第9話 やっと晩ご飯を食べるんです
「ほぅ、上手いこと使いこなすもんだな?」
ユーリはマサミとジュリアの使う箸を見ながら、関心する様に声を漏らす。
テーブルには、ほうれん草のおひたしと肉じゃがが小鉢で並び、豆腐のお味噌汁に、キヌア入りの白米ご飯がそれぞれの前に並んでいる。
キヌア入りの白米ご飯は、白のキャンバスに淡い黄色の小さなドットが散りばめられた様で、愛らしく茶碗の中で大人しくしている。
そして、ユーリの前には『PECHANKOYAKI』、マサミとジュリアには『NATTOH』も並ぶ。
きっと、今窓を開けると『FUJIYAMA』が見えるだろう。
いや、例えば隣のスティーブンがこの食卓を見たら、窓を開けて『FUJIYAMA!』と例のイントネーションで叫ぶ事だろう。
しかし、今、幸いスティーブンはいない。平穏だ。逆にいたら困る。ユーリの履歴作りも未完成な今、あんなヤツには会わせられない。『FUJIYAMA!』の如く、ユーリの事を触れ回るに違いない。私はほっと胸を撫で下ろす。誰?
いや、会話に耳をすまそう。
「ユーリはそっちのフォークとか使っていいのよ?」
「ああ。でも、なんか面白そうだしな。
それに便利そうだから、最初から慣れといた方がいいだろ?」
「別にそれはユーリの好きにすればいい事だけど、食べ難かったらフォークを使うのよ?」
マサミは、ユーリの世界ではフォークとナイフ、スプーン、これらとほぼ同じ様な食器も使用していると聞いていたので、純和食の食卓だが、ユーリの為にフォークとスプーンを用意していた。
もっともヴィッキーなど、こちらの友達が来た時でも同じ事をしている。
『PECHANKOYAKI』はすでに食べやすく切ってお皿に盛っているので、ナイフは出していないが、お箸の他にフォーク、スプーンが、ユーリにだけ出されている状況だ。
ユーリはお腹が空いたと催促をした割に、先程から料理には手を付けず、マサミやジュリアの箸さばきを、食い入る様に見ていたのだった。
『冷めちゃったら美味しさが半減しちゃうんだけどなぁ……』
ジュリアは自分が焼いた『PECHANKOYAKI』を見ながら呟く。
自信作なのだ。
ジュリアはいつもに増して上手に焼けたと、甚くご満悦だっただけに、冷めても十分美味しいのだが、熱いものは熱いうちにと、頑固な天才シェフの様な面持ちなのだ。
「そうよね。
ユーリ、せっかくジュリアが手によりをかけて作ったんだから、冷める前に味見してあげてよ?」
マサミはジュリアの英語での嘆きを汲み取って、ユーリにそう言って促した。
「悪りぃ悪りぃ、そうだよな。俺もずっと食いたかったんだ。
では、いただくとするかっ」
「なに、ずっと食べたかったら早く食べればいいのに。おかしな人ね、ユーリは」
マサミはそう言って、ジュリアにユーリが言った事を訳して、二人でクスクスと笑う。
しかし、クスクスと笑いながらも、二人はユーリを見て目を丸くするのだった。
『なぁんだ、箸使えるんじゃないのー?
せっかく後で教えてあげようと思ってたのにぃ!』
ジュリアは騙されたとばかり、口を尖らせて文句を言う。
文句と言ってもその内容は微笑ましいものだ。
『本当よね、でもジュリアも教える手間が省けて良かったじゃないの?
あ、教えてあげたかったのね?』
そんな親子の会話をよそに、ユーリは少しぎこちなさが見られるが、上手に箸を使って、次々とペチャンコや他の惣菜を摘んでは口へ運び、ご飯を食べ、お味噌汁を啜ると言う、恙無い所作で食事を楽しんでいる。
迷い箸もしない。さすが勇者と言ったところか?
「ん?
どうした? それにしても、この“ハシ”ってもんは便利なもんだな?」
「え? なに、やっぱり箸使うの初めてなの?」
「ああ。使うのが初めてって言うより、初めて見た。考えた“ハシ”ってヤツは中々の者だな?」
「いや、箸を考えついた人が誰だか知らないけど、ハシって人では無いと思うわよ」
マサミはクスクス笑いながら応える。
「そうなのか?
