龍馬~二つの角を持つ聖獣~
ふと、先程、ルシナリスが言った言葉を、思い出した。
「ルシナリス、そなた、先程、結界内と言わなかったか?」
「はい、リュナンを呼び出す際、小結界を張りました。
リシェア様の姿を拝見して、この者が大声を出すと判ってましたから。」
付き合いが永い事を知らしめる返答に、リシェアオーガも納得する。
今は、日の光の満ち溢れている時間。
光の精霊が、最も結界を作り易い時間である。
リシェアオーガは今後の事を思い、周りの結界を確認した。森を巡る結界は、光と闇、大地と風、水と炎…初めの七神の内、五神の物であった。
弱まっている闇の結界は、破壊神に同化し易いと判断された為、強化されなかった様で、水と炎、風は、最近強化された跡がある。
光と大地はリシェアオーガの影響で、今だけ強くなっているようだったが、彼が離れると強化が必要と判断した。そして、今、此処には、光の精霊のルシナリスと、大地の精霊のリュナンがいる。
恐らく、リュナンは結界強化の目的で、ここにいると思われる。
確認の為、リシェアオーガは、リュナンに尋ねた。
「リュナンは、此処の結界を強化する為にいるのか?」
「そうですが…。」
「?如何した?」
リシェアオーガに問いかけられ、短く切り揃えられた頭を掻くリュナンは、意を決して言葉を綴る。
「どうしても、うまく強化できないんです。以前、ルシナリスも同じ事を言って、ここの結界の強化を、諦めたんですがね…。」
「あの破壊神が暴れ出したので、先送り出来無いのですよ。
だから、せめてもの策で、リュナンが滞在しているんです。」
強化出来無いという事は、その精霊個人と結界の相性が悪いか、その力が不足しているかの、どちらかだった。そのどちらにしろ、解消出来る方法をリシェアオーガは、カーシェイクから説教ついでに教わっていた。
属性の神が、傍にいれば解決する。その神の神子でも可能だと。
思い出した事を実行すべく、リュナンの傍にリシェアオーガは近付き、その手を取る。取られた本人は、一瞬驚いたが、直ぐにその意図を組んだ。
繋がった手から受ける、間違う事の無い大地の気…。
目の前の少年神が、大地の女神の神子である証拠であった。
「リュナン、如何だ?強化出来そうか?」
「はい。大地の神子様。」
リュナンの言葉でリシェアオーガは、自分の中に、大地の気配がある事を再確認した。暫くすると、リュナンが結界を強化し終えたらしく、彼の手を恭しく離す。
それを見届けたリシェアオーガは、次にルシナリスの方へ、手を差し伸べる。
差し伸べられた手を優雅に取ると、ルシナリスも、彼から光の気配を感じた。リュナンと同じように、結界を強化したルシナリスは、名残惜しそうにその手を放した。
「出来たみたいだな。これで、あ奴を葬るまで、保ってくれれば良いが…。」
目に見えない結界を見る様に、虚空を見つめている少年神に、二人の精霊は各々の神の姿を見た。
似ていない容姿の筈なのに、重なって見える神子の姿に、彼等は言葉を失くした。
確かに目の前にいるのは、彼等の神の神子。
姿はそれを否定しているが、流れる血脈は肯定している。
それを感じた二人の精霊は、ゆっくりとその場に跪いた。彼等の行動に気が付いたリシェアオーガは、精霊達に向き合い、不思議そうな顔をした。
「「リシェアオーガ様…我等が神の神子様。
我等に御用の際は、如何か、何なりと御申し付け下さい。」」
「…まだ私は、かの神々の神子と、思えないのだが…。
そなた達は、そう、思うのか?」
「間違い無く、我が神・ジェスク様の神子様ですよ。」
「そうですよ。確かに、大地の神子様あらせられます。俺、確信しましたから。」
断定するルシナリスと、大きな声で意気揚々と答えるリュナン。
二人の言葉に、リシェアオーガから笑みが零れた。
「本当に…そうだと、良いな。」
嬉しそうに言う、リシェアオーガに、二人の精霊騎士は、釘付けとなった。彼等に向けられた笑顔……それは、精霊を魅了して止まない物。
この少年神が、彼等の神の神子という、証拠でもあった。
結界の強化を終えたリシェアオーガは、ルシナリスと共に彼等、一角獣の住まいに戻った。辺りは既に、夕刻に近付いていた。
リュナンは念の為、その場に残る事となり、二人と別れた。リシェアオーガが住居に戻ると、アルフィートが一抱えもある、大きな籠を持って待っていた。
「オルガ殿、こんなにいっぱい、貰ちゃいました♪」
手伝いの御駄賃として、茶色い籠に溢れん限りの果実を、嬉しそうに見せるアルフィートに、リシェアオーガも微笑んだ。
結界が強化された事によって、この愛らしい者も護れる。そう思うと、嬉しくなったが、それも万全では無い事を、リシェアオーガは悟っている。
彼等を護る為には、ここを出て、自らが戦いの地へ、赴かねばならない。と同時に、この愛らしい生き物をここに残し、去る事は気が重かった。
アルフィートと食事を摂り、彼が眠った頃を見計らって、リシェアオーガは別れを告げに、長の許に赴いた。
「長殿は、おられますか?」
リシェアオーガの声を聞き及んだ従者達が、彼を長のアルディオスの許へと、案内してくれる。そこには、先程のルシナリスも一緒にいた。
「何か、用かのうぉ、オルガ殿。」
アルディオスの前に跪き、リシェアオーガは、決意した事を述べる。
