〈第三章:名探偵登場〉
亜里のミニコンサートが終了してから、約二時間後。
浅尾と信郎は、レンタルビデオ店“ロッサナ”の前に立っていた。
もちろん、パンチパーマ男の素性を探るためである。
ちなみに亜里のミニコンサートは、四十分ほどで滞りなく終了した。
気温の高さに加えてファンの熱気が充満する中、亜里は涼やかな笑顔を振り撒いた。
素晴らしいプロフェッショナルの心意気だと、浅尾は感心した。
コンサートの間、信郎はずっとパンチパーマの男が戻って来ることを警戒していた。
そんな信郎とは対照的に、浅尾は
「今日はもう来ないと思うよ」
と、呑気な様子を見せていた。
浅尾が予想した通り、最後までパンチパーマの男は姿を現さなかった。
亜里が次の仕事場へ移動するのを見送った後、浅尾と信郎はロッサナへと向かったのであった。
「なるほど、村西の言った通りだ」
浅尾は店の看板を見てうなずいた。
そこには紛れも無く、「レンタルビデオ店 ロッサナ」の文字があった。
その横に小さめの字で、「DVDとブルーレイも取り扱っております」と記されている。
ロッサナは、駅へ続く道から一つ奥に入った裏通りにある。
両隣には店舗が無く、空き地にポツンと建っている状態だ。
立地条件は、どう考えても良くない。
先程まで浅尾達は、少し離れた場所からしばらく様子を眺めていたのだが、客が来る気配はまるで無かった。
「いつ頃からあるんだろう、この店は。これでは、ちょっと商売が成り立たない気もするんだが」
浅尾はロッサナのガラス壁に触れながら、つぶやいた。
「そんなことは心配しなくてもいいんだよ。俺達の目的とは関係無いだろ」
信郎が、きつい口調で言う。
「そうだね。それにしても、村西が言っていた通り、確かに怪しい店だ」
「そうか?パッと見た感じ、客が来ないだけで、そんなに怪しいとは感じないが」
「怪しいよ。見てごらん、たくさんのポスターが、まるでガラス壁を埋め尽くすように貼ってある」
「それがどうかしたのか?」
「ガラス壁なのだから、外から店内が見えるようにしておくのが普通だろう。それを隠すようにしてあるのは、変だと思わないか」
「ああ、言われてみれば、そうかもな」
信郎は気の無い返事をする。
「しかも、ポスターを良く見てくれ。通常なら、新作を宣伝するポスターを貼るべきだろう。それなのに『メガフォース』や『スペース・バンパイア』など、古い映画ばかりだ。しかも、その作品のチョイスもマニアックすぎる」
「そうなのか。俺は良く分からないが」
「かなり怪しいな。もしかすると、一般のレンタルビデオ店ではないのかもしれない」
「というと?」
「例えば、アダルト系がメインだとか、あるいは裏ビデオを扱っているとか」
「よし、とにかく入ってみようぜ」
信郎は入り口のドアを開け、店内に足を踏み入れた。
浅尾も後に続く。
店内に入ると、ガラス窓と並行に三列のビデオ棚があった。
看板に記されていた通り、店内にある商品の大半はDVDやブルーレイではなくビデオテープだった。
ドアから見て右側の一番奥に、レジカウンターがある。
レジカウンターには、ソフトモヒカンで口髭を生やした男が立っていた。
いかめしい顔付きだが、まだ二十代前半に見えた。
男は浅尾や信郎をチラッと見て、すぐに別の方向へと視線を外した。
「客が来たのに、挨拶も無しか。そりゃ客が寄り付かないはずだな」
信郎はひそひそ声で浅尾に話し掛けた。
しかし浅尾は、別の場所に関心を示していた。
「見てくれ信郎君、この店の品揃えを」
浅尾の関心は、ビデオ棚に向けられていた。
「入って最初の棚に、いきなりB級アクション映画のコーナーがあるぞ」
浅尾の声は、やや高ぶっていた。
「ロレンツォ・ラマスの『殺人核弾頭キングコブラ』に、ドルフ・ラングレンの『ブラック・ソルジャー』か。いいねえ」
「全く知らないタイトルだな」
信郎は興味の無さそうな表情を示す。
「おっ、そして“オススメ”のシールが、ゲイリー・ダニエルズの『ラン・ダウン/怒りの逃亡者』に貼ってある」
「それがどうしたんだよ」
「入ってすぐにB級アクションのコーナーだぞ。大作アクションは一本も無いんだぞ。普通では考えられない陳列だ」
「知るかよ」
「おおっ、その隣はホラーのコーナーじゃないか。しかも、メジャーな作品が全く見当たらない一方で、『ゾンビの秘宝』や、『魔性のしたたり/屍ガールズ』など、マイナーな作品が揃っている」
浅尾の興奮は止まらない。
「おっ、これはネルソン・デ・ラ・ロッサの『ラットマン』じゃないか。すごいな、この店は」
「何がすごいのか、俺にはサッパリ分からないぜ」
