安らぎの場所 後編
何度目かの目覚めを迎えたオーガは、まず、自分が何処にいるかを、確かめる事にした。大概は、父親の腕の中であったが、極偶に寝台の上で、母親の腕の中にいる事もある。で…今回は、例に漏れず、父親の腕の中。
椅子に座った状態で、眠った事は覚えていたが、今もその状態でいる事に慌てた。
「父上…重くないですか?」
目覚める度に、口にしてしまう台詞に、返される言葉も同じ。
「全然重くないぞ、寧ろ、軽い方だ。…そんなに父の鍛え方を疑うのか?」
困った顔で答えられ、大いに首を振る遣り取りを、母親と兄弟は微笑みながら見ている。彼等の様子に気が付き、無言で佇むオーガを、父親は優しく抱き直す。
何時もと同じ行動に身を委ね、次に訪れる眠りの波に備えていた。
それを繰り返し、やがて起きている時間が徐々に多くなり、体も少しずつ動かせるようになると、一人の人物が、彼等の前に現れた。
「初めまして、リシェア。私の名は、ファース、御義父さまに言われて、貴女の体調を看に来たの。
……今、起きていられる?」
柔かそうな薄桃の髪と、心配そうな紅い瞳に目を奪われたオーガは、暫し彼女を見つめていた。
返答の無い反応に、彼女は手平をオーガの前で振った。振られた方は一瞬にして我に返り、先程告げられた事を質問する。
「え…っと、ファース様?あの…御義父さまって、誰ですか?
僕の体調を看にって…如何して?」
「御義父さまは、貴女の父さまの事よ。私は、貴女の兄の妻ですもの。
それとリシェア、様付けと敬語は禁止。
普段の喋り方で、呼び方は義姉さまでいいのよ。体調を看に来たのは、御義父さまと御義母さま、カーシェが心配してるからよ。
もう一度聞くけど、起きられる?」
再び尋ねられ、頷いて父親の膝から降りようとするが、父親にがっしりと抱かかえられたまま、動けなかった。
「ファー、このままで、看る事は出来ないか?」
オーガの頭の上から尋ねられ、笑いながら彼女は答える。
「出来ますわ。御義父さまって、カーシェ、そっくり。まあ、やっと帰って来た義妹…御義父さま達の実子ですもの、構いたくて仕方が無いのも判りますわ。」
妹扱いに面食らい、兄と父の行動が似ていると知ったオーガは、兄への思いが募る。ファースに手を取られ、体の様子を見られながら、つい、質問をしてしまった。
「ファースさ…いえ、義姉上、あの…兄上って、どんな方…えっと、人なの?」
相手が神と判っている為、敬語が出そうになるが、先程の注意を思い出して、なるべくリーナと話すような口調に直す。
その様子を、可愛らしく思ったファースは、微笑みながら告げる。
「そうね、カーシェは、御義父さまと同じ様に、家族を溺愛するの。リシェアが今、御義父さまからされてる事を、同じ様にカーシェもするでしょうね。
後、あの人は本の虫だから、読んでる最中は何をしても、気付かないの。役目柄、仕方の無い事だけど、もう少し何とかなればとは、思ってるのよ。」
夫の事を思いだしながら、更に微笑みを深くする彼女へ、オーガは見入っていた。
そんな彼に、父親が話し掛ける。
「リシェアは、カーシェが余程気になるみたいだな。
まあ、そなたの体調が戻れば、直ぐにでも会えるぞ。」
父親の言葉に、目を輝かせ、本当?と聞くと、頷きと共に注意をされた。
「本当だとも。だが、その前に、ちゃんと体を治す事。
ファー、リシェアの具合は如何だ?」
「力の回復が後もう少しで、完全になるのですけど、体力の方が全くて言って良い程、回復していませんわ。早くて3・4日、遅くても一週間丸々、掛るでしょうね。
…リシェア、大人しくしないと、カーシェに会えないわよ。」
止めとばかりにファースから、兄に会えない事を告げられると、動く事を諦めて、父親の胸に頭を寄せる。兄に会いたいが為に、動くのを我慢する彼へ、失笑が起こる。
「全く、リシェアは…会ってもいない兄に、懐き過ぎるな……。
少し、カーシェに、嫉妬してしまいそうだ。」
「だって、仕方ないわよ、お父様。
オーガにはお兄さんしか、いなかったんだから。
実のお兄さんと聞いて、興味が出ない訳ないわ。でもね、オーガはちゃんと、お父様達に甘えてるんだから、そんなの、気にしなくて良いの。」
双子のもう片方である、リーナの意見を聞き、周りが納得する。当の本人は、暴露された本音に文句を付ける。
「僕は、そんなに甘えていない!!」
