剣豪の兄弟 中編
今回、区切りの良い所で切ると、半端な文字数になってしまったので、少々長めになっています。
翌日、何時もの様に目覚めたオーガは、自分の体に何か重い物が乗っている事に気が付いた。全く身動き出来無い状態の為、その場で軽く身じろぐと、う~んと言う唸り声が聞こえる。
聞き慣れた声に、己の置かれた現状を考え込む。
夕べはアンタレスの傍で眠くなり、何時の間にか意識が無くなっていた。今は毛布が掛っているので、寝具の中と推測出来る。と…いう事は、この重い物はアンタレスの腕で、身動き出来無いのは…抱き締められている…。
何時もの様に抱っこされて、眠っているらしい状況にオーガは頭を抱えた。
確かにオーガの歳は、彼等にとって幼子の歳。
だが、体は既に幼子では無く少年の体。心の方も幼子とは言い難い成長振りで、同じ姿の子供達と変わらなかった。だが、この状況…アンタレスにとってオーガは、まだまだ幼子らしい。
嬉しいような、止めて欲しいような複雑な気持ちで暫くじっとしていた。
耳を澄ますと、聞こえてくるアンタレスの心音がオーガを落ち着かせる。昔からこの音を聞いて泣き止み、眠っていた事を思い出す。
何時、どんな状況でも、この音を聞いていると自然と落ち着いた。当たり前の事だったが、弟として扱ってくれる彼に良く纏わり付いた。
彼も嫌な顔をせずに相手をしてくれる。
緑の髪と瞳の中で唯一他の色を持つ精霊…それが自分と同じと、幼い体の頃から感じていたのだ。
「おっはよ~、馬鹿兄弟!」
これまた聞き慣れた声がして、アンタレスが再び唸り声を上げ、
「もう少し…寝る…起こすな…。」
と、声を漏らす。
それを聞いた挨拶の声の持ち主・フォンアは、彼等の寝台の傍に近付く。
「レス、オーガはもう起きてんだから、お前も起きろ。でないとオーガが、朝食を食べらんないぞ!」
「痛、痛ててて…あ?あれ?フォン?何でお前、ここにいる。」
耳を引っ張られて痛みを訴えるアンタレスだったが、今の状況を把握出来無いでいた。
「お前…此処を何処だと思ってやがる…。」
「…ギルドの宿舎…じゃあないよな。お前がいるし…。」
怒りの余り口が何時もより悪くなっているフォンアを、オーガも恐る恐る上目遣いで見ていた。腕の中にいるオーガに気が付いたアンタレスは、悪い、忘れてたと告げて起き上がる。
やっと解放されたオーガは、大きく伸びをして寝台から飛び起き、不機嫌な顔でアンタレスに向き直り、
「兄さんの所為で、朝の訓練がおじゃんになっちゃたよ。もう、如何してくれるの?」
と、文句を言う。
何時もフォンアが朝食を作っている間にオーガは、軽い訓練をしていたのだが、今日はアンタレスが抱き締めていた為に起きれず、訓練が出来無かったのだ。自主訓練だったので特に問題は無いが、オーガにとっては大事な事柄だった。
「悪い、この埋め合わせは…今日一日、稽古に付き合うで、いいか?」
思わぬ提案にオーガは、喜んで承諾した。その遣り取りを見たフォンアは、溜息交じりに二人へ言う。
「全く…この剣術馬鹿兄弟は…、早く顔を洗って着替えて来い!
