森の精霊剣士 前編
リューレライ森の中では何時もの様に、動物達がオーガの周りを囲んでいた。
何時も簡素な服装と違う剣士服のオーガに、不思議そうな態度で集まっている彼等へオーガは言葉を掛ける。
「今日は遊んでられないんだ。長にシェンナの森まで、お使いを頼まれているからね。」
そう言うと彼等は、オーガの言葉を理解したのか案内を始めた。草食、雑食、肉食を含む幾種類かの動物が先導をし、後ろを護るかのように肉食の動物がオーガの後を付いて行く。
彼等は入れ替わり立ち代わりしながらオーガの案内と護衛を務め、リューレライの森の出口までそれは続いた。野営でも彼等は、オーガを護る様に傍を離れなかった。
何時もの事ながらこれだけ懐かれる理由も判らず、お礼をしようとすると彼等は要らないとばかりに、オーガの許を離れて行く。
まるで、オーガの手伝いが出来る事を嬉しいと言わんばかりの態度に困惑する。仕方無いので、彼等が入れ替わる度に感謝の言葉を掛けていた。
そんなこんなをしている内に、やっとシェンナの森に辿り着く。森の入り口で動物達は、役目が終わったとばかりにオーガの傍から離れ、元の森に帰って行く。
シェンナの森とリューレライ森の境界には小さな草原が広がっていた。青々とした草原は葉の長い草が広がり、風にその葉を揺らされている。
足元の土は少し柔らかく黒々としていて、一目見ても肥沃な土地と判る。まだ花の季節では無いらしく葉だけが広がり、その青々とした香りを広げている。
草原の向こうに見える森の入り口へ、オーガは急いだ。隠れる場所が無い所で、己の姿を晒すのは、本能的に危険だと感じたからだ。
急ぎ足で着いた森の入り口はリューレライの森と変わらず、生い茂った木々が彼を迎えてくれた。
シェンナの森に入ると今度は、その森の動物達がオーガを待ち構えていた。
彼等はオーガの姿を見つけると、リューレライの森の動物と同じく彼の案内と護衛を始める。自分のいた森ならいざ知らず、他の森の動物までも懐く事に驚いた。
だが、直ぐに精霊達が言っていた言葉──神々に愛された精霊──を思い出し、納得する。ここまで懐かれるという事は、そうとしか思えなかったのだ。
彼等に先導されたオーガは、シェンナの森の集落傍まで行き着いた。
シェンナの森の集落の傍には精霊が一人、佇んでいた。リューレライの森の木々の精霊達と同じ、緑の髪と瞳の男性…。
腰に剣を携え、剣士の格好をした長身で肩に届きそうな長さの髪で程々の体格の精霊は、オーガの姿を見つけると走り寄って来る。
「…リューレライの森の精霊・オーガ君か?」
「はい、そうです。」
レナムやアンタレスと同じ年くらいに見える精霊は、オーガの答えに微笑んでから彼へと話し掛ける。
「初めまして。リューレライの森の長とレナムから聞いているよ。君、剣の腕前が凄いんだってな。
俺はランナ。一応、ギルド剣士だけど、今は休暇中だ。」
ランナの言葉にオーガは反応し、尋ねた。
「こちらこそ、初めまして。ランナさんって、ギルド剣士なんですか?
