龍馬~集落の中の異端児~
家族の許から去ったリシェアオーガは、今、深い森の中にいた。
目的を定めず、闇雲に飛んだ結果だった。
落ち着いて、色々な事を考える為の場所を求めて、飛んだのだが、如何せん、場所を定めない飛躍だった為、何処に着いたか、判らなかった。
周りを確認すると、大きな森の中心部分で、人間の居住地から随分離れている。まるで幸せだった頃にいた、リューレライの森の様であった。
何も知らず木々の精霊として、生きていたあの頃…
もう、戻れない頃の、幸せな日々…。
彼等を失ったと思い、自分が犯した罪…人間同士の戦争を仕掛け、幾つもの国を滅亡へと追いやり、世界を混乱に貶めた…。緇龍が言った、破壊神そのものの行動。
「私に…世界の守護神など、務まるのだろうか…。」
溜息と共に、自嘲気味な呟きが、口から洩れる。
罪の償いとして、受けた役目。
未だ彼の心に、世界を護りたいという、強い想いが無い。
護りたいでは無く、護らなければという義務感の想いの方が強く、それが重責となって、彼の心に伸し掛っていた。
そんな事を考えながら何日か、その森を彷徨っていた。行く宛ても無く、只彷徨っている内に、澄んだ大きな泉に辿り着く。
着の身、着のままの状態だったリシェアオーガは、着ていた薄緑の服──精霊の剣士服──を脱ぎ、泉で身を清める事にした。季節は春になったばかりで、森の湖の澄み切った水は冷たかったが、彼にとっては、心地良い物だった。
リシェアオーガの立てる水音が、森の中に響く。余り動物がいないのか、鳴き声一つ聞かない森に、足音が響いた。
何の気配も感じない、馬の蹄の様な音に、彼は警戒し、水面に体を隠す。
姿を現したのは、鞍を付けていない馬。
野生馬と思われる美しい馬は、珍しい薄紫の鬣と、真っ白い体をしている。その馬は、リシェアオーガを見つけると、直ぐに踵を返し、逃げて行った。
ほっとして、水浴びを再開すると、今度は人の足音が聞こえて来る。
先程と同じく感じない気配と、ゆっくりと近付いてくる足音に、再び警戒をし、急いで泉から上がろうとした。
そこへ来たのは、全く装飾の無い、白い長衣を着た青年。
先程の馬の鬣と同じ色の、緩やかに波打つ髪を腰より下に伸ばし、優しげな顔をリシェアオーガに向ける。金色の瞳が彼を捉えると、跪き、頭を下げる。急いで彼の横を通り過ぎ、服を手に取るリシェアオーガだったが、不意に何かに包まれた。
青年が持っていた布が、リシェアオーガの体をすっぽりと包んだのだ。
「お風邪など、召されませぬように。」
そう言って、布に包んだリシェアオーガを優しく見つめる。その声はやや低く、優しさの籠った声だった。
「はじめまして、木々の精霊殿。私の名はアルフィート、この森に住む者です。」
掛けられた挨拶にリシェアオーガは、体を包まれた布で拭きながら、挨拶を返す。
「初めて、御目に掛る、私の名はオルガ。
剣の修業の途中で、この森に立ち寄った。故郷の森と似ていたので、懐かしくなって…ついな。」
リシェアオーガ神という事を、知られたくなかった彼は、咄嗟に偽名を使った。余り捻った名前ではなかったが、判らないならそれで良いと思った。
彼の期待通り、青年・アルフィートは、そうですかと微笑みならが答える。
それならと、彼はある提案をした。
「ここから少し行くと、私達の住まいがあります。
暫く、そこで過ごされては、いかかですか?」
「…私の言う事を、信じるのか?警戒はしないのか?」
余りにも素直に対応され、しかも、自分達の住居まで、案内すると言われたリシェアオーガは、眼の前の青年を心配して、思わず尋ねてしまう。
「警戒ですか?ああ、ここに来られるという事は、悪意がない証拠ですよ。この泉の周りには、結界が張ってあって、悪意のあるモノを寄せ付けないんです。
勿論、この森の周りにも、同じ結界があります。オルガ殿が、何事も無く来られたのなら、貴方に悪意はないと、判断出来ます。」
断言するアルフィートに、リシェアオーガは驚いた。そう言えば、結界のような物があった気がしたが、弾かれず、素直に受け入れられたのを思い出した。
何事も無く通ったので、特に気にはしてはいなかったのだ。
リシェアオーガがの着替えが、終わったのを見計らって、アルフィートは、さあ、行きましょうと手を伸ばした。にこにこと、笑いながら伸ばされた手に、彼は困惑した。
躊躇していると、アルフィートの方が、強引にリシェアオーガの手を取り、それを引っ張って進み出す。
