02 山あいの泉
今の季節(2016年夏)は酷暑ですが、作品は秋となっております
深まりゆく秋の気配
天の高い、薄い青空
空の彼方までいっぱいに連なる、柔らかなうろこ雲
壮麗な山々を埋め尽くす、紅や黄に色づく深い森
美しい秋の気配
色づく山あいのわずかな一画に、冷ややかな水の気が広がる。山あいから湧き上がる、けがれのない美しい泉。美しい泉のほとりに宿る木々は紅や黄に萌え、澄んだ水面を覆うように枝葉を伸ばす
その泉のほとりで、清らかな水を飲む、美しい栗毛の馬。鏡のような水面の泉に映し出される栗色の馬と紅や黄に色づく大樹……その大樹のそばに腰を下ろし、寄り添う二人の男女
一人は、栗色の柔らかそうな髪に琥珀色の瞳、わずかに生やしたアゴヒゲが特徴的な青年だ。青年は逆三角形の大きな上半身に、どっしりとした腰、太い腕と足にそれぞれ重そうな鎧を纏い、胴体にはサーコート(鎧の上に着る服)を纏っている
その青年の横に腰を下ろす耳の長い美しい娘。娘は緩く波うつ金髪に陶磁器を思わせる白い肌、切れ長の優しげな目に翡翠色の瞳、ピンク色のふっくらとした唇が特徴の美しいエルフだ。エルフの娘は深緑の外套を羽織り、若草色の洋服とショートパンツからは美しい白い太ももが輝いている
二人は柔らかな下草の上に腰を下ろし、美しい景色を眺めている
■システィーナの視点
ああ……
なんて……なんて美しい光景なんだろう……
私は静まり返った泉のほとりで……言葉もなく、ただただその美しい光景を眺めている。
白い砂底から湧き上がる水の揺らめき……
数年、十数年かけて山や森に濾過された水は、ただただ澄み渡り、揺らめく水草の緑を美しく際立たせているの。泉は透明度が高くて、白い砂底が見えるから浅く見えるんだけれど……倒木が朽ちもせず水底に沈んでいて……あの太さから、たぶん水深は一メートル近くあるんじゃないかしら……吸い込まれるような、神秘的な深淵さをもって心に迫ってくる……
そして泉のほとりを彩る紅やオレンジ、コゲ茶や黄に染まった美しい樹木たち。
泉のそばに佇む樹木は色づく枝葉をいっぱいに広げて、泉を覆って……ああ、黄色い葉が今にも泉に触れそう……その葉が、鏡のような水面に映りこんで……
「ああ……綺麗……」
私はため息をついた。
その美しさと心地よさから……。泉によってこの周囲一帯には清々しい湿気がもたらされて、火照った肌に気持ちいい。山道をずっと歩いてきたから……上気した頬と長い耳が冷やされて……。ああでも見た目からも心地よさを感じているのかもしれない。色づく樹木の根元にはところどころに岩場があって、水分をたっぷり含んだ苔に覆われて……色づく樹木と苔むした岩、そして美しい泉……ああノスタルジックな気持ちになってくる……
泉のほとりで……柔らかな草地に腰を下ろしたまま……私はただただ、目の前に広がる美しい光景に心を奪われ体を癒されていた。
私の名前はシスティーナ。
私は一人の若き神殿騎士と共に旅をする森の妖精エルフで、四百年暮らしてきたエルフの里から人間の世界にやってきて……そろそろ二年になろうとしている。この二年は、私が生きた四百年の人生のなかで……とても大きくて……とても満ち足りていて……かけがえのないものになっている。四百年暮らした生活を捨てても……余りある……かけがえのない時間……
そう、私は四百年暮らした生活を捨てて……
彼に着いて来たの……
彼に心を奪われて……
彼と離れたくないと、心が訴えて……
その彼の名前はコークリット。
世界に七名しかいない、法王庁の神殿騎士の一人で……
私は彼をコックリと呼んでいて……
今、彼は私の隣に腰を下ろして……
私が作ったサンドイッチをモリモリ食べている。
もう! もう~! ホントに子供っぽいんだからっ! 私が怒ったことを知った彼は、苦笑しながら言った。
「ふふ、ゴメンゴメン。食欲の秋っていうじゃん?」
言うけれどもっ!
でもこんな素敵な景色のなかで! ロマンチックな景色のなかで! そんなにモリモリ食べなくてもいいじゃない! もう! もう~っ!! ああ! 怒られてるのに子供みたいな無邪気な笑顔を私に見せて~! ああもう、ああもう~!! ズルいよ! 私がその笑顔に弱いの知ってるんでしょっ!?