信郎は付いていけない様子だった。
だが、浅尾は熱心にビデオ棚を眺め、独り言を喋り続けた。
「マニアックなポスターを貼っているのは、本当にマニアックな店だからだったのか。こんな場所に、こんな素晴らしい店があったとは。うかつだったな。なるほど、レンタルビデオ店と称しているのも理解できる。DVD化されていない商品が、何本もあるからな。おおっ、邦画のコーナーには『九十九本目の生娘』まである。まさか、これまで一度もビデオ化されていないはずなのに」
「もういいだろ、その辺りで」
信郎は、痺れを切らして言った。
「オッサン、ここに来た目的を完全に忘れてないか」
「目的?」
浅尾は呆けたように言い、首を傾けた。
「えっと、確か『夜霧のジョギジョギモンスター』のビデオを探しに来たんだっけ」
「ふざけるなよ」
「冗談だよ。目的は覚えているさ」
浅尾は信郎の怒りを受け流すように、軽く言う。
「だったら、その目的をさっさと果たそうぜ」
ところが浅尾は、また信郎とは違う方へと目をやり、熱い口調で言った。
「おおっ、信郎君、見てくれよ。今月の一押しコーナーは、ジョン・カーペンター監督の特集だぞ」
「うるせえよ、もういいっての」
信郎は浅尾を放っておいて、レジカウンターに近付いた。
「なあアンタ」
信郎が店員に声を掛ける。
腕組みで下を向いていた男は、ゆっくりと視線を上げた。
「ちょっと聞きたいんだが、店長はどこにいる?」
「私が店長ですが」
男は、愛想の無い様子で答えた。
「アンタが店長?本当かよ」
「本当ですよ。嘘をつく必要がどこにあるんですか」
「いや、しかし……」
パンチパーマの男が店長だと思い込んでいた信郎は、言葉に詰まった。
そこへ、後ろから浅尾が割り込んだ。
「店長さん、あのジョン・カーペンターの特集コーナー、監督した作品だけじゃなくて関わった作品は全て揃っているのに、彼が撮った『マングラー』が見当たらないんですけど、どうなっているんですか」
「何を聞いているんだよ。そんなの、どうでもいいんだよ」
信郎は怒った。
「いや、僕にとっては、どうでも良くないんだ。店長さん、『マングラー』は、どこにあります?」
「そこに無ければ、ウチでは置いていないということでしょう」
男は、ぶっきらぼうに答えた。
「そうですか、そりゃあ残念」
浅尾は意味ありげな笑みを浮かべた。
先程までの興奮した様子は、完全に消えていた。
「オッサンは黙ってろよ」
信郎は浅尾を下がらせ、再び男に向き直った。
「なあ店長さん、だったら、アンタのボスはどこにいる?」
「私のボス?」
「そうだよ、アンタのボスだ」
「と、言いますと?」
「なんかヤクザみたいな風貌の男がいるだろ、この店には」
もちろん、信郎が言っているのはパンチパーマ男のことだ。
その言葉を聞き、男の表情が急に鋭くなった。
「お前達、何者だ?」
「何者でもいいから、ボスのことを教えればいいんだよ」
信郎が質問を重ねる。
「知らんね。知っていたとしても、お前達に話すつもりは無い」
「なんだと、この野郎」
「まあまあ信郎君、抑えて抑えて」
浅尾は、いきり立つ信郎をなだめた。
「すみませんね店長さん、彼は少し感情的になりやすいもので」
浅尾は愛想笑いで店長に言うと、信郎の腰を押さえて強引に方向転換させた。
「もう我々は帰りますので。それでは失礼しました」
「おい何だよオッサン、まだ用事は済んでねえぞ」
「済んだよ。さあ帰ろう」
そのまま浅尾は、信郎を店の外へと連れ出した。
二人の後ろ姿を、ロッサナの店長は険しい形相で見送っていた。
***
「オッサン、何のつもりなんだよ」
店外に出てから、信郎は浅尾の手を振りほどいて抗議した。
「まだ何も聞けてねえじゃねえか」
「あれ以上問い詰めても、たぶん彼は何も喋らないと思うよ。暴力で脅したりしない限りはね」
浅尾は淡々と述べた。
「だったらVマックスの時みたいに、アンタの得意なカンフーを見せればいいじゃねえか」
「カンフーじゃなくてクンフーだよ。それはともかく、僕は平和主義者だから、無駄な暴力は振るわない」
「あいつは明らかに怪しいぞ」
「そうだね、少なくとも店の実権を握っていないことは分かった」
「どういうことだ?」
信郎が聞く。
「僕の質問を覚えているかい。ジョン・カーペンター監督の特集コーナーに『マングラー』が無いのかという質問を」
「そんなこと、言ってたな。それがどうかしたのか」
「ジョン・カーペンター監督は、『マングラー』という映画は撮っていない。『マングラー』の監督はジョン・カーペンターではなく、トビー・フーパーだ」
