


 その時。

 大きなクラクションの音が、通りの向こうから響いた。

 浅尾も世羅間も、音の方向に目を向けた。

 そちらから、黒塗りのベンツがゆっくりと近付いてきた。

 ベンツは、ちょうど浅尾達の手前で停車した。

 そして、後部座席の窓が開いた。

 車内では、頭の禿げ上がった恰幅のいい男が葉巻をくわえている。


 「あっ、社長」

 世羅間は男の顔を見るなり、背筋をピシッと伸ばして硬直した。

 社長と呼ばれた男は、世羅間ではなく浅尾に視線を向けた。

 「申し訳無い、どうやらウチの者が迷惑を掛けたようで」

 その男は言った。

 しかし言葉とは裏腹に、表情には全く謝罪の気持ちが現れていなかった。

 浅尾も、彼に詫びる意思がまるで無いことはすぐに分かった。


 浅尾は車に近付き、内部をチラッと覗き込んだ。

 運転席では、頬に傷のある若い男がハンドルを握っている。

 「ウチの部下は、何か勘違いをしてしまったようだ。出来れば、水に流してくれるとありがたい」

 男は葉巻を手に持ったまま、ダミ声で浅尾に告げた。

 「しかし社長」

 「お前は黙っていろ」

 世羅間が意見しようとすると、男はピシャリと跳ね付けた。


 「おい、勘違いって何だよ」

 いつの間にか再び傘を差した信郎が、車に近寄って文句を付けた。

 蹴られたダメージが残っているらしく、左足を引きずっている。

 「勘違いで暴力を振るわれて、それで水に流せってのか」

 「申し訳無いことをした。こいつは昔から、荒っぽい所が欠点なんだ。私から厳しく注意しておこう」

 「そんなことで……」

 納得しない信郎は、さらに突っ掛かろうとしたが、浅尾が制した。

 「いいじゃないか信郎君、この人も謝っているんだし。ここは水に流して、キレイに終わらせよう」


 「分かってくれるか。それは助かる」

 「ただし、水に流すのはいいんですが、どこのどなたですか?」

 「おい、早く乗れ」

 浅尾の質問を無視するかのように、その男は世羅間に対して声を発した。

 「あの、どこのどなたかと聞いているんですが」

 浅尾は、もう一度尋ねた。

 「まあ、それはいいじゃないか」

 男は口の端で笑いながら、答えをはぐらかした。


 「とにかく世羅間、車に乗るんだ」

 「でも社長、こいつらは」

 「いいから、早く乗れ」

 男は強い口調で命じた。

 浅尾は、彼がチラッとバックミラーに視線をやったことに気付いた。

 世羅間は急いで傘を拾い上げ、車に乗り込んだ。

 すぐに葉巻の男は、

 「車を出せ」

 と運転席の若い男に指示を出した。

 ベンツは発進し、曲がり角で方向転換して消えた。



 「素性は教えてもらえなかったが、どうやらカタギではなさそうだ」

 浅尾は何気無く信郎の傘に入りながら、そう言った。

 「そりゃ見た目からして、それっぽかったからな」

 信郎は腹立たしそうに言った。

 「それもあるが、急いで去ったのが怪しい。あれは刑事に気付いたからだと思う」

 「刑事?」

 「ああ。ほら、こっちに来る」

 浅尾は振り返り、葉巻の男がバックミラーで確認した方向を指差した。

 そちらから、茶色のスーツを着た男が悠然と歩いてきた。

 天然パーマで、眉は太くて団子っ鼻という風貌の中年男である。


 「よお、浅尾」

 中年男は、親しげに声を掛けてきた。

 「花弁田さん、もうちょっと早く来てくださいよ」

 浅尾は、不満そうに告げた。

 「ここでトラブルが起きているのを、どうせ見ていたんでしょうに」

 「早く来ても、オレが出来ることなんて何も無いだろうが」

 花弁田と呼ばれた男は、すました顔で言った。

 「むしろ、もう少し様子を見ていれば、あいつらを逮捕するネタが出来るかと思っていたんだがな」

 「意図的に待っていたんですね。いやらしい人だなあ」

 浅尾が呆れたように言う。


 「ちょ、ちょっと待て」

 二人の会話に、信郎が割り込んだ。

 「勝手に話を進めないでくれ。俺を置き去りにするなよ」

 「おや、信郎君が置き去りになっていたとは、まるで気付かなかったよ」

 浅尾は惚けたように言う。

 「どう考えても置き去りだろうが。まずはオッサン、この人を紹介しろよ」

 「ああ、そうか。こちらは段手署の花弁田次郎かべんだ・じろうという刑事さんだ。花弁田さん、こっちは商店街の江角会長の息子で、信郎君です」

 「へえ、江角さんに息子がいたのか。よろしくな」

 花弁田は、軽く会釈した。


 「えっ、ああ、よろしく。っていうか、二人は知り合いってことか?」

 「ああ、そうだが」

 「浅尾のオッサンよ、なんで刑事なんかと知り合いなんだ?」

 「なぜって、当然じゃないか。何しろ浅尾は……」

 花弁田が説明を始めようとすると、それを遮るように浅尾が口を開いた。

 「この刑事さんはアニメオタクでね。そういう繋がりなんだ」

 「はあっ?」

 信郎が素っ頓狂な声を発する。

 「だから、アニメオタク繋がりなんだよ」

 「嘘をつくなよ。そんなこと、あるわけがない」

 「本当だよ。花弁田さんは、僕よりアニメオタク歴が長い筋金入りさ。特に機動戦士ガンダムのことを語らせると、かなり熱い」

 浅尾が言うと、花弁田は無言のうなずきで同意を示した。


 「だけど最近のガンダムは認めていないし、ターンAはそれ自体が黒歴史だとか、色々とうるさいんだけどね」

 「本当のことじゃないか」

 花弁田が急に熱くなった。

 「そもそも、もうガンダムの新しいアニメシリーズを次々に作るのは、そろそろ勘弁してほしいんだよな。昔のガンダムを愛しているファンからすると、何となく汚されているような気がするぜ」

