世代について
物事を筋道立てて簡潔に、わかりやすく話したり、文章にしたりできる人がうらやましい。
人間にはそもそもそういった論理的な思考能力が備わっているのかもしれないが、残念ながら俺にはその能力は欠けているようだ。とにかく何にしても、予定を立てて計画的に事を進めるという事ができない。ここまで書いただけでも、なんとも取り留めのない、無秩序な文章である。それでも、考えのおもむくままにでも書いていかなければ、俺は結局何も伝えられないのだ。そういうことで、お付き合いいただきたい。
子どもの頃から、現実の世界に対してそれほど期待していなかった。この世に既に存在している何かが自分の心を躍らせてくれる、とは思っていなかった。楽しみは、いつも自分の頭の中から生まれてくるものだった。大抵の時間は独りで空想したり、物語を作ったり、絵を描いたり、人形で遊んだりしていた。友達と一緒でも、スポーツやゲームをするよりも、何かを演じる「ごっこ」遊びをする方が好きだった。友達も、俺の作る話を楽しんでくれていた。
既存の物にあまり期待しない、という傾向は、俺が育った時代がバブル崩壊直後だったということに起因しているように思う。第二次世界大戦で無理矢理ゼロに戻された日本は、アメリカやヨーロッパなどの先進国を目標として経済成長に邁進した。その結果、日本は高度経済成長期を迎え、全ては右肩上がりだった。何にしてもとにかく頑張れば報われる、という時代だった。目標というかお手本も明確に示されていたから、とにかく一本道をがむしゃらに走り続ければ良かった。少なくとも、人々はそう思っていた。その勢いのまま、ある種の直線的な惰性を持って、日本はバブルに突入していったのだ。
ところが、バブルは崩壊した。日本の成長が決して約束されたものではないと人々が知り、目の前に永遠に続くと思われていた一本の道を見失ったところで、俺達は生まれたのである。
ニュースやワイドショーでは毎日暗い話題ばかりが流れていた。映画やアニメは「この世の終わり」ばかりをテーマにしていた。音楽はやたらと同じ人が作った曲ばかり流れていた。うんざりだった。
俺達は大人達にメディアを通して、「この世はどうせ絶望的で、クソみたいにつまらないから、滅んだ方が良い」と四六時中言い聞かされてきたのだ。
俺たちより上のバブル経験世代は、大体お金とか、ブランド物とか、ギャンブルとか、レジャーとか、恋愛だとか、そういうものを愛してやまない。青春時代にそういうものを「良い物」だと教えられ、それを信じて、実際にそういう楽しみを享受してきたからだろう。俺に言わせれば、そんなものは全部クソだ。そして、盲目的に一直線の成長を信じて、世の中に何の疑問も持たずに自分たちだけ楽しんで世の中を滅茶苦茶にしておきながら、いまだにそういうものを愛している彼ら年寄り達を、俺は心から軽蔑する。