じゃあ、考えついたヤツはたいそうガッカリだな。
俺のいた世界では、新しい道具を考えついたヤツの名前が、道具の名前になるんだがな。
こんな便利な物だったら、俺の世界では食うに困らねーぞ。なんせ、名前さえ名乗れば、自分の道具が使われてるところなら、どうにか食わせてくれっからな」
マサミが詳しく聞くと、どうやらユーリの世界では、最初に道具を考えついた者の名前がその物の名前になると言う事で、それを作って売る者も居れば、考えるだけの者も居て、何れにしても、それを特許の様に独占するのでは無く、その道具を使う者たちが、その感謝の印にその者が望めば、その道具の価値と、供する側の懐具合に見合った食を提供すると言う。
それを証明する身分証も存在するので、偽名は効かないらしいのだが、難点は、後者の考えるだけの者に多いのだが、その者達は複数の新しい道具を考え出すので、別の用途の同じ名前の道具が複数存在して、間際らしい事になってしまうのだそうだ。
そうした場合は、例えば、書く○○や、食べる○○、丸い○○などと、名前の前にその用途や特徴などが付属する事になるそうだ。
何れにしても、便利な新しい物を創り出した者へ対しての、尊敬と感謝の気持ちで成り立っている様なのだ。
「あ、それと、このペチャンコヤキも美味いぞ。
ジュリアにありがとうって言っといてくれ」
「そんなのは直接言ってあげなさいよぅ。
そのくらいだったら、ジュリアにだってわかるわよ。
それに、その方がジュリアも嬉しいはずだしね」
「そうか。そうだよな」
ユーリはジュリアに向き直って、「ジュリア、これ美味いぞ。ありがとな」と、座りながらもマサミに教わった『OJIGI』をする。
『えへへ』
改めてユーリからお礼を言われて、ジュリアはだらし無く照れ笑いをする。
しかし、可愛らしい。こんな笑いされたら、私だったらどうにかなってしまう。あ、失礼。オホン。
ユーリは勇者だ。
そんなジュリアの可愛らしい照れ笑いにニコリと返し、また嬉しそうにペチャンコに箸を伸ばす。
「でも、箸と似た様な道具を使った事があるって事よね?」
マサミは、また上手に箸を使って食べ始めたユーリに問いかける。
10年以上箸を使い続けたジェフなど、ユーリの足元にも及ばない箸さばきだったからだ。
「……………見てたからな」
ユーリは味噌汁でご飯を飲み込むと、事も無げに答える。
「見ただけで?」
「二人のハシの使い方や、食べ方を見てた」
「…………」
マサミは言葉が出て来ない。
どうやら、ユーリがお腹を空かせているにもかかわらず、料理に手を付けずにいたのは、マサミ達の料理の食べ方や箸の使い方を観察して、イメージトレーニングをしていた様なのだ。
見ただけで直ぐに自分の物にしてしまうのは、ユーリの100年に一人の逸材と言われる所以で、大抵の事はこの様に、直ぐに吸収してしまうのだ。
「それもいいか?」
マサミがポカンとユーリを見ていると、ユーリは、マサミの前に置いてある『NATTOH』、納豆を指差した。
「あ、食べる?
いいわよ。でも、大丈夫?」
日本語が苦手なジュリアが、マサミとユーリが日本語で話している間に、手持ち無沙汰で納豆に手を出し、美味しそうに食べていたのをユーリは見ていた様なのだ。
マサミは心配してしまう。
ジュリアに関しては、産まれた時から納豆は身近な存在で、何の抵抗も無く当たり前の様に食べていて、今では好物の一つになっているのだが、例えば、ヴィッキーの息子のデイビッドなどは、ある日マサミが納豆を出した際、『マサミはまだ5歳にしかなってない僕を殺すつもりなのか!?』などと、思わず目を丸くしてしまう様な苦情を、当時5歳だったデイビッドに言われた事もあったのだった。
他にもこの『NATTOH』は山の様なエピソードを持つ。言わば納豆は、アメリカ人に対して宣戦布告とも取れる危険な食品なのだ。この食品に駄々ハマりの、物好きなアメリカ人もいる事も言っておくが。
「美味いな。
このゴハンと言うのを食べるには最適だな?」
ユーリはジュリアが食べているところを見ていただけあって、糸を引く納豆を上手に食べて感想を言った。
「そ?
