第4話
小松宮殿下が、台湾派遣軍総司令官として、近衛師団を率いて、台湾に上陸、台北市を制圧した後、海兵隊も到着したことから、いよいよ日本軍による台湾制圧作戦が発動される場面に、映画の場面は移っていた。
その場面を見た村山幸恵は、思わず苦笑した。
どう見ても、場面上に出ている兵の半分が、海兵隊の軍服を着ている。
確かに史実でも海兵隊は、この作戦に参加しているが、実際の兵力は3000名にも満たなかった。
一方、この時点で、陸軍は1万名以上が参加している。
どう多く見積もっても、2割にも満たない海兵隊が多いのは、映画撮影の監修において、トラブルがあったためだ、と幸恵は、「北白川」のお客の海兵隊員複数から聞いていた。
特に幼馴染でもある岸総司少佐からの情報が詳細だった。
岸少佐は、この映画撮影の軍事面での監修協力の一環として、台湾まで行く羽目になっていた。
最初は、この映画の軍事面の監修は、陸軍が行うことになっていた。
ところが、陸軍から映画のシナリオにクレームがついた。
小松宮殿下や、陸軍の兵が、脚気やマラリアに苦しむシーンを無くしてくれ、というのだ。
田坂具隆監督を始めとする映画撮影のスタッフ、文部省は反発した。
史実でもそうだったし、病に苦しみつつ、台湾制圧に努力する小松宮殿下や兵の姿を、映画の場面で流すことの何が悪いのだ、というのが田坂監督らの主張だった。
だが、これは陸軍のトラウマを抉ることだったのだ。
明治時代の脚気対策で、陸軍は遅れを取っていた。
この日清戦争の頃、海軍本体の情報提供もあり、海兵隊は、兵食について麦飯導入や副食を充実させるという脚気対策で、脚気をほぼ撲滅していたのに、陸軍は専ら兵食を白米に頼っている、といっても過言ではない有様で、脚気を蔓延させていた。
台湾制圧作戦で、目に見える形で、陸軍の脚気対策の遅れが露わになってしまい、明治天皇陛下から山県有朋陸相は、直接、お叱りを受け、当時の石黒忠悳陸軍省医務局長は、依願退職に追い込まれたのだ。
ちなみに、文豪、森鴎外が生まれたのは、この時に脚気対策に失敗したことから、陸軍を懲戒免職になったため、というのは有名な話である。
今では、陸軍内でも完全に脚気を過去のものにしているのだから、別にいいのでは、と幸恵は、それを聞いて思ったが、陸軍内では、あの恥を露わにするのは勘弁してくれ、という意見が強く、映画監修に陸軍は協力しないことになった。
その代りに白羽の矢が立ったのが、海兵隊だった。
海兵隊は、自分達の英雄の林忠崇侯爵や斎藤一提督が映画に出ると聞いて、嬉々として協力した。
とはいえ、海兵隊内でも、史実無視の映画にされては困る、という意見があり、祖父の土方勇志伯爵が、この時、台湾に行っていることから、その孫の土方勇少佐に協力させようという話まで出たが、それはそれで圧力をかけたように見えるという事で、土方勇少佐の義弟である岸総司少佐が、協力者の一員になったのだった。
ちなみに、その協力のお礼として、岸少佐の祖父、岸三郎提督まで、名入りで映画に登場している。
実際に、この時に台湾に行っているので、嘘ではないのだが、当時は、岸提督は大尉に過ぎず、どう考えても名入りで映画に登場できる立場ではない。
岸少佐としては、身が縮まる思いがしたらしい。
だが、幸恵としては、岸提督が出て良かったのでは、と映画を見ながら想った。
林忠崇と斎藤一、土方勇志と岸三郎、それぞれのコンビと世代(土方勇志は土方歳三の息子、岸三郎は島田魁の甥)の違いが出て、台湾を見る視点が、複眼になっていきそうだ。
そして、台南を目指して、小松宮殿下率いる日本軍は、南へと進撃を開始していく。
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