「他に用事が出来ましたので、今夜、此処から出ようと思いまして…
挨拶に伺いました。」
騎士が取る礼をし、リシェアオーガは、アルディオスに告げた。
「アルフィートは、この事を知っておるのかのう?」
「いいえ、敢えて、知らせていません。…別れが辛くなりそうで。
如何か、長殿から、アルフィートに伝えて頂けませんか?」
少し考えたアルディオスは、承知したと告げる。
リシェアオーガは優雅な礼をして、アルディオスに礼を言った。
それを皮切りに、彼は踵を返し、アルディオスの住居から出て行く。目的を持った強い眼差しは、進むべき道を真っ直ぐに見据えている。
彼の歩みは早く、ほんの僅かな時間で、集落の端まで来た。最後に振り返ったリシェアオーガは、まだ眠っているアルフィートに詫びる。
『傍に長くいられなくて、済まない。
早く、そなたの探し人が見つかるよう、祈っている。』
心の中でそう呟き、リシェアオーガは再び歩みを進め、森に入って行った。
人の気配が無くなった事に、気付いたアルフィートは、直ぐ様表に出た。まだ星が瞬いている時刻で、外には誰もいない。
置いて行かれたと感じた彼は、必死でリシェアオーガを捜そうとした。
その彼に、アルディオスが声を掛けた。
「アルフや、あの御仁を捜しても、無駄じゃ。
あの精霊剣士殿は、自らの目的を見つけ、ここを出て行った。わし等じゃあ、到底止めれはせぬよ。」
長の声に、アルフィートは悲しげな顔を向けた。
「御爺様、あの人は…何処ですか?何故、私に黙って出て行ったんですか?」
涙を溜め、泣き出しそうな声で告げる孫に、アルディオスは首を横に振る。
「別れが辛いと、言っておったわ。だが、何処へ行くかは判らん。
…今頃は、森の中じゃろうて。」
それを聞くと、アルフィートは、本能のまま走り出そうとしたが、知人であるルシナリスに止められる。
「アルフ、貴方が行って如何するんですか?
貴方は此処で、主を待つのじゃあなかったのですか?」
「行かせて下さい。私はオルガ様の処へ、行きたいんです。」
ルシナリスに抱き留められた、アルフィートは、暴れながらそう口にした。
オルガ殿ではなく、オルガ様と。
アルフィートの、その言葉を聞いたルシナリスは、彼を拘束した手を放した。
「アルフ…まさか、今の言葉は…?」
言われた言葉に、アルフィートも驚いた。今、自分は何て言った?オルガ殿じゃあなく、オルガ様と言わなかった?彼の頭で、そんな思いが駆け巡る。
アルフィートの言葉を聞いたアルディオスは、祖父としてでなく、長として告げる。
「アルフィートよ、我が道を行くが良い。己の求める主の許へ、向かうのじゃ。」
アルディオスの言葉に、彼は頷き、足早にその場から去った。待ち焦がれていた、自分の主の許へと、風を切るように走って行った。
「アルディオス殿、良いのですか?御孫さんを行かせて。」
「良いのじゃ。あれが望むのは、共に戦う主。我等と違う。
あの子が龍馬である以上、わしでも止められないんじゃ。」
しみじみと言うアルディオスと共に、ルシナリスは、アルフィートの去った辺りを、心配そうに見送っていた。
風は過ぎ去り、静けさだけが残った集落には、星が瞬きを与えるだけだった。
森に入ったリシェアオーガは、出口を求めて、更に歩みを速めていた。
以前は木々の精霊で、今は一応、神である彼にとって、夜の森も恐れる物では無い。野生の獣は、彼を襲わない。代わりに、構えと要求する。
だが、今、リシェアオーガは先を急いでいるので、彼等も邪魔をしない。
道を開けてくれ、出口を教えてくれる。
大地の神子である由縁か、昔からそうだった。そんな時、リシェアオーガの直ぐ傍を駆け抜け、行く手を遮る者が出た。
アルフィートと出会う前に現れた、あの野生馬だった。珍しい薄紫の鬣と白い体の美しい馬は、その頭上に一本の大きな角を持っている。
歩みを止め、見つめるリシェアオーガの前で、その一角獣は人の姿になった。薄紫のふわふわな髪、金色の瞳の青年。
「アルフィート…何故、追ってきた?」
ゆっくりとリシェアオーガへと進み、その目の前で跪いた。
「オルガ様…我が主よ。お待ちしておりました。私は戦いに赴く者。
彼等と同じ、一角獣ではありません。
お願いです、如何か、私を連れて行って下さい。」
「人違いではないのか?」
「いいえ、我が主は、貴方様です。私の本能が、そう言っています。
貴方に付いて行きたい、貴方の傍にいたい。…駄目ですか?」
上目使いで、潤んだ瞳を向けられたリシェアオーガは、溜息を吐いた。そんな瞳を向けられると、断るに断れない。
一旦瞳を閉じ、決心を固め、ゆっくり双眼を開く。
「私といると、辛い事が多いかもしれん。それでも良いのか?アルフィート。」
「はい、オルガ様。…アルフと呼んで下さい。」
「では、アルフ、行くぞ。」
微笑を浮かべた力強い眼差しに、アルフィートは頷き、その後を付いて行く。
瞳を閉じた彼から、アルフィートは一瞬、強い気を感じた。
精霊の気でも、人間の気でも無い。
一番近いのは神の気だったが、そんな気を持つ神を、アルフィートは知らない。だが、目の前にいるのは、自分の主。彼が纏う気は、何でも良い。
今は、主が見つかった事を喜ぼう。
アルフィートの心の喜びは、森の闇の静けさに溶けて、柔らかな星々の光に吸い込まれていった。