じゃあ、アンタレスって名の剣士を知っていますか?」
「ああ…って、アンタレスの弟って…もしかして君?」
はいと素直に答えるオーガにランナは拳を強く握り、妙に喜んでいる様だ。その様子をオーガは、不思議そうに見つめた。
彼の視線に気が付いたランナは、我に返って話を進めた。
「レスの奴、良く弟自慢しててな~。
一度、会ってみたいと思ってたんだ。う~ん、可愛い♪」
そう言って、オーガの頭を撫でるランナの様子でオーガは、アンタレスが自分の事を何て言っているか想像が付いた。恐らくは、【可愛い弟】だろう。
案の定ランナの態度は、それに尽きていた。
そんな折、ランナの後ろから声が掛った。
「ランナ、そこで何をしているのですか?」
低めの男性の声が響き、ランナが振り返る。そこには丈が長めの極薄い緑の上着に同じ色のズボン、深緑の折返し長靴を身に付けた、年の頃はランナと同じ位に見える人物がいた。その人物が身に着けている服の裾模様には葡萄の装飾があり、雰囲気は只の剣士と言うより騎士と言った方が良い物だった。
緑の髪は肩より長いらしく後ろで括られ、そのほっそりとした顔には鋭い光を持つ、鮮やかな緑の双眼がある。釣り目では無いのだが、厳しい表情で彼等を見ている。
「あ…悪い、ランシェ。
リューレライの、森の精霊が来たんだ。これから案内するんだよ。」
「リューレライの精霊?…何故、あそこから?」
「長から、お使いを頼まれました。」
正直に話すオーガにランシェと呼ばれた精霊は、少し警戒を緩めたらしい。ゆっくりとオーガに近付き、何かを確認すると不思議そうな顔をした。
そして右手を伸ばし、オーガの左頬に触れる。
「あああ~、ラン、ずっこい!俺だってまだ触れてないのに~。」
「五月蠅い、静かにしなさい。」
ランシェの思わぬ行動で素の態度に戻ったランナが抗議をするが、一喝されて黙ってしまった。
オーガはと言うと、ランシェに触れられたまま彼等の遣り取りを見るしかなかった。緑の双眸は、オーガの何かを確認すると彼と見つめる状態になる。
何事かと思ったオーガは、不安よりも疑問の眼差しを彼に向ける。向けられた本人は気にもせず、不思議に思った事を口にしていた。
「本当に、木々の精霊ですか?」
問われた言葉に驚きながらもオーガは、素直に頷いた。
生まれてこの方、そう問われた事は無く、極当たり前に精霊として育った彼は、何故そう問われるのかが全く判らなかったのだ。そんなオーガの疑問に気付いたランシェは、触れていた手を放して答える。
「いえね…君から、大地と光の気配がするのですよ。普通の木々の精霊でしたら、この二つの気配が同時に感じる事はありえないのでね。」
「…みんなから、神々に愛された精霊と言われた事があります…。」
ランシェの言葉で思い当たる事をオーガは、頼りなさげに小さな声で告げる。彼の言葉にランシェは、暫く考えていたが、ま、良いでしょうと言って納得した様だった。
「私の名は、聞いての通り、ランシェ、こっちはランナ…一応、血族ですよ。」
「オーガです。…一応、血族って…?」
「ああ、ランシェは、俺の大伯父で、緑の…って痛て~。」
思いっ切り、拳骨を頭へ喰らい、ランナはその場で悶絶していた。
余計な事は言わない事と言うかの如く、追加の拳骨を浴びせて掛けているランシェを見てオーガは呆然とする。
「ランナ、言い加減、その口の軽さを直しなさい。
ああ、オーガ君、これは何時もの事なので気にしないで下さい。私達の紹介は、長の所で改めてさせて頂きますよ。さあ、案内しましょうか?」
微笑みながら言葉を告げるランシェに、先程の表情のままでオーガは頷く。
障らぬ神に祟りなしと判断したのだ。
まあ、瞳が笑っていないランシェの微笑を目の当たりにして、怖かったとも言えよう。この為、無言で彼等の後を付いて行った。
彼等に案内され、シェンナの森の長の所へオーガは赴いた。リューレライの所とあまり変わらない、草で出来た住まいの中にその人物はいた。
肩までの長さの真っ白な髪で短い髭、紫の瞳の老人が傍で佇み、緩やかに波打つ肩までの薄緑の髪と深い緑の瞳を持つ50代位の男性がど真中に座っている。
長老らしい老人は、飾りっ気のない真っ白な長衣と小さな葡萄の額飾り、左腕に神の祝福の金環をを着けている。
優しげな雰囲気の老人とは対照的な、長らしき熟年の男性は、緑の短衣に深緑の長めで裾に葉っぱの模様がある上着を羽織り、厳しい目をしていた。
