精霊達の悪夢 後編
王宮を囲む国民による兵力は、出陣の時を今か、今かと待っていた。
二つの軍勢に別れる際、バルバートアは、もう片方の軍勢に所属した親友と弟、知己の精霊騎士達に話し掛けた。
「べルア、ハルト、レア様に、ランシェ様。
如何か、オーガを、弟をお願いします。」
託された願いに彼等は頷き、必ず助けると返事を返す。これを聞いたバルバートアは、安心して、己の陣営へと返って行く。
彼の姿を見送り、ハルトべリルが溜息を吐く。
「兄上は…全く、この期に及んでも、あの子の心配をするとは…。」
「まあ、そこがバートの良い所なんだけどね。
しかし…私達に、オーガ君を助けられるのかな?」
元近衛騎士達の会話に、精霊騎士達も加わる。
「べルア、助けられるのではなく、助けるでしょ?
私達はバートから、頼まれたんだから、ちゃんとそれに答えなきゃね。」
「レアの言う通りです。
私達もアレィから頼まれていますし、ジェスク様もいらっしゃいます。私達の手で、オーガ君を邪気から助けましょう。」
精霊騎士達の励ましに、アーネベルアとハルトべリルも頷く。
そんな彼等の方へ、呼び声が耳に届いた。
「緑の騎士のランシェは、どこ~?」
「あら、フレィ。シェラの緑の騎士は、あそこよ。」
紅の少女と緑の女性の声が聞こえ、その場へ赴く。紅の少女は、目的の騎士を見つけ、ほっとした顔になる。
「リュース様、フレィリー様、私の何か、ご用ですか?」
ランシェの問いに、フレィリーが真剣な顔で、答える。
「あのね、ランシェは、あの子の…オーガって子の本体が、何処にあるか、知ってるでしょ?案内して欲しいの。
もしかしたら、その木に何かしないと、いけなくなりそうなの。」
「判りました。……フレィリー様、若しかして、ここに、ギルド剣士もいますか?」
何かを感じたランシェが尋ねると、いるわ♪と、明るい返事が返る。途端、緑の騎士の目が厳しい物に変り、見つけた気配を捕まえた。
「如何して、お前が此処にいる?」
首根っこを掴まれたのは、緑の騎士に似た精霊剣士。
見つからない様に、隠れた心算が、甘かったようだ。
恐る恐る顔を上げ、作り笑いを浮かべる剣士は、人違いだと告げるが、ランシェの顔が更に厳しい物となった。
「ランナ…ここに何故来た?ギルドからの依頼とは言え、お前の力じゃあ、無理だと、判断出来なかったのか?!」
「……判ってるけど、じっとしていられなかったんだ。
あのオーガ君に、関係する事だろう?
長も心配してたし、丁度、ギルドで、この事を聞いて…来ちゃった。」
ランナと呼んだ剣士へ、何時もの通りに頭へ鉄拳を食らわせると、そのまま神々の許へ、首根っこを掴んで、文字通り引っ張って行く。
「御見苦しい所をお見せしまして、申し訳ございません。
先程の件ですが、この馬鹿…いえ、私の甥の息子に任せても、良いでしょうか?此奴…いえ、この子も、場所を知っていますから。」
身内使用の口調を正しつつも、前線を回避させようとする大伯父に、ランナは不服そうにしたが、話し相手を見て驚いていた。
緑の蔦と、葡萄の房の縁模様がある黒い長衣と、只白いだけの肩掛け、そして…緑の長毛の髪に、紫の瞳の女性…。
彼等の神である大地の女神が、大伯父と話していたのだ。
彼女の視線が、ランナへと移る。
「あら?ディルのお孫さんね。じゃあ、お願い出来るかしら?
