07 ふもとの町
■システィーナの視点
ザプッ、ザプッ、ザプッ、ザプッ
浅い海を歩く、力強い足音が響く。
コックリの足音。
見上げる空には薄い光の青空と、薄く広がる白い雲……
はあ……私はコックリにお姫様抱っこされたまま、モン・サン・ミシェリア修道院へ続く遠浅の海を歩いている。
ああ~、修道院へ向かう巡礼者も、修道院から戻ってくる巡礼者も、お姫様抱っこされる私を見て……
ニヤニヤして、ヒューヒューッて……
~~~~~っっっ!!!
私……私……!
聖地に、こんな風に行くなんて思ってもいなかったから……!
ああもう、ああもう~~っ!!
皆に見られているから、恥ずかしくて、恥ずかしくて~~っっ!!
でも!
でもっ! それ以上に……
何か嬉しくて~~~っっっ!!
私は両手で顔を隠しながらコックリにお姫様抱っこされているの。指の隙間から上を覗くとコックリの顔が見えて……アゴ髭がちょっとだけ生えたコックリ。剃ればいいのに……。でも好き。
「ふふ、あとちょっとだよ」
私の視線に気が付いたのかコックリがニッコリした笑顔で私を見た。
~~~~~~っっっ!!!
私はまた顔を隠した。隠したまま、コックリの足音だけを聞いていたの。
パチャッ パチャッ パチャッ パチャッ
ああ、海の中を歩く音はだんだんと小さくなって。浅くなってきたんだ。つまりはモン・サン・ミシェリアに近づいてきたということで……呼応するように、人々の声が聞こえてきたの。大勢の人々が話あう声が。
ああ、喧噪……活気のある町の喧噪……
わはははは……
おおぉ~~……
ワイワイガヤガヤ……
陽気な笑い声、感嘆の声、楽しげな声の渦が聴こえてくる。
「さーて。じゃあそろそろいいかなー」
と言って、コックリは私をゆっくりと下したの。
ああ~……ああ~。ムゥー……残念なような、ホッとしたような……素足の私の足裏に、ヒンヤリとした砂地の感触が感じられて、私は顔を覆っていた手をどけた。
ああ、今いる場所はモン・サン・ミシェリアの百メートルほど手前の砂地で……たぶん、ここは数時間前まで海底だったのね。砂が濡れていて素足に心地良い。砂地には小さなカニがところどころにいて、ああ丸い小さな砂の玉がたくさんできてる。ここは肥沃な干潟なのね。私はコックリに支えてもらったまま、太ももまであるブーツを履いた。
「わあ~、間近から見るモン・サン・ミシェリア……凄い!」
「ああ、凄いな」
そうなの!
モン・サン・ミシェリア修道院が建てられた岩山は、本当に大きな大きな岩の塊で……もう、重い重い岩の塊が迫りくるようで……圧倒、ただただ圧倒されてしまう。はわわあぁ~、軟らかい砂浜の中から、硬そうな硬そうな黒い岩が突然突き出ていて。周りの砂浜とのギャップが……独特の、厳かな……他を寄せ付けない不思議な感覚を放っている。はわあ、高さは百メートルくらいはあるかしら。大きな存在の近くにいると、ただただその存在感と実在感に圧倒されて……はわあぁ、凄い!
岩山は周囲を城壁のような堅固な擁壁で固められている。コックリが言うには、岩山が波によって削られないようにしているんだとか。そうか、岩山が波に削られていったら、いつかは聖地がなくなってしまうもんね。高波が押し寄せても大丈夫なくらい、高さと頑健さを兼ね備えた城壁がモン・サン・ミシェリアの島を囲いこんでいるの。まるで要塞みたい……
そして岩山のふもと、城壁の内側には、犇めくように背の高い石造りの建物がたくさん建てられていて。まったく、人間はよく建てたわねえ。岩山に逆らうことなく、うまく土台にして建物を強固にしているわ。岩山の上に建っているから、階段状で……屋根の形を結んでいくと複雑な町の稜線を描いているわ。
岩山の中腹には土地があるようで、競うように常緑の樹木が生い茂っていて……ああ潮風に、枝葉がザワザワと揺れ動いている。凄い揺れ方。遠い北洋の風が海を翔け抜けて岩山を駆け上っているのね……ああ、海鳥の白い姿が、樹木の至るところに見えているわ。
そして、岩山の頂上……しなやかな女性のような、淑やかやな女性のような、美しい建物が……天に向かって腕を伸ばすように、大聖堂の鐘楼の塔が、屋根から伸びる幾筋もの尖塔が、天へ天へと昇っているの……
「凄い……凄い……」
「ふふ」穏やかに笑うコックリ。
もう、もう私はドキドキして、ワクワクして。人間の建てた建造物で、これほどドキドキした建物はないかもしれない……!