「だったら、特集コーナーに無いのは当然じゃねえか。どうして、そんな無意味な質問をしたんだよ」
「あの男、僕の質問に対して、ウチには置いていないと答えた。つまり彼は、『マングラー』がジョン・カーペンター監督の作品ではないことを知らなかったんだ」
「だから何だよ」
「ここまでマニアックな品揃えの店で、一押しコーナーにしている監督の作品を店長が熟知していないのは妙だ」
浅尾は興奮した様子を見せつつも、冷静に頭を働かせていたのである。
「そうとは限らないだろ。面倒だったから、適当に答えただけじゃないのか」
「いや、それは違う。ああいう時、本当に知識があれば、間違いを指摘したくなるのがオタクというものだ。あれほどマニアックな品揃えにしたのは、絶対にオタク心がある人物だ」
浅尾は断言した。
「入った時の彼の様子が気になったので、カマを掛けてみたんだ。そうしたら、案の定だったよ。彼の上に、店の実権を握る人間がいることは間違いない。彼は単なる雇われ店長だろう」
「しかし、そんなことが分かったからといって、何の意味があるんだよ」
信郎が口を尖らせる。
「重要なのは、雇っているのが誰かということだ」
「その雇っているボスが、例のパンチパーマの男なんだろ」
「どうかな。ともかく、どうも嫌な予感がするんだ」
浅尾は顎に手をやり、少し考え込むような表情を見せた。
「嫌な予感?」
「とりあえず、今回は帰ろう」
「なぜだよ、奴のことはどうするんだ」
「あのパンチパーマ男のことなら、どうせまた亜里ちゃんのイベント会場に現れるだろうから、そこで捕まえるという方法もある。それに」
「それに?」
信郎が尋ねる。
すると浅尾は、ガラリと軽い調子に一変して答えた。
「そろそろ帰らないと、今日は見逃せないテレビ番組があるんだよ」
「はあっ?」
「CSの特撮専門チャンネルが、何を血迷ったのか、『怪奇大作戦』の幻の第二十四話『狂鬼人間』を放送するんだ。これは絶対に見逃せない」
「オッサン、そんな理由なのかよ」
思わず信郎の声が裏返る。
「それって今回の調査を終わらせてまで優先するほど大事なことかよ」
「もちろん大事なことだよ」
浅尾は強く主張した。
「何しろ、僕は特撮オタクでもあるんだからね」
「知るかよ、そんなもん」
信郎は、吐き捨てるように言った。
***
結局、信郎も浅尾と共にロッサナを立ち去ることにした。
浅尾の言う通り、いずれイベント会場で見掛けた時にパンチパーマ男を捕まえればいいと考えたのだ。
二人が去ってから、約五分後。
黒のジャガーが、ロッサナの駐車場にやって来た。
髪を赤く染めた若い男が運転席から出てきて、後ろのドアを開けた。
後部座席から姿を現したのは、角刈りで長身の男だった。
身長は一九〇センチ近くある。
しかも、ひょろ長いわけではなく、肩幅は広く胸板も厚い。
ノーネクタイに紺色スーツの長身は、店の中へと入っていった。
「あっ、世羅間専務。おはようございます」
長身男の姿を見たロッサナ店長は、慌てて背筋をビシッと伸ばした。
世羅間専務と呼ばれた長身男は、真っ直ぐにレジカウンターへと歩いていく。
スーツの上からでも、筋骨隆々とした肉体であることが分かる。
「定庭よ、店の仕事は、ちゃんとこなしているのか」
「ええ、まあ何とか」
定庭と呼ばれた店長が言った。
「だけど専務、やっぱり俺には客商売なんて向いてないですよ。誰か他の奴に代わってもらえませんか」
「社長がお前を指名したんだ。それを拒否するのは、社長に逆らうことになるぞ」
世羅間は冷徹な表情で告げる。
「いえ、そういうつもりは」
「そもそも、お前が通常業務で使い物にならないから、こっちに回されたんだろうが。この前の仕事だって、お前のヘマのせいでヤバかったんだぞ」
「それは、確かに。すみません」
定庭は恐縮する。
「そんなことよりも、例の物は大丈夫だろうな」
「ちゃんと保管してあります。まだこっちに置いておくんですか」
「ああ。どうもサツが事務所の方をマークしているようだからな」
「そうだ、サツと言えば、さっき怪しい奴らが来ましたよ」
「何だと?刑事か?」
世羅間の目付きが厳しくなった。
「いえ、そうじゃないです。二人組で、ただの素人だと思います。一人は確か、任世館とかいうレコード店の店長ですよ。見掛けたことがあります」
「レコード店の店長?それのどこが怪しいんだ?」
「そいつら、この店のボスはどこにいるのかと聞いてきたんですよ」
「何だと?」
「もちろん、何も話しませんでしたが」
「どういうことだ?まさか、何か嗅ぎ付けているのか」
世羅間は、険しい表情で考え込んだ。