第8話
そして、台湾民主国の兵が、捕虜収容所に連行されるのを見送りながら、嵐寛寿郎演じる斎藤一少佐が、真情を吐露するシーンが描かれる。
「戊辰戦争の時、会津で、わしは、虎を救えなかった。会津白虎隊の一部は、戦況に絶望するあまり、自決してしまったのだ。そして、わしは、ここでは、虎を国旗にしている、台湾民主国を滅ぼすために、戦う羽目になるとは。土方副長が生きて、ここにおられたら、わしに何と言われるだろうか」
そう、斎藤少佐は呟き、土方副長こと土方歳三提督の忘れ形見、土方勇志らのいる前で、大粒の涙を零すのである。
この辺り、嵐寛寿郎の当たり役とも絡めた二重の意味取りになっているのが、分かる人には分かるようになっていた。
嵐寛寿郎の映画での一番の当たり役は、幕末の勤皇の志士の役で、新選組は大抵、敵役だった。
それ故、この映画で、元新選組の隊士である斎藤一を、嵐寛寿郎が演じることが発表されると、熱心なファンの一部が、抗議行動を行ったほどだった。
(なお、嵐寛寿郎自身は、そんなことを気にしていては、役者は務まらない、と周囲に語ったとか。)
斎藤一は、戊辰戦争の際に、会津藩に肩入れし、土方歳三ら新選組の主流と別行動を採るまでに至る。
だが、その行動は報われず、会津藩は白虎隊を始めとする多大な犠牲を払った末に、最終的に、降伏の止む無きに至り、斎藤一も薩長軍に降伏する。
そして、嵐寛寿郎が別の役を演じたように、史実の斎藤一は、戊辰戦争時には、会津藩に味方し、反勤皇派として戦い抜いたのに、この時の台湾では、天皇陛下の為に、と戦う羽目になったのである。
嵐寛寿郎が、この映画が完成した後の取材の際、本当に自然と演技ができた、と語ったそうだが、この涙を零すシーンは、幸恵が見る限り、どうにも演技には見えないほどの自然さだった。
そして、映画の場面は、更に進み、彰化にまで赴いて、恋人の無事を願いつつ待っていたヒロインが、新竹から退却してきた兵の中に、どうしても恋人を見つけられずにいる状況に移っていた。
遂に、ヒロインは、恐る恐る恋人の消息を、兵達に聞いて回る。
兵の一人が、ようやく重い口を開いて、ヒロインに恐るべき話を告げる。
あいつは、日本軍に捕まった筈だ、恐らく惨殺されただろう。
ヒロインは、衝撃の余り、気を失い、倒れこんでしまう。
周囲の人の介護により、目を覚ましたヒロインは、ある意味、復讐の鬼となっていた。
彰化に退却してきていた台湾民主国の主力部隊の一員に、女性に見えないように断髪して、男装し、兵になりたい、と志願するのだ。
そして、ヒロインの周りには、同様に、父や兄、夫や恋人の仇を討ちたい、と志願した人達が集い、口々に自らを兵に採用してほしい、と志願していた。
だが、彼女やその周囲の人達で、まともな武器を持っている者は、数少なかった。
ヒロイン自身、手ぶらで兵に志願する有様だった。
幸恵は、何となく、次の場面を察してしまった。
彼女やその周囲の人々に、まともな武器は渡されないだろう。
劉永福将軍は、側近と共に、彼女達を、帰宅するように説得を試みる。
気持ちは、大変よく分かる、だが、台湾民主国軍に、あなた達に渡せる武器は無いのだ。
新竹での戦いで、武器を大量に失ってしまった。
だが、ヒロイン達は、劉将軍達の説得を拒絶する。
武器が無いのなら、何とか調達します、とヒロイン自身も、劉将軍に啖呵を切り、竹林の中に入って、竹槍を自ら製作し、改めて兵に志願する。
他の人達も、大同小異で、家で隠し持っていた火縄銃やマスケット銃、弓や弩、柳葉刀やヌンチャクを持参してきて、それも無ければ、竹槍を自作持参し、兵として改めて志願してきたのだ。
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