「さーて。楼門はあそこだ。中に入ろうか」
「うん! 入ろう!」
私たちの右手方向に、大きな大きな砦のような楼門があった。
遠浅の海を歩いてきた巡礼者たちがその楼門へ向かって歩いていく。ああ~、楼門からは逆に巡礼を終えたであろう巡礼者たちが、こちらに向かって歩いてきている。
「ああ、良かった良かった」
「また来よう!」
「絶対、来よう! 大聖堂に入れなかったし!」
人々は口々に感想を述べながら、陸地の方へと歩いていく。
へえ~、大聖堂は入れなかったんだ。それは残念よねえ、また来ようというのは分かるわ~。と思いながら、そびえたつ楼門まであと少し……はわぁ、何て大きな門なんだろうと、思わずポカーンと見上げてしまうくらい、どっしりとした楼門が先にあって……
楼門の中を眺めると、ミシェリア島の岩肌が見える。なるほど~、入ってすぐに岩壁があって右に折れるのね……
と、楼門の手前、砂浜から平たい岩に変わる境界に来て……
あら、これから上陸する巡礼者のほぼ全員が、手をつないで一緒に「いっせえの、せ!」で足を岩に乗せている? そして乗せた後、皆で拍手しながら喜びを分かち合って……分かち合って!
私はコックリを見たっ! 私たちもやりたい!!
たぶん、スゴく期待した目でコックリを見たものだから! コックリは盛大に吹いたの!
「ぶふっ! くっくっく」 ああっ意地悪そうな笑顔! また!また、からかって! 私の顔を覗きこむの! 「やりたいの?」
「~~~~っっ!!」もう! もう! イジワル~~っっ!! もう~~!!
「くっくっく」
くううう~~!! イジワル~~っっ!! もどかしい~~っっ!!
「イジワル~~! イジワル~~!! うくう~~!!」 私は自分でも真っ赤になってるって分かった! でも、それでもコックリと分かち合いたいんだよう!!「やりたいんだよぉ~~っ!!」
「ふふ……まあ、俺もやりたくなったわ」
「ホント!? うん! うん~~!」
私はもう、うれしくってうれしくって……!
コックリの気が変わらないうちに彼の手を取ったの! さあさあ、やろう! 生涯初の聖地への上陸! コックリと一緒の、聖地への上陸! 生涯忘れることのない、記念の一歩! コックリと手をつないで……! しっかりと手をつないで。
飛び出たミシェリアの岩山の端に「いっせえの、せ!」で足を乗せたの!
その瞬間……! 私たちの反応は、明らかに皆と違うものだった!
「おお!?」
「はわあぁ!?」
ビ、ビックリしたあ~!
突然! 突然、清廉な気が強く感じられたものだから! もう、悪い心が一気に吹き飛ばされるような、身が軽くなるような、凄い力……!
「凄いな。たぶん、魔法を使いこなせる者……魔法の根源『 心 』が強い者は、特に感じるようだ。この岩山が放っている清廉な力を」
「うん! うん!」
周りを見渡すと、私たちのように驚いている人たちはいないけれど……岩に乗った瞬間、何かを感じるのか一様に清々しい顔をして、拍手しながら喜びを分かち合っている。
これだけの力……
聖地……そう呼ばれるのは伊達じゃない! やはりこの地で怪異が起こるわけがない!
そして! コックリと私の聖地への上陸!! 消えることのない思い出の誕生! やったああ!! えへへ!!