勿論、他の精霊騎士と共に、フレィを護ってね。」
自分達の神のお願いに、木々の精霊剣士は頷いた。
大伯父の言葉だけなら断っていたが、敬愛する大地の女神からのお願いには、断る気が起きなかったのだ。然も、炎の神の護衛を頼まれた物だから、意気揚々と承知し、フレィリーの許へ向かう。
その姿を見送った緑の女性は、溜息を吐きながら、自分の騎士へ話し掛けた。
「正義感の強さは、本当にディル、そっくりね。ランも苦労するでしょう?」
「ええ、まあ、ディルより、落ち着きが無いのが、玉に傷ですが……
血は、争えないみたいです。」
弟の孫の、後ろ姿を見送りながら、ランシェはふと、思い出していた。
前にもこうして、弟を見送くり、そして…喪った。
だが、今回の見送りは、その心配は無い。
寧ろ危険なモノから、遠ざけられた事に安心していた。
大事な弟の孫…成人したとはいえ、まだ危なっかしい子故に、今回の戦いに巻き込みたくは無かった。それを回避出来て、良かったとは思うが、これからが正念場。
もう一人の子供を助ける事が、ランシェの取るべき道。
他の騎士達と共に、彼を邪気から救うべく、歩みを始めた。
再び舞台は王宮に戻るが、ここでは今の現状を知って、慌ただしく逃げ出す者が続出していた。
魁羅の術を解き、慌てふためく人々を見ながら、オーガはほくそ笑んでいた。
愚かな人間の途惑い、慌てる姿は、滑稽でしかない。
楽しそうに笑う彼だったが、外の動きを知り、真剣な眼差しに戻った。
「やっと…来たか…。」
しっかりと前を見据え、こちらへ向かってくる者達を両の眼に映す。
見知った面々に、微笑を浮かべ、出迎える。
「御久し振りですね、べルア様、ハルト義兄上、
…そして…レア様、ランシェ様。」
少年が、二人の精霊騎士の名を呼んだ事で、彼があの忌まわしき国の皇子で無い事が、はっきりと判る。
後宮の制服では無く、王宮の近衛の制服に身を包み、右腰に剣を携えている少年は、狂気の微笑を浮かべていた。
「やっぱり…オーガ君だったんだ…。」
「オーガ君、もう、こんな事は止めなさい。今なら、まだ間に合います。」
エアレアとランシェの言葉を切っ掛けに、オーガと呼ばれた少年は、左手で剣を抜く。
そして、何の躊躇も無く、これを彼等へ向け、
「ランシェ様、もう、私は、あの頃の僕ではありません。
今、貴方の前にいるのは、木々の精霊では無く、邪精霊ですよ。くく、さあ、誰から、相手をしてくれるのかな?」
と、挑発をし始める。以前の無邪気な微笑で無く、邪気の宿る微笑。
変わり果てた幼子に、彼等は言葉を失くす。
そんな精霊騎士達を下がらせ、アーネベルアが前へ出た。炎の騎士として、邪気に向かおうとする彼へ、再びオーガの声が掛る。
「やっと…貴方と本気で戦える。
……実力を隠す為とは言え、右だけで相手をするのは、大変でしたよ。
貴方程の実力の持ち主を相手に、剣士としての本能を押し殺すのは、苦しかった。漸く…それが解放される…。
べルア様、覚悟は宜しいですか?」
そう言って、剣先をアーネベルアへ向け、楽しそうに告げる彼と対峙する為、アーネベルアも紅の剣を抜く。
前に見た時より、紅の輝きを増しているそれに、オーガは目を奪われる事は無かったが、炎の剣の力を解放している事に気が付いた。
「私も君と、本気で遣り合いたかったんだよ。こんな形で実現するとは、思わなかったけど、これで君を、邪気から解放する。」
アーネベルアの言葉を受け、紅の剣はその色を紅金に変え、光を増していく。この光景に、オーガは更に微笑み、初めの一閃を繰り出した。
彼の剣を受けた紅の騎士は、その重さと速さに驚いた。