折角の料理が冷めてしまうじゃあないか。」
悪態を吐きながらも微笑むフォンアに、オーガは素直に返事をして言われた通りの事を素早く実行した。アンタレスの方はまだ眠いらしく、ゆっくりと作業を始めてしまい、フォンアに急かされる羽目となった。
着替えが終わって3人で朝食を摂り、フォンアが何時ものように薬草を摘みに行く。薬師でもあるフォンアは今の時期だけ、然も朝にしか摘めない薬草を求めて森の奥に赴く。
残された兄弟は約束通り、剣の訓練を始める。
何時も誰かが訓練使っている広場での手合わせだったが、アンタレスは妙な事に気が付く。練習用の剣を用いての打ち合いだったのだが、オーガの剣を持つ手に違和感を御覚えたのだ。
一旦、打ち込みを留めたアンタレスにオーガは、怪訝な顔を向ける。そんなオーガにアンタレスは、違和感の原因を問い掛ける。
「オーガ…お前の利き腕は、どっちだった?左じゃあなかったか?」
率直に聞かれたオーガは、言い難そうに答える。
「…そうだよ、左だよ…。」
「なら何故、今、剣を右手で扱っている?左腕に怪我でもしているのか?」
「…していない…。」
返って来た答えに溜息交じりでアンタレスは、オーガに告げる。
「だったら、左で掛って来い!遠慮や手加減はしなくていいから。」
アンタレスの言葉にオーガは困惑して、本当に良いの?と聞く。アンタレスから承諾の頷きを貰い、渋々左に変えた。
「どうなっても…知らないよ。」
そう言ってオーガとアンタレスは、再び手合わせを始めた…筈だった。
利き腕の左に変えた途端、オーガの動きが変化した。素早く、強く打ちこんでくるオーガに、アンタレスは押され気味になる。
まさか、とアンタレスは思った。
レナムを超える手練れ、そして、自分をも超えているかもしれない。
不意にオーガから強い一撃が撃ち込まれ、アンタレスは剣を落とした。その様子を見たオーガは、大いに落胆して項垂れる。
「だから…言ったのに…。」
オーガの呟きにアンタレスは、10歳の時の事を尋ねた。
「オーガ、もしかして、10歳の時、レナムに勝ったのは…・利き腕でか?」
「…うん。」
「その時は3本勝負で、全勝だったのか?」
「…そうだよ…。だから、右手に代えたんだ。でも…既に2本勝ち取ってる…。」
剣の道の上を目指す者に取って、自分より強い相手がいない事は耐え難い物である。
そこで胡坐を掻く者もいるが、オーガは更に上を目指していた。
理由は本人にも判らない。
只、まだまだ腕を磨かないといけないという想いが、オーガを支配し続けている事だけは確かだった。
本能と言えばそうなのかもしれないが、何の為と問われれば答えは出なかった。何も判らずに只々、剣の腕を欲する。それが今のオーガの状況だった。
乾き切った生き物が水を欲するように、オーガも剣の腕を欲した。だが、今、満たされる事の無い渇きに己の身を置いている状況なのだ。
その事に気付いたアンタレスは、オーガに問った。
「お前…何の為に剣を使うつもりなんだ?」
「…判らない…只、今の腕では駄目だって、思ってる。まだまだ力が必要って…。」
「オーガ、目的のない強い力は世界の危機を招き、何れ己を滅ぼすぞ。」
アンタレスに言われて、オーガは無言になった。同じ事をレナムに言われ、目的を探せと言われている。だが、現状は未だ目的を見つける事が出来ず、只々己の力を欲するままに強くしていた。
「判ってる…けど、まだ目的が見つからないんだ。
だから、剣の腕だけでもいざと言う時に使える様にって、磨いているんだ。」
オーガの言葉にアンタレスは、溜息を吐いた。備えあれば、憂い無しの行動をオーガはしている。
その為の剣の鍛錬であり、知識の蓄積であった。
オーガがフォンアと顔見知りの理由は隣同士だけで無く、オーガ自身が薬草の知識を学ぶ為だった。
今は殆ど覚えてしまっていたので、たまに手伝いをする程度。その内、料理をも習いたいらしいのだが、幼子では危なっかしいという理由で教えられていない。
まあ、フォンア自体がオーガに、自分の手料理を食べさせたいという願望の為に教えていないとも言えたが…。
訓練を一段落終えた頃、レナムがその場にひょこりと顔を出した。
オーガの姿を見つけて逃亡を図ろうとしたが、直ぐ傍にアンタレスがいる事に気付き、彼等に近寄って来る。
「レス、オーガとの手合わせは如何だ?」
意地の悪そうな微笑を張り付けたレナムに問われ、アンタレスは渋い顔になる。
今、起こった事実を眼の前の悪友に告げたくなかった。
しかし、悪友は、オーガの態度で判ったらしい。何か足りなそうな、それでいて、気落ちしている彼の姿は痛々しくも見える。
「オーガ、その様子だと、レスにも勝ったんだな。…やはり、お前の腕は天賦の物。
わし等じゃもう、教える事は出来んだろうな。」
突き付けられた事実でオーガは、更にしゅんとした表情になった。レナムとアンタレスが教えられないとなるとオーガは、修行の旅で己の腕を磨くしか方法が無い。未だ、この森を出る事を許されない身では到底無理な話だ。