私たちは岩を踏みしめながら巡礼者が向かっている方へと歩を進めた。
巨大な楼門の中へと……
「はわぁ~~、天井が高い。大きな楼門」
「ふふ。通称『 慈愛の門 』……この門をくぐれば、誰もが慈愛により罪を許されると言われているね。まあ実際は岩山に足を乗せたあの時だろうが」
そうなんだ~~、そうだよね。この岩山に足を乗せた瞬間、罪を許されたような気がする。
楼門の中に入ると薄暗くて、巡礼者たちの声が反響して、くぐもっているような音がする。なんだかワクワクしてきた。楼門を出た先には岩壁があって、まるで岩壁に向かって進んでいるみたい。楼門をくぐり抜けて、巡礼者たちが進む方へ向くと……右を見ると……
印象が一変した!
「はわあぁっ!!」
「おおー!」
楼門の先にある町……!
はわぁ~!
凄いっ! 凄いっ!! 何が凄いって! 一言で表すなら!
雑多っ! そう、雑多なのっ!
「いやー、聖地の印象が変わったなー」純朴そうな表情で眺めるコックリ。
「うん! ホントそれ!」
ホントそれ! まず目を引くのが犇めくような町並み!
もう建物と建物の距離が近い近い! 楼門から続く目抜き通りは、横幅十メートルもない! だから巡礼者で犇めきあってて……ああ、もう頭しか見えない! 金髪や茶髪、いろいろな帽子が犇めきあっていて……ひゃあ~空気が薄そう~……もうワイワイガヤガヤ、騒がしそう!
それで建物!
石造りの建物は三階建て四階建てが基本なんだけれど、面白いことに一階部分より二階から上の方が大きいの! たぶん一階は道路がある分、ある程度道幅が必要だから通常どおりに家を建てて、巡礼者や旅人の頭が当たらない二階以降から建屋を大きくしたみたい! 部屋の広さを少しでも生み出そうと、大きくしたのね! 二階から上は一階部分より一メートルくらい大きくなっていて……独特の圧迫感があって……まあ幌みたいで雨の日とか濡れずにすみそうだけれど……ひゃあ~、重心のかかり方が大丈夫なのかしら? 石造りの頑健そうな建屋だけに、一階部分が小さいと不安!
「ふふ、しっかり建てられているから大丈夫だろう。さあ、はぐれないようにな」
「うん!」
コックリはそういうと、私の手を握りしめた。はわぁ~相変わらずの大きな大きな手。ああ~コックリ、手甲と手袋をしていなければなあ~。コックリは、私の手をしっかりと握って、歩き出したの。うん、離さないでね。
道は石畳で左に曲がっていくみたい。
先の方は見えないんだけれど、どうやら岩山の上へ上へと坂道のように上っていくみたいね。たぶんこのまま進んでいくと、修道院につながるんだろうな。ああ~、目抜き通りはいろいろなお店が並んでいて、多いのはオステリア(食堂)ね。そこかしこから美味しそうな匂いと湯気が漂ってる! 二階三階の壁には宿を示す看板があって……この町は巡礼者や旅人への宿泊と食事で生計を立てている宿場町ね……
はわあ、本当に独特な雰囲気……
道幅は狭くて、建屋は縦に長くて、しかも二階部分以上は大きいから独特の圧迫感があって。だから道には太陽の光は一切射し込まないの。たぶん、昼のわずかな時間にしか陽が射さないんだろうな。今は建屋の上の方の壁にだけ陽が当たって、反射した光が薄ぼんやりと光っているというか……ああ~上を見上げると、建物の影が斜めに落ちて……はわあ~
でも不思議。嫌な暗さじゃないの……
「先に宿を確保しておこう」
分かったわ。
コックリと私は巡礼者で犇めく通りを縫いながら、目抜き通りを避けて細い路地に入った。路地の突き当りには、宿の看板がかかった建物があって……おお~精緻な装飾のアーチ状の扉があって、扉の両サイドに赤い花が咲く樹が植えられている。ほっ、何だか落ち着く。
扉を開けて中に入ると……おぉ~、絨毯にアンティーク調な調度品のあるロビーになっていて、雰囲気がある! 艶やかに光るカウンターの中には可愛らしい少女がいて、私と目が合うとポーッと見惚れて……うふふ、こんにちは。私が会釈すると、少女ははじかれたように頭を下げた。
「よ、ようこそお越しいただきました」
