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06 大聖堂(司祭アルシャーネ)

 


 ガラン……ゴロン……

 ガラン……ゴロン……



 天へ伸び上る美しい鐘楼の塔

 そこから響きわたる、おごそかな鐘の音

 大きな音に驚いた一羽の(トビ)が鐘楼から飛び立つ



 ピーーーヒョロロローー



 鳶はゆっくりと円を描きながら、美しい修道院を旋回する

 鳶の眼に、美しいそれが映し出される



 その美しさを堪能できるのは、翼を持つものだけ

 その視点を味わえるのは、翼を持つものだけ



 鳶の眼には、鐘楼塔の突端に輝くそれが映し出されている。

 それは黄金で作られた慈愛の聖霊ミシェリアの像。ミシェリアの像は、この地のすべてを慈愛で満たさんと、この地を訪れるすべての者を受け止めんと、虚空に両手を広げる



 鳶は旋回しながら、まばゆい青い光を捉える。それは鐘楼の屋根瓦。槍を思わせる鐘楼の、屋根の瓦。青くつややかな屋根瓦は、太陽の光を反射して美しく輝いている



 鐘楼の周囲を旋回する鳶は、塔とつながる大聖堂を、天空より眺める。十字の形をした美しい大聖堂を。鐘楼は十字のクロスする場所から、天へ向かって高く高く、高く伸び上っている。大聖堂の鋭角な屋根には、鐘楼塔の屋根と同じ美しい青瓦が葺かれ、鳶の影を反射している。その十字の屋根の(へり)には、ゴシックの粋を極めた複雑な装飾の細く長い尖塔が並ぶ。剣のような、剣と見紛うような美しい装飾の尖塔が、無数に、幾重に、天へ天へと伸びる



 鳶は、大聖堂を囲う城壁のような建屋の上空を旋回する。楕円形に近い城壁のような建屋。その建屋の高さは場所により異なり、それゆえに屋根もまた高さが異なり、複雑な段差を持つ積層型の建屋を形成している。鳶は複雑な段差の屋根の上を滑るように飛びながら上昇気流を浴びて天高く飛び上がる



 鳶の視点でしか分からない、上から見た建物の厚み。楕円形の建屋は、高さが異なると同時に厚みもまた異なる。遥か遠い水平を見渡す西側の建屋は、厚みを持ちやや低い。反対に陸地から見える東側の建屋は、厚みは薄く、その代りに背が高い

 厚みのある低めの建屋は、聖魔法でも治らない病を持つ者たちが暮らす病療の塔。最大で五百名を看護できる世界最大級の看護病棟。厚みの薄い高い建屋は、百名近くいる修道僧たちの宿舎、修道僧の宿坊の棟



 大聖堂を囲む楕円の建屋の内側の壁には、アーチ状の小さな窓がいくつもあしらわれ、大聖堂の美しい姿をどの角度からでも余すことなく望むことができる。精緻な装飾の施された、アーチ状の窓



 鳶の眼は、その窓の一つに人の姿を認めた

 曲線のもっとも強いその場所に



 窓の傍で会話を交わす三人の修道僧の姿を





 ■女性司祭アルシャーネの視点



 天井の高い石造りの通廊を歩んでいると……

 陰鬱に暗がる廊下の先から……ボソボソと……話し声が聞こえる……

 恐れを纏った、暗い声……


    どう……しよう……?

    いったい……何が起こっているの……?

    怖い……聖地なのに……どうしてこんなことが……?


 石造りの通廊は、音を運ぶ。

 石壁が音を反射して……


    どうすればいいの……?

    ここから……逃げ……る?

    …………


 通廊の先に誰かがいる……大聖堂を囲う建屋の通廊は、大聖堂を囲うゆえに緩やかな曲線を描いていて……先が見えないけれど……誰かがいる……。私は耳を澄まして声を聴く……


    逃げ……逃げても……どこに行けば……いいの……?

    ……でも……ここにいたら……いつ……私たちも……

    言わないで……!