私は赤くなった顔をストールで隠した。
「もう! もうっ!!」コックリをバシバシ叩く。ああもう鎧だから痛い。
「ふふ、ゴメンってば」
彼は屈託ない笑顔を私に見せて……ああもう~!!
もう、彼は本当に本当に子供っぽくって…………ううん、他人の前だととても穏やかで落ち着いて、頼りになる逞しい騎士なんだけれど……うふふ……私の前だと……うふふ……途端に子供っぽくなって……途端に意地悪になって……うふふ……大好き……
「でもホント……すごい景色だな……」
とコックリが目を細める。
うふふ、彼は凄くリラックスした格好で……片足を投げ出し、片足を立ててその上に腕を乗せて……うふふ、騎士っぽくないラフな格好。私の前でだけする素のコックリだ。そう、今この場所には私たちのほかに誰もいなくて……さっきまで街道を求めて山道を歩いていたんだけれど、この美しい泉を見つけて休憩がてら食事をしようってことになったの。
頬の火照りが引いたことを感じた私は、再びストールを降ろした。
「本当に綺麗ね……」
「もう少ししたら落ち葉が落ち始めて、一面が赤や黄に染まるんだろうな……」
「うふふ……こんな綺麗な景色、初めてよ……」
「え? エルフの里も凄いんだろ?」
「うう~ん、エルフの里は常緑の巨大樹が多かったからなあ……」
「ああー、なるほど」
そうなの。エルフの里は常緑の巨大樹が多くって……落葉樹も生えていたけれど、今目の前にあるような森のほぼすべてが広葉樹っていう感じではなかったの。でもエルフの里の湖の岸辺も、常緑の美しさがあったわ……うふふ……
「さーて、腹ごしらえも済んだし、ボチボチ行こうか?」
「え、もう?」
「観光で来たなら俺もいたいが……」 とコックリは周囲を厳しい目で見渡した。
「ん……ゴメン」
そうだった……今回は観光目的じゃなかった……
そう、彼は聖霊からの啓示に導かれ、ある場所へ向かっている途中……つまり、これから怪異が起こっていると思われる地へ行こうとしているんだ……
コックリの表情……少し厳しい表情で……そう、ここに来るまでに『 あること 』が起こっていたのを体験して……おそらく、これから向かう地で怪異が起こり、その余波が各地に来ているんだとコックリは仮定していて……
私は……私だけが気楽な立場で景色を見てしまって……申し訳ない気持ちになった。
と、私の表情を見た彼が私の肩に手を置いた。
「ふふ、シスが気に病むことないさ。それどころかシスはできるだけいつも通り普通に過ごしてほしいんだ」
「え……どうして?」
「ん……オーガーのようにデカくていかつい俺がピリピリしてたら、人々に威圧感や恐怖感を与えてしまうからな……」
「マズイの?」
「良し悪しだね……魔物や悪人からは恐れられるからいいけど、怪異に悩まされている人々からはね……話を聞こうと声をかけても逃げられたり、ビビッてうまく話してくれなかったりするしね。人魚の国では水馬でさえビビッてたし……」
「うふふ、そっか……確かに、初対面だとちょっと怖いかも」
「くく、シスもそうだったもんな。ひどかったよなー、くくく」
「もうっ! そんなこと思い出さなくていいの!」
私は頬を膨らませた。
そうだよ~、最初は私もびっくりしたよ~! しょうがないじゃない、ホントにオーガーかと思ったんだから! 私にとっては、それはコックリに思い出してほしくない記憶で……私、初めて会ったコックリに……大変なことをしてしまって……
「くく……シスとの出会いのシーンを思い出すなと言われてもな……くく、今まで生きてきたなかで……あれほどの扱いを受けたの……くくくっ初めて……」
「もう! もう~~~っっっ!!!」
私は真っ赤になって怒っていた。
コックリがからかうように笑ったものだから……もうっ! もう~っ! とその時……
コックリは私の丸まった頬に優しく手を当てた。
はわわっ
「ふふ。怪異を解決したらさ……しばらく滞在しよう……二人きりで……」
「ふ、ふた……!?」
~~~~~っっっ!!!
私は途端に怒りが霧散して……胸がときめいて……
いや……二人で旅しているから……「二人きり」なのは当たり前で……いつも通りのことなんだけれど……
言葉に出して、そんな風に言われると……
ああ~、私は変に意識してしまって~……
「シスと二人で……二人きりでこの地にいて……この時にしか見られない景色を見て……季節を肌で感じて……心に残したいんだ……」
「~~~~~っっっ!!!」
ああもう、ああもう~っ!
そんなこと想像したら~……
もう私は胸がときめいて、ときめいて……
もう怒っていたのが、嘘のようにひいてしまって……
ああ~
また~~っっ!
またごまかされた~~~~っっっ!!!