それは良かった。納豆なら未だ沢山有るから、欲しかったら言ってちょうだいね?」
「おう、じゃあ、もう一つもらおうかな」
ユーリが遠慮なく催促すると、マサミは変わった人がいるもんだとばかりに目を笑わせ、冷蔵庫へ納豆を取りに行く。
『ソレ、オイシイ、デスカ?』
「ああ、美味いぞ。美味しい」
ユーリがジュリアに答えて笑い、ジュリアもそれに合わせて嬉しそうに笑った。
『でもママ、ユーリって本当、面白い人だねー?
日本に住んでたのに、こんなに知らない事があるなんて、ユーリの家ってどんな家だったの?』
直ぐに納豆を持って来て席に着いたマサミに、ジュリアが笑いながら聞いて来た。
笑えないマサミ。
引きつる顔を必死に制御すると共に、設定ミスを痛感する。
どうする、このせっかくの団欒を台無しにしそうな、この窮地。
あ、そうだ。
マサミはあっさりと深く考える事なく、窮地からの脱出策を手近なところから採用した。ようだ。
『ユーリのお家はねぇ、家柄は良かったみたいなんだけど、人里離れた深い山奥の誰も寄り付かないところに、ひっそりと暮らしてたそうなのよ。
で、なんでそんなところに住むかって事よね?
それはユーリも本当のところはわからないみたいなんだけど、ただ言えるのは、ユーリのお家は、その道では有名な武闘家のお家で、一家相伝でその技を伝える凄いお家らしいのよ。
日本の国は、いざと言う時はユーリのお家を頼りにしてるって話しらしいのよ?
だからユーリは、日本にいながらにして、日本文化とは隔たれて暮らしてたもんだから、日本のご飯も知らなければ、テレビだって見た事がなかったみたいなのよ。それに、ユーリの見た目を見ればわかるとは思うけど、元々のご先祖様は日本人じゃ無いから、ユーリのお家のご飯は、そのご先祖様の元々の食生活が主体になっているって訳なのよ。
まあ、アレね、言葉は日本語だけど、日本に居ながらにして、外国に住んでるって感じね。
もう日本の外国で、毎日一日中稽古よっ!
エイヤエイヤって!』
調子に乗って小さくクロールする様に、不器用に拳を突き出す仕草をするマサミ。
マサミはユーリから聞いた本当の事を着色しながら、途中からすーらすら虚言出来たのだった。
『あ、でも、これはあまり話しちゃいけない事になってるので、ジュリアも気軽にアビーとかデイビッドとか、とにかくお友達に話しちゃダメよ。
日本政府が黙っちゃいないらしいわよぅ。
これは、ジュリアだから言うんだからねー』
マサミは人差し指を口にあて、真面目ぶった顔で話しを締める。
その直後、「ふぅぅー」っと、一仕事終えた顔をしている。
『なんだか複雑なのね、ユーリ…』
ジュリアもマサミがツラツラと答えていたので、嘘っぽい話しも本当に聞こえてしまい、判断に困る顔をしている。
『で、ママとは何処で知り合ったの?』
一仕事終えてゆっくりしていたマサミに、また試練が訪れる。
『アレよぅ…………………………………………………ネット』
間を開けた割には、いい加減に答えるマサミ。
『ネットって出会い系?!
なんなのその奥地っ!?』
『ネットは嘘よっ、いいじゃないっ。
出会いは二人の秘密にしたいのっ!』
自分の浅はかさに恥ずかしくなるマサミ。
そんなマサミを見て、何故かジュリアは納得した様に、『そうね、ママとユーリの大事な思い出みたいだしね』と、妙にわかった顔でニヤニヤとする。
マサミが恥ずかしくて顔を赤くしていた事で、ジュリアが上手く繋げてくれた様だ。
決して上手く、ではないが、今の状況を終結させたと言う意味では、今はそれで良しなのだ。
「おかわり、いいか?」
ご飯茶碗を空にしたユーリが、遠慮気味に聞いて来た。
英語のわからないユーリは、マサミ達をよそに黙々と食べ進めていたのだった。
「も、勿論よっ」
ジュリアにネットリと見られていたマサミは、これ幸いとばかりにユーリから茶碗を奪う様に受け取ると、いそいそとキッチンへと向かった。
『でも、そしたらユーリって、その奥地では何を食べていたの?』
ユーリのご飯をよそって戻って来たマサミに、またジュリアが問いかけて来た。
マサミは苦い顔を、ジュリアから隠す様にしてユーリに向けると、ユーリがその世界ではどんな物を食べていたのかを聞く。
「なに食ってたかって?