 おびえる声……ただただ、おびえる声……

 それはきっとこの通廊の暗がりも手伝って、より一層恐怖が身に迫ってくるのかもしれない。天井の高い通廊には、窓がいくつもしつらえてあるけれど、光は窓から下にしか射し込まず、窓から上の大部分は暗い……



 そこはかとなく天を埋め尽くす暗闇……

 この暗さが、恐怖を呼び起こしているのかも……



 私は、静かに歩み始める。

 すると程なく、身を寄せ合う三名の修道僧たちの姿が見えてきた。



「どうしたのです?」

「「「ひっ!」」」



 私の声に驚いた修道僧たちは、はじかれたようにこちらを向く。ああ、暗がりの中であってもはっきりと分かる青白い顔……



「どうしたのです?」

「はあぁ……アルシャーネ様」「ああ……アルシャーネ様」「うう~アルシャーネ様ぁ……」



 修道僧たちは、安堵しきった表情で私に縋り付いてきた。

 彼女たちが縋り付いてくるのは、聖霊の奇跡を行使できる『司祭』としての私というよりは……おそらく伝説的な『聖女リオテール』の再来と言われる『巫女』としての私に縋り付いてくるのだろう。正直、私も誰かに縋り付きたいのだけれど……私がそうしたら……より一層、修道僧たちの不安を掻き立ててしまう。



「どうしたのですか? 今は病療者の看護の時間ではなかったですか?」

「うう……」 三名は私に縋り付いたまま 「私たち……怖くて、怖くて……」

「大丈夫です……大丈夫です」 私は皆の頭を優しく撫で 「例の出来事は……今なら起きません……アレをしなければ、大丈夫だったでしょう?」

「はい……でも……でも……」

「大丈夫です……」



 私は怯える彼女たちを安心させるため、心をこめて皆の頭をなでる。

 心をこめるとは、霊力をこめることだ。



「ああ巫女様」「温かい……ああ」「巫女様……」



 私は、生まれながらに霊力が大きくて、癒しの力が大きかった……

 聖魔法を知らない子供のころから、心に不安や苦悩を持っている人に手を差し伸べると、その人の心の荷を下ろすことができた。



「ふふ……怖くなくなったでしょう?」

「はあ、巫女様」「ああ」「聖女様」

「さあ、病療者の看護に入って……そうすれば怖いことも思い出さないわ」

「はい」「分かりました」「頑張ります……」



 修道僧たちは足早に病療者の入所棟へと向かっていった。

 私はその後ろ姿を見て……思わずため息を漏らした。


 ふぅ……困った……困ったわ……


 今、この修道院では……大変な事件が起きている……

 慈愛の聖霊が舞い降りて以降、初めての……大事件が……



 怪異……



 怪異が……



 私は身震いした。

 怪異……そう思うだけで……修道僧たちのように、恐怖が……心の奥底から湧き上がってきて……



 石造りの冷たい通廊に……

 揺蕩(たゆた)うような通廊の暗がりに……



 得体のしれない『 何か 』を感じてしまう……



 ああ何かが……

 何かが……いるような気がする……

 何かが……あの暗がりに……



 背筋に……悪寒が走って……

 腹部に……そこはかとない……名状しがたい……奇妙な感覚が……



 ああ……



 私は胸に下げたミシェリアの像を強く握りしめる。

 銀の美しい聖なる像。なめらかな手触りの、翼のある聖像。



 大丈夫……大丈夫よ……アレをしなければ……



「スウゥゥゥ……ハアァァァァ……スウゥゥゥ……ハアァァァァ……」



 私は呼吸を整えた。

 早くなってしまった息。息は「自らの心」と書く……私の心は恐怖で乱されてしまった……息を落ち着かせることで、心を落ち着けるのよ……



「スウゥゥゥ……ハアァァァァ……スウゥゥゥ……ハアァァァァ……」



 良し……!

 呼吸も、心も落ち着いたことを確認した私は、再びシンと静まり返る通廊を足早に歩き始めた。



 もう一度……もう一度、聖霊に……もう一度、聖鏡に……

 音のない通廊を歩んでいくと、外へと出る両開きの大扉が……



 もう一度……もう一度、聖霊に……もう一度、聖鏡に……

 私は扉に手をかけ、外へ……



 キイイィィ……



 扉の外には、石畳の中庭。正方形の石畳が、敷き詰められて……私は扉を閉めて……振り返る。



 目の前には、そびえたつような美しい大聖堂(ドゥオーモ)……

 そのファサード(大聖堂の正面)は、荘厳のひとこと……幾重にも重なるアーチと柱……細やかに施された聖霊や聖人の彫刻……

 角度の急な屋根……青い屋根の縁から伸びる幾筋もの尖塔……細く、美しい、装飾の尖塔……

 壁にはゴシックの粋を集めた複雑な装飾が、見る者を圧倒させる……



 私は大聖堂から視線を外し、周囲を見る。

 大聖堂は居住区の建屋によって囲まれて……それがまるで、外部から修道院を隔離する塀のようで……独特の閉塞感を感じさせて……息が詰まる。そして、斜めに傾いた陽が暗がりを作って……何かが潜んでいるような、そこはかとない恐怖を感じさせる……