 「心が狭いなあ。最近のガンダムだって、充分に面白いのに。これだから一年戦争史上主義者は困るんですよ」

 「おい、一年戦争を特別扱いして何が悪いんだよ。一年戦争ってのはな……」

 「悪いけど、その話は別の機会にしてくれないかな、刑事さん」

 信郎が、花弁田の熱弁に割り込んだ。

 「本当にアニメオタク仲間だということは、良く分かったよ」

 「じゃあ信郎君とやら、君はどう思うんだ、最近のガンダムについて」

 「いや、知らないからさ、そんなの」

 面倒そうに信郎が言う。


 「それより花弁田さん、さっきの話ですけど」

 浅尾が、会話の軌道修正に入った。

 「立ち去った連中のことを、知っているような口ぶりでしたね」

 「ああ、その話か」

 花弁田の口調が元に戻った。

 「お前が揉めていた長身の野郎は、世羅間黒安よらま・くろやすという男だ。奇矢納きやのう興業の専務をしている。社長である皆浜剛覧みなはま・ごうらんの右腕だな」

 「その社長の皆浜という男は、ハゲで小太りの男ですか?」

 「ああ、そうだ」

 「するとベンツに乗っていた葉巻の男が皆浜でしょうね」

 浅尾は、男の姿を思い出しながら言う。


 「その奇矢納興業というのは、暴力団か何かですか?」

 「むしろ、愚連隊と言った方がいいかもしれん。表向きは安い物真似タレントを呼んだイベントなどをやっているが、裏では金目の物を手当たり次第に盗んで、闇で売り捌いているという噂だ」

 「へえ、そんな連中なんですか。なるほど、乱暴なのも納得ですよ」

 「実は、二週間前の宝石窃盗事件も、奴らの仕業だという疑惑がある」

 「と言うと、あの有名宝石店“ガイガン”から、深夜の内に大量の宝石が盗まれた事件のことですか」

 「そうだ。俺は奴らが犯人だと確信しているが」


 「だったら、さっさと逮捕すればいいだろ、刑事さん」

 信郎が言う。

 「そう簡単に言わないでくれ」

 信郎の物言いに、花弁田は少し機嫌を悪くしたようだった。

 「確たる証拠があれば、今すぐにでも捕まえるさ。しかし疑わしくても、確実に逮捕できるだけの物的証拠が無いんだ」

 「愚連隊ですか……」

 浅尾は腕組みで考え込んだ。


 花弁田の話を聞いて、彼は先程の考えが正しかったことを確認した。

 やはり皆浜は、花弁田が来たことに気付いたために慌てて去ったのだ。

 そして、花弁田を見ただけで刑事と分かるぐらいだから、まともな手合いの連中ではないはずだ。

 それが浅尾の推理だった。


 「花弁田さん、その奇矢納興業で、パンチパーマの男はいませんか」

 「パンチパーマ?」

 花弁田は考え込む。

 「ああ、そう言えば、帆足貞三ほあし・ていぞうという手下が、確かパンチパーマだったと思うが」

 「なるほど、そうですか」

 浅尾はうなずいた。

 彼がロッサナで推察したことが、確信に近付いた。

 「その帆足が、どうかしたのか?」

 「いえ、こっちのことです」

 浅尾は誤魔化した。


 「それにしても浅尾よ、どうやら、随分と激しく揉めていたようだが、何かやらかしたのか」

 「さあ、それが良く分からないんですよ。いきなり因縁を付けてきたもので」

 浅尾は答えた。

 だが、世羅間がロッサナの件で来たのだろうと、見当は付いていた。

 奇矢納興業の連中が何か秘密を抱えており、自分と信郎がそれを探りに行ったと勘違いしていることは、推測できた。

 だが、彼らが抱える秘密の内容までは、現時点では分かっていない。


 「お前が強いのは知ってるが、相手が相手だからな。あまり関わらない方がいいんじゃないか」

 花弁田が穏やかに忠告した。

 「ええ、もちろん僕だって関わりたくないですよ」

 しかし浅尾は、既に関わらざるを得ない状況に陥っていることを認識していた。


 ***


 「世羅間、どういうつもりだ」

 ベンツの中で、皆浜が声を発した。

 静かなトーンだが、強い怒りが込められている。

 「今は警察の目がこっちに向いているんだぞ。無駄に目立つ行動を取るな」

 「すみません。しかし、あいつらが何か嗅ぎ回っているらしいので」

 「嗅ぎ回っている?」

 「ええ、ロッサナに来て、店のボスはどこかと尋ねたらしいんです」

 「店のボスだと?あいつらは、私のことを知っているのか?」

 「さあ、そこまでは分かりませんが」

 「何者だ、あの二人は」

 「一人は段手商店街にあるレコード店の店長で、もう一人は商店街の会長の息子らしいです」

 「ということは、どちらも裏社会の人間ではないのか。そんな奴らが、なぜ聞き込みに来たのか……」

 皆浜は、思案顔で唇を歪ませた。


 「いっそ、始末してしまった方が」

 世羅間が提案した。

 「いや待て」

 即座に皆浜が諌める。

 「お前は、腕っ節は強いが頭が弱すぎる。暴力で解決する前に、まずは別の方法を考えろ」

 「すみません」

 「まあ、お前に考えろと言っても無駄だな。私が手を打つ。お前は余計なことをするな」

 皆浜はそう言うと、しばらく吹かすのを忘れていた葉巻を口へ持って行った。


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