傍らには剣が置いてあり、その体格も剣士らしかった。厳つい顔立ちの長が、ランナとランシェに気が付くと怪訝そうな顔をするが、後ろにいたオーガを見るとその顔から険が無くなる。
「ランナ、ランシェ殿、出迎え御苦労だった。
…オーガ君だね。リューレライから、ようこそ。私は、ここの長・フォルンだ。こっちの御方は、長老のバザレムだ。
遠路だっただろう?疲れていないかね?」
低く太い声で前半は厳しい口調、後半は優しい口調で話す長にランナ達は苦笑し、オーガは驚きながらも挨拶を返す。
大丈夫ですの答えにフォルンは微笑み、近くに寄る様、促した。
相手が他族の長という事で、つい緊張したオーガは、長に近付いてリューレライの長からの手紙を手渡した。フォルンは、丁寧にそれ受取ると、
「御苦労だった、オーガ君。暫く休んでくれ。
ランナ、彼をお前の所で預かってくれないか?」
と、声を掛けた。嬉しそうに頷くランナにランシェは頭を抱え、フォルンに進言する。
「フォルン殿。ランナでは到底務まりませんよ。誰か、他の者が適任でしょう。」
溜息交じりで言うランシェに長は、お目付け役を頼んでいる。それならばとランシェが納得すると今度は、ランナが不満そうな顔をしていた。
そんなランナを一睨みで黙らせたランシェは、オーガの方に向き直り、先程しなかった自己紹介を始める。
「改めて、初めまして。
緑の騎士として、地の神・リュース様に仕えているランシェと申します。この…未熟者で甥のランナ共々、お世話させて頂きますね。」
「…あ…初めまして、オーガと言います。ええっと、宜しくお願いします。」
初々しくぺこりとお辞儀をするオーガにランナは身悶え、ランシェは微笑みかけるが、その後で傍らにいる甥へ鋭い突込みを入れる事を、緑の騎士は忘れていなかった…。
「かなり心配ですが、ランナ、オーガ君を我が家へお連れしてあげなさい。私は少し、長と話がありますから。」
そう言ってランナとオーガを送り出したランシェは、フォルンに向き直す。真面目な顔に戻ったフォルンにランシェは、疑問に思った事を尋ねた。
「フォルン殿。あの子は一体、何者ですか?」
「如何いう事だ?」
「フォルン殿は、気付きませんでしたか?あの子の内には、強い大地の気配と光の気配があります。……普通の木々の精霊ではありえませんよ。」
ランシェの言葉に、ああ、そうかとフォルンは呟いてから事の次第を話した。
「実は、あの子は…リューレライの森の養い子だ。今は精霊の気を纏っているが、本当は人間らしいと話には聞いている。
…そうか、元は金髪で青い瞳と言われていたが、光髪だったのか。」
一人納得するフォルンにランシェは、思わず拳骨を入れていた。直ぐに頭を押さえたフォルンの、抗議の声が上がる。
「ひでぇ~、痛いてぇじゃあか、ラン兄!」
痛さのあまり昔の言葉使いと呼び方になるフォルンに、ランシェは応戦した。
「フォー…この大馬鹿野郎!そういう事は先に言え!
変な警戒をしてしまったじゃあないか!!」
と、こちらも昔の口調に戻っている。そう、彼等は幼馴染であった。
兄貴分がランシェで、その弟分らしい遣り取りが始まり、それを見守っていた傍らの長老は溜息を吐く。
長として後を継いだフォルンだったが、未だにこの幼馴染の緑の騎士相手では口でも力でも敵わない。だからと言ってランシェも好き勝手はせず、ちゃんと立場を考えて行動してくれていた。
だが、たまにこうやって遣りあう二人は、長老にとって頭痛の種である。
「ランシェ殿も、長も、いい加減になされませ。
それ以上大きな声を出されると、他者にも聞こえますぞ。」
何時も通りに窘めると二人は直ぐに、言い争い(?)を止めた。申し訳ないと長老・バザレムに謝る彼等へ、彼は追加の言葉を掛ける。
「あの子は、この事を知らないのでしょう?でしたら、先程の御二方の遣り取りが他の者に聞こえ、あの子の耳に入ったら如何するのですか?
何れは教えなければいけない事ですが、今はその時ではありませんよ。
長も、ランシェ殿も、御自重なさいませ。」
バザレムの言葉に二人とも頷く。昔から2人の止め役であったバザレムの言葉に、彼等は逆らわなかった。賢者としても慕われているバザレムの言葉は、的を射ている上に真実を告げているのが常だ。
生まれながらにして大地の神・リュース神の恩恵と、それに加えて、知の神・カーシェイクの祝福の金環を受けている者ならではの行動であった。