「この方が途中で迷わなくて、済むんですよ。」
そう言って握られた手の暖かさに、リシェアオーガは少し安心した。と同時に、自分の事を案じているであろう、半身…彼女の事が思い出された。初めて知った、家族の手の暖かさ…自分と双子の兄弟、半身のリルナリーナの手の暖かさ…。
他の木々の精霊達の手は、少々冷たかったが、兄と呼んでいた精霊・アンタレスの手は、神の祝福がある所為か、少し暖かかった。それを考えると、このアルフィートと名乗る者には、体温がある事が判る。
普通の木々の精霊では無いと、リシェアオーガは気付いた。
だが、何者だと、問う事は止めた。
自分自身、正体を隠している身故の、保身だった。
暫く歩くと、開けた場所が見えた。ちらほらと見える、白い住居のような物と、アルフィートと同じような長衣を着た人々。
彼等は、アルフィートとリシェアオーガの姿を見定めると、同族であるアルフィートに何か言っている。小声で言っているので、リシェアオーガの耳には届かなかったが、相手の表情で、アルフィートが怒られている事が判る。
彼は、仲間の言葉に耳を貸さず、真っ直ぐにある所を目指し、歩みを進める。
一際大きく、真っ白な住居に、リシェアオーガを伴ったアルフィートは、何の躊躇もせず、ずかずかと入って行く。
住居の中にある物は、緑の飾りの無い絨毯に、大きな茶色の背もたれ。
そこには沢山のクッションが置かれ、壁には幾重も白い薄布が、カーテンの様に掛っている。その中心には白い髭を長く、たわわに蓄え、白く長い髪の老人が、二人の従者を従え、絨毯へ直に座っていた。
顔のは多くの皺が刻まれ、瞼は分厚い眉毛と皺で隠され、瞳は見えないが、威厳に満ちた雰囲気の老人に、リシェアオーガは、精霊の長の姿を重ねていた。同じような容姿で、座っている老人に懐かしさを感じたが、傍にいる二人の声に現実に戻される。
「アルフィート、お前、証拠にもなくまた、人間を連れて来たのか…。」
「再び、この場所が、危険に晒される事になるぞ。早く、その人間を外に出せ!」
強く言い放つ彼等に、あの老人が制止を掛けた。
「お前達…先走った事を、口にするでない。この方は精霊じゃ。
失礼仕った、聖なる木々の精霊殿。
ここは閉ざされた大地。滅多に人間が入れぬ場所故、警戒をしておるのじゃ。
おお、言忘れておったわい。
わしは、ここの長を務めておる、アルディオスと申す。」
「初めまして、私はオルガと申します。
アルディオス様は、何故、私が精霊だと、御判りになれたのですか?」
「その髪と瞳…それと纏っている気が、あの者達と同じだからじゃ。それに、ほれ、その剣じゃ。お主の剣は、聖なる木々の精霊が持つ物だからじゃ。
と、……おおぅ、そうじゃ、わしを呼ぶ時は様は、要らんからな。長か、じいちゃんで良いからのう。」
「長…威厳がない呼び方は、推奨出来ませんよ。」
「ほうぉ、そうじゃったかな?」
そう言われたリシェアオーガは、更に懐かしさを覚えた。
あの長の事を、じっ様と呼んでいた。口調も、目の前の御仁と同じ。
「じっさ…いえ、長殿。
余所者の私が、ここの長を呼ぶのに、敬称無しとはいきません。ですから、長殿と、呼ばせて頂きます。」
つい、じっ様と呼びそうになり、慌てて訂正する。
彼の態度に仕えている者は感心し、長は不服そうな顔をした。内心リシェアオーガは、このアルディオスがこんな所まで、あの長に似ていると思った。
懐かしいじっ様……今は、大地の神・リュース神を祀る神殿の、守護精霊を纏める、長となっている元木々の精霊。
会いに行こうと思えば行けるが、今のリシェアオーガの家族は、彼等では無い。本当の家族と馴染まないままで、そこに行く事は出来無いと感じている。
自分の本当の家族にも、あの精霊達にも、心配を掛ける事になると、リシェアオーガは考えていたからだ。
リシェアオーガの様子を見ながら長は、アルフィートに、リシェアオーガの世話を命じた。自分で連れて来た者の世話位、やれという事だった。
喜んで引き受けるアルフィートに、一抹の不安を覚える長であったが、相手が精霊なら、取り越し苦労だと思った。リシェアオーガを伴い、喜んで住居を出るアルフィートの姿に、ぽつりと、本音を漏らしてしまった。
「アルフィートで、大丈夫かのぉ。あの御仁に、迷惑を掛けねば良いが…。」
長の漏らした本音に、従者達は苦笑した。何時もの事であったが、如何せん、年若い精霊に同情をしてしまう。
それ程、アルフィートと言う者は、問題児であるようだ。