父親の膝の上で、断言された言葉に、リーナは反論をする。
「え~、だって、オーガってば、寝ている時には、必ずお父様か、お母様にしがみ付いてるもの。それが、甘えている事じゃあないの?」
「寝ている時って…そんな時の事じゃあ、そう言えな………。」
更なる否定を言おうとして、父親の手に阻まれる。何時の間にか父親の胸から、頭が離れていたらしく、大きな手で引き寄せられ、再び密着する。
「リシェア、そなた達はまだ幼子故、両親に甘えるのは当たり前だ。
リーナ、羨ましいからって、リシェアをからかうのは止めなさい。」
「…そんなつもりじゃあ…ないの。
オーガって、家族に甘える事に対して、抵抗があるから、遠慮しないでいいんだって、意味だったの。今までは私が、お父様達を独占してたから、今度はオーガの番だって、言ったの!!」
片割れの、意外な言葉にオーガは驚き、薄らと微笑んだ。
「有難う、リーナ。……父上、もう少し、このままでいて、良いですか?」
遠慮がちに言うと、父親からでは無く、義理の姉から駄目出しが出る。
「リシェア、駄目よ。もっと、子供らしい言い方で、御義父さまに言う事。
もう一回、遣り直し。」
言われた言葉に驚き、上目使いで父親を見る。優しそうな微笑を湛えた父が、期待に満ちた瞳で、我が子を見る。
「……ジェスクさ…ま…じゃなくて……
父様?えっと、このままでいて…いい?」
目の前に居るのは、七神の一人では無く、自分の父親だと言い聞かせて、オーガはやっとの思いで、この言葉を継げる。我が子の言い草に、増々機嫌の良くなったジェスクは、腕の中の我が子を抱き締める。
暖かい光の気配に包まれたオーガは、その中に愛情という名の想いを感じる。
愛おしい我が子が、やっと帰って来た、この子を離したくない…そんな、父親の感情を受け、オーガもその背に両手を回そうとした。しかし、体力が未回復の状態では、それも出来ず、その胸に顔を埋めるだけであった。
「父様、母様…心配掛けた上で、大それた事を仕出かして…御免なさい。
僕は…罰が下るまで、傍にいます………でも……出来れば、ずっと、ずっと、傍にいたい……父様と母様、兄様と義姉様…リーナの傍にいたい……。」
漏れてくる言葉に、オーガの目からも涙が流れ出す。
やっと、家族の許へ勝って来たのに、自分の犯した罪の為、受ける罰により、彼等から離れる事を嫌だと思う。
彼の様子に気が付いた父・ジェスクは、優しく声を掛ける。
「リシェア、罰の事なら、気にするな。我等も、そなたを手放す気は無い。
只…今は、こうやって、体を休める事が大切だ。自分の犯した罪を自覚しているのなら、重い罰は下らないと…思う。」
「ジェスの言う通りだ。
リシェアいや、オーガだったな、今は何も気にせず、養生をしろな。」
父親の言葉が終るや否や、聞き覚えの無い声が、オーガの耳に届く。そちらに目を向けようとするが、父親の抱き締める力が強くて出来無かった。
だが、声の主がいる方向から受ける、神の気配は、風と似ているが、違うと感じた。
「…ラールか、何用だ?」
父親が呼んだ名で、気配の持ち主が空の神だと判った。未だ、強く自分を抱き締める父が、警戒を顕にしていた。
「何用って、お前んとこの、チビ達の様子を見に来た。
リーナは…怪我も治ってるようだし、大丈夫そうだが……ジェス!お前、そんなに強く抱いたら、リシェが潰れるだろうが!もう少し、加減しろ!!」
空の神の叱咤で、父親の腕の力が緩み、オーガは漸く声がする方へ、顔を向ける。
そこには右半分が金髪、左半分が黒髪で、父親より細いと感じる男性が、少し怒ったような顔で、佇んでいた。
彼はオーガの視線に気が付くと、途端にその表情を優しい物に変える。
「やっと、起きたみたいだな。だが、その様子だと、体が思う様に動かせないみたいだし、まだ無理をするなよ。
それと、、リシェ、随分、寂しかったんじゃあないのか?」
優しい声と視線に、オーガは驚きのあまり、空の神を見つめる。すると、彼から手が伸び、オーガの頭を優しく撫で始めた。
何故、こんな事をされるか、理解出来ない幼子は、彼から視線を外せないまま、質問を投げ掛ける。
「クリフラール様、何故、ぼ…いえ、私に優しいのですか?」
幼子の問いに撫でる手が止まり、微妙な表情へと変化する。そして、視線をオーガの頭の上、即ち、父親である光の神へ移動させる。