そんな彼の気持ちを察してか、アンタレスがその頭を軽く叩く。これを合図にオーガがアンタレスの方を向くと、
「長には俺からも、許可が取れる様に話してみるよ。まあ、俺と一緒に出るなら、修行の旅に行けるかもしれんしな。」
何時もの様に何度も軽く、ポンポンと叩かれる頭。子供扱いされていると判っても、アンタレスの申し出は心底嬉しかった。
森の外、広い世界になら自分より強い者がいる。そう、期待出来たからだ。
問題は長の説得だったが、アンタレスとなら何とか出来そうと思った。
「兄さんもお願いしてくれるなら…何とかなるかな?」
期待に満ちた微笑にアンタレスも頷いた。
自分と一緒なら長も許可する可能性がある。そうなればオーガをギルドに登録させて、依頼を熟していけば修行にもなると思った。
だが…それは叶わぬ夢となるとは、この時点では誰も思わなかった。
夕刻、薬草摘みから帰って来たフォンアが、オーガ達兄弟の住居にやって来た。何時もの様に台所で持って来た材料を広げていると、珍しくアンタレスが姿を現す。
「レス、料理の邪魔をすんなよ。」
悪態を吐く隣人にアンタレスは、苦笑いをして近付いた。彼は、長に頼まれた例の薬が入った瓶を持っていた。
「済まんがファン、これを…あの子の口に入るようにしてくれ。」
そう言って、手にした瓶をファンアに渡した。訝しげに受け取った彼は、アンタレスに問った。
「毒…じゃあなさそうだけど、何だ?これは。…もしかして、体の成長を遅らせる薬…とか?」
「いや、違う。長に頼まれたのは、纏う気を本来の物に戻す物だ。」
「ふ~ん、だけど、あの子に効くかな~?」
ファンアも自分の作った薬を飲ませた事があるので、オーガが薬の効かない体質だという事を知っている。
効かなかったら、別の策を考えるさと答えるアンタレスだったが、台所を出る際にファンアに痛い所を突かれた。
「あの子の気配が元に戻ったら、本当の家族を知りたがるかもね。
…真実を伝えられるのか?レス。」
「…伝え難いかもしれんが、伝えなければならないだろうな…。」
台所の入り口で小さく呟く声に、ファンアも頷いた。
何れは、オーガに告げなければならない事…この森に捨てられた人間の赤子、それがオーガだった。
それはアンタレスにとって言い難い事でもあり、このまま精霊として生きて欲しいと望んでいる。しかし、その体は人間の成長そのままであり、幾ら彼等が努力しようとも変えられなかった。
纏う気は不思議な事に自然と精霊となったが、その体の作りまでは変えられない。
髪の色も瞳の色も精霊の物となったが、少し暗い色であった。
「生きる時間が違うか…。オーガが本当に精霊だったら…良かったのにね…。」
ファンアの呟きはアンタレスの耳に届き、彼も同じ想いを噛み締めていた。
ファンアの料理を堪能した兄弟は、同じ寝台に横になっていた。まだ起きていたアンタレスは、既に寝息を立てているオーガを見つめながら優しくその髪を撫でている。
食事に入れた薬が効くのは明日の朝頃。
結果はその時に判るが、効いて欲しくない自分がいる事にアンタレスは驚く。
それ程までにこの幼子の存在は、自分に無くてはならない者になっていた。オーガと同様、早くに親木を失ったアンタレスにとってオーガの存在は、本当の家族同様になっている。
彼の帰る場所は、オーガの許。
弟の許が、唯一の安らぎの場所…。
しかし、このままではいられない事実が目の前にある。
人間と精霊の、時の流れの違い。成長速度の違いが彼を苦しめる。自分より早くいなくなる存在だと知らしめるそれは、オーガを手離さなければならない事を告げていた。
『明日になれば…オーガの気が人間に戻る…。そうすれば…俺は如何したらいい?
俺は…この子を失いたくはないんだ。』
アンタレスは、そう悩みながら眠りについた。愛らしい寝顔をした弟を腕に収めながら…。
次の日の朝、オーガの気は元に戻らないかった。昨日と全く変わらない、精霊の気をその身に纏っていた。
安堵しつつも複雑な想いのアンタレスをオーガは、不思議そうな顔をして見つめた。その様子に気付いたアンタレスは、オーガの方を向き微笑む。
「今日は、如何する?」
不意にそう問われたオーガは、即答する。
「今日はファンアから、薬草摘みの手伝いを頼まれているんだ。一緒に行こうよ。」
「…俺もか?ファンアに邪険にされそうだけど…。」
「大丈夫だよ。今日は人手が欲しいって、嘆いていたから。」
それならと、彼等兄弟の今日の予定が決まった。
ファンアには朝食の時に告げればいいでしょうと、オーガは提案する。オーガの提案を受けて、そうだなと相槌を打ちながらアンタレスは、目の前の弟を見つめた。
『もう少し、もう少しだけでも…一緒にいたい。この愛おしく、可愛い弟……。
我等が神よ。如何か御願いです。この子の傍にもう少しだけ、いさせて下さい。』
リュース神の加護を受けた精霊の想いは森に溶け込み、消えていった。