 普段は……こんな恐怖はないのに……

 普段は……こんな閉塞感はないのに……



 その居住区が作りだす暗がりの中……大聖堂の左……

 目を凝らせば、地下へ地下へと下って行く大階段が見えてくる。その大階段は居住区の建屋の地下をくぐり、修道院の外へとつながっている。普段ならば、巡礼者たちがふもとの町から岩山の階段を登って、この大聖堂へやってくるのだけれど……



 今は、ふもとの大階段への入口も、地下階段の大扉も、固く閉ざされている。



 私は足早に、大聖堂の大扉の前へと歩を進めた。

 大聖堂の大きさに比例した大きな大きな両開きの扉……



 その前に立ち……祈りをささげた後、扉を開けた……



 ギギギィ…………



 私だけ……一人だけ、通り抜けられるくらいにわずかに扉を開けて……体を滑り込ませる……



 大聖堂の内部は、まるで音がしない……無音の空間……

 無音の世界には美しく磨き上げられた黒と白の床石が、延々と続く。床石に、自分の姿が映し出されるほど磨き上げられ……鈍い輝きを放っている……

 美しい石床には、茶色に艶めく長椅子が整然と並べられている。一つたりとも、はみ出すことも、斜めになることも、乱れることもなく、並べられた長椅子。朝夕のミサでは、修道僧や多くの巡礼者たちがこの長椅子に座り、ミサを行っているのだけれど……今はだれもいない……



 私は長椅子と長椅子の中央に作られた通路を通って、大聖堂の前へ前へと歩を進める。



 大聖堂は、巨大な石柱によって支えられている。大人が三人囲んでも、手が届かないほどの太さの石柱によって……。石柱は十数メートルの高さがあり……前へ前へと(いざな)われるような……不思議な感覚を与えてくれる……

 高く太い石柱と石柱の間……そこから覗く壁には、縦長の窓が上下に二つ見える。私の背よりも大きな窓。窓は高い位置と低い位置に設けられているのだけれど……高い位置の窓からわずかな光が入るだけで、低い位置の窓からはほとんど光が射さない……それが、大聖堂内に不思議な光を与えている……高い位置の窓から斜めに降り注ぐ光……綺麗……



“司祭アルシャーネ……また……来たのですか……”



 その時、前方より声が発せられた。前方の祭壇から……美しい装飾の施された前方の祭壇の、上から……優しく、心を穏やかにさせる不思議な声が……上から……。私は磨かれた石床を真っ直ぐに歩いていき……数段高くなった檀上に上ると……祭壇の前でひざまずいた。



「聖鏡ルシェリア……祈らせてください……」



 美しい彫刻が施された祭壇の中空に、縦長の楕円形をした一枚の『 鏡 』が輝く。金色に輝く(ふち)を持つ……慈愛に満ちた優しい装飾の……美しい大きな大きな鏡。



 聖鏡ルシェリア



 世界に数枚しか存在しない、魔法の鏡……魔法の根源にして、心を司る『 霊 』をまとった聖なる鏡。聖鏡は、祭壇の上で一瞬またたくと、私に告げた。



“何度……聖霊に……祈りを捧げても……答えは……同じですよ……”

「それでも……祈らせてください……」



 ひざまずく私は、慈愛の聖霊ミシェリアに祈りを捧げた。

 この聖地で……『 聖霊に守られた地 』で起こっている出来事……『 怪異 』の……根本となる問題を……解決すべき、私の使命を……



 ゴゴンッ!!



 祈りを捧げる私の体の中に、突如……大きな振動が走った……!



     …………戻せ…………



 私の中に走った振動は、そのまま体から解き放たれ、祭壇を揺らし、長椅子を揺らし、大聖堂の窓ガラスを揺らした。



 この振動こそが、聖霊の声。

 司祭は聖霊からの言葉、『 啓示 』を聞くことができる。司祭はこの声を人々に伝え、導くことにより、より良い世界を作っていく……



「何を戻せばよいのですか……?」 祈る私の中に、再び振動が走る。



     ゴゴンッ! …………戻せ…………



「修道僧を、戻すのですか……?」 私の中に振動が走る。



     ゴゴンッ! …………戻せ…………



「病療者を、戻すのですか……?」 私の中に振動が走る。



     ゴゴンッ! …………戻せ…………



 私の問い。その答えは……常に一つだった……



『 戻せ 』



 いったい……何を……戻せばいいんだろう……

 聖霊の声は複雑で難解だ。司祭それぞれによって、捉えられる言葉が異なる。私の中に響く聖霊の声は、常にこの言葉を発しているし、他の司祭はまた別の言葉を捉えている。



 戻す……戻す……



 いったい……何を……戻せばいいんだろう……

 


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