右で相手をしていた時とは、数十段の違う、実力を体験する。
部下であるファムトリアから聞いて、想像していた物より強く、巧みな剣技に、アーネベルアが押され気味になった。精霊であるレナフレアムより、強いと思われる少年の腕に、アーネベルアは内心舌打ちをした。
止めるどころか、彼が討ち負かされると思った瞬間、風が間に入って来た。
「べルアでは無理だよ。私が相手をするから、下がって!!」
風の騎士の横槍が入った為、オーガは間を取り、相手を風の騎士へと変えた。
「レア様、あの時の決着を、着けましょうか?」
嬉しそうに言うオーガへ、エアレアも楽しそうに答える。
「そうだね、こんな時で悪いけど、あの時の続きをさせて貰うよ。」
お互い嬉しそうに宣言し、剣を合わす。
あの時とは違い、命を交わす剣であったが、彼等の気合は変わらなかった。オーガと打ち合いながら、エアレアはある事に気が付いた。
前とは違う、オーガの剣筋…衰える事は無く、更に強くなっていく様子に、少年が、力の補充の仕方を覚えた事を知った。
厄介な事になったと思った矢先に、こちらへ向かう気配にも気が付く。
大きな光の気配…それは、オーガにも判った。
この気配が何であるか、悟った彼は、風を呼ぶ。
「ケフェル、此処は任せた。我は一旦、引く!」
そう宣言すると、エアレアと距離を置き、一気に飛んだ。
彼を追おうとした騎士達の前に、黒い風が現れた。
「申し訳ありませんが、我が主の命により、此処から先へ、貴方々を通す訳には参りません。」
そう言って放たれた風は、彼等を吹き飛ばす強さで荒れ狂ったが、エアレアだけは平然としていた。
同じ風の精霊故に、微動だにしない彼は、目の前の術者へ話し掛ける。
「君は、精霊と人間の混血ようだけど、オーガ君の事を我が主と言ったね。
だけど、本当にあの子に従っているの?」
魁羅の術で、操られていると思った、風の騎士が問い掛けると、相手からは、意外な答えが返った。
「私の主は、あの方です。
あの方が何者であろうと、私の忠誠に変わりはありません。」
本心からの言葉と判った風の騎士は、荒れ狂う風を自らの力で制した。
それを見たケフェルナイトは、目の前の人物が精霊騎士だと気が付き、自分の力が及ばない事を知る。
そして、オーガが、外へ出れる場所まで行った事を感じて、その場から姿を消した。
「レア、逃がしたのですか?!」
「というより、見逃したと、言って欲しいな~。
未熟な子供を苛めるのは、趣味じゃあないからね。」
いい加減、青年に見える混血児を捕まえ、そう言う彼へ、周りが脱力する。まあ、人間でいう2・30代では、彼等にとって、子供でしかないのだが…。
脱力した周りを見ながら、エアレアは、アーネベルア達に話し掛けた。
「べルア、私達はオーガ君を追って行くけど、君達はこの奥に行くんだろう?」
「その予定ですが…二手に分かれて、大丈夫なのですか?」
紅の騎士の返事にエアレアは、この先の後宮には王と寵姫しかいない事を教え、彼等に先を急ぐよう、促した。
お礼を言い、後宮の中へと進む彼等を見送り、緑の騎士と、風の騎士を始めとする精霊騎士達は、こちらへ向かう光の騎士と、その主を待った。
大きな光の気配が到着すると、エアレアは真剣な顔をし、光の騎士の主へ声を掛けた。
「ジェスク様、これから、邪気に囚われた子供を追って、その場所へ飛びます。
ルシェも、他の皆も、私の傍に集まって。」
エアレアの言葉に光の神も、周りの騎士達も頷いた。それを確認すると、エアレアは風の力を集め、一気にオーガの許へ飛んだ。
後には吹き荒れる風と、人気の無くなった後宮の扉だけが残った。