まあ、このゴハンってのに似たコーメってのもあるにはあるが、俺が育ったトコではティクシクってのが主食だったな」
マサミにその詳細について聞かれたユーリが、ツラツラと説明した事を要約すると、こんな感じだ。
コーメと言うのは正しく米に似た穀物らしいのだが、ユーリの育った国では獲れない作物らしく、冒険者となってから初めて食べたとの事だった。
ちなみに、マサミが炊いたご飯の様には食べず、こちらで言うパエリアの様にして食べるか、一度コーメを干して香辛料と一緒に蒸して食べるのが主な食べ方らしいのだ。そして、ユーリが勇者として迎えられたアイラプス王国は、このコーメが良く穫れる土地柄でも広く知られているのだと言う。
そしてユーリのソールフードとも言うべきティクシクは、テカと言う作物を粗挽きにした物を蒸して食べるそうだ。
ユーリは、ちょうどご飯の中に入っているキヌアを指して、色はもう少し濃いが、大きさ的にはこのくらいの粒状になるのだと言う。キヌアをもう少しボソっとさせた感じらしい。
それを肉や野菜を煮込んだスープと一緒に食べるのが、最もポピュラーな食べ方なのだと言う。
私のイメージではクスクスなのだが、またそれとは違うのだろう。ティクシクを食べた事が無いのでわからない。
マサミはユーリの話しを聞いて、ジュリアに掻い摘んで説明してあげる。
『ふぅーん、なんか食べてみたいな、それ。ママ、今度作ってよ?』
またマサミにハードルが出来た。
高さは未知数だ。
きっとまた、久美子叔母さんに頼る事になるのだろうが。
マサミがジュリアに曖昧な返事をしている時、マサミのスマホからメールを知らせる着信音が響いた。
『○○○○!』
『マーマッ!』
思わずメールをチェックしたマサミが、娘に聞かせられない言葉を娘の前で吐くと、すぐさまジュリアに注意される。
マサミは「やってしまったっ」と、少し苦い顔をするが、もっと苦々しいメールに苛立ちを抑えられない。
『どうしたのママ、何があったの?』
ジュリアは“秘め事”とオブラートに包まず、しかも、汚い方の言い回しをするマサミに呆れながらも、それでも苛立ち続けるマサミを心配する。
『ビリーよっ!』
『ビリーがどうしたのよ?』
『ビリーが来るのよっ!』
『別にいいじゃない、良くある事だし』
『ビリーだけじゃなく、テッドとフレディも一緒に来るのよっ!』
『だからどうしたの?
それも良くある事じゃない?』
『だから……』
マサミは怒りで口ごもってしまう。
ビリーからのメールはこうだ。
[あと5分で着くわよ! テフレディも一緒よ、キャ♡]
テフレディとはテッドとフレディ。
フレディは初めて登場するので、ここで簡単な紹介をしておこう。
生粋のゲイだ。
『端折りすぎー』とのフレディ姐さんのツッコミが怖いので、もう少し説明すると、フレディはここパームスプリングスで、サロンを4店舗経営するプチカリスマ美容師で、マサミもジュリアもフレディのサロンで髪を切っている。
ビリーとテッドとは、マサミを通して仲良くなったフレディなのだった。
身長186、オシャレ無精髭のオネーさんだ。
ジュリアが言っている様に、偶に三人でマサミの家に遊びに来る事もある。あるのだが、いつもは前日には『もしかしたら遊びに行くかもー』とビリーあたりが教えてくれる。
こんな突撃は初めての事だ。
今マサミが電話して、来るなと言っても、『直ぐそばだったから来ちゃったっ』などと、しれっと現れるのだろう。
あやつらの魂胆は見え見えである。
ユーリだ。
きっと三人でご飯でも食べていて、ユーリの話題になったのだろう。
フレディはビリーとテッドに絆されて、自分も一目見たいと口走り、この訪問の口実に一役買ってしまったに違いない。
三人の会いたい気持ちが募って、強行突破と言う道を選んだのであろう。抑えられなかったのだろう。
欲望を絵に描いたようなヤツらだ。
マサミは頭を抱える。
「ユーリ、今日お店で会ったビリーとテッド覚えてるでしょ?
あいつらがもう一匹連れてもうすぐ来るから、気をつけてねっ!
なんだったら殺ってもいいわっ!
それと、またカラコンもしてちょうだいっ!」
敵襲の知らせを受けたマサミ大佐は、矢継ぎ早に指令を出すのだった。