「……ジェス……お前、まだ言ってなかったのか?!全く、やっと帰って来たリシェを、構う事だけに専念して、重要な事を言い忘れるな!!」
クリフラールの言葉に、ジェスクも反論する。
「言い忘れていた訳では無い。今までこの子は、今日の様に、長く起きている事が無かったから、言う機会を伺っていただけだ。」
ジェスクの言葉を聞いて、幼子に視線を戻す。抱きかかえられたまま、微動だにしない様子に、体力と力の消耗が激しかった事を悟る。
そして一つ、溜息を吐いて、続きを話す。
「そうか…起きれなかったんじゃあ、仕方が無いな。
あれだけの事を仕出かしたんじゃあ、疲れ切って当たり前だしな……。
まあ、此奴の代わりに、俺が教えておく。リシェ、機会が無くて、この馬鹿から教えられなかったらしいが、俺はお前にとって、伯父に当る。」
「…伯父?…伯父上なのですか??」
オーガの質問に頷いたクリフラールは、説明を始める。
「一応な。お前の父親であるジェスは、俺にとって、厄介な弟に相当する。
まあ、似ていないのは当たり前だが、同じ神から生まれたから、兄弟って、言っても過言で無いぞ。ちなみに、母親のリューも、俺にとっては妹だからな。」
初めて知った七神の繋がりを、オーガは不思議そうに聞いていた。彼の様子で、何を思ったのか、クリフラールはオーガの両脇に手を入れた。
そして、赤子を抱き上げるかのように、軽々と彼を持ち合上げ、視線を合わす。
何かを探る様なそれに、居た堪れなくなった頃、空の神は口を開く。
「……まだ、立てる程、体力が戻っていないな。
人間の様に、筋肉の衰えが無いから、ましだが……リシェ、ジェスの様に、少し良くなったからって、直ぐに動き回るなよ。」
さり気に釘を刺され、そのまま元の父親の腕の中へ返される。
そして、再び、頭を撫でられた。
「思った以上に、回復の速度が遅いな。精霊の気を纏ってる所為か?
己の身を護る為に、本能で纏った気が、戻せないみたいだな。まあ、これだけ幼ければ、仕方ない事だけどな。」
優しく触れられる事で、オーガの瞼が一段と重くなっていく。何時もの眠りが襲ってくると、そのまま父親の腕の中で眠ってしまう。
「おや?また眠ったみたいだな。
……可愛らしい寝顔だな……リューの寝顔にそっくりだ。
お前に似なくて、良かったな。」
前と同じ事を、しみじみと言うクリフラールへ、今度はジェスクでは無く、リュースが反論じみた言葉を返した。
「ラール、この子の寝顔は、ジェスにも似てますよ。
私の傍で、安心して眠っている姿、そっくり。
……初めて会った頃の、ジェスの寝顔を思い出すわ…。」
懐かしそうに微笑む妻に、ジェスクは何も言えなくなり、紅く染まった顔を隠す様に俯いている。
「…御馳走様…ジェス、リュー、あまり、見せつけるなよな。
俺やリダ、カーシェ達なら兎も角、まだ独り身の者には目の毒だ。」
ちらりと、リーナを見るクリフラールだったが、彼女はその視線を、キョトンとした顔で受け止め、
「伯父様、お母様とお父様のこれは、何時もの事だから、私は慣れっこよ。…羨ましいとは思わないけど、夫婦ってこんなものでしょ?
いいなとは思うけど、私には無縁の物だわ。」
暗に、相手を必要としない、両性体だという事を主張する彼女へ、クリフラールの残念そうな目が向けられる。
「良いか、リーナ。お前も何時かは、此奴らと同じになるんだ。だから…」
「伯父様、私、オーガがいればいいの。
家族以外の、他の人…伴侶って言うの?は要らないの。
オーガと、お母様達がいればいいの。」
幼い子供らしい答えに、クリフラールは溜息を吐いて、言葉を零す。
「まだお前は、幼子だったな。姿がこんなんだから、忘れてた。」
目の前の少女が、まだほんの十数年生きただけの、幼子だという事を思い出したクリフラールは、詳しく説明する事を止めた。
だがこの先、永遠に、彼女のこの言葉が、不変の物になるとは、この時、誰も思わなかった。
それから数日後、やっと体力が回復して、自分自身で動くことが出来るようになったオーガは、父と母から新たな名を貰った。
両親が付けた本来の名と、精霊が付けた名を合わせた物、リシェアオーガという名が、これから先、彼の真の名となる。
未だ慣れないリシェアと言う呼び名に戸惑いながらも、体力が戻った事により、彼は、実家と言うべき屋敷へ帰る事となる。
新たに会う、実兄との出逢いに胸を躍らせながら…………。