「数日間お世話になりたいんだが……部屋は空いているかな?」
「は、はい! 空いております!」
わあ~、良かったぁ~。
私がニコニコしてたら娘さんは頬を赤くした。か、可愛い! コックリが色々記帳していると、娘さんがオズオズと私に話しかけてきた。
「あの……お客様は、どちらのご出身の方ですか……」
「私ですか……?」
「は、はい!」
「リートシュタイン山系の方の出身です」
「リート……そうなんですね。スイスリア王国あたりなんでしょうか」
「うふふ。近いですね……」
「はあ~、スイスリア地方の方は美人が多いと聞きますが……納得です」
エルフの里は、スイスリア王国の東に広がる巨大樹の森の中だったから、近いと言えば近い。ああそうだ。せっかく向こうから話かけてきたし、聞いてみようかな……
「うふふ。そうだ、このあたりで何か妙なこととか、おかしなこととか起きていないかしら?」
「え? 妙なこと?」 娘さんは突然の私の問いに怪訝な顔をして 「ああ、遊歴の騎士様なんですね?」
娘さんはコックリを見て、なるほどと思ったみたい。遊歴とは武者修行の騎士のことで、コックリが武者修行で何か腕試しできることを探していると思ったみたい……
「うふふ、そんなところです」
「やっぱり! でも聖地ですので、特に何も起きてないですよ~」
「うふふ、そうですよね~~。そういえば、今修道院には行けないのかしら?」
「はい、残念ながらそうなんです。大聖堂を改修工事しているようでして……」
「改修工事?」
「ええ。でも日に一度、巫女様がふもとにいらして巡礼者の皆さんと触れ合う機会がありますので、どうぞそちらに行かれてください」
娘さんは笑顔で鍵を渡してきた。
やっぱり聖地だから、怪異なんてないのかしら……とその時コックリが話に加わってきた。
「ミサはどうかな?」
「え?」
「大聖堂を改修中ということは、ミサは大聖堂以外でやっていると思うんだが……せっかく聖地に来たからにはミサに参加したくってね。確か、大聖堂以外にも礼拝堂があったと記憶しているんだが、そこでやってるのかな?」
「はい、確かにふもとにも礼拝堂はあるんですが……実は修道院からお達しがあって『しばらくは修道僧だけでミサを行いますので、巡礼者の皆さんは心の中で祈っていて下さい』って。宿泊客にそう伝えるよう御触れがありまして。ふふ、お伝えする前に聞かれてしまいましたね」
「そうですね」
コックリは何度かうなずくと、娘さんにありがとうと言った。何だったのかしら?
まあ気を取り直して……私たちの部屋は四階だそうで、私たちはこげ茶色のツヤツヤ光る階段を上って行った。
部屋の扉を開けると、わあ~明るい! そうか~四階だとまだ陽の光が入るもんね。部屋は壁紙が落ち着いた色彩で、この宿屋にあってるなあ。
調度品も窓際に丸テーブルと椅子が二脚、棚があって……ああ……ベ、ベッドが……キ、キングサイズのベッドが一つだ~。
「いいよな、別に?」イタズラ小僧のような表情のコックリ。うう~~
ああ~、変に意識してしまった……私はドキドキしながら、それをごまかそうと窓を開けた。ああ~、潮風が入ってきて……心が落ち着いてくる。窓の下からは、巡礼者たちの賑わう声が聞こえてきて……わあ~本当に凄い人ごみだなあ~
おお、屋根が竜の鱗みたい。半円形の木の瓦が竜の鱗みたいに整然と並べられていて……綺麗。
「おー」のんびりした口調で上を見るコックリ。「モン・サン・ミシェリア修道院が見えるなー」
「あ、ホントだ!」
窓の斜め上の方に目をやると、岩山の頂上に美しくおごそかなゴシック調の修道院がたたずんでいて。ああ天に向かって伸び上がる尖塔の先をよく見ると、何か金色の像が乗ってる……
「ああ、あれは慈愛の聖霊ミシェリアの金像だよ。ミシェリアがいつでも見守ってくれているんだ」
「うん……うん!」
「よし。市井の様子を見ながら、修道院へ向かおうか」
「分かったわ!」
私たちは再び町へと戻った。
引っ越しする兼ね合いで、次話以降ちょっと掲